風邪には生姜湯
油断していた。
八度は意外と、寒かった。
「なあ、香川」
「んー? 何じゃ、高知か」
一旦顔を上げたものの、やってきたのが高知と知って香川は詰まらなそうに視線を戻した。
「何じゃてお前。腹立つな。まあそんなんええちや。お前愛媛知らんか」
「はあ? お前何言いよん? すぐ隣やろ?」
振り向いた香川の顔は「馬鹿かこいつ」と言っていた。
「そんなん俺も分かっとるが。そうなが、呼んでも出て来んちや。何でか知らんか」
「やけん知らんて! 風邪でもひいとんやないのー」
「風邪…?」
香川は思いついたことをそのまま言葉にしているのだろうが、高知はそれを聞いて、見て取れるくらいに不安そうになる。
「こないだからちいと寒かったしー」
「……」
「あいつみかん食べよったら平気ーとか言よったし…ってゴルァ高知ィ! 最後まで聞けや!」
話振ってきたんお前やろが、と、香川の声が背中の遠くで聞こえた。かもしれない。ような気がする。
「…阿呆やなあいつ」
五十メートルを五秒台で走れそうなほどの全速力で去って行った高知を冷めた目で追いつつ、香川が呟く。
「あっははは。ほんでその勢いでうちまで来てくれたと……」
いつもより少し紅い頬をして、いつもの顔で愛媛が笑う。高知はばつが悪そうに目を逸らした。
香川の家を飛び出した後、脇目も振らずに一直線に再び愛媛の家にやってきた。前回は呼んでも出てこなかった愛媛は、今度はあっさり戸を開けた。
しかし案の定、風邪をひいていた。
「で、何でさっきは開けてくれんかったがか。心配したが」
「あは…ご、ごめん…よう寝とってね…」
「…そうか…すまんかったの。具合悪いんに…」
「平気平気。もう大分なおっ…けふっ」
「だっ、大丈夫か? ほれ、生姜湯!」
慌てて差し出す湯呑み。温度は丁度良いはずだ。さっきあんなに調節したんだから。
それに効くはずだ。自分ちの生姜なんだから。
「ん…けほっ、あり、がと…」
上着の長い袖に埋まった愛媛の手が震えている。袖先から少しだけのぞく指はいつもより白くか細く見えた。
湯呑みが熱い。指が触れた。
受け取った愛媛がゆっくりと生姜湯を喉に流していく。朱みの差した肌がやけに目につく。飲み干す時に仰け反った喉は驚くほど白かった。
「はぁ…あったかいね…ごちそうさま」
いつものようにほわりと笑う愛媛を見て、はっとして平常を繕った。
「お、う…喉、乾いとったんか」
「ああ…えへ。ちょっとね。あんまり買い物にも出れんで」
そう言って笑う愛媛は、随分寂しい。笑い方も表情も全部いつもの通りなのに、何故か寂しかった。
空いた湯呑みを受け取る。やはり寂しい。
か細い指にも、紅い目元も、少しだけ荒い息にも、宿っているのは全部寂しさだ。
「愛媛、何で俺のこと呼ばんかった」
「え? え、え…? いや…だって…」
「心配するが」
違う。心配なんて。
心配したことは嘘ではないが、今愛媛を責めている本当の理由は違う。
「え…えっと……ご、ごめん……」
ああ、違う。謝らせたりしたいんじゃないんだ。違う違う。ごめん、愛媛。
「愛媛…」
只ならぬ雰囲気に怯えて竦んだ身体を強い腕で引き寄せる。同時に片方の手首を捕まえると、鍛えられていない細い肩がびくんと震えた。
「こっ…高知、君…? ぁ、や…駄目っ」
勢いで寄せた唇を受け入れそうになって慌てて押し戻す。
「…嫌か?」
「ち、違うよ…! ほうやなくて…風邪、伝染っちゃうから…」
「そんなんかまん」
「そんな…んん…ぅん…っ」
少し上を向かせて口付ける。無理やりに近く割った口の中はいつもよりも熱かった。
「ふぁっ…ん…ぁ…っあ! や、駄目っ!」
口付けたまま部屋着のボタンを外そうとした高知の指に気付き、愛媛が訴えかける。
「いかんよ…今日は…やだ…」
「汗かいたら風邪は治るいうやなかが」
そう言って強引に押し倒した。上のボタンはさっさと全部外してしまい、肌蹴させた肌にのぞいた胸の突起を歯と舌で転がした。
「やぁっ! やだ…やぁっ…だ、め…ああっ」
軽く歯を立てる度、白い体がびくんと大きく跳ねる。突起はもう既に紅く尖っている。
「高知、く……や…駄目…って……熱い、よ…」
「愛媛…ここ、紅くして、気持ちええがか」
「あぁっ、んぁっ…あ、ちが…っ、だって…いじるからっ…はぁあっ!」
「こっちも大分、気持ちええみたいにゃあ」
服の上から指で軽くするりと撫で上げると、愛媛が甘く悲鳴を上げた。
「もう、や…ごめ…ごめん、なさい……怒らんとって…」
がくがくと震えながら高知の袖を掴み、涙で潤んだ目で見上げてくる。
ああ、そんなに、泣かないで。
ごめん。
「違う。違うんじゃ。怒ってやせん。…ごめんな」
精一杯の心を入れたキスをする。柔らかい髪を撫でて華奢な身体に手を回すと、少し安心したように溜息を洩らした。
「愛媛…今度からは、風邪ひいたら、ちゃんと俺呼び」
「…うん」
少ない言葉でちゃんと理解してくれる。ああ、どうしよう。大好き。
こっちもお詫びのつもりで何度も優しくキスをした。重ねる度に愛媛の息が少しずつ上がるのは分かっていた。
「…愛媛、そろそろ、しんどいか」
「ふ…ぁっ、ん…もう…っ、もう…おねが…」
「ほなら、いくで」
「ん…あ、あ、あっ! はぁぁああ!」
まだ少し残る微熱のせいか、愛媛の中はどうにも熱かった。そしてそれ以上に気持ちが良かった。
「え、ひめ…大丈、夫か…」
「あ、ぁ、あぁ…は、ひぁ…あ」
ひくひくと足を震わせながら、荒い息で返事はできないものの、こくこくと頷いて袖を引く。
熱で紅らんだ顔がどうしようもなく可愛いと思った。
「すまん…俺も、余裕無い」
そのまま抱きかかえて思うままに突き上げる。腕の中で愛媛が息を詰めるのが分かった。
「こ…ち、くん…高知君…っ」
「愛媛…好いちゅうぞ…」
「うん…うんっ…僕、も…っ」
その後、お互いが熱を吐き出したのを涙で滲んだ視界に捉えてから、愛媛はあんまり覚えていない。
「よう、香川」
「ん。何やまた高知か。愛媛はどうやったん」
「おう。やっぱ風邪ひいちょった。まあもう治ったき」
「へえ。良かったな。で、何しに来たん」
「愛媛には一応直接言うといたがやな、お前からも言うといてくれんか」
「何て」
「みかんで何でも治ると思うな」
了
普段の気温がけっこう緩やかな分、たまに冷えるとすぐに風邪ひいちゃう愛媛。
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