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ククールが普段よりも念入りに髪を梳かしたり衣服を選んだりしているのを見て、マルチェロはふと思い立ったように席を立った。
その背中を見送って、ククールは膨れる。
わざわざ見えるところでやっているというのに。「どこかに出掛けるのか?」とか、ひとこと聞いてくれてもいいではないか。
腹が立ってきたので、何処へ行くか何も言わずに出ることにした。せいぜい心配すればいい。……いや、心配するかどうかは怪しいところだが。マルチェロがこの場に戻って来る前にさっさと支度をしてしまおう。
自分愛用のリボンを探して髪を一本にまとめたククールは、手鏡を見て満足そうに微笑んだ。銀髪が真っ直ぐに背を流れている。前髪のハネもない。リボンの形も完璧で、綺麗なシンメトリーを作っている。素直にまとまってくれたようだ。
上着をとって、小さな荷物をかかえる。護身用にレイピアを差して靴をブーツに履き替えた。
では行ってきます。行っちゃいますからね。書置きなんて残してないですからね。ちなみに今日は夜まで帰ってきませんからね。夕食も外で取ってきちゃいますからね。昼食も夕食もひとり寂しく食べることになりますからね。
そんなことを早口で、しかし心の中で呟いてから、ククールはドアのノブに手をかける。イライラはこの家に置いていざ外へ! 一歩前に足を踏み出し―――
マルチェロが戻ってきたのは、まさにその時だった。
「ククール」
なんですか。悪いけどオレ、振り返らないからね。
背中で不機嫌を語ってみる。
「リュウさんのところに行くのだろう」
当たりだ。どうして分かってしまうのか……やっぱりそれは愛なのだろうか。
ククールはちょっと振り返りたくなってきた。いってらっしゃいのキスが欲しい。それだけで、愛しいオレ様が気持ちよく外出できるのだから易いものではないか。
「ククール…」
優しい声。今までの経験上、こんな声が出るときは表情も滅茶苦茶甘かったりするのだ。
見たい。見たいったら見たい。ククールはもう我慢できなかった。
「何か用?」
ゆっくりと振り返る。不機嫌な表情を作りながらも、マルチェロの顔だけはしっかり拝むことを忘れない。予想通りの穏やかな笑みに心臓が跳ね上がった。
―――もうガン見できませーん。降参です!
視線を逸らして、ククールは俯いた。頬が熱を持っている。きっと今頃マルチェロは自分の反応を見て愉しそうに笑っているに違いない。
マルチェロの足音が近付いてくる。そっと顎を取られてマルチェロの方を向かされた。優しいキスが額に降って来る。
次に囁かれるのは愛の言葉だな! 気をつけていってくるんだぞ、とか。……ああもう、オレこんなに幸せでいいんだろうか。
うっとりとした表情で次の言葉を待つ。が、残念ながらマルチェロの行動はククールにとって予想外のものであった。
「これを、リュウさんに」
渡されたのは、白い封筒。
ククールはぽかんと口を開けてそれを見つめた。
手紙? 手紙!? 兄貴がリュウに手紙!? まさか恋文とかじゃ……。いやいや待て。もしかするとオレの悪口が書いてあるのかもしれない。や、更にちょっと待て。悪口くらいならいい、実はオレとの別れ話を持ち出すきっかけを相談してるとか。
驚いたり顔を顰めたりショックを受けたりと百面相している弟の姿が面白かったのだろう。失笑したマルチェロをククールは軽く睨みつける。
すると、少しだけマルチェロは眉を顰めた。……これは困ったときの表情だ。
仕方ないな、というように溜息をついて、マルチェロが“白い封筒”について語り始める。
「ただのお礼状だ。リュウさんにはお前のことも含めて色々とお世話になっているからな」
差し出された封筒を、ククールは不承不承左手で預かる。
そういえば、過去にもこのふたりは手紙のやりとりをしていたことがあった。それはもしかすると一度きりのことではなく、この場で暮らすことになった今でも続けられていたのかもしれない。
考えて、ククールはどういうわけか腹が立ってきた。悪いが自分は一度も彼から手紙を貰ったことなどない。
「オレも兄貴の手紙が欲しい」
不貞腐れた弟を、不思議そうな顔でマルチェロは見つめる。
「手紙も何も……こうして一緒にいるのだから必要なかろう」
「そうだけどさ……形に残るあんたの言葉が、オレも欲しい」
愛してる、とかさ。滅多に言ってくれないし、いつまでも残しておいて再生できるわけでもない。その点手紙なら何度でも読み返すことができるじゃないか。
そんなことを小さく呟きながら、ククールは荷物の中に兄からの預かり物をしまいこむ。
すると、弟の態度に何を思ったのか、マルチェロは右手を差し出して白い頬を軽く数回なでた。
「おかしなことを言うものだ……。私はお前の汚い字を見ているよりも、直接お前を見ていたほうが面白いがな」
そういえばお前の報告書は読めたものではなかった。と、かつての上司は溜息をつく。
ククールはますます面白くなくなったが、今度はマルチェロも取り成すことはせず……ククールを無視してその場から離れていってしまった。
怒らせてしまったのかと些か不安になる。が、すぐに戻ってきた兄を見てホッとした。右手にペンを持っているから、それを取りに戻っただけなのだろう。
「右手を」
言われるままに、ククールは右手を差し出した。
軽く袖をまくられて、白い肌の上をペンが走っていく。
力を入れぬようにゆっくりと。それでも流暢に。兄はククールの腕にさらさらと文章を綴っていく。
「紙が見当たらなかったのでね」
ちょっと嫌味の色を含めたマルチェロの口ぶり。しかし言われたククール本人は、最早口を開けるような状態ではなかった。
恥ずかしい。これは恥ずかしすぎる! 顔から火が出てしまいそうだ。
確かに手紙が欲しいと言ったが、これは余りにも……
―――この性悪! 弟たらしこんでどうすんだ!
「いってきます!」
ククールは乱暴にドアを開けて表に飛び出る。
逃げるように走り出したその腕には、兄の字で書かれた文字。
ククールが望んだ兄からの手紙。それは、普段の口調では考えられない甘い文章で。
『私の愛しいククール。
この文字が消えてしまう前に戻っておいで』
「それ、マルチェロさんの字だよね」
目ざといリュウにその腕の文字を見つけられてしまったククールは、もう二度と兄に手紙をねだらないことを決意していた。
<おわり>
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