Side K

 

 

 青年がその町を訪れたのは、景色が夕闇に染められた時分であった。
 外套を翻し、迷うことなく酒場へと向かう。カウンターに腰を落ち着けると、つまみと安い葡萄酒を注文した。
 頭まで覆っていた外套を脱ぐと、美しい銀髪がさらりと零れる。多少の美形では驚かない店のマスターが思わずグラスに注ぐ酒を零しそうになるほど、その青年は秀麗な面立ちをしていた。

 テーブル席で、店のバニーと客が談笑している。
 静かに酒を飲む彼の耳に、その内容は意識せずとも流れてきた。
 青年の口元に微かに笑みが浮かぶ。しかしそれは一瞬のこと、興味が沸いたマスターが問いかける前に、彼の表情は元に戻ってしまっていた。酒樽に向かう振りをして、マスターは消沈したように小さく息をつく。
 旅の者が酒場にやってくることは珍しくない。しかし今夜の客ほど美形がやってくることは稀である。それもひとりで。
 なにか事情があるのだろうか。安酒を呷ってはいるがこの場には似つかわしくない男に思える。普通に、興味が沸いた。きっと他の客もそうなのだろう、近くのテーブルの女が、そしてふたつ席を離れたカウンターに座っている髭面の男が、さきほどから銀髪の青年を盗み見している。そんな彼に話しかけるきっかけを失ってしまったことは、主人にしてみれば酷く残念なことであったのだ。


 バニーと客が話していたのは「黒髪の聖騎士」についてである。
 つい先日、旅の戦士が残していった奇跡の物語は、いまこの酒場で一番の話題でもあった。

 旅の戦士がその腕でも手に負えないような魔物に遭遇してしまった。
 相手は複数で、それも強敵と呼べる類のものだった。その辺は戦士の名誉のためにも信じたいと思う。
 前後左右から魔物に攻められ、戦士は傷ついた。背中から、腕から、夥しい量の血が流れ…意識も朦朧としてきた戦士は死を覚悟したという。
 そのとき眩い銀色の十字架が表れたのだ。 
 魔物たちは一瞬で消滅した。驚いて振り返った戦士の視線の先、あったのは息を呑むような存在感を持った長身の男。
 黒髪が風に揺れ、翡翠の瞳が闇夜に輝く。凛と背を伸ばし、剣を鞘にしまうその姿は恐ろしく高潔で威圧感があった。
 戦士は畏怖した。魔物ではなく、その男に。情けなくも身体が震えるのを抑えることができなかった。
 だが、しかし。
 男は哀しげな瞳で笑みを浮かべると、優雅な仕草で膝をつき、男に癒しの魔法を施していった。
 力に溺れてはいけない、逃げるのも勇気であると、そう呟きながら。

 戦士の話では、同じように命を救われた仲間がいるらしい。おそらくはその「黒髪の聖騎士」に。
 魔法と剣、双方に秀でたその男に是非一度逢ってみたいという者、手合わせをして欲しいと望む者、旅の者の間ではちょっとした噂になっているという。

 そこで、銀髪の青年が笑った。今度は声に出して。
 からかうような笑みではない。美しいその面(おもて)に似合った、温和で慈愛に満ちた笑顔。
「どうかされましたか?」
 躊躇うことなくマスターは問いかけた。
 すると青年はグラスを口元に運びながら尚も表情を綻ばせる。そして、顔に似合わず砕けた口調でマスターの質問に答えた。

「いやね、その話に出てくる男がオレの捜してる奴に似てるかもしれないと思ってさ。でもさ、よくよく考えたら違うんだよ。確かに容貌は似ているようだけど、あいつはインテリで嫌味で……人を見下すことしか脳がないどうしようもない奴だった。ついでに服がちょっとでも汚れるのを嫌がるほどの潔癖症だしね」
「そうだったの。それは残念ね」
 主人と青年の会話に店のバニーが割り込んできた。それに乗じて同じカウンター席の男も会話に加わってくる。
「黒髪の聖騎士、そいつの話なら俺も聞いて知ってるぜ。確か今度はアスカンタ方面に行くって話だったらしいな」
「へえ…そうなんだ」
 まさかあの大陸に渡るとはね、青年が小さく呟いたことに店の者は誰も気付かない。
「なんでも目的があって旅をしてるとか。たしか―――」

 髭の男の言葉を聞いて、美麗の青年は立ち上がる。
 テーブルの上に酒代よりも大目の金を置くと、切なげに眉を顰めて微笑んだ。

「そうなんだ。……いつか立ち止まれるといいね、その騎士さん」



 自分の顔を隠すよう深めにフードを被った「聖騎士」に戦士は問いかけた。
 あんたは一体どこに向かっているんだい?
 唐突な質問ではあったが答えてくれた。戦士に背を向けたまま、呟くように。


 ―――私は私を生かした者に報いる日まで歩き続けるのだ。


 

 

 

 

 

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2007/05/