”辺境の魔物が徒党を組んで暴れている”という話が持ち込まれたのは今から一週間ほど前のことだ。
勿論パプニカ国内のことではない。が、それがロモス王国の話とあってはパプニカ王女レオナも黙っては居られなかった。ロモスの精鋭たちに加勢すべく、パプニカ騎士団を派遣したのである。
総勢20と些か少なめではあったが、率いていったのが騎士団長であるヒュンケルだ。一騎当千の働きを見せる彼がいるならば、20という数字は多いようにも思える。
そして今日―――。ヒュンケルら討伐部隊が任務を終えパプニカに戻ってきた。団員たちは怪我ひとつせず帰還し、明るい笑顔を見せている。
しかし、ポップは不機嫌だった。
目の前にはその原因ともなる男がひとり、困ったように眉根を寄せている。
「どうせお前のことだから、自分の回復を後回しにして団員たちに全部薬草とか使っちまったんだろ」
ぶすっとした表情で、それでも淡々とヒュンケルの上着を脱がせていく。聡明なる大魔道士の予想通り、衣服の下からはぞんざいに巻かれた包帯が現れた。
「あのね、こういうのを放っておくと怖ーい怖ーい病気になっちゃったりするわけよ? 昔教えたような気がするけど、もう忘れちゃったんですかね?」
当然ヒュンケルは忘れていなかったし、その恐ろしさも話に聞いて知っていたが。「覚えていた」と正直に答えれば、更にポップの機嫌が悪くなるような気がしたので沈黙を貫く。
「けっ! いつものだんまりかよ。あーもう本当、おれ、お前のそばに居るのが嫌になってきたよ。もうやだこんな人生」
正直に答えても答えなくても結局こうなる。これではヒュンケルもどうしていいのか分からない。
昔の自分なら、そのまま何も言わずにその場を去るなり「人生を投げるには早い歳だろう」とポップを子ども扱いして更に苛立たせたりしただろうが、今は違う。
「すまん」
正直に謝罪を述べるくらいのことは出来るようになった。
ポップはまだ不貞腐れているようだったが、フンと鼻を鳴らして回復呪文をかけはじめる。
あっという間に傷が消え、ヒュンケルの身体から痛みが引いていく。何度見ても、魔法とは……魔法使いとは本当に不思議なものだと呪文が使えぬヒュンケルは感心せざるをえない。
「はい、終わり。どうぞご自分のお部屋にお戻りくださーい。騎士団長さま」
ポップの機嫌を損ねたであろう問題の傷が治っても、ポップのそれは修復できないようだ。まあ礼も言わないヒュンケルが悪いのであろうが。
ぷいっとそっぽを向くポップを、ヒュンケルは紫色の瞳でじっとみつめた。
最初はそれを無視していたポップだったが、強い視線にだんだん居たたまれなくなったのだろう。「もうお前とは喋んないよー」と全身から発していたオーラを解除してヒュンケルを睨みつける。
「なんだよ! 言いたいことがあるなら言えばいいだろ!?」
その瞳が少し潤んでいるのに気付いてヒュンケルの心が痛んだ。が、同時にそこまで心配してくれることを嬉しくも感じる。
だから、ヒュンケルも今まで自分が思っていたことを正直にポップに述べた。
「お前の回復呪文は、他の誰にかけてもらうものよりも効くような気がする」
ふっと柔らかい笑みを漏らして、少し照れくさそうに。その表情と思いがけない台詞に動揺したポップが真っ赤になって怒鳴りつける。
「はあ? ばかじゃねえの!? 回復呪文なんて誰がかけても同じなの!」
言いながら、昔自分が「マァムのベホイミはよくきくなー」なんて漏らしていたことに気付いたが、あえてその辺は考えないようにした。
その言動の意味と理由を考えれば考えるほど、恥ずかしくて仕方ないのだ。
ポップの強い口調は当然照れ隠しのものであったのだが、生真面目なヒュンケルは大魔道士ポップの言を素直に信じたらしい。「そうか、オレには魔法のことはよく分からんからな……」とか、「気のせいかもしれん」とか二言三言呟いてその場を去っていく。
最後まで礼は言っていかなかったが、それは昔ポップが「おれに礼なんて言ったらメドローアだ!」とヒュンケルに言ったせいかもしれない。変なところで律儀な男だ。
「本当、馬鹿じゃねえの。あいつ……」
呟くように漏らした言葉。しかしそれはすぐに打ち消される。
「違うな。馬鹿は、おれかも……」
ぎゅっと強くくちびるを噛んだ。
ヒュンケルに想いを告げられてから数ヶ月経つ。
兄弟子からの突然の告白に、ポップが素直に答えるはずもなく……それでも”嫌々ながら”という形でヒュンケルが手を繋いだり抱き締めたりすることは許していた。ついでに言うならキスまで許してしまっている。
そこまでさせているくせに、ポップには彼を喜ばせる決定的な台詞を返してやることができないのだ。
「あいつが、いい男なのが悪いんだ!」
褒めたいのか貶したいのか。こんな恨み言しか出てこない自分にも腹が立つ。
「あいつの思い通りになんてなってたまるかってんだ」
誰もが認める色男。ポップには耐性がついているが、あの端整な顔立ちで睨まれたらビビッて腰を抜かしそうになる(現に騎士団では何人か泣きながら逃げ出していた)
けれど……微笑まれたりしたらイチコロだ。それにはポップも耐性がない。
あんな優しい瞳でみつめられたら。愛しくてたまらないといった表情でポップに接せられたら。
「もう、おれ……あいつに負けんのやだ」
好きで好きでたまらないのに素直になれない自分と、いつまでも蛇の生殺し状態のヒュンケルと。
どちらが可哀想かと言えば、やっぱりヒュンケルの方なのだろう。
優しくされて嬉しい。抱き締められて幸せ。でも、ヒュンケルはいつまでも不幸なまま。大好きな人ひとり喜ばせることも幸せにすることもできない自分自身に腹が立つ。
どうせなら先に好きだと言ってしまえばよかった。
先に言ったもん勝ちなのだから。
考えて、「やはり自分はヒュンケルに負けてるんじゃないか」とポップはまた悔しくなった。
**********
「探しましたよー、ヒュンケル」
後方から上がった声に、些か驚きながらヒュンケルは振り返った。
まさか……と思ったが、そのまさかだ。そこには現在はカールの王となっているアバンの姿。
「アバ……先生、どうしてパプニカに?」
名前を呼び捨てようとして言い直したヒュンケルに、アバンはくすりと小さな笑みを漏らす。思い出されるのは今から3ヶ月前。ポップに『おめえ、普段は先生って呼んでるくせに何で本人の前では名前を呼びすてんだよ!? ちったあ素直になりやがれ』と怒られていた。それから彼はアバンのことを先生と呼んでいる(今日のように昔からの癖が出てしまうこともあるが)
ポップの言葉を忠実に守っているヒュンケルが、なんだかとても可愛らしい。
「今日はね、あなたに逢いにきたんですよ!」
「オレに?」
そのようなことは滅多にないことなので、ヒュンケルは本当に驚いている。アバンは内心「うーん、グッドです。こういうことはサプライズが必要ですからね!」と喜んでいたが、にこにこ笑うだけの師から無骨なヒュンケルが意を汲み取れるはずがない。
どうしていいものか困り果てていると(表向きはいつもと変わらぬ無表情だったが)、アバンは徐に隠し持っていた箱を差し出した。
「お誕生日おめでとう、ヒュンケル。……とは言っても私が勝手に決めた誕生日ですけどね!」
表向きは何事もないような笑顔を見せているが、師は内心緊張しているのだろう。ヒュンケルに箱を差し出してはみたものの、それを素直に受け取ってくれるかどうか不安が残っている。その証拠にアバンの視線はヒュンケルの手元にばかり向いていた。
『そうだ! 大事なことを聞き忘れていましたね。ヒュンケル、あなたの誕生日はいつですか?』
その問いに、幼少のヒュンケルは視線を外して”知りません”と答えた。
捨て子だったヒュンケルは地獄の騎士バルトスに拾われ育てられたが、誕生日というものを祝ってもらったことは一度もなかった。魔物にはそれを認識する風習はなかったから、致し方のないことだと言える。
しかし、歳が分かっているだけでもありがたいことだった。バルトスが人間界の暦にのっとって歳を数え、彼に教えてくれていたのだ。
人間には誕生日というものがあって、年に一度それを祝う。そうヒュンケルが認識したのも実はつい最近のことで。
ヒュンケルの暗い表情に、アバンは全てを悟ったようだった。彼の生い立ちに胸を痛め、消えた笑顔。
しかし、次の瞬間。彼は破顔一笑した。
『それはいけませんね。……では、私が決めちゃいましょう!』
―――そうだ。それが”今日”だったのだ。
「すまない……」
師の差し出したものを受け取る前に、ヒュンケルはまずアバンに謝罪した。
「先生の決めてくれた誕生日を……オレはこの数年忘れていた」
自分を責めているだろうヒュンケルに、アバンは優しい視線を向ける。
「この数年忘れていたということは……しばらくの間は覚えていてくれたんですね。私はそれで充分ですよ」
ヒュンケルは無言になる。
いつか闇の師が言っていたように、ヒュンケルはアバンを父の仇と恨みながら心の奥底では慕っていた。アバンが一度だけ祝ってくれた誕生日を、ばかばかしいと思いながらも覚えていた。しかし、時が経つにつれて彼は”覚えていること”すら拒否したのだ。心を闇に染めるには、その事実はあまりにも美しすぎた。
でも、今は―――。
躊躇いながらも、ヒュンケルは手を差し出してアバンから箱を受け取る。
「……ありがとう」
「どういたしまして!」
アバンの顔が自分のそれよりも嬉しそうなのがヒュンケルには可笑しい。これではどちらの誕生日か分かったものではない。
「本当はみんなでぱーっとお祝いしてあげたかったんですけどね」
「それは……」
アバンの言葉を切ったヒュンケルの心情を、師は理解していたのだろう。分かっていると言いたげに頷いて、それからまた言葉を続ける。
「あなたの気持ちは分かります。本当に痛々しいほどにね。だから私は今日のことを誰にも言ってません。今のところは私たちだけの秘密……ということになりますね」
あなたと秘密を共有するっていうのは悪くないですねー。
そんな軽口を放ちながら、アバンはヒュンケルの肩を叩いている。
「実はね、ケーキも焼いてきたんですよ。ダイ君たちも誘ってみんなでお茶しましょう」
誰かに祝われることに慣れてない、祝ってもらうことに罪悪感を感じる。そんなヒュンケルにとって、師の心遣いは嬉しかった。
**********
ポップがカールに来ているという話を耳にしたアバンは、仕事をそっちのけで可愛い弟子に逢いに行った。
自分の弟子がやってきているというのに、最近ではそれを隠されることが多いので困ってしまう。その原因が自分自身にあることには当然気付いていたが、アバンにとっての弟子たちはかけがえのない大切なものなのだから仕方ない。
「先生! こんにちは。この前はケーキごちそうさまでした!」
花が咲いたような笑顔を向けるポップを見つめて、アバンは顔を綻ばせる。
自分が焼いたケーキで喜んでくれるのなら、今からまた作りに走りたい気分だが。
「今度また時間がある時にでも作ってくださいね」
弟子たちの中でも一番聡明なポップは、師に釘を刺すことを忘れない。アバンの立場やその他諸々の事情を察しての発言だと理解しているが、チーズケーキを焼く気満々だったアバンは少しだけがっかりする。
「パプニカは変わりありませんか?」
アバンが問いかけた。
弟子の想いを尊重すべくケーキを焼くことを断念したものの、師は既に自慢のお茶と菓子を用意している。が、それは散々譲歩した上での行動であるのだ。ポップもこれ以上は無理だと察したのか、何も言わずお茶の席についている。
「ダイは相変わらず勉強が苦手で隙をみつけては逃げ出してます。姫さんはそれを追いかけるのに必死で、アポロさんたちが仕事が滞ると泣いてます。
ラーハルトとクロコダインのおっさんが久しぶりに遊びに来たんで宴会して……そんでヒュンケルが酔っ払いが暴れて投げたタルにぶつかりそうになった奴を庇って手に怪我をしました」
「またですか……」
「ええ、またです。運が本当にねえんですよあいつは」
吐き捨てるように言ってみるものの、ポップのその瞳に宿る優しげな光は隠せない。
アバンの予想でしかないが、きっと彼は憎まれ口をたたきながらもヒュンケルの回復をしてやったのだろう。
「そういえば……この前ヒュンケルが面白いことを言ってましたね」
「なんですか?」
口に放り込もうとしたクッキーを寸前で止めてポップが問いかける。そこまでヒュンケルのことが気になっているのに、普段は(他人の前限定かもしれないが)会話すらしようとしない彼が可愛らしく思えた。
次の反応を楽しみに、アバンは笑顔で口を開く。
「或る人がかけてくれる回復呪文が他の誰がかけてくれるものよりも良く効くような気がするのだけど、そのようなことは本当にあるのか、自分の気のせいなのか、とね」
ポップの頬が朱に染まった。
どうやらヒュンケルは本人にもそのことを打ち明けていたらしい。
アバンはその時の弟子たちの会話を想像して、今度はくすくすと声に出して笑った。師の思惑に気付いたポップが頬を膨らませる。まるで顔に小さな赤い風船がふたつあるようだ。
「で、先生は何て答えたんですか?」
「私ですか? まずはヒュンケルには理解できないような難しい回復呪文の理論を説きまして」
「意地悪だなぁ……」
「こら、ポップ。話は最後まで聞きなさい。私はね、最後にこう言ってあげたんですよ」
―――あなたは、その人に対して特別な感情を抱いているんでしょう?
「自分が愛しく想っている人物が、自分のためにかけてくれる回復呪文ですからねぇ。そりゃあ良く効きますよ。ねえポップ?」
アバンの問いに答えはなく、俯いてしまったポップの表情からは何も悟ることはできない。だが、その耳が真っ赤になっているので、きっと今度は顔全体を真っ赤に染め上げているのだろう。
素直すぎる反応に気をよくしたアバンは更にポップを追い詰めていく。
「時間をかけて説明した魔法の理論よりも、ヒュンケルにはその一言がしっくりきたみたいですね。納得してくれたようで……えらく感謝されちゃいましたよ。あの子に感謝されるのは滅多にないことだから私も嬉しいです。
……しかし、そのせいでもうひとつの可能性について話すことができませんでした」
やっとポップが顔を上げる。顔の赤みは引いていたが、恥ずかしそうに視線だけは逸らしていた。
「あれ? ポップ。もうひとつの可能性については聞かないんですか?」
アバンの飄々とした言葉に、ポップはくちびるを尖らせる。
「聞きませんよ! どうせまた恥ずかしいことを言う気でしょう?」
「おやおや……人を愛する気持ちに恥ずかしいことなどないでしょうに」
諭すような師の口ぶり。
意地っ張りポップもその前には形無しで……彼はとうとう観念し、諦めたように息をつく。
「おれがかける回復呪文が良く効くのは当然ですよ。……だって、惚れた相手にかける呪文なんだから」
「それ、ヒュンケルの前で言っておあげなさい。喜びますよー」
「いやです」
どうしてですか? アバンの視線だけの問いかけは、きちんとポップに伝わっていたようだ。
少し傷付いたような表情をして、ポップは師の疑問に答える。
「あいつ、表に出てる傷はおれに見せるくせに、中の傷は見せねえから」
おれのことを好きになるのなら、全てを曝け出す覚悟で来て欲しい。
むこうが先に「好きだ」と言ってきたのだ。
こちらから先に全てを打ち明けてしまうのはイヤだから。
もうこれ以上……自分はヒュンケルに負けたくないのだ。
「ポップ……」
「その先の台詞は言わないでください。どうせ『恋愛に勝ち負けはない』っていうんでしょう?」
「おお、正解です」
かちゃりとポップがカップを置く音が聞こえる。
同時に彼は席を立った。
お茶と菓子の礼を手短に言って背を向けたポップが、立ち止まって独り言のように呟いた言葉。
「とりあえず……あいつが先生との”ふたりだけの秘密”をおれに打ち明けてくれたら考えますよ」
ルーラの光を目で追いながら、アバンは微笑んだ。
どうやら、彼が本当に癒したいのは身体ではないらしい。
「なるほど、これは長期戦になりそうですね……」
ポップはそれを”おこがましいこと”と思い素直に認められないだろう。
ヒュンケルはポップがそんな健気なことを考えていると気付かないだろう。
鈍感で不器用な戦士と、意地っ張りで臆病な魔道士の恋の成就はまだまだ遠い。
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