***「勇者」
ダイが戻ってきて、初めての秋。
ポップとダイは、のんびりと草原を散歩していた。
秋の花々が美しく咲き乱れ、ちょっと涼しくなった風が頬を滑っていく。傍らでは勉強から解放されて大喜びしているダイが、嬉しそうに飛び跳ねながら草原を走り回っていた。
去年の秋が嘘のように穏やかな時間。優しく通り過ぎていく日々。
親友が戻ってきてくれたという現実を実感して、ポップの胸にじん、と温かいものが走った。
「ねえねえ、ポップ! 見てよ」
突然声をかけられて、ハッと振り返る。そこには、しゃがみこんで何かを指差しているダイの姿があった。
「ほら! 見て、オンブバッタだよー」
ダイの言葉に促され、近付いて観察してみる。そういえばもうそんな季節だったかと、聡い大魔道士はその生態について考えていた。
「いいなぁ……いつも一緒で」
何気なく漏れたダイの声音は小さく、それでもどこか寂しげな色を宿している。秋は感傷的になると誰かが言っていたが、それはこの勇者にとっても同じなのかもしれない。
ポップは兄弟子らしくそんな弟弟子を見守っていたが、
「ねえ、このバッタの赤ちゃんが乗ってるのってお母さんかな? それともお父さんかな?」
純粋な瞳をしたダイが発した言葉で、ずっこけるほど衝撃を受けた。
「お、おい……」
どうやらダイは何かとんでもない勘違いをしているらしい。すぐに訂正しようと思ったが、そのバッタを親子と思い込んでいるダイにどう伝えれば良いものかとポップは逡巡した。
純粋な勇者。本当に、彼に教えることが多すぎて頭が痛くなってくる。
「あのな、ダイ。それは……」
「ダイ」
言いかけた台詞は、第三者によって遮られた。
驚いて振り向くと、いつから居たのかそこには彼らの兄弟子が陽の光に眩しそうに目を細めながら立っている。その姿に一瞬見蕩れてしまったポップは、直ぐに言葉を返すことができなかった。
気配を殺して近付く癖だけは本気でやめて欲しいと、無意識に高鳴る胸が訴えている。驚いたのは兄弟子が突然現れたからではない、別の理由もあるからだと自分で気付いているから尚更憎い。
「ヒュンケル、見て! ほら、オンブバッタだよ」
ダイがやはり笑顔でヒュンケルに訴える。
そうだ、この場はやはりアバンの長兄に任せるべきだろう。自分がダイの夢を壊すことはない。
昔から逃げ足の速さだけが自慢だったポップは、光のような速さでその話題から一歩引いた。既に傍観する身となったその瞳で、自分の兄弟子と弟弟子の姿を捉える。
オンブバッタを繁々と見つめる二人が、なんだかとても可愛らしかった。
「ね、仲が良いと思わない?」
「ああ、本当だな」
「いいよね、いつも一緒でさ……」
「確かに、そうだな」
そこで一度ヒュンケルはポップをちらりと見る。予想外の行動に、落ち着きを取り戻していたポップの心臓が、バッタもびっくりなほどにまた跳ねた。
「本当、親子っていいよね」
ダイの恐ろしい発言がまた飛び出す。兄弟子がどう対応するのか穴の開くほど見つめてしまったポップは、ヒュンケルの次の言葉でさらに恐ろしい目に遭うことになる。
「ああ、本当にそうだな」
微笑みながら、なんと兄弟子ヒュンケルはそう言い放ったのだ。
―――愕然。
自慢ではないが、ポップは自分が頭の良いほうだと思っている。そうでなければ大魔道士など務まらない。
そして、勇者ダイと戦士ヒュンケルが知の部分においては自分に及ばないことも知っている。
だが、いまだ十代であるダイはともかく……すでに二十代であるヒュンケルの間違った認識はどうだろう。というか、むしろ自分に”あんなことやこんなこと”を散々してきている彼の、勇者同等のピュアっぷり(そう形容していいのかどうかは分からないが)に頭痛どころか眩暈までしてきた。
そんなポップの心を知らぬ勇者は、終始ご機嫌で城に向かって走り出していった。どうやらレオナが遊びにきたマァムと一緒にケーキを焼いたらしい。
「お前は行かないのか?」
残されたポップに、やはりその場に残っていたヒュンケルが言葉をかける。それで我に返ったポップは、脱力しつつもヒュンケルのマントの裾を掴んだ。
「あのさぁ……あのバッタって」
呆れつつも、兄弟子に真実を伝えようとするが。
「つがいなのだろう?」
思ってもみない言葉が返ってきた。
知ってたんだったらなんでダイに教えてやらねえんだよ。
視線だけでそう訴えてみると、大したものだ、ヒュンケルはポップの意を悟ったように口を開いた。
「今日教えなくてもいいだろう。そのようなことは何時でも知ることができる」
「でもよ……」
ポップは納得がいかない。それも悟ったらしいヒュンケルは更に続ける。
「ダイはあのバッタを見て父と自分に思いを馳せていたのだろう。それを無下にすることなど、オレにはできん」
少しだけ、ポップは自分が恥ずかしくなった。
平和になった現在。勇者ダイに戦い以外のことを覚えさせようと焦り、些か傲慢になっていた自分に気付いたからだ。
「お前って……むかつく」
「何がだ?」
「おれより頭とか悪いくせに、間違ったことは言わねえからさ」 「まがりなりにも、アバンの長兄だからな」
妙なところで謙遜しているのが却って嫌味だ。
むーっと不貞腐れた顔をしていると、ヒュンケルの手がポップの髪をくしゃくしゃっと撫でる。子ども扱いされているようで腹立たしいが、ヒュンケルに頭を撫でられるのは嫌いでなかった。
しかし、そこは意地っ張りなポップ。矜持を保つために憎まれ口のひとつも叩いておかねば気が済まない。
「子ども扱いすんな」
「しているつもりは毛頭ないが?」
なんならここで証明してもいいぞ。
そう耳元で囁かれて、赤面してしまう。要らぬところで墓穴を掘った。
問題のオンブバッタが、ぴょんぴょんと草むらを跳ねていくのがヒュンケルの視界の端に映る。
いつも背中にくっついて。行く道を決めているのは一体どちらなのだろう。
振り落とされないように、掴まえているのも一苦労だろうに。
メスもメスだ。背に乗ったオスを一体どう感じているのだろう。離れないで欲しいと少しは思ったりするのだろうか。
「オンブバッタになるのも悪くはないかもしれん」
ヒュンケルが呟いた言葉にどのような意味が込められているのか、ポップには量ることができない。
「お前はあんな小さくて可愛くねえだろうよ。重くて潰れるぞ、おれ」
つがいのバッタを素直に”ヒュンケルとポップ”として考えた。その、普段ならば大暴れするであろう恥ずかしい現実に気付かない迂闊で可愛い大魔道士。そんな彼を見つめて、ヒュンケルの瞳がますます穏やかになる。
「なぜあのオスバッタは交尾以外でも離れず乗っかっていると思う?」
この魔剣士は意外にも博識だったのかと尊敬しながら、ポップは素直に「なんで?」と問いかけた。
「他の奴に大事なメスを取られたくないからさ。だからいつもくっついているんだ」
大真面目に語るヒュンケルに、ポップからはクスクスと小さな笑い声が漏れる。
「うそくせえ…。それ、バッタじゃなくてお前のことじゃん?」
「ばれたか」
ポップの頬に手を添えて、ヒュンケルは彼にくちづける。
吐息さえ奪うような長いキスから解放されて、ポップはおとなしくヒュンケルの肩に顔を埋めた。
「ダイはさ、あのまんまでいいのかもしれねえ」
「ああ、そうだな」
おれたちの勇者は、勉強が苦手で身体を動かしていることのほうが好きで。
誰よりも真っ直ぐで、優しくて。
色気よりも食い気のほうが勝ってしまうほど、まだ幼いけれど。
そのうちきっと、文句もないような素晴らしい青年に成長していくだろう。
彼らしさを残したまま。
大切な勇者。
彼が戻ってきてくれたのだから、ちょっとした勘違いに付き合うくらいなんでもない。
「さあ、そろそろオレたちも行くか」
後ろから抱き着いて、ヒュンケルはポップに歩けと促す。
「重いってば! おれたちにはオンブバッタは無理だって!」
後ろで薄く笑う気配がして、ポップは少しだけむくれた。
が、次の瞬間。ポップは悪戯っぽい笑みを浮かべると、一気にトベルーラで空に舞った。
「お前、甘いもの苦手だろ? このまま少しオンブバッタになってようぜ。土の上では無理だけど空ならなんとかなるしな!」
ヒュンケルがククッと低く笑う。
「話が分かるじゃないか」
いつまでもこないポップとヒュンケルに痺れを切らして呼びにきた。(レオナとマァムにきつく叱られたからなのは言うまでもない)
空を見上げ、軽やかに飛んでいる親友と兄弟子を見つめていたダイはほんの少し首を傾げる。
なぜか、さっき見たオンブバッタのようだと思ったのだ。
「もしかして、オンブバッタって親子じゃなかったのかなぁ?」
可愛いダイに自分たちの関係を気付かれているとは思わない兄弟子ふたりには分からなかっただろう。
ふたりの邪魔をしないように、こっそりダイがその場を去ったこと、レオナやマァムへの言い訳を代わりにしておいてくれたことにも。
ポップの好きな甘いイチゴのケーキと、甘さ控えめのブランデーケーキを彼らのために残しておくように伝える彼は、現在……やはりこのパプニカの平和を守る「勇者」に相違なかった。
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勇者には最強で居て欲しいものです
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