***「勇気」
その言葉はおれの勇気を漲らせるに充分すぎるものだった。
「最近男に襲われる……だぁ?」
マトリフは怪訝な顔をしてポップをねめつけた。
予想通りの反応にポップも呆れて息をついてしまう。
しかし、ポップが言っていることは事実で、現実何度も危ない目にあった。大魔道士と呼び声の高いポップを強引に組み敷ける者などそう居るはずもないことだったが、最近では敵のやり口も狡猾になってきている。魔法封じの罠を仕掛けてきたり、薬を盛ったりとやることがえげつない。
「さすがのおれも身の危険を感じ始めてきちゃったわけよ。それで、先生にちょっと相談してみたんだ」
「アバンにか? そんであいつは何て言ってた。解決してねえから俺のところに来たんだろ」
マトリフの問いに、ポップは首を縦に振ることで答える。
「先生がもしかしたらって……」
『最近になって急に、ですか? それは確かにおかしいかもしれませんねぇ…。ポップは確かに可愛いですが。って……ああ、冗談です、冗談ですよポップ。師に向かってメドローアはないでしょう? せめてメラゾーマにしてくれませんか?
冗談はさておき、昔こんな話を聞いたことがありますね。”魔法を特に極めた者と交わりを得た異性には災厄がふりかかり、交わりを得た同性には奇跡が起きるだろう”とね。どこで聞いた話か、それとも書物で見たことかは覚えていませんが……今回のことに関係あるかもしれません。魔法を極めた者とは即ち”大魔道士”のことでしょう。ですから、私よりもマトリフのほうが詳しいかもしれませんね』
「なるほどな」
愛弟子の言葉を聞いてマトリフはフンと鼻を鳴らす。
それからポップに向き直って真剣な瞳をし、言った。
「俺がおめえくらいの年のケツが青い頃……だから随分昔の話だ。確かにそんな話があったな。今じゃそんなことを知ってる奴なんていねえと思ってたが」
「本当のこと、なのか?」
少し硬い表情でポップが問いかける。
「ばかばかしい」
先程とは打って変わった不真面目な表情で鼻をほじる師。それを見たポップは思わずずっこけた。
「だ、だってよ! 師匠は結局独り身を通したわけだろ? だから本当のことなのかと思ってさ」
アバンの言った言葉が真実のことなのではとポップを疑わせ、惑わせたのは師であるマトリフだと恨めしそうな表情をする。
「アホくせえことばかり言ってんな。俺が独りもんだったのは女好きが祟って結婚なんて考え付かなかったからだよ。迷信に決まってんだろ迷信に」
はっきりと言い切られてほっと息をついたポップだが、心に残る蟠りは消えそうにない。それはマトリフも充分理解できることだったので呆れながらも何とかしてやらなければと考えていた。
「正直なところな、迷信かどうかは俺にも分からねえんだ」
「師匠にも?」
「ああ、出所が知れねえ話だったからな。だけど、俺は政治的なもんが絡んでのことだと信じて疑わなかったぜ」
大魔道士と呼べるような者は100年に一度現れるか現れないか。
強大な魔法力と人並みはずれた知識を持つその人間は、平和な世の中では脅威以外の何者でもない。
更に、血を引いた子も親の力を受け継ぐ可能性が高い。
その血族は一国の軍をも凌ぐ力を持つものになってしまう虞があるのだ。
「だから、俺は牽制だと思ってる」
「牽制……」
「そうだ。もっともらしい言葉で、大魔道士を男色に仕立て上げようってことさ。それに、どこの女が災厄があると分かって一緒になる? 女と交わらなければ子どもが生まれる心配もねえ。狙いはそんなとこだろうぜ。女の大魔道士でも同じことってわけだ」
もしマトリフの推察が正しければ、ポップは要らぬところで被害を受けたことになる。
おそらく、ポップを襲おうとしている男たちはその迷信に惑わされ、奇跡という言葉に何かを期待した。それが真実であるかどうかなど関係なく、ただ、僅かな可能性に賭けたのだろう。
「大体の目星はついてんだろ?」
何に、とは言わなかったが、ポップはそれを正確に理解した。
「まあね……。先生と師匠の言葉を聞いて確信したよ」
そう簡単にはやられねえよ、とブイサインを作ってポップは笑ってみせる。
「いざとなったら誰かに護ってもらえ」
「もう護られてる」
その返答は意外だったようで、マトリフは「ほう?」と息をついた。
「なあ、師匠」
床につこうとしているマトリフを振り返らず、戸口に立ってポップは呟くように師の名を呼んだ。
当人は独り言に近い心情で漏らしているのだろうと、あえてマトリフは応答することをしなかった。
「師匠……昔、ひとりだけ本気で惚れた女が居たって言ってたよな」
酒の勢いでした昔話を、ポップがなぜ今この場で口にするのか理解できずに表情を強張らせる。
「何が言いてえんだ」
「別に……」
振り返ったポップの瞳に、何かを決意したかのような強い光が宿っているのに気付いた。
「なんでもないよ、師匠」
それが偽りであることも、ポップが何かをしようとしていることにも気付いていた。
しかし、一度こうと決めたら引かない愛弟子を自分には止める手立てがないことも知っていた。
昔本気で惚れた女がひとり居てな。
そいつとなら所帯を持ってもいいと思ってた。
でもな、結婚を決めた矢先に事故であっさり逝っちまったんだよ。
本当、俺もついてねえよな。
”大魔道士と交わりを得た異性には災厄がふりかかり、大魔道士と交わりを得た同性には奇跡が起きるだろう”
どんな回復呪文でも無理だと言われた。
アバンでも首を横に振った。
大魔道士でも治せないほどの、彼の身体。
奇跡でも起こらない限り完治しないだろうと。
―――奇跡。
もし、それが迷信でなく真実のことであるなら。
可能性があるのなら。
自分は何も迷う必要などないのだと思った。
ヒュンケルの気持ちも、自分の気持ちも顧みているいとまなどない。
ただ、自分は彼を治してやりたいだけなのだ。
「酔いすぎだよ、お前」
すまん、と声にならない声で謝る兄弟子を寝台に寝かせる。
浴びるほど飲ませた酒のせいで、既に彼の思考は正常に働いてはいないだろう。
そっとくちづけると、ヒュンケルが虚ろな双眸で見つめてくる。舌を差し入れれば、それは積極的に絡んできた。
力強い腕がポップの背に回る。
奇跡に縋り、身体を開く……おれの愚かな勇気を誰か笑ってくれ。
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匂わせるだけじゃなく本番も書きたいものです。
追記)裏に書いてみました。
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