それから数日後、期待通りにコンビニエンスストアのアルバイト店員と言う肩書きを手に入れた望月は大張り切りでお気に入りのスニーカーを履いていた。
「じゃ、バイト行って来るな!」
「うん。頑張って来てね」
「それだけ?」
「…………え?」
玄関先までの見送りと頑張ってと言う一言だけでは足りないと言うのか。怪訝そうに首を傾げる早坂に望月は微かに困ったような笑顔を浮かべ、スックと立ち上がると共に自分の頬をチョンチョンと突いた。
「俺が頑張れるおまじないしてくれよ。毎朝学校行く時にやってくれるだろ?」
「あ、そ、それか……もう………」
頬を赤らめながらも瞳を閉じた顔を近付けて指で突かれた場所に唇を押し当てると、その柔らかい感触に困ったような笑顔は瞬く間にだらしないそれに変わり、大きく横に開いた口から白い歯が零れた。
「エヘヘヘッ……よーしっ!行って来まーすっ!!」
“おまじない”の効果は絶大らしく、無駄に大きな声を出したかと思うと勢い良く部屋を飛び出していく。後に残された早坂はもう姿も見えなくなった相手に行ってらっしゃいと言い、手を小さく振った後ドアを閉めて居間へと戻った。
「さて、と………」
望月がいなくなった途端に静かになった空間に誰にともなく呟き、テレビの電源をいれて部屋の中に音を蘇らせる。普段は余り目にしない番組から聞こえて来る声で密かな寂しさを誤魔化しながら、早坂は部屋の真ん中にちょこんと座って取り込んでいた洗濯物を丁寧に畳み始めた。
畳んだ洗濯物を仕舞い、夕食の後片付けも終えた早坂はタオルで手を拭きつつメモ紙を持ってテーブルに着いた。
「明日は何にしようかな……最近、肉料理が多かったから魚が良いかな。鯖でも焼くか…。じゃあ、明日は帰りにスーパーに寄って鯖と…あと砂糖と牛乳も切れかけてたっけ」
望月がいない分、自分でブツブツと独り言を言いながら紙に明日の買い物予定を記していた早坂が、ふと視線をメモ紙から時計へと変えると、まだ望月が家を出てから1時間と少ししか経ってなかった。
「………まだ1時間か…。駿君、早く帰って来ないかな…」
寂しいな。肝心な言葉は何故か心の中に留めて小さく溜め息を吐く。付けっ放しのテレビから聞こえる賑やかな音だけが早坂の寂しさを何とか紛らわせていた。
「…………。お風呂でも入ろうっと」
誰にともなく言いながら席を立って風呂場へ向かう。ごゆっくり。風呂に入る時に何時も背中越しに聞いていた望月の声を思い出して無意識の内に振り向くが、勿論視線の先には誰もいない。早坂は暫く立ち止まってジッと空間を見つめていたが、やがて無理矢理吹っ切れるように其処から目を逸らし、駆け込むように風呂場へと向かった。
「あー、つっかれた」
初日の仕事を無事に終え、首や肩を上下左右に動かしながら自室のドアの前に立って合い鍵を取り出す。やっぱ良ちゃん、もう寝たかな。欲を言えば、お帰りなさいって出て来てくれて疲れた身体を癒してくれるおまじない(と言っても、やる事は自分が仕事に出る前にして貰ったアレと同じなのだが)をしてくれると嬉しいんだけど……。
「ただいまっ」
扉の音と自分の声の後に続くのは、相手の“おかえり”でも玄関まで出て来る足音でもない静寂。予想はしていたものの、じわりと襲って来る微かな寂しさに大きく息を吐いて靴を脱ぐ望月の視界に台所の辺りから漏れ出ている光が入った。
「……あれ?電気消し忘れたのかな?良ちゃんらしくねぇな」
常日頃から節電だの何だの言っている早坂の顔を頭に浮かべ、小声ながらも軋む廊下を歩いて台所を覗き込む。同時に視界に入った光景に望月は目を丸くして一瞬立ち尽くした。
「りょ、良ちゃんっ!!大丈夫かっ!?」
「………う…ん…?」
テーブルに突っ伏している早坂に体調でも崩したのかと肝を冷やし、駆け寄って肩を揺すると低い呻きが聞こえて身体が億劫そうに動く。何処か辛そうに細められた目が漸く望月の顔を捉えた瞬間、細い目が一気に丸く覚醒し、揺れていた身体が飛び上がった。
「あっ…駿君!え、あ、帰ってたの!?お、お帰り……。はぁ…すっかり寝てたから気付かなかった…」
「………ったく…ビックリしたじゃねぇか。こんな所で寝たら風邪ひくぞ?」
「うん、でもね。駿君が一生懸命働いて帰って来るんだから、お帰りって言いたくて…。」
自分の心配が早とちりであった事に安堵の溜め息を吐いて黒髪を撫でていると、撫でられた方は眠そうに目を擦りながらもニコッと微笑み掛けて来た。可愛いなぁ。その笑顔に心の中で鼻の下をだらりと伸ばして呟く自分の内心に気付いていないのか早坂は大きく口を開いて無防備な欠伸を見せた。
「あっ……。眠たいんだろ?もう俺の事は良いからさ、無理しないで寝ろよ。有難うな、帰るの待っててくれて」
返事を待つ前に軽々と早坂の身体を抱え上げると、自然と首元に腕が絡んで来る。どのような顔をしているのか気になって覗き込むと、早坂は半分寝惚けたような顔を見せつつも頬を赤くしていた。
「駿君…あの……僕重たいよ?一人でベッドまで行けるから下ろしても……」
「良いって良いって。良ちゃんの健気さにお礼させて下さい♪」
「…………うん……」
本当に眠たいのか素直に返事をして薄く目を閉じてしまった早坂に無意識の内に胸が高鳴って来るが、どうにかそれは理性で押さえ付け、極力揺らさないように早坂の部屋まで運んで行く。有難う。ベッドに横たえて布団をそっとかけた時、すっかり眠ったと思っていた早坂が小さく目を開けて微笑を見せた。
「お休み…また明日ね」
「あぁ、また明日な。お休み」
まだ何処か赤い頬や微笑を崩さぬ唇に軽い口付けをし、小さく手を振って部屋を後にする。後ろ手にドアを閉めて伸びをし、台所に戻った望月はテーブルの上に置いてある何かに気が付いた。
「あっ……」
テーブルの真ん中にあったのはラップがかけられた三角おにぎり。自分の夜食にと握ってくれたのであろう見事な形のそれの一つを手にとり、大口を開けて齧り付く。程よい味付けが施されたおかかが顔を出し、作った者の温かい心が空腹も手伝ってじわりと腹を中心に響いた。
「“駿君、喜んでくれるかな”とか言って作ってくれたんだろうなぁ…」
早坂の口真似をして、ヘヘッと照れ臭そうに笑い、残りも勢い良く口に入れて行く。手に付いた米粒を丁寧に舐め取りながら早坂が眠る部屋の方に目をやった望月は相手が自分の為に夜食を作っている場面を想像し、改めて顔を緩めた。
軽いシャワーで入浴を終えて、自室に向かっていた寝巻き姿の望月はふと早坂の寝顔を見たい衝動に駆られ、早坂の部屋の扉をそっと開けて中に忍び込んだ。抜き足差し足忍び足。頭の中で呟きながら、早坂が眠るベッドまで近付いて寝顔を覗き込む。薄暗い豆球の灯りの下で無防備に眠っている早坂の安らかな寝顔が矢となって望月の胸を激しく貫いた。あぁ、くそっ!可愛い可愛い可愛いっ!!言いようのない愛しさに地団駄を踏みそうな足を何とか押さえ付けるが、手の方は欲求のままに伸びて黒い髪をそっと撫でる。早坂の口から小さな呻きが漏れた。
「………ん………なに…す……っ……」
何するんだと言うつもりだったが、結局眠気に負けたらしく途中で台詞を切って寝返りを打ってしまった早坂にゾクゾクッと妙な寒気みたいな物を覚え、後は本能のままに布団に潜り込んでしまう。眠る早坂に背中から抱き付いて執拗に胸や両足の間に手を伸ばし、腰を密着させて布越しに行為をしているように揺すると、流石の早坂も目を覚ます……かと思っていたのだが圧倒的に性欲よりも睡眠欲が勝っているらしい彼は、やや拒絶するように身体を揺らして小さく言った。
「……ぅ…ん……今日………ダメ……」
「えっ!だ、駄目?なぁ、マジで?」
「………マジで……明日…ね…」
殆ど夢の世界に行っている状態で言っている為、余りに信憑性の無い台詞に望月は小さく唇を尖らせていたが、やがて諦めたように溜め息を吐いた。駄目だこりゃ。今日の良ちゃんは完全防備でがっちりガード。どんなに頼んでもヤらせてくれそうにありませんってか。
「マジで明日ヤらせてくれんのか?」
「………………」
「…………おーい…」
肝心の所で返事をしない反応にガックリと首を落としながらも、望月は背中から早坂を抱き締め直した。
「じゃあさ、手ぇ出さないから今日はこのまま良ちゃんに抱き付いて寝て良い?」
「…………………うん……」
(……さっきは返事しなかったくせに…。ま、良いか)
抱きつく事で伝わって来る早坂の心地良い体温や鼻腔をくすぐってくる石鹸の香りに忘れていた筈の眠気が一気に蘇って来る。目を閉じて相手の規則正しい寝息を聞きながら、望月もまた意識を夢の中へ飛ばしていった。
望月が息を切らしながら早坂の部屋に派手に転がり込んで来たのは、それから数週間後の事だった。
「良ちゃん!!出たっ!出た!!」
「……?便秘気味だったの?だとしたら出て良かったね」
「違うって!!これ、これっ!!」
興奮している望月にやや気圧されている早坂の眼前に茶色の封筒が突き出される。未だに状況が理解出来ずに首を傾げる早坂に望月は茶封筒の中に指を突っ込み、中身を見せた。
「ホラ、見ろよ!給料入ってたんだ!!もうすっげぇ感動!!」
「あ、お給料出たんだ?駿君、頑張ってたもんね」
「へへっ!それで……はい、これ」
「……えっ!?駿君っ!?」
茶封筒の中から現れた1万円札を2枚ほど抜き出して手渡そうとすると早坂は目を丸くしながら首を激しく振った。
「い、要らないよ!!それ、駿君が一生懸命働いて稼いだお金だろう?僕なんかにあげてどうするの!?」
「俺から良ちゃんへの給料だよ。良ちゃん、何時も俺の為に頑張ってくれてるから。…ちょっと安いけど、さ」
自嘲的に笑いながら再度“給料”を突き出すが、早坂は頑として受け取ろうとせずに目を伏せた。
「………僕、何もしてないよ?家事だって当然の事であってお金欲しくてやってる訳じゃないし…駿君に比べたら、僕ずっと楽してると思うんだけど…」
「何言ってんだよ。良ちゃんがいてくれるから俺はこうして頑張れるんだろ?毎日美味いメシとか弁当作ってくれて、清潔な服を用意してくれて、干して温かくなった布団で寝かせてくれて。俺、お前のそう言う所に凄く感謝してる。もしかしたら、俺の方がずっと楽してるかも知れない」
「で、でも……お金は…。僕に渡す位なら駿君の欲しい物買えば良いじゃないか」
「良ちゃんが受け取らないなら近所の川にでも捨てるぞ、この金。良いから受け取れって。良ちゃんだって欲しい物あるんだろ?これで好きな物買えよ、な?」
何としても渡そうとする望月とそれを何とか拒否しようとする早坂。2人の攻防は暫く続いたが、やがて早坂の方が望月の強い押しに観念したらしく、ゆっくりと手を伸ばして紙幣を受け取った。
「……有難う。じゃあ、新しい口座作ってこのお金貯金しておくね。駿君が何かあった時の為に」
「だーかーらっ!!俺の為じゃなくて良ちゃんの為に使えよ、その金は!」
「だ、だって、僕今欲しい物なんて特に…………あっ」
何か欲しい物を思い出したらしく、小さく漏らしてしまった感動詞を望月は鋭く聞き取って身を乗り出した。
「あっ、やっぱり欲しい物あるんだろっ!じゃあ、その金で買って来いよ!それで、さ……その買って来た奴を俺に見せてくれないかな?こんなのルール違反かも知れないけど知りたいんだ。良ちゃんが俺から貰った金で一番最初に買うのは何なのか。も、勿論何を買っても怒ったり笑ったりしないからさ!な!?」
「……………。うん、分かった。お金をくれる交換条件みたいなものだね。じゃあ、明日買って来て君に見せるから」
「明日、か。ホント何買ってくるんだろうな。スッゲー楽しみだなー♪」
手の中の紙幣を大事そうに抱き締めながら笑顔を見せる早坂を望月は眩しそうに目を細めて見詰め、黒髪を丁寧に梳いた。
次の日、先に学校からアパートに戻った望月は居間のソファーに座って漫画雑誌を読みながらもそわそわと落ち着きなく視線を動かしていた。良ちゃん早く帰って来ないかな。良ちゃんが欲しい物早く知りたいな。…良ちゃん、何が欲しいんだろう。やっぱり本?それともCDとかゲームソフト?あ、意外なトコで服とかだったりして……
「ただいま」
「!!」
待ち焦がれていた声に飛び上がり、廊下をドタバタと駆けて玄関へと向かう。靴を脱いでいる早坂の右手にある何かの包みが目に入った瞬間、望月の胸はドキリと跳ねた。
「お、おかえり、良ちゃん。あ、あの……それ………」
「うん。君から貰ったお金で買った物だよ。前から買おうかなって思ってたんだ」
「そ、そうか……」
適当に返事しながらもチラチラと包みに印刷されている文字を追うと「書店」の二文字が目に入る。やっぱり本か。それでもどのような本を買ったのか気になって袋から目を離さないでいると早坂は袋と自分の間で視線を行き来させて小さく笑った。
「駿君、気になるんだね。僕が何買って来たのか。……これ、なんだけど」
「…………えっ?」
袋から出て来た厚い本はてっきり彼が好きなジャンルの小説やら小難しい内容の本かと思ったのだが、そのカラフルな表紙とタイトルに望月の目が丸くなった。大好きな人を喜ばせる家庭料理。口の中でタイトルを読み、そのままえっ…と呟く。
「……良ちゃんが欲しかったのって…料理の本?」
「うん」
ギュッと本を抱き締めた早坂ははにかみ笑いを浮かべて言葉を続けた。
「一応母さんにチョコチョコ料理習ったけど、やっぱりそれだけじゃバリエーションが少ないからさ、これで勉強して少しは得意料理増やして駿君を喜ばせてあげたいな、なんて…っ!」
全て言い終わる前に両手を広げた望月が自分を強く抱き締め、顔を肩の辺りに埋めて来る。自分を抱き締める腕が、肩から聞こえる吐息が微かに震えている気がした。
「お前ってホントに馬鹿だよな…馬鹿で……一途で…こっちが泣きたくなる位に優しい…」
「えっ……駿君、泣いてるの?震えてるよ?」
「んな訳ねぇだろ。……ちょっと寒いだけだ」
「……………。そっか、じゃあ今日のご飯は身体が温まる料理にしようね。早速、この本読んで勉強しないと」
望月の謎の震えの原因を薄々感じつつも敢えて口に出さず、耳元にそっと囁くと自分を抱き締める腕の力が一層強くなる。互いの体温から感じる言いようのない幸福感を噛み締めるように二人は薄く目を閉じた。
<To Be Continued......>
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<後書き…と言うか言い訳>
結局、この話は何なん?
何かある意味で激しく無意味な話になってしまってるような…。
ただ単に「家事をする早坂・バイトを始める望月」を書きたかっただけなのに、余計なシーンがゴチャゴチャと。
コンビニ店員・羽鳥君を出した時点で何かが狂ってきた気が(汗)
彼は出すつもり無かったのですが、彼に対する望月の嫉妬や誤解を解くシーンを何処かで書きたかったもんで。
…でも、羽鳥絡みのシーンは正直かなり詰まりました。
やっぱり「くにおくん」とは無関係なキャラを巻き込むと
気恥ずかしいと言うか「これってタブーなのかな?」と迷ってしまうと言うか…。
……。今回も早坂ヘタレでした、すみません。
書けば書くほどヘタレに磨きがかかっていく…。
望月ママより美味しい料理が作れるって何者なのですか貴方は。
望月から貰ったお金で一番最初に買ったのが料理の本って時点でも何かが狂ってます。乙女。
そして、望月についてもある事で見事に自滅しています。
私はこれに気付いた時に「!!!」と思ってしまいました。さぁ、何でしょう?(涙)
答えは、この後書きの一番最後にでも。
今回は初めての「エロ無し」小説でしたが、思ったよりも楽しく書けました。
ただ単にラブラブさせるだけでも幸せなんだな〜と思ったりして♪
ただラブラブいちゃいちゃ過ぎて尻が痒くなりそうなんですけど…。
では、今回もお付き合い下さいまして有難う御座いました。
★「望月についての自滅」の正解★
この話では米もロクに洗えない望月ですが
「駿」シリーズの第1章「刻」で見事に小林さんの為に弁当作っていました。
これについては相方にも突っ込まれてしまいました。トホホ…。
…ホントもう「駿」の望月と、この同棲SSの望月は別人だと思ってください…