人目の付かぬアパートの裏に弟を連れて行き、持っていたハンカチやポケットティッシュを幾度も濡らして表面だけでも汚れを拭い取った後、無言で服を着せていた智哉は弟の右手が何かを握り締めている事に漸く気が付いた。
「……光矢、悪いけど手を離してくれないか? 服を着せられない」
「…………」
  確かに眠っている状態だったが、兄の声に反応したかのように右手が花の蕾の如くゆっくりと開かれる。開かれた右手の中央を見た瞬間、智哉は小さく呻いた。視線の先の手の平にあったのはザックリと深い傷と其処から溢れ出た血に濡れた母の形見の銀の十字架。彼は大人達によって蹂躙されている間ずっと耐えるようにそれを血が出るまで握り、助けを求めたのだろうか。そう考えた瞬間、改めて父親への憎しみが強まり、そして助けが遅れた自分を激しく責めた。
「…………」
  上着を羽織らせてポンポンと軽く埃を叩き落とし、何時も以上に頼り無く見える華奢な身体を抱き上げた智哉は一度天を仰いだ後、誰も通らぬ静かな通りを歩き始めた。

「無理な挿入による裂傷と右手の平にも同じく深い傷、後は顔や身体の所々に小さな切り傷や殴られたらしい腫れや痣。そして何よりも……」
  智哉の目の前に座っている白衣の男が紙を数枚捲り、そして大きな溜め息を吐いてその紙束を机の上に置いた。
「レイプされたと言う精神的外傷が大き過ぎる」
「……」
  深夜の病院に急患として運んだ途端、瞬く間にストレッチャーに乗せられて何処かへと連れて行かれた弟を見送って、待合室の長椅子の端に座る事数十分。その後、彼は担当医を名乗る男に呼ばれ、小さな部屋へと案内された。弟の状態を俯いたまま聞く智哉に医師は座っていた キャスター付きの丸椅子を軽く前進させて、落ちた肩に手を乗せた。
「気持ちは分かるが、お兄さんである君がしっかりしないとな?」
「………あの…」
  病院を訪れてから、ずっと下を向いたままだった顔を漸く上げた少年に医師は眼を細め、極力優しい表情を見せた。

 その頃、病院の一室で顔や腕の所々にガーゼや絆創膏を貼られた光矢が相変わらず死んだように眠っていた。
 ……あれ? 此処は…何処だろう? 意識の中で光矢が周りを見回し、不安げに眉を顰める。床も天井も無い。暗いような明るいような異質な世界に大きな鉄の扉のようなものが一つ。ガチャリ。中から鍵が開くような音がし、人間らしき何かがゆっくりと出て来た。
 …誰だ?  光矢が聞く。
 ――忘れた? 何かが答えて薄く笑う。
 その微笑を見た瞬間、光矢の頭の中でパチリと何かのパズルが組み合わさる。幼い時、母親によって暗い物置に閉じ込められて泣いていた自分を慰めてくれた謎の存在。彼(いや、性別は分からなかったが)は、笑顔を崩さずにゆっくりと歩み寄り、光矢の目の前で歩を止める。その顔を凝視した瞬間、光矢は小さく息を呑んだ。目の前にあるのは鏡?  彼は自分に瓜二つだった。何とか自分との違いを挙げるとすれば、喜びや希望等とは違う別の何かの感情でギラギラと輝いている瞳だろうか。
――ずっと見てたよ。辛かったな、滅茶苦茶にされて。
  光矢と瓜二つのそれは、その瞳からは想像出来ぬほどの優しい声で語りかけ、光矢を包み込むように抱き締めると、無意識の内に光矢の瞳からは涙が溢れ、目の前のそれの正体も知らぬと言うのに全てを任せるように抱き付いて慟哭すると、相手の手が自分の背中をポンポンと叩いて来た気がした。
――暫く此処で休んでな。
  そして、彼は例の鉄の扉を大きく開き、光矢の背中を軽く押して促す。扉の奥に何があるかは何故か見えなかったが、悪い感じはしなかった。今はただ何もかも忘れて眠りたかった光矢は、相手に促されるがままに扉の奥へと入った。その途端、扉が重たい音を立てて閉まり始め、彼は笑顔を悪戯っぽいそれに変えた。ガチャンッ。完全に扉が閉まると其処は完全な闇となり、光矢もまたその闇に吸い込まれるかのようにその場に頽れ、瞼を閉じた。

「……それはあの子の状態にもよるが、不可能ではないだろう。だが…」
「……………」
  少し戸惑い気味に机の紙に改めて目を通す医師から視線を外し、再度頭を下にして掃除が行き届いている床を見詰める智哉の耳をガシャンと言う派手な音とそれに続く悲鳴が貫いた。
「何だ? 騒々しい」
  医師が怪訝そうに眉間に皺を寄せた瞬間、バタバタと廊下を駆ける音がしたかと思うと青い顔をした看護師が部屋に飛び込んで来た。
「せ、先生っ…五一〇号室の患者さんが…!!」
「!!」
  部屋の番号を聞いた智哉の瞳が大きく見開かれ、医師が席を立つ前に部屋を飛び出す。廊下を駆け、階段を数段飛ばしで上り、510号室と書かれた札が下がっている部屋の扉を開けると、抑えようとする数人の看護師を払い除けて暴れている少年がいた。
「光矢君っ! どうしたの?落ち着いて!!」
  激しい戸惑いの叫び声を上げる看護師を突き飛ばし、枕を投げ、花瓶を床に叩き割り、物を見境無く投げて獣のように唸る弟に智哉は密かに唾を飲み込んだが、瞬きと同時に何時もの表情を作って弟に駆け寄った。
「光矢!! 何してるんだ!! やめろ! 落ち着くんだ!!」
  叫びながら力の限りに弟の細い両肩を掴むと、およそ実の兄に向ける物ではない憎しみを帯びた瞳でギョロリと強く睨み上げて来る。その眼に一瞬、躊躇した智哉の瞳から光矢は視線を外さずに何時もとは何処か違う声で叫んだ。
「…俺はアンタを許さない……! 絶対に…永遠に…!!」
  獣の呻きに混じった呪詛の言葉に負の感情でギラギラと異様に輝く瞳。それは、光矢の身体を借りた何かとしか思えずにただただ唖然とする智哉に彼は再度呪詛の言葉を吐き、そのままガクンと頭を垂れて床に崩れた。
「……光矢君!」
  ハッと我に返った看護師が慌てて床に倒れた患者に駆け寄り、丁寧に抱き上げてベッドに横たわせている間、智哉は微動だに出来ずただただ足に根が張ってしまったかのように硬直していた。

 ふと眼を開けると其処は例の暗い謎の部屋ではなく、周りの女性の格好や無機質な部屋の雰囲気から其処は病院だと瞬時に分かった。兄ちゃん。口の中で誰にも聞こえぬ位の小声で呟きながら、ゆっくりと首を動かして兄を探すと同時に、えっ…と自然と声が漏れる。視界に入って来た兄は今まで見た事の無い表情を見せていた。何とか何時もの表情を作ろうとしているのは分かるが、その血色は悪く、見開かれている瞳は殆ど瞬きをしていない。そして普段は軽く結んでいる口元は、小さく開きっぱなしで唇が微かに震えている。どうしたんだ?  それを問う前に白衣の男が自分の眼前に立ち、視界から兄を遮断させた。
「…光矢君。今、何をしていたのか覚えていないのかな?」
「何って…ずっと、寝てた……けど…?」
「……そうか」
  床に散っている花瓶の欠片をせっせと片付ける看護師を怪訝そうに見ながら答える少年に医師は一瞬視線を落とし、少年の兄に静かに近付いて耳元で言った。
「……レイプのショックで解離性同一性障害を発症させてしまったかも知れない」
「…解離性……」
「平たく言えば、多重人格だ。あの子の中で新しい人格が生まれ、あの子の代わりに表に出てしまったのだろう」
「…………」
  突然の弟の精神疾患の宣告に眩暈を感じた兄だったが、足をしっかと地面に張り付けることで何とか耐えようとする。その様子を見ていた医師や看護師はいたたまれない様子で顔を見合わせた。

 ……そう、今思えば、アレが長い間自分を苦しめている“もう一人の自分”が完全に誕生した瞬間だったのだ。未開封の段ボール箱が散らばっている部屋の中。とりあえず、真っ先に置いたベッドに座って光矢はボンヤリと銀の十字架を眺めていた。
 あの日から四年と数ヶ月(その間、自分の全てを狂わせたあの男は、あの日以来一度も再会する事は無く、自分に対する謝罪も何も無いままアルコール依存による肝硬変でアッサリ逝ったと噂で聞いた。葬儀に行った訳ではないから、実際の所は謎 だし知りたくもないが)経った春の夕方。数週間前に高校を卒業した光矢は長年暮らした施設を離れ、兄と共に新しい生活を始めようとしていた。
「光矢、少しは片付い……何だよ、全然進んでないじゃないか」
  部屋の扉を開けて覗き込んだ途端に呆れ顔を浮かべた兄に曖昧な笑顔を返し、改めて十字架を凝視する。
「…思い出してたんだ。ガキの頃から十四歳のあの日までの事。何か、色々あったなって」
「…まぁな」
「……兄ちゃん、迷惑じゃね?」
「何が?」
  予想外の言葉に振り向くと、あの華奢な少年からまた美しく成長した弟が夕日に照らされながら自嘲気味に笑っていた。
「俺、聞いちまったんだ。ホントは兄ちゃん一人暮らしするつもりで、既に部屋も決めてたって。でも、俺が一緒に住むって急に言い出したから、今のちょっと広い部屋に変えたって」
「良いんだよ。正直、有花や施設の皆だと発作を起こした時のお前を抑えられるかどうか怪しいからな」
「へへっ、そうかも」
「…お前の方こそ良かったのか? 進路もろくに決めずに俺に付いて来たけど、本当は大学とか行きたいんじゃ…」
  漸く何時もの笑顔を見せた弟に軽く微笑み返しながら問うと、彼は大袈裟に苦虫を噛み潰した。
「大学!? 勘弁してくれよ、もうお勉強は沢山! そりゃ兄ちゃんはバリバリ頭良くて奨学金も余裕で貰えた挙句にトップで大学卒業して、一発で建築会社に就職出来て…って順風満帆勝ち組人生歩んでるからから良いけどさぁ…。兄ちゃんには迷惑かけるけど、暫くはバイト生活…かな?  あ、も、勿論、生活費は何とか出すからさ!」
「まぁ、お前は発作とか色々あるからな。暫くはそれでも良いだろ。…無理だけはするな」
「無理そうになったらサッサと逃げる俺の性格は兄ちゃんも分かってるだろ? あー、何か色々安心したら腹減って来た。兄ちゃん、何か食べ行かね? この辺は来たばっかりだから美味い店とか知らねぇけど、まぁ冒険冒険♪」
  ついさっきまでの自嘲的な顔から打って変わって無邪気に笑い、返事を待たずにいそいそと外出の準備を始める弟の背中を兄は小さく笑いながら見ていたが、大事そうに数種類の錠剤――常時飲み続けている精神安定剤を財布に入れているのを見た瞬間、視線を床に落とした。
 守ってみせる。今度こそ。静かに心の中に呟いた智哉だったが、何故かそう思った瞬間に胸が一瞬だが鈍く痛んだ。

<To Be Continued......?>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<後書きと言う名の補足のコーナー>

一体、お前は何を訴えたいんだ。

…と突っ込まれても文句は言えないへっぽこストーリー。しかも、コレで序章だと言うのだから救いようが無いですね。

二次創作に比べ、オリジナルはある程度好き勝手出来ますが、
読んでくださる読者様はキャラに関する知識が殆ど白の状態ですから、色々と難しい事を痛感しました。

結局、この序章で伝えたかった事。←後書きで補足するなよ。
・光矢は子供の頃、母親に愛されず虐げられていた。
・しかも14歳の時に犯されてしまい、二重人格に。
・…で、高校卒業後、大学卒業した兄ちゃんと二人暮らしをスタート。
………たったコレだけの為にダラダラと7ページも使いましたか自分。
い、いや、でも「こんなに悲惨な過去送ってたんだよ!(キリッ)」と言うの書きたかったし…。
にしても、羽鳥さん家のお母様は傍から見るとただの電波ですな。
犯されて数時間後にサッサと二重人格になる光矢も中々アレですけど。
まぁ、彼は元々幼児期から二重人格になる要素はあったと言う事で(逃げ)

さてさて、今回初挑戦だったショタエロ。でも何時もと余り変わっていない気が(完)
で、でも「現役中学生云々〜」は個人的に言わせたかった台詞なので満足。変態。

そして、同棲SSで既にサイト上には登場していた光矢に対し、今回小説初登場の智哉兄さん。
絶対、コイツ可愛くない子供だったと思う。
小学生時代で既に何かが歪んでいます。人生悟っています。年齢不相応なまでに大人っぽいので可愛げが無いです。
でも、そうでもしないと話が進めなかっ(削除)
頭脳明晰・冷静沈着。でも他人を信用しない天才お兄さんは今後どうなるのやら。
ギャグだと徹底的に変な人になるんですけどね、この人。何かこの「弄り回したくなるオーラ」はくにおくんの小林さんに近いものがある。
まぁ、裏小説ではギャグはまず無いと思いますけれど。いつか頭の悪いギャグ小説書ければなーと思っています。
なお、弟である光矢がやたら綺麗綺麗言われているのでアレですが、
智哉兄さんも光矢の兄に相応しいルックスの持ち主だと言っておきます。
光矢には劣るけど凛々しい眉が特徴の精悍なお兄さん♪
流石は管理人の煩悩たっぷりの暴走オリジナル。ドリーム万歳。イタタタタ。

さて、この話は序章…と言う訳で話はまだ続きます。
このオリキャラコンテンツの小説はメインの続き物の他に単発物も書く予定で、
その話それぞれによって設定が二転三転する事がありますが(?)
この序章のみは、それら全ての話に共通しています。何で、こうややこしい事にするかな。

オリキャラコンテンツ小説の次回は恐らくメインの続き物の第2章だと思われます。
序章は長かったですけど、第2章は比較的短い…予定。
また余計なシーンが増えなければ。
少し話が暗くなりそうなメインの続き物とは違って、少しほのぼのな話も書きたいなぁとも思っていますが。
その辺は、その時の気分や意欲と相談ですね。

何が何だか意味不明な小説でしたが、最後まで読んで下さって有難う御座いました!