その日は激しい雨音で目が覚めた。




水と空の青さ





「……君たちさぁ、ホンットに付き合ってるって感じしないよね」
 午前8時まであと数分、桜家の食卓で紅茶を馳走になりつつ紀世能は正面に並んで座っている2人に対してそう言った。
「でもお兄ちゃん、あんまりべたべたするなって言ったじゃない」
「つーかなんでおまえら兄妹はちゃっかりウチで和んでるんじゃい……」
 おもちゃ幼なじみの少年のツッコミは無視して、今日も大変かわいらしい愛妹に紀世能はにっこり笑いかける。その笑顔は一般人ならば一瞬にして虜にするほどのものであるが、あいにく見慣れているせいで最愛の少女には効果は全くない。
「だって嫌だもん。例えテッちゃんでも富良兎と僕以上に仲良くなられちゃあね……とまあ冗談はさておき」
 ちっとも冗談に聞こえないんだが――テツは心の中でさらにツッコむ。
「2人とも前と全然変わってないじゃない。テッちゃんは相変わらずバイトだし富良兎は富良兎で調べ回るばっかりで。からかうにもネタが何もなくて周りも対応に困ってるんだよ!」
「いいじゃない。私はそれで十分楽しいもの」
 口元にカップを運び涼しい顔で富良兎はそう言う。
「いや、ダメだよ。このままじゃ富良兎がちゃんと大切にされるかどうか心配で嫁入りなんてさせられないもの! どっちにしろ嫁に出すつもりなんてないけど!」
 じゃあ放っといてくれ。
「――というわけで今日は1つの傘に2人で入って登校しなさい」
 人差し指をビシッと前に突き出して紀世能はポーズをきめた。唐突な提案、というより命令により一瞬頭がかき混ぜられたようにくらくらする。
「…は?」
「傘ならちゃんとあるじゃない。どうしてわざわざ?」
 動揺することもなく極めて淡白に富良兎が訊くと、紀世能はなぜそんなことを訊くのかと問うように首を傾げた。
「恋人同士だったらやっぱり相合傘でしょう?」
「…んなアホな理由あるかー!!! だいたいそんなことしたら制服濡れるだろうが!」
 テツは叫ぶと同時に勢いよく立ち上がり椅子を後ろに倒した。
 そこが問題なのかしら、と富良兎は思いながらもおもしろいのでそのまま流して聴いていた。
「制服と富良兎とどっちが大切なのさ!」
「なんでそうなる!? そういう問題じゃねーだろが!」
「テッちゃんの言ってることはそういうことじゃないか! 別にいいよ。久散姉さま経由で傘全部差し押さえてあるから!」
「――ってまた紀世能に何か借り作ったのかあのバカ姉ー!」
 言い争いも佳境をむかえたそのとき、突然てろりろ〜っとデジタルな音が鳴り響いた。それに驚いて男2人はその音の源に視線を向ける。富良兎が事務的な動作で携帯を取り出して音を止めた。
「アラームかけておいたのよ。そろそろ学校行かないと遅刻するわよ。テツ、傘がないなら貸してあげるわ。私、家の車で行くから」
「え…あ、あぁ……」
 富良兎は傘をテツに押し付けて、呆気にとられている彼をさっさと送りだしてしまった。紀世能は富良兎の傍に寄り、納得行かない様子で言った。
「……良かったの?」
「良いもなにも、テツが言うこときくわけないでしょう」
「そうだけどさ……」
 窓ガラスにあたって流れ落ちる雨粒たちを見ながら、紀世能はベレー帽の上から富良兎の頭をぽんと叩いた。

   * * *

 青い空が映る水たまりにランドセルを背負った子供が足を踏み入れ、楽しそうにばしゃばしゃと音をたてる。朝の大雨が嘘のように晴れ上がり、雨の臭いを幾分残した空気は肌に冷たく気持ちがいい。
「ありがとな、傘」
 紺色の傘が他の通行人を気にしながら腕の動きとともに一緒に振れる。
「濡れなかった? 私より大事な制服」
 傘の本来の持主は少し意地悪に笑いながら言った。
「おまえまでそういうこと言うか……」
「ふふ」

 交差点で赤信号につかまり、車道から少し離れて青に変わるのを待つ。
「……傘」
「ん?」
 テツが声をかけられ振り向くと、富良兎は目の前を通る自動車を目で追いながら独り言のように呟いた。
「一緒に入ったことなかったから、ちょっとだけ……」
 ちょっとだけ、やってみたかった。エンジン音とタイヤが水を蹴る音に邪魔されて聞き取れなかったが、そう言ったような気がした。
「フラ……」
「信号変わったわよ」
 くりんっとこちらを向いて話しかけてきた彼女は先ほどの少しだけ甘えるような感じは既になく、いつもどおりの調子だった。
「そう、だな…」
 気のない返事をして彼女の後を追ってのらりと歩き始めた。



 幻かとも思うほど、それはつかの間のことだった。

 幻、だったのかもしれない。水が光を歪めるのと同じように、音を歪めたのかもしれない。

 富良兎は決してそんなことを言ったりはしない。小さいときならともかく、学校に通うようになってからはそんなこと一度もなかった。
 気付かれないように隣に目を移す。少しの陰りもない表情。何事もなかったかのような。

 けれど、だから?

 幻だったら、こいつの本心とは関係ないっていうのか?





 ばさ、と布が張られる音。

 彼女の頭上に傘を差出す。

「晴れてりゃ濡れないからな」

 むすっとした顔が、ほんのり紅い。




「やぁね。それ日傘じゃないのよ」と言って彼女は傘を持つ手を両手で包む。



 嬉しそうに微笑んで。



終わり


青いですね。青いです。青臭いわ―――!!!
彼ら、不器用で不格好で幼稚な感じでそれでも恋愛してます。一応。多分ね。
雨が降ってたんでふと思いつきで書きなぐってみた。
前半のコメディ部分が楽しかったです。久しぶりだったもんで。
ちなみに桜家の傘、このあと紀世能から取り返したことでしょう。





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