6月のSS『JUN』

 6月のある土曜日。
 高層ビルに囲まれた都会に似つかわしくない一件の家。
 ここ数年、そこは観光客の耐えない場所だった。
 巨大な宙に浮く大樹が現れてから。めくるめく非日常の世界になってしまったら否が応にでも世間の注目を集めるわけで。さらに遊園地なんぞになった日には……
 玄関の扉を開いた先には右に左にバラバラに動く人の姿。休日だから余計に客は多かった。その光景を見てテツは口の端を引きつらせる。
「やっぱ開園前に出とくべきだったか…?」
 ぽつりと呟いた言葉にすぐ隣から返事が返ってくる。
「いつものことでしょう?それに開園時間前だったらあなた睡眠時間削ることになっちゃうじゃない。ま、私はどっちでもいいんだけどね」
 淡白なそのセリフは、それでも水のせせらぎのような綺麗な音で奏でられている。
 自分より頭一個ほど背の低い元同級生で現嫁である幼なじみにテツは何か言いかけてやめた。
 ――わかってんだよそんなこと。言ってみただけじゃねぇかよ。
 言ったところで仕方がないのだ。だって向こうもそれをわかっててわざわざ言って返しているのだから。
「っほら、とっとと行くぞ。俺だってこの後バイトあるんだからな」
 あからさまに悔しがっている様子でずんずんと人ごみに歩を進めた。


 高校を卒業した後、富良兎は桜家で暮らし始めた。
 彼女が左手薬指につけているリングは名実共に結婚指輪となった。
 いつか、虚偽の結婚宣言をした時のリング。
 今までで唯一、テツに買ってもらった物。
 大切なもらい物でしかなかったそれは、プロポーズを受けてから結婚するまでは婚約指輪だった。
 なんだかとっても自分達らしい履歴が刻まれたこの指輪は富良兎の格別お気に入りの品である。
 ところでその結婚生活。ここまでなら申し分なく幸せそうに映る。しかし、金銭面においては切迫しまくっていた。
 食費やらその他生活費はまだいい。2人とも大学に進学して、学費がかかる。ある程度免除は受けることができたものの必要経費は様々な所で発生しているわけで。春休みの間のテツのバイト代は全く残らなかった。
 そして数日前。
「バイト見つけてきた」
 テツが夕飯の最中に富良兎に向かってそう言った。ふぅんと軽く聞き流そうとするとそこに
「おまえの、な」
 と付け加えられた。
「どういうこと?」
「どういうことも何もあるか!ちったぁおまえも協力しろよ。おまえいつも大学行くか、家にいるかじゃねーかよ。しかも家事手伝うわけじゃないし。物書くか工具いじってるかだし…インターネットだっておまえだけしか使ってないのにさぁ……」
「家事は久散姉様にやってもらえるもの。対話篇を書くのは私の生き甲斐。道具をそろえるのは対話篇のため。ネットだって情報手に入れるのに必要でしょ?それに切羽詰まってる方がおもしろいし」
「おまえに快適な環境与えるために家はあんのかい。つーか他人事じゃないんだから楽しむなよ…家族としてなんかしようとか少しはだな……」
「あら、ちゃぁんと私の役割ははたしているわよ」
 苦い顔をして説教たれるテツを遮って富良兎はそれを全く気にする様子もなくケロッとして言った。
 訝しむ彼に、悪戯を仕掛ける時のような笑顔を向け、一呼吸おく。
「妻として、ね」
 テツは一瞬思考が停止しそれからだんだんとその言葉を自分の脳に組み直していった。
 協調された妻という単語。妖艶さを帯びた笑顔。
 意味を把握したと同時に顔に熱があがる。
「バッ…そっそういうコト言うな!」
「事実でしょう?もっと詳しく言ってあげようか?今日までどれだけ……」
「やめんかアホッ!」
 音をたてて立ち上がりそれ以上先を止めた。一杯一杯である。耳まで真っ赤という状態。
 十分なリアクションを得られて満足して富良兎は――からかい甲斐があるわね――と思いながら
「座ったら?」
 と声をかけた。
 テツは、それまでずっと傍観に徹していた家族達に失笑を買った。
 黙って席につき疎んじた視線を富良兎に投げやる。言った本人が飄々としているのが余計に悔しい。
「――とにかく」
 バツが悪そうにテツはこれだけ言って後は黙って箸を進めていた。
「今週の土曜は空けとけよ!」


 富良兎も別に働くことに抵抗があるわけではない。あまり忙しいのは勘弁願いたいが、聞いてみると今日1日だけだという。
 ただ気になるのはどんな仕事か口にしなかったこと。
 行けばわかるから、と誤魔化された。
 何かを秘密にしている。
 その何かが今日わかるのだ。富良兎は幕が開けて何が飛び出してくるのかと期待に胸踊らせてテツの後について歩く。
 テツが立ち止まったのは、大きな建物の前。
 緩いカーブの先にある玄関は銀色で回転式になっている。壁は真白で汚れがない。
 そこは近日オープンするというホテルだった。1階のレストランのバイキングがプレオープンの時500円で2時間食べ放題という企画をやると雑誌に載っていた。
 綺麗ではあるがその建物が持つ空気からは無機質な印象を受ける。
 ところどころにしか入っていないライトが活発さに欠け存在感を感じさせない。
「ここ?」
「ああ」
 テツはそう言ってすたすたと回転ドアを通り抜けた。
 すぐ近くにいたホテルのスタッフに声をかけられ二言三言交わした後、エレベータの前に行き上ボタンを押した。
 着いた先は最上階。大理石の廊下の脇にはいくつか部屋があり、正面奥には木製の品の良い装飾を施された扉があった。
「あれ?君達…」
 エレベータから降りた直後に低めの声が聞こえた。
 見ると、クリーム色の短髪の若い男が1人いた。年はおそらく26くらい。白と青のボーダーラインの7分丈のTシャツの上に半袖の薄手のジャケットを羽織っていた。
 彼は富良兎を見るなり、1人合点して言った。
「ああ、そっか。今日のモデルさんか。うん、じゃあこっち来て。一応確認しないと。いやぁ、でもここまでかわいいとは思ってなかったよ」
 モデル?
 その言葉について問いたかったがそんな余裕もなく左側の部屋に連れていかれた。

 扉が開く。ゆっくりと。きぃ、という小さな音をたてて。
 その奥からまばゆい光が差し込んでくる。
 空間の真中を通る真直ぐな赤い道の上に薄く長い影が延びている。
 その両側には長い椅子が列を作って並んでいた。
 影の主は真白な衣装を身にまとっていた。
 マ−メイドラインの純白のウェディングドレス。
 そのデザインはすらりとした足を強調する。
 花嫁は一歩一歩ゆっくり進んでほぼ部屋の中央で立ち止まった。
 すぐ隣に座っている相手に苦笑いを浮かべながら言った。
「感想は?」
「まぁいいんじゃねぇか」
 テツは口の端を上げて、にぃっと笑う。
 そんな夫の様子に半ば呆れて小さく溜息をついた。
「こんなバイトあったのね」
 富良兎が周りを見渡す。一面の白い壁と足下の赤いバージンロード、その先の大きな十字架。
「このホテル、最上階が教会になってんだよ。で、今日はここでドレスの写真撮影がある。まぁこのホテルの宣伝も兼ねることになるんだろうな。おまえはモデルとして働いてもらうから」
「今さら言わなくたってわかってるわよ。支度全部終わってるじゃない」
「じゃあとっとと撮影してこい」
「はいはい」
 そう言って富良兎は指定された立ち位置についた。
「それにしてもホントに綺麗だよな〜」
 テツはその声の主の方、後ろを向いた。先ほど、部屋に案内してくれた青年だ。
「モデルか…アイドルって言っても通じるな、絶対。身長は並みだけどなにより存在感があるもん。どうやってあんな綺麗な子嫁さんにしたんだか。羨ましいっつーの」
「実際はそんな羨ましいって状況じゃないんだがな…」
 テツがぼそりと呟く。
 それでも。
 カメラマンに(おそらくはアドバイスを受けているのだろう)話を聞きながら時々頷いている花嫁衣装の彼女を見る。
「…なぁ、あんたカメラの補助しなくていいのか?付き人だろ?」
「おおっ、そろそろ行かねーとやべぇな!」
 青年は慌てて走っていった。
 教会での撮影の後衣装替えをし、宴会場へ移動して撮影を全て終えた。


 控え室として使っている部屋。
 桜色のドレスをまとった富良兎は鏡の正面に立って改めて自分の姿を観察した。
「見たかったの?こういうの」
 振り返らずにやたらかわいらしい声で問う。
 後方にいたテツがどこか別の方を見ながら答える。
「式らしい式やってなかったし。知り合いみんなして花嫁姿見たかったとか言うし、紀世能は何度も不満げにぼやくし。だから写真くらいはな」
「質問の答えになってないわね」
 富良兎は振り返ってテツに近寄ると下から覗き込むようにしてにぃっと笑う。
「俺は別にどっちでも」
「へー。ツテで結構前にこのバイトとったって割にはそっけない返事ねぇ」
 テツは驚いた顔をして慌てた様子できいた。
「なんで…誰かに聞いたのか?」
「わかるわよ。最初のドレス、私のサイズぴったりだった。あのデザインって正確にサイズ合わないと着た時変にシワよっちゃうのよ?偶然で用意できるものじゃないわ。それに経験者でもないのに面接なしでこんな仕事まわってくるなんて普通はないんじゃない?」
 富良兎の推測を聞き、溜息をつく。
「まぁ、おまえなら気付いちまうと思ってたけど……。いろいろバイトしてっといろんなトコと繋がりできるからさ。たまたまこんな話があるってきいて、な」
 頬を赤くして、照れくさそうにしているテツがおかしくてフフッと小さく笑う。
 それから思い出したように唐突に言った。
「最初の花嫁なんだって」
「は?」
「撮影、私が最初なんでしょ?」
「ああ、そのことか。俺この後バイトあるっつったろ?本来の時間なら付き添えないだろうっていらん気遣いを向こうが……」
 途中で言葉が切られる。
 何かに口を塞がれた。
 柔らかくてしっとりとした、何か。
 甘い香りが鼻腔をくすぐる。
 ほんのわずかの間が長く感じられた。
 ピンク色の唇が離れてもなお、その余韻は唇と心臓に残っている。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
 テツはもう何をどう言えばいいんだかわからずうまく言葉が出なかった。

 ――この教会の最初の花嫁さんね――

 メーク中にそう言われた。
 式を挙げるためじゃないけど。夫はいつも通りの格好だけど。
 そんなことを思いながら富良兎はテツの唇に人差し指で触れて笑顔でこう言った。



「最初の花嫁から、あなたの幸を願って」





終わり


6月だからウェディング話。モデルのバイトとかドレス事情とかあんまよくわかってないんでおかしいところもあるでしょうが見逃してやってください。
マ−メイドドレスは管理人の趣味。だってー折角の細くってすらりと伸びた足を隠しちゃうの勿体無いしー。
トップ絵合わせSSいかがでしたでしょうか?隠してあった場所、わかりやすかったみたいですねー。今度はわかりづらくしてみようか……





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