雲間から降りてくる光に照らされ、長くて真直ぐな濡羽の色の髪に輪がかかる。
 反射によって生まれるそれを「天使の輪」とも言うそうだが……俺はそうは思わない。
 あいつには天使なんて似合わない。
 なんせ、管理者たる漫画の神にまで抗った奴なのだ。天――神になど頼ることはないし、ましてその使いになるなど考えられるはずもない。
 だから何故そんなあいつが今日に限って鳥居をくぐり先へと歩みを進めるのかが不思議でならなかった。



ゴエン



 それは全くの偶然だった。
 大学の講義が終わってバイトの前に飯と睡眠を済ませてしまおうと帰る途中の交差点で、買い物袋を下げた富良兎が視界の先に現れた。
 曇り空で日が強くないとはいえ纏わりつく夏の熱と湿気はうっとうしく、それを少しでもやわらげるためなのか富良兎は建物の陰で信号が変わるのを待っている。
 袋の中身はほとんど食品のようだ。富良兎は横を向いているので袋同士重なっていて一瞬気付かなかったがよく見ると袋は二つ。そういえば今日は特売の広告が入っていたな。
 目の前の歩行者用の青信号が点滅をし始めた。変わりきってしまう前に俺は富良兎の元へと駆寄る。
 富良兎は俺に気付いたらしく首をこちらに向けた。
「テツ! 今帰り?」
 俺は曖昧な返事をしながらすぐさま富良兎が下げていた袋を半ば奪い取るように持ち上げた。
「貸せ。俺が持つ」
「あら心配しなくても大丈夫よ。袋落として卵割るなんて古典的なことしないから」
 淡々とそう述べる所は、らしいと言えばらしいが可愛げというものは皆無だ。
 指の圧迫されていた部分が随分と赤くなっているのにまるでなんでもないという顔をして、俺から言わない限りこいつは自分で持っていただろう。
「んな心配はしてねぇっつの。良いからさっさと帰るぞ」
 渡ってきた方の信号は既に赤く灯り、それとは90度真横に人々の流れを促すように変わっていた。
 俺が歩き出してからややあって、後方から軽い足音がついてきた。
 学生らしい姿は多いものの一般的な退勤時間にはまだ早いために道はまだそれほど混んではいない。
 俺たちは横並びになって時折他愛もない話をしながら家を目指して歩いていた。
「ねぇ、ちょっと寄り道してもいい?」
 ふと富良兎がそんなことを言い出した。
「寄り道ってどこにだよ」
 バイトが控えている俺としては早く帰るに越したことはない。あまり時間がかかることは気が乗らないというのが本音だ。
 それを見透かしたように富良兎はくすくす笑う。
「大丈夫よ、すぐに済むから」

*   *   *

 しばらくして、俺たちはすすけた鳥居の前に立っていた。
「神社……?」
 民家に囲われ、お世辞にも広いとは言えない敷地にひっそりと佇むそこは、先程までの街の喧噪が嘘のように静まり返り、葉の擦れる音と鳥や虫の声だけが響き渡っていて、急に俗から離された気分になる。
「見ればわかるでしょう」
 いや俺はそういうことを訊いているのではなく、おまえと神社という組み合わせに違和感があるのだが。
「こんなとこになんの用があるんだよ」
「神社に来る目的なんて決まってるでしょ」
 そう言って富良兎は俺の疑問を解消することなくさっさと鳥居をくぐって行ってしまった。
 わけもわからぬまま後を追う。
 決して長くない砂利道の先、賽銭箱の前で富良兎は財布を取り出し黄金色の硬貨を一枚投げ入れた。
 ――五円玉か。
 鈴を鳴らし、二度の礼と二度の拍手をして富良兎は手を合わせながら何かを祈っていた。
 そして、少ししてからまた一礼して、後ろで控えていた俺の元に近づいてきた。
「もういいのか?」
「ええ。五円使っちゃったけど良い?」
「良いも悪いももう賽銭箱の中じゃねぇかよ。今訊いても遅いっつの」
「それもそうね」

 木々と俺たちの間を風が通り抜けていく。
 波がよせるような葉の音の中で富良兎は靡いて乱れる髪を少しうっとうしそうにしながら押さえていた。
「……何を願っていたんだ?」
 なんとなく、訊いてみた。
「なんだと思う?」
「どうせ俺んトコに侵略者がどんどん現れますようにとかじゃねぇのか」
 なにせ、ゴエンだし。俺はそんな縁は欲しくないけど。
 だがそれに続く富良兎の言葉は俺の予想を否定した。
「それは願わなくても大丈夫よ。あなたが主人公である限り、変態たちは必ずあなたの所へやってくるわ」
 ……ちょっとだけ、主人公引退したくなった。とはいえ、あの家を離れるのは二度とゴメンだから辞められるわけもないのだが。
 富良兎が屈託なく、それはもう晴れやかな笑顔を浮かべて言うもんだから余計に落込む。
 おまえ、仮にも俺ん家の嫁だろうが。喜ぶなよそこで。
 まぁ、今に始まったことじゃないので諦めはついてはいる。
 一度深く溜息をついて気を取り直してから、俺はまた富良兎に問う。
「じゃあ何を願ったってんだよ」
「それは……」

 富良兎は視線を落とし、自らの手を腹部――ちょうどヘソの下辺りに当てた。
 先程までの、まるで悪戯をする時のような感じとは違う、穏やかな笑みを浮かべながら。

「テツに会わせてあげられますようにって」



 あ。
 ああ、そうか。
 そういやぁそれも縁ではあるな。しかも、世の中でもトップクラスに濃い縁と言えるだろう。
 思い当たって納得した。当たり前の願いであるし、それは俺も望んでいる所である。
 ただ……
 少し富良兎の言い方が気になった。

「なんで俺に、なんだ? おまえは?」
 まさか会いたくないってわけじゃないだろう。
 今でも四六時中一緒にいるようなもんだとはいえ、富良兎の性格上から考えてもその目で見てみたいはずだ。
「だって、テツにとっては初めてでしょう?」
「だからそれはおまえも――」
「そうじゃなくて。ほら私には両親やお兄ちゃんがいるけど、テツは主人公畑原産だから」
「原産はやめろよ」

 でも富良兎が言わんとしていることはわかった。
 そういや今まで俺には“血縁者”はいなかったんだったか。
「テツにとっての“特別な存在”だもの。絶対に会わせてあげたいから、だから来たのよ。今の所順調とはいえ、やっぱりこれは多少運も必要だと思ったから」
「そっか」
 富良兎の頭に片手を軽く乗せる。
「けど、だったらあんまり無茶はするなよ。ったくこんな荷物持ちやがって……」
「大丈夫よそれくらい。あーなんかテツって過保護になりそうだわ」
「過保護っておまえなぁ……くだらんこと言っとらんでもう行くぞ」
 そんなことを言いながら俺たちは境内をあとにした。



 富良兎は言った。

 俺にとっての“特別な存在”……しかも初めての、と付けて。
 絶対に会わせたい、とも。

 確かに、大切だし会いたいとも思ってる。
 でもな、特別なのはなにもそいつだけじゃない。
 血のつながりがなくたって、俺は鉄瓶や姉ちゃんやじーちゃんを本当の家族だと思ってる。



 それに――富良兎、おまえのことも。



 だから「絶対」という言葉に込められた強さが少しだけ怖かった。
 どんな犠牲も厭わないとでも言っているかのように聞こえて。

 どうか。
 どうか何事もなくこのまま順調にいきますよう。
 どうか俺の全ての縁が――富良兎と俺の縁も、たとえくされ縁だとしても長く続くものでありますよう。



 随分と欲張りな願いを誰に言うでもなく、俺は静かに心の中で呟いた。



終わり

若夫婦ネタ。
多少こっ恥ずかしくても若夫婦だからと言い逃れ。
今回の好きなフレーズは「主人公畑原産」。
時系列としては『JUN』の後です。





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