旅立ちの前に


 ある日の神界。
 聞仲は今請け負っている仕事を一旦引き上げてこの地を訪れた。
「おお、忙しい所すまんな聞仲よ」
「いえ。それで緊急のこととは?」
「いや…緊急というほどではないがどうしてもおぬしにやってもらいたいことができたのじゃ」
 わざわざ呼び戻すくらいだというのにさほど深刻そうな様子を見せない元始天尊を訝りつつもそのまま黙って聞いた。
「おぬし、転生は知っておるな」
「はい。存じております」
「生命は死した後魂魄となる。そして次の生へと進むわけじゃが、すぐに転生はしないのじゃ。大方は西方へと行き時が来るのを待つ。それで今回おぬしには人間界へある者の魂魄を西方へと送り届けてもらいたいのじゃ。頼まれてくれぬか?」
「承知しました」
 元始天尊は1枚の紙を取り出し、聞仲に手渡した。
「そこに西方への紹介とその者の名を記してある。早速向かってくれ。おぬしには元の仕事にすぐにでも戻ってもらいたいのでな」
 聞仲は一礼をしてその場を去った。

「どうやらうまくいったみてぇだな」
 彼の姿が見えなくなってから岩の後ろから無精ヒゲをはやした大男が現れた。彼の唯一の友、黄飛虎である。
「疑ってはおったようだがのう…」
 飛虎は豪快に笑った。
「まぁ、あいつはそうゆう奴だからなぁ!ちっと不思議に思っても頼まれた仕事はきっちりやるさ。それより元始殿、礼を言うぜ。あの仕事をあいつに回してくれて」
「聞仲のおらぬ間おぬしが穴を埋めてくれるなら大丈夫であろうからのう。しかし、いくらあやつに所縁のあることとはいえなぜそこまでするのじゃ?」
「あいつにとっては特別な人だからな。っと聞仲の代わりに行って来ねぇとな。じゃあ失礼します」
 今頃記してある名を見て驚いているんだろうなぁ、と思いながら飛虎は神界をあとにした。


 そこは代々の殷王家が眠る場所。
 広大な草原の中に幾つか建てられた墓。そのうちのひとつの前に聞仲は立っていた。
 風のつくり出す草の波の音だけが聞こえる中、彼は封神される以前と同じようにその墓の前にひざまずき、頭をさげた。
「そんなことする必要無いわよ。聞仲君」
 その声と同時にぼんやりと人の姿が浮かび上がる。長い黒髪をふたつに結わえた若い女性だった。
「朱氏……」
 聞仲に名を呼ばれたその女性はにこっと笑ってかがんだ。
「久しぶりね。どお?最近は…って聞くのもおかしいか。もう魂だけなんだから」
 300年以上たっても変わらぬ彼女の明るさに心が緩む。
「聞仲君は今は何をしているの?」
「神として神界と人間界を往復し、何かあれば人々に力を貸している」
「へぇー、良い仕事してるんだ」
 朱氏はそう言うと自分の墓に腰掛けた。
「朱氏!どこにすわっているんだ。早く降りて……」
「あたいの墓なんだからいいじゃない。きみってホント真面目ねぇ。昔からそうだったよね。休憩だっていう時も1人で訓練続けてさ。暇さえあればなんだかこむずかしい物読んでたし。今はちゃんと息抜きしてる?聞仲君のことだから頑張り過ぎてるんじゃないの?」
 聞仲は苦笑いしてそんなことはないよと答えた。
 実際これほど自然に会話ができるとは思っていなかった。ゆっくり会話するのなんて朱氏が王家に嫁いで以来ないことだったからだ。
 それでも、あの頃と変わらず気兼ねなく話すことができている。
 彼女の性格のおかげだろう。
 明るく、力強い彼女の雰囲気の……
 聞仲自身はそれほどよくしゃべる方ではないし固い人間であるため、彼女や飛虎のような人でなければこんな彼の様子を見ることができないだろう。
「朱氏は…何か変わったことはあったのか?」
「聞仲君が通ってからはこれといってないよ。けっこう退屈だよー死人っていうのも。話す相手がいないんだから」
「そうか」
 聞仲はそろそろここに来た理由を告げようと思っていた。けれどなぜか躊躇してしまう。
「朱氏…実は……」
 なかなか言い出せないでいると朱氏が墓の上から降りてきた。
「きみのことだから仕事で来たんでしょう?言ってごらん。どんな仕事?」
 彼女は姉であるかのように優しく助け舟を出した。
 生きた年数は聞仲の方がずっと長いというのに。いつまでたっても4年の差は縮まらないようだった。
 彼はひとつ溜め息をついて話し出した。
「朱氏はこれから西方へ向かわねばならない。そこで転生するまでの間を過ごすんだ。私はその付き添いとして派遣されたんだ」
「要するに成仏させるためってこと?」
「簡単に言うとそうなるな」
「そっか。転生かぁ……そうだよね。いつまでもこのままってわけにいかないもんね」
 このままでは……。
 その言葉に急に動揺を覚えた。
 それでも行かなければならない。
「案内するから行こう」
「待って。行くなら明日にできない?」
「明日…?」
「だってほら」
 そう言って指差した方を見ると赤い太陽が西に浮かんでいた。
「今出かけたら夜の闇の中を行くことになるじゃない。旅は昼間に景色を眺めながらするものよ」


 無数の星が広く澄み渡った天球を埋め尽くしている。風もやんで静けさが辺りに響いている。
「綺麗ねぇ」
 朱氏は草の上に座り込んで空を見上げていた。
 聞仲もその隣に腰を下ろす。
「そうやってると首痛くならないか?」
「平気よ。あーなんか昔のこと思い出しちゃった。あたい達、将軍になる前よく一緒に手合わせしてていつのまにか日が落ちてたことがあったよね」
「それでよく怒られてもいたな」
「あれ?そうだっけ。楽しかったことしか覚えてないなぁ…」
「朱氏はほとんど聞き流していただろう。だから記憶に残らないんだよ」
 それってばかにしてるの?と頭を小突かれる。
「でもあの頃は2人でこんな夜空を見てたよね」
 彼女は目を細めて遠くを見た。空か、それとも過去か……
 その横顔が美しかった。
 そう感じたせいか、久しぶりに昔を思い出したせいか今まで言わなかった言葉が口をついて出た。
「好きだ」
 ただ一言。
 それでもずっと伝えられなかった一言。
 今なら言っても良いような気がしたのだ。
 もう、これが最後だから。言うだけなら許されるように思えた。
 朱氏は前を向いたまま、そう、とだけ答えた。
 2人ともそれ以上はそのことに触れなかった。
 それだけで充分だった。今さらどうにかなることではない。理由なんてものも必要なかった。

「…ねぇ聞仲君」
 朱氏が静かに口を開いた。
「転生っていつ頃するものなのかな」
「さあ…わからないな」
「でもいつかは他の誰かとして生を受けるんだよね」
「ああ…そうだな」
 前世での記憶は一切なくして。全く違う一生を与えられる。
「聞仲君はこれからも神サマを続けるんでしょう?」
「ああ」
 東の空に光がさしてきた。じきに朝が来る。
 朱氏が振り向き、2人の目があった。
「じゃあ、あたいが生まれ変わった後、見守っていてくれる?本当に、たまにでいいから、気にかけてくれる?」
 神が人のすぐ近くにいるというなら。
 例え忘れてしまっていても、助けを借りるなら一番信頼している人を。
 勝手なことではあるけれど。それでも頼むならこの人に。
「ああ、ずっと見ている。約束する。何度生まれ変わろうと、何になろうと必ず見つけだして、必要なら力を貸すと」
「ありがとう聞仲君」
 朱氏は満面の笑みを浮かべた。


「よう聞仲、もう戻ったのか」
 飛虎は彼の姿を見るなり、やけに明るい声で話しかけてきた。
「私のいない間代理をしていてくれたそうだな」
「ああ、まぁな。ちょうど手が空いてたしな」
「そうか…時に飛虎、今回の一件、おまえの提案だそうだな」
 その言葉を聞き、飛虎は驚き顔を引きつらせた。
「お…おまえそれどこで……」
「他に誰がいる?」
 どうやら鎌をかけたらしい。見事に引っかかってしまった。
「あ、いや…その…おまえも仕事ばっかじゃなくてたまにはゆっくりしたらどうかなんて……それに彼女と会えるのもこれが最後だったんだからさ……」
 しどろもどろ弁解をする友人にふっと笑いが沸き起こった。
「すまないな」
「あー…いいってことよ」
 飛虎は頭を掻きながらそう言った。



終わり

なんかこう…久しぶりに会った30代の会社員と高校時代の同級生の会話みたいだ……なんとなく。
いやあ、若いな(笑)聞仲キャラ違うかも(大笑)16歳くらいまで下げるつもりで書いてみました。やっぱり朱氏の話なので、自然と心も若返るでしょう。
告白の答えが「見守っていて欲しい」。多分彼等ならこんな感じではないでしょうか。恋人になるには時間と立場が行き違いすぎていますから。
ところでこの話、宗教に関してすんごい曖昧です。ごめんなさい。詳しいことわからない(汗)西方なのはおそらく仏教発祥の地がそっちだから……その辺は流し読みしてくださっていっこうに構いません(あわわ…)


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