時間は皆に平等に一定の速度で流れるという。
 そして、過去から現在、未来へと一方向にしか流れないとするのが一般的だ。
 しかし、それは真実ではない。
 この世のありとあらゆる事象には「絶対」はありえない。
 タイムトラベルだって可能なのだ。
 何故そう言い切れるかって?
 だってここは――漫画の中なのだから。



帰ってきた桜家



 光景が瞬く間に変わった。
 過ぎ去っても次々と続くエンジンの回転音。
 塀の外のざわめき。
 硝子越しに外を見れば、幹に顔のある大樹が深い緑の葉を風に揺らしている。
 瑞々しくて、観ていると爽やかな気持ちになれる発色だ。
 換気口から入る空気も湿気を多く含んでいる。
 つい先程までいた砂漠の地と比べてしまうものだから、余計にそう感じるのだろう。
 時折水不足に悩むとはいえど、ここは山には多数の緑が存在し、周囲を海に囲われる島国だ。贅沢なほど水はある。つくづく、日本は恵まれた国である。
 さて、せっかくまた漫画神と取引をしてホームグラウンドに戻ってきたのだ。
 親しい変態達に挨拶にでも行こうと、普通なら思う所である。
 だがしかし、桜家にいる誰1人としてそのように考えることはできなかった。
 そんなことを悠長に考えている場合ではなかった、の方が正しいだろう。
 窓も、壁も、家具も旅立つ前と変わりはない。
 アリスと鉄瓶は向こうでも活発に遊んでいたから元気であるし、久散は元々の体調のこともあり元気とは言い切れないがいつものようにボケの世話をしつつ家事を行うことができる。
 富良兎も、別の世界に行ったことでその腕の中の対話篇の内容がより充実したくらいだ。
 皆、変わりはない。
 ただ、肝心の主人公がいなくなり……彼のいた場所に身長110cmほどの、幼い頃の彼に瓜二つの少年が現れたこと以外は。

*   *   *


「かっわい〜いっ!」
 翌日、宛内高校の一室から黄色い歓声があがった。
 教室の中央部に女生徒が集まっている。
 ちょうどアレの神が現れた時に似ている。
 もっとも前回は男子生徒が群れていたのだけれど。
「あたしの卵焼きあげよっか?」
「あ! ずるい! こっちのウインナーの方が先だってば!」
「お菓子のほうがいいよねー?」
「だぁっ! もういいって!」
 きゃいきゃいとはしゃぐ女子の中央、椅子にクッションをのせ、床に届かない足をプラプラとさせて座る少年が慌てて叫ぶ。
 その様子がまた何かのツボをついたのか、輪をなす彼女達のどよめきは大きくなった。
 少年の頭の方へといくつか手が伸びてきて、撫で回したり、頬をつついてきたりする。
 後方、窓際の席から富良兎はしばらくそれを眺めていたが、一つ短く溜息をつくと賑わいの中心へと割って入っていった。
「はい、そこまで。少し休ませるから保健室連れていくわ」
 そう言って少年の手を取る。
「えーつまんなーい」
「そうだ。お姉ちゃんが添い寝してあげよっかー?」
「そんなこといってあんた午後の授業サボる気じゃないの?」
「だったらウチも添い寝したげる〜」
 笑い声とともにそんな台詞が聞こえてくる。
「無理よ。この子は意地でも授業に出ようとするんだから」
 口の端をあげ、そう言うと富良兎は彼を連れて人だかりを脱出した。
「へー。やっぱそこは変わらないんだー」
「じゃあね〜また後でねーテツくん」
 そんな声に送られ、教室を後にした。
 手を繋いだまま廊下を歩く。
 改めて、小さいなと富良兎は思った。
 歩幅にしてもそうだ。いつも1人で歩く時よりもゆっくり目に歩かないと繋いだ手がすぐ後ろにいってしまう。
 幼稚園で出会った頃から彼の方が背も手も、若干ではあるけれど大きかったから、なんだか不思議な感じではある。
「フラト……おれ、休まなくても平気だぞ?」
 上目遣いにこちらを見上げてくる視線も、新鮮だ。
 というより違和を感じる、か。
 それでも、目に映る鮮やかな紅色の髪と海を思わせる深い瞳に、古くからの親しみと安堵が心を満たす。
 間違いなく彼は桜鉄本人だ。
 ……間違えたりなどするはずがない。
「テツ」
 名前を呼ぶ。大丈夫。否定の言葉は返ってこない。
「初めての学校生活なんだから、午後の授業のためにも休んでおきなさい」
 どうせ内職したくたって、あの騒ぎじゃできないでしょうと付け加えて納得させた。
「ところでさ、手、もうはなしてもいいんじゃ……」
「どうして?」
「ここ、そんなに人いっぱいいないし、きっとまよわないから」
「あら、一人で保健室行けるの?」
 校内の案内はまだしっかりとはしていない。玄関、教室、職員室、体育館……このくらい。移動する授業があればその都度教えれば良いだろうと考えたからだ。行けないことをわかってて、富良兎はテツに問いかけた。
 案の定、テツは首を横に振る。
「手ぇはなしても、ちゃんとついていける」
「私、テツを置いていっちゃうかもしれないわよ?」
「フラトはおれをおいてかないよ。ぜったい」
 すぐさまそんな言葉が返ってきた。
 海色の瞳が真直ぐに富良兎を捕える。
 疑いなど露程も混じっていない純粋な目。
 富良兎は柔らかく微笑んだ。
「私が、手を繋いでいたいのよ」
「ふぅん……フラトはおっきくなってもかわってないんだな」
 テツの手の握り方が少し強くなる。
「じゃ、つくまでな」
 屈託のない無邪気な顔に、富良兎は眩しそうに目を細めた。
 一緒に手を揺らしながら歌を歌う。まるで、二人っきりのおゆうぎ会みたいだ。
 保健室までの短い散歩ですれ違った人たちの見る目はいろいろだったけれど、それもまた彼らにとっては楽しいことだった。

*   *   *


 一面を壁に、他の三面をカーテンに囲われているため入ってくる光は弱く柔らかい。目隠しをしなくとも昼寝をするには充分な環境だ。
 富良兎はベッドの傍らに腰掛けて、持参した対話篇をぱらぱらとめくっていた。めくるだけで、記入はしない。
 小さな指が右の小指に絡まっているのだ。
 左手でも書くことは可能だが、それでもページを押さえる手がないと不便だ。
 指を離すつもりはない。約束をしたのだ。授業が始まる前に起こす、起きるまで指を離さないと。
「はりせんぼん、よういするのヤだからな!」
 そんなことを言っていた。彼の家計のためにも約束を破るわけにはいかないらしい。
「五歳でもテツはテツね……」
 起こさないようにそっと囁き、膝の上に日記帳を載せたまま左手で赤い髪を撫でた。
 すうすうと規則正しい呼吸を繰り返しているその寝顔はあどけなく、可愛らしい。
 そういえば、と富良兎は思う。
 この頃のテツの寝顔なんてほとんど……というより、生ではまったく観たことがなかった。幼稚園での昼寝やおとまり会のときも結局先に眠ってしまっていたから。
 初めて直に寝顔を観たのは何年か後のバス遠足での帰りのバスの中でだったはず。
 あの頃はテツが自分達よりもずっと大人に近い存在だと思っていたからすごく意外で、ほんの少しの幻滅と、親近感からくる沢山の喜びを得たことを覚えている。そして、どうせならもっと早く観たかったという願望を抱いたことも。
 そのことを思えば、今の状況はありがたいことではあろう。
 けれど、その代わりに得られないものがある。
 荒野にて勇者と呼ばれ、大業を成した男が、こちらに戻ればどのような非凡なる行動を取るか――それが観られない。
「ちゃんと、観ていてちょうだいね……五歳の私……」
 目を閉じて祈るように呟いた。届くはずのない言葉であると理解しながらも、言わずにはいられなかった。



つづく?


なんていうかこう…第一章ってカンジで。
子供の日だからなにかやろうかなーとか思いつつネタを漁っていた所こんなん出てきました。
これの前に水一滴も無しでの冒険編ってネタもあったけどバトル要素が強くなりそうだったのでボツ。
第二章があれば多分回想シーンから始まると思います。多分。





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