十字路
小説トップへ/トップへ戻る

「身体で払うか?」
雑談の流れそのままの口調だったから、少し常軌を逸した提案をされたのに、ユカはすぐには気づかなかった。
「あァ!?」
酒で濁った目でダビーを見上げる。顔に傷のある男は、口の端を釣り上げて見せた。
「ツケの話さ。」
ユカは憮然として酒を含むと、テーブルに目を落とした。上からくすくす笑いが聞こえた。
「何だってんだ。そんなの百も承知だし、ここんとこ話も出なかったじゃねえか。」
ユカは首を振った。酒で視界が歪む。目の前の男を見上げると、微かに笑みを浮かべたまま、じっとこちらを見ている。クソ、いい男だな。泡のように湧いた思いを振り落とすように、ユカは笑みを作るとダビーを見上げた。
「さてはおっさん、借金で首が回らなくなって、オレを飼っとく金がなくなったのか?」
気持ちのいい笑い声が降って来た。
「首が回らないのはお前だろ。」
「ケッ!」
ユカはそっぽを向くと髪を掻き回した。頭が重い。何かが気に食わない。いつもなら何とも思わずに混ぜっ返すのに。
「お前が好き放題飲んで居座って、ツケをどんどん重くして行きたいならそれでいいさ。だけど少しでも借りを返したいって思うなら…。」
言葉が切れて、ユカは渋々ダビーを見上げた。暗い色の瞳がじっと見つめて来る。何かが違う、そう思った。ダビーはふっと屈み込むと、ユカの耳許に囁きを残した。
「身体で払わないか?」
鉱石のネックレスがシーツに滑り落ちる音を他人事のように聞く。どこか現実感のないまま、もうベッドに引っ張り込まれているのはどうしたことだと思った。
「酒臭いな。」
くすくす笑いが首筋に掛かって、ユカは眉を顰めた。
「おっさんだって酒臭いだろ。」
ダビーの手が軽く、あるいは重く布越しに触れて来る。髪に触れられる。頬を撫でられる。そしてその手はいつの間にか、器用に衣装を解いて行く。少しずつ息を乱しながら、ユカはぼんやりとカウンターの中のダビーが働く姿を思い出していた。器用なダビーの手は、どこかユカのそれに似ている。彼の手はグラスを扱い、自分の手はかつて骨董品を品定めしていた。気に食わない、そう思った。今日は思い出したくもないことを思い出す。ユカはそれを振り切るように笑い声を立てると、ダビーを見つめた。訳の分からない状況だが、楽しまなくては損だ。しかし唇を近づけると、息が触れる前にダビーは笑ってそれを避けた。
「何だってんだ。」
答えの代わりに、鎖骨の側を強く吸い上げられた。軽い痛みが走って、跡が残るだろうなと思う。首まで覆ったユカの装いでは、どちらにしろ見られることはないけれど。だけど今はもう、ほとんど上半身は露出していた。ダビーの顔がユカの首から胸の辺りに触れながら、時々息を吸い込む。そのたびに身体に痺れが走る。声に震えが出ないように試みながら、ユカは言った。
「こんな酒臭い身体嗅いでどうするんだよ。」
「酒の匂いになら慣れてる。」
舌が触れて、濡れた感触に思わず「あ、」と声が出る。速い呼吸はとっくに隠せなくなっている。上半身に纏っているのはシャツが一枚だけ、それももう肩に掛かっているだけだ。ダビーはまだ布に覆われている腕を掴むと、ユカの胸に舌を這わせ始めた。
「あ、あ、あ、ダビー…」
舌はなかなか敏感に立ち上がるところに触れない。胸筋の間を辿り、浮き出した肋骨をなぞる。冒険から離れ、酒で緩んだ身体がダビーの目にどう映っているのかと思う。それでも最近は度々探索に出るようになった。あの面倒臭い女のためだ。
「ひっ…!」
舌がべろりと乳首に触れた。笑い声と湿った息が敏感な部分に触れる。
「色気のない声だなあ。」
そんなことを言いながら、ダビーの唇は乳首を吸い上げ、あるいは反対側を指で潰すように触れる。既にユカは喘いでいた。最近はすぐに息が上がる。昔のようじゃない、戦闘でもそうだ…。不意に股間をぐいと押された。
「はっ!」
目を落とすと、ダビーの膝が股間に割り込んでいた。顎を掴まれ、目を覗き込まれる。乏しい灯りでは分かりにくい色の瞳が、じっとユカを見つめている。
「上の空は困るな。」
ユカが眉を顰めると、ダビーは自嘲気味に言った。
「ま、そう言やオレはお前を買ったんだよな。サービスの悪い娼婦だが、文句はつけられん。」
そしてそのまま頭を下げて行った。ベルトが外され、ボタンが解放される感触に震えながら、この男が何を考えているのかが分からないと思った。なんでキスをしないんだ。頭に浮かんでは消えるのは、そんな女々しい思いだ。
「ふぁッ…!」
濡れた感触に包み込まれて、ぐだぐだした考えは真っ白に焼き切れた。
「ダビー…!」
もちろん返事はない。ダビーの口は、男を知らないとは思えなかった。器用な指が柔らかく袋を揉み、熱く狭い咥内はユカをきつく絞る。汚い言葉を口から溢れさせながら、ユカはダビーの口を犯した。散々酔っ払ったはずなのにどうしたことだと思いながら、あっという間に上り詰めて行く。もう何年もなかったような強烈な快楽を感じながら、ユカは達した。
身体を全く支えられなくなって、ベッドに倒れ込んだ。このままマットの中に沈み込んでしまいそうな気がする。脚をだらしなく開いたまま、ユカは喘いでダビーが重なって来るのを待った。だがそれは訪れず、ユカはぼんやりと視線を彷徨わせた。ダビーはベッドを離れていた。そして戻って来た手にはタオルが乗っている。ユカはぼんやりと口を開いた。
「…何だそれは。」
「何だもなにもないだろう。こんなに汚しておいて。」
「ひっ…!」
濡れた感触が股間に触れる。しかしタオルは丁寧に白濁を拭き取って行くだけだった。下着が上げられ、ボタンが閉められた。
「…おい、どう言うつもりだよ。」
ダビーはじっとユカの視線を受け止めた。瞳の昏い翳りのようなものは消えていた。いつもの、淡々とした酒場の主人の顔だ。
「おい。」
ユカは肘をついて身体を起こした。だけどダビーに伸ばした手は、優しく押し退けられる。空っぽになったようだった腹の底から、ムカムカした思いが湧いて来る。
「何なんだ!」
「オレだって昔は冒険者だったからな。」
全く答えになっていない。叫び出したいくらいになっているユカの頭を、ダビーは撫でて、その手はそのまま緩く髪を掻き回した。
「良かったよ。ツケから引いておく。」
ユカはほとんど怒りながらその手を払い除けた。
「良かったも何も、アンタは何もしてないだろう。」
ダビーは微笑んだ。
「お前に触るのは楽しかったよ。」
「何なんだよ、アンタって奴は!」
思ったより大きな声が出た。ダビーは目を見開いた。
「オレ? そりゃあ借金抱えた客に付け込んで手を出す、行儀の悪い酒場の主人さ。」
ユカはため息を吐いた。頭を重くしていた酔いはどこかに消えていた。
「…ダビーのおっさん。質問を変える。何だってオレにこんなことをした?」
ダビーはじっとユカを見つめた。相変わらず瞳の色は分からない。部屋にあるのはただ暗闇の中のランプだけ、そう言えばいつもだって薄暗い酒場の中でしか見たことはなかった。ダビーはふっと視線を逸らせた。
「お前さ、ノーラのことかわいいだろ?」
「あァ!? なんであの女が出て来るんだよ。」
あからさまに不機嫌な声に構う様子もなく、ダビーは続ける。
「一回りも歳下で、なーんも自分のこと分かってなくて、こっちから見ればめちゃくちゃ狭いところでじたばたしてて、かわいいだろ?」
ユカが何も言わずにいると、ダビーは笑った。
「それとおんなじさ。」
ユカは溜め息を吐いた。
「…なあ、アンタは何なんだ。」
「答えたはずだが?」
「いいや、聞いてない。オレのことじゃない。アンタは一体何なんだよ。」
ダビーの顔からすっと表情が消えた。そして少し謎めいた微笑みを浮かべると、言った。
「十字路。」
「何だそりゃ?」
「お前はさ、ここに来て、ぐだぐだして、そしていずれ目を覚ましてどこかに行くだろ?」
「何だって決めつける。」
「そう言うもんなんだ。今までだって、何度も見て来た。十字路からは四つの道が伸びてる。お前はそのうちの、どこに行ってもいいんだ。」
「何なんだ。ますます答えになってない。」
「いいや、答えだ。お前が来て、どこかに行って、そしてオレは十字路に立っている。それだけだ。」
ユカを見つめるダビーの表情は静かだ。その顔を見れば見るほど、憤然とした思いが込み上げて来た。火照りの収まった身体の奥が、また熱くなるのを感じる。
「アンタは道じゃない。生身の人間だ。」
ダビーの顔からまた表情が消えた。ランプの光の中で、整った顔がやや頼りなげになる。ユカは躊躇なくダビーの股間に手を伸ばした。彼の手がはっとユカの手を抑える前に、掌は硬さを探り当てていた。
「勃ってる…。」
気まずそうな顔に満足感を感じながら、ユカはわざと舌を出して唇を舐めた。
「オレのこと、どう思ってんだよ。」
返事はない。
「一回りも歳下で、かわいくて、気になるんだろ?」
一瞬の間の後、ダビーは吹き出した。
「参ったなあ。」
ユカはいそいそとダビーのベルトに手を伸ばした。脱がしたり身体に触ったり、そんな面倒なことをする気にはならなかったけれど、いつも澄ましているこの男がみっともなく反応させているブツには触ってみたかった。ボタンを外し、零れ出たそれを握ると、ダビーは顔を覆って笑った。
「まったく、何をやってんだかなあ。」
ユカも笑った。
「追加料金をくれよ。ツケはなるべく軽くしときたいんでね。」
小説トップへ/トップへ戻る