息苦しい世界。
価値観の違い。見ているものの違い。
多分……もうとっくの昔に見限っていた。
ああ、自分は違い過ぎるのだと。
だからいっそどうでもよかった。
馬鹿に思われてかまわない。
気にされなくてもいい。
それなのに、それを見つけてしまった。
きれいなきれいな世界。
まっすぐに何かに打ち込む、汚れのかけらも見えない透き通った純正。
そんな世界、まだ残っているなんて思わなかった。
躊躇う足が怯えるように歩む。
この世界に浸ってもいいのだろうかと………………………
欠片に埋もれる星屑
耳のすぐそばでバッドの唸る音がする。もう大分これに慣れた……なんて言えるわけもない。
まだまともに野球を初めてほんの数日。つい先日やっと野球部に入部できたくらいなのだ。慣れるわけもなければ馴染むわけもない。
薄暗くなってきた河原で素振りをする自分を見たら親友は何と言うだろうか。
…………馬鹿だと呆れながら付き合いそうだと苦笑する。なんだかんだで彼は自分を甘やかすから。
微かに息を吐き振っていたバッドを砂利の上に立てかけた。それに寄りかかるように体重をかけようとして思った以上に脆いバッドの感覚にクラリと頭の奥が揺れた気がした。疲れたわけじゃないけれどどこか気怠い。普段使わない筋肉の酷使はどれほど体力に自信があっても思った以上に負担だった。
不意に笑いが込み上げそうになる。
…………こんなに必死になって何をしているのだろうか。
野球が好きなわけじゃない。それくらい馬鹿みたいに自覚している。それでもこうして必死になっている理由。
優しい笑顔が脳裏を掠めた。………価値なんてない自分に、それでも微笑んでくれた人。場違いなくらい…いっそ過ぎるほどの期待をかけて信じてくれる純粋な人。
そうしてほんわかと灯るぬくもりに込み上げかけた笑いが柔らかく溶ける。
世界の価値なんて信じていないし、自分が何かできると自惚れるほど世の中を愛しちゃいない。
それでも、ほんのちょっとの努力が笑顔を作れるなら、やってみたい。
そんな風に考えていることこそが変化なのか。滲んだ汗を乱暴に拭って自分の頬を染める微笑みに苦笑する。
もう少し河原の石に判別がつくまではやってみようかとバッドを握り直した時、不意に訝しんだ声がかけられた。
「猿野…くん……………?」
どこか息を飲んで囁かれた音は信じられないと響いていた。
その声は聞き覚えがあった。同じチームで戦った間、一番親身に世話を焼いてくれたのだから、忘れたといったらかなり薄情だ。声が漏れた方に顔を向けてみれば案の定驚いた顔で自分を眺めている青年を見つけた。街灯を背にしているのでシルエットになっているけれど、なんとか顔の判別はついた。
「いよう、ネズッチュー♪」
どこか戯けた調子で返してみれば顰められた眉が解る気のする沈黙。勘がいい彼らしいと微かに笑うがこっそりそれを隠し込んでみる。
「いようじゃないっすよ」
少し慌てたような早口でいった声が駆け足の音とともに近付いた。ばれちまうかと頭の片隅で思って、にやりと笑みを唇に染めた。別に、心配してほしくてこんなことしていたわけじゃないし、出来ればばれない方が嬉しい。努力とか、そういうのを見られるのが恥ずかしいわけではなく、ただ単に自分がやろうと思っただけのことを誇張して思われることが嫌いなだけ。
人のいい彼のことだからきっと頑張っているんだとか、素人なのを気にしているんだとか、そんな風にきれいに考えるに決まっているから。
「一体いつからやっていたんすか?」
服は私服だ。だから少なくとも一度は家に帰っているのだろうことは解る。それでも上がっている息や滲んでいる汗が少なくとも短い時間でないことを教えてくれる。
ちらりと周りを確認してもいつも一緒にいる友達の姿はなく、荷物もどうやらいま手にしているバッドだけだ。いくら素人だといっても、水分補給の必要性や肩を冷やすデメリットは知っていてほしい。
微かなため息が唇に乗る。
「必死なのは解るっすけど、無茶して身体壊したら意味ないっすよ」
…………いっても、多分理解はされないだろうなとどこかで思いながら口にした言葉。
何となく彼を見ていて思うのだ。彼の中に無理だと思うことなんかないんじゃないか、と。
もちろん口に出す文句や不満は山ほどあって。こちらが呆れるくらい、それはあって。
それでも本当に詰まるところ、誰もが諦めるようなそんな局面。立った一人彼だけは諦めずに足掻くんじゃないか。誰もの中にある絶望を吹き飛ばすほどまっすぐな瞳で。
けれど同時にそれはひどく危うい。ぼろぼろになっても笑いかねない、そんな痛々しい強さえあり得そうで、こんな場所に一人いる姿を見つけると不安が湧くほどだ。
まだたいして長い時間を一緒にいたわけではない。むしろ、出会ったばかりといって差し障りはない。それでもその危うさは肌に滲みる。………どこまでも痛むように。
「べっつに頑張ってるわけじゃねぇし」
はぐらかすように呟いて大げさな動作で伸びをする。持っていたバッドも高々とあげているから、端から見れば万歳でもしているようだ。
「ま、もういい加減やめようと思っていたし。伝説破った俺が努力までしたら完璧すぎるしな!」
戯けた声音で楽しげに呟いて。けれどどこまでも瞳は冷めている。
苦笑しか、浮かべられない。否、それはどこか置いていかれた子供のような寄る辺なさを伴う切なさか。
いたわろうかと伸ばす腕を、まるで恐れるようにするりと彼は躱す。近付こうとするその一歩を敏感に察して一歩遠ざかる。
人懐っこい笑みの裏、信じがたいくらいの人見知りさ。
似合わない言葉のはずの、似合う言葉が脳裏を掠める。世を儚むなんて、誰にも思ってほしくないのに。
……………彼には、何よりも思って欲しくなどないのに。
まるで怯えた子供。知らない世界の知らない物に、惹かれながらも怯えている。伸ばした腕がそれに触れるぎりぎりのところでやっぱり戻ろうかと逡巡している。
それをふっ切らせるだけの力がないことは知っているけれど、それでも。
こちら側に踏み込んで欲しい。………奇跡とか伝説とか、そんな理由さえ凌駕して願った自分の心理もよく分からないけれど。
ただ………傍にいたい。一瞬それが湧いた。そうしたなら、あまりにしっくりする音に逆に驚いた。
そんな単純な理由だけで束縛は出来ないけれど、それでも自分には出来ることはあるはずだと、ほんの少し言い訳じみたことを思う。
「完璧かどうかは置いておいて、必要なものくらいは覚えた方がいいっすよ?」
「………? 必要?」
これかと無言でバッドを指し示す猿野に苦笑する。本当に、何も知らないのだ。与えられた情報を飲み込むのは早いくせに、それ以外はからっきしだ。
浮かんだ苦笑が柔らかいそれに変化すれば、不思議そうな猿野の瞳が瞬く。疑問を示しながら、何を問いかければいいのか解りかねているようだった。
それをやんわりと躱し、小さく子津が呟いた。
「明日も晴れそうっすね」
「へ? あ、ああ、雲も見えねぇしな」
話している間に大分暗くなった空には星が数個煌めいている。だからきっと晴れるんじゃないかと空を見上げた姿のまま返した猿野が顔を戻すより早く、囁きかける。
「明日、僕もここに来るっす。一人でやるより、二人の方がいいっすよ?」
特に何をすればいいのか解らないならと、そんな言葉は心の中で。
………何となく、気付きはじめた。危なっかしい素人の彼を危ぶんで目が離せないのではないことに。
だから言い訳のようなその言葉は囁かず、自分の希望だけを提示する。
困ったような躊躇いの逡巡が手に取るように解る。……まだそれほどの信頼は手にしていないのだから仕方ないけれど。
「約束っすよ?」
答えなど待つ気は初めからなくて、着ていた上着を肩を冷やさないように猿野にかぶせる。まだ少しほうけていたらしい猿野は肌に触れた布の感触でやっと我に帰った。
視界に入ったのは、人のいい笑顔。
甘えろとか、頼れとか、そんな在り来たりの感情ではない深い慈悲にも似た瞳の和らぎ。
不可解だと言いかけて、それでも喉が詰まった。
…………きれいなきれいな世界の住人。そこに近付けるのだろうかと躊躇った自分の足。
じゃあまた明日と、夢のようにやっぱり現実感のない現実の声が呟いた。背中が、ゆっくりと晒されて遠ざかる。
近付いているのか。遠ざかっているのか。解るわけもない。それでもあのきれいな世界に、自分は焦がれたことだけは知っているから。
「おいネズッチューっ!!」
叫ぶような声が、喉を突いた。
自分でも驚く音量。呆気にとられたような彼の顔も当然だと自分に呆れた。それでもそんな冷静さはどこかに放り捨てて、びしっと指を突き付ける。
「遅刻厳禁だからな! 一分遅れる毎にパシリやらせるぞ!」
どこか照れたような横暴な言葉。緊張しているのかほんの少し不機嫌そうな眉。
それを視界に納め、子津はふんわりと微笑んだ。
「わかっているっすよ」
気軽な音でさも当然と言うように返せば、引き結ばれた幼い唇。
きっと泣きそうな顔をしているのだろう。暗くなった河原に立つ猿野の顔は見えないけれど、何となくそんな気がする。
そうして灯るのは、切なさに似た思慕。
…………なんとなく、解りはじめる。
自分と彼の交わる距離を――――――――――。
怯えて怯えて殻の中。
自分を守っている小さな魂。
優しく抱きしめてみれば恐れるようにゆっくりと孵化をはじめる。
大丈夫、傍にいるから。
横暴な笑みの奥、儚いホントウを守りたい。
あなたはたった一人のあなただから。
他のどんな付加要素もいらない。
…………ただ僕にとっての、奇跡の人。
キリリク79500HIT、子猿で『Mr.Pressure』のイメージで。
ちなみにもう1つのリクは同イメージでカイ爆(吐血)だからこの二人似てるんですけど!?
今回はまだどっちも自覚なしで、なおかつ出会ったばっかの頃。
なんでまだ猿野警戒心剥き出し(笑) ふざけるのはいいけどそれ以外はパス、という感じでしょうか。
必死で余裕なくて。今まで何にも打ち込んだことがないからどうすればいいかも解らなくて。
それでもそれをきれいなものに見られるのも嫌で。
同じように必死で余裕のない奴は、それでも自分がいいなと思ったきれいな場所にいて。
悔しいような情けないような、でもどこか誇らしいような。そんな不可解な感じ。
まだ取り留めない感情で近付くことからはじめましょうか。
そんな二人です。
この小説はキリリクをくれた草原恵ちゃんへ捧げます♪
…………リクもらう前にパソコン壊して恐ろしくお待たせしました(死)
もう一作の方も頑張るよ。似た感じにならないようにしないとね!
■そんな訳で子猿側。猿野くんは子津くんがいるから、子津くんは猿野くんがいるから野球部に入れたんだよね。
■そういやコレ、電車の中で言ったんだよねー…。リクをカイ爆と子猿にするって。既にその瞬間に「鬼か貴様ー!?」と言われた気がする(笑)