優しい腕。
優しい声。
………優しい思い。

決して枷とならないように気遣われて。

もっと言いたいことはないのか?
もっと願いはないのか?
もっと……もっとなにか………

言葉にも出来ない自分が願うにはあまりに烏滸がましいけれど。
それでも気づいて。

優しくされるだけでは怖いから。

力の限り必要なのだと。


………思いは一緒なのだと、自惚れさせて。



そらのかけら


 薄暗くなった空を見上げたあと、爆はゆっくりと辺りを見回した。
 本当はもう少し早くに着いて、もう一人にも会うつもりだったが、これではどうやら片方とは言葉も交わせそうにない。もっとも、明日の朝には脳天気に声をかけられるだろうが。
 前方から声がする。僅かに低く雄々しさを臭わせる音。あまり言葉を交わす機会はなかったが、それでも関わった時間の短さからは考えられないほど記憶に焼き付いた姿。それと重なるように微かな冷たさとそれを払拭する柔らかさを含めた玲瓏な音。唄うような静かなそれは心地よく僅かに冷えた宵口の風にさらわれている。
 小さく、笑う。二人のやり取りがよすぎる自分の聴覚には届いていた。
 微かな……本当に微かな気配。
 多分誰も自分がいることに気づかせないくらいの僅かに風に漂うような自分の掠れた気配に、それでも敏感に反応するように漆黒が初めに辺りを見回した。
 そして思い描いた通りの姿を発見し、微笑んだ。夜気の匂いが色濃く迫りはじめた、月もまだ顔を覗かせない微妙な光源の中、霞むことなく。
 「久しぶりですね、ば………」
 「爆じゃねぇか! ひっさしぶりだな〜! 元気か? いまなにやって…………」
 微笑みを浮かべたまま声をかけたデッドの言葉を遮ってハヤテが明るく大声を上げた。本人は全く気づいていないようだが、前に立っている爆からはよく見える。………デッドの怒気が。
 もっとも途中で気づいたらしく言葉は尻つぼみになり顔を引きつらせて背後の怒気の爆発に備えていることが伺えるが。
 「いま、僕が、声を………」
 一言ずつ区切りながら怒気の深さを臭わせるデッドの手の中には羽をつけた藁人形が佇んでいる。その威力は十分実施済みなので少しだけ気の毒そうに爆はハヤテを見遣ったが、デッドが釘を懐から探り出すよりも早く、まくしたてるような声が響いた。………どちらかと言うと悲鳴な気もしたが。
 「ちょ……待て悪かった! でも俺だって爆に会うの久しぶりなんだからな! 条件は一緒だろ!?」
 喜ぶのは一緒。声をかけたいのだって同じ。だから少し大きかった自分の声の方が目立ってしまったとしても、それはそれで仕方がない。
 ………正論であったとしてもそれが通じるとはあまり思っていない。ただこう言っておけばとりあえず、怒りが収まるの早い。びくびくと襲ってくる筈の痛みに備えているハヤテの耳に、仕方なさそうな爆の声がかけられる。
 「デッド、とりあえずそれはしまえ。話が出来ん」
 「………そうですか……まあ、爆くんがそういうのなら………」
 ポンと肩に置かれた手を見遣りながらつまらなそうに手の中の藁人形を再び懐に戻した。それをハヤテは確認するように息を詰めながらながめていた。出来れば焼却処分でもしたいと思うが……そんなことをして自分の羽根にまで火がついたらシャレにはならない。………そうならない保証もないので今まで一度としてそれを奪おうなどという考えも湧かなかったが。
 「まったく、相変わらずだなお前らは」
 少しだけ呆れたような、けれど安心したような響きを滲ませて爆がいう。そんなやり取りをしている間に夜は近付き、いつの間にか辺りは暗い闇に支配されはじめていた。光源がないので少しだけ顔を伺いづらい。
 僅かに眉を顰め、ハヤテがふうわりと羽根を広げた。なにをするのかとそれを眺めていた爆の隣にいたデッドから光が灯る。………鬼火にもにた青白い光がいくつか浮かび、それが点々と用意されているランプの中に運ばれる。鬼火を手繰る僅かな微風はおそらくはハヤテの羽根が作り出しているのだろう。
 不思議なその光景を見遣りながら、知らず爆の唇には笑みが落とされた。
 きっと……これは彼等にとって当たり前なのだろう。
 当然のように言い合って、喧嘩をして。そのくせ気まずくなるわけでもなく普通にまた会話をして、こんな風にお互いの呼吸を確認することなく術を添わせて。
 それが簡単なことだなんて、思わない。
 …………ツキンと、どこかが痛む。それが何故かなんて、問うまでもない。浮かぶ笑みを苦笑に染めないようにその痛みをやり過ごし、爆は見上げた空のイルミネーションを眇めた視界にゆっくりと刻んだ。
 「綺麗、だな」
 「他に光がないもので……ここは相変わらず、月も昇りませんから………」
 呪いのせいではなく、気候的な問題なのだろう。薄い膜のように常に雲が張り、月明かりが差し込まない。ベールの向こう側のような微かな月光ではとてもではないが光源の役割は果たさないから、こうして一番逢瀬に使われる大木に目印のようにランプが増えた。
 出会った初めの頃、ただ僅かに笑ったからという理由だけで他の土産を考え付くことも出来ない不器用な鳥が運んだ多くのランプで飾られた枯れ大木。おかげで他の世界でも見ることの叶わない美しくも儚いモニュメントが出来上がった。
 小さく笑う笑みには、どこか誇らしさが灯る。それを認め、ハヤテが嬉しそうに恥じることなく満面の笑みを浮かべた。
 「………本当に、相変わらずだな」
 微かな、憧憬。それを押し込み噛み締めるかのように同じ言葉を口にする。
 浮かんだのは、笑み。静かに溶けるような、それは笑み。
 「どうか…したんですか………?」
 訝しげに囁く音。……限りないいたわりを込めた、ほんの少しいま思う人を想起させるそれに苦笑が深まる。
 どこかいつもいたわるように壊れ物を扱うように……優しく柔らかく近くに控えていた気配。それは初めて会ったときの激情すら忘れ果てたようにただただ穏やかに自分を包むことだけを願うように…………
 僅かな呼気が唇から漏れた。まるで溜め息のようだ。
 それを振払うかのように一度目蓋を落とし、変わらない力強さを宿した瞳を取り戻すと爆はデッドに向きあった。そうしてまるで宣言でもするかのようにゆったりと、声を出す。
 「たいしたことじゃない。気にするな」
 そうして笑う。今度のそれはいつもと変わらない、人を惹き付け平伏させる覇者の笑み。
 それ以上今は踏み込むなというその態度にため息をつき、仕方なさそうにデッドが別の話題を提供しようかと唇を開くよりも早く、ハヤテの声が無遠慮に響いた。
 「たいしたことねぇって感じじゃないけどな」
 「あなたはどうして空気が読めないんですか……………!?」
 あっけらかんと言ってのけた爆を追いつめる言葉にキッと眼光も鋭くデッドがハヤテに噛みつく。別にデッドとてこの話をそのまま流す気はなかった。それでもどんなものにもそれに適した時というものがあり、いま爆はそれを口にすることがうまくいきそうにないから、もう少し気持ちを落ち着かせてからと思っていたのに。
 ズバリと確信を求める遠慮のなさは、ハヤテらしい快活さと言えば聞こえはいいが、結局それは不躾で押し付けがましいと言うことにだってなるのだ。
 再び怒気が膨らむ。………今度のそれは少し、いや、かなり深い。なまじ神聖視しているものを傷つけかねない言葉なのだからその怒りの度合いもまして当然なのかもしれないが。
 「だ、だってわからねぇことは聞かなけりゃどうしようもねぇだろ?!」
 一体なにに怒っているかが解らないハヤテは混乱しながらデッドに言い訳をした。助けを求めようと爆を見れば呆然と見つめてくる。どこか放心したその姿は普段の不遜さがなりを潜めて幼い子供そのままだ。
 ………少しほっとしたように息を吐いて、ハヤテが笑った。
 それを見て眼前のデッドからは既に殺意に近い気配が襲ってきていたが。
 「よかった。ちゃんと、顔が出たな」
 「………ハヤテ?」
 にぱっと笑うように言った言葉に不可解げにデッドがその名を呼んだ。ハヤテの視線の先は、爆。
 きょとんと目を瞬かせた爆はなにを言いたいのか掴み兼ねているというように眉を顰めて苦笑を落とした。
 「なんかずっと息苦しそうだっただろ? たまには肩の力抜けよな」
 何でもかんでもひとりで背負って大丈夫といってしまう子供だから、ちゃんと顔にくらい出して欲しい。我が儘なくせに、自分に無頓着なんて……少し悲しいから。
 まるで自分の命を顧みないのは……あまりに切ないから。
 自分達は命の重さも軽さも知っているけれど。だからこそ、この輝けるものをほんの僅かでも長く存在させたいと思ってしまう。生き急ぎ傷付き……まるで罰するかのように運命とまみえる姿は神々しくも痛々しすぎる。
 幼い言葉で気遣うでもなく願いを口にする。その羽根がランプに輝き見えるはずのない月を舞い落とさせた。
 それを眇めた視界に映して……不器用に爆が笑む。
 真っ向からの不躾なまでの願い。少しだけ、それが羨ましい。
 自分はそれが出来ない。……彼は、自分にそれが出来ない。
 いつからか忘れてしまったけれど、自分は自分以上の価値を彼から与えられている。そうして困ったことに、それに応えることが出来るだけの実力をも、持ってしまっているのだ。
 それが苦しいなんて思わない。高処に登りたいと願うことは自分の中に幼い頃からずっとあるもの。願いが叶っただけで、何一つ困る要素はない。
 それでも息苦しくなった。どうしてと考えることすら諦観がつきまとう。
 …………わかって、いる。
 結局はこういうことなのだ。愛しまれることに慣れてしまって、我が儘が増えた。
 「爆くん………いま無理をして吐き出さなくてもいいんですよ…………?」
 苦しげに寄せられた眉を見つめ、デッドがいたわるように小さく声をかける。ほっそりとした指先が爆の前髪を過り、癒せればと祈りととものその髪を梳いた。………あまりに彼は高潔だから悲しくなる。きっと、いま言葉にしなくては自分達を傷つけるとか、言葉にすることで逆に重りを与えるとか、そんな逡巡をしているに決まっているのだ。
 もっとずっと自由なくせに。その背には見えない空の羽根を携えて、その魂はどこまでもどこまでも駆けていけるくせに。
 振り返ってしまえば彼は足下に転がる石ころたちを断ち切れなくなる。待っているとか、そんな甘いことはしてくれなくても目印を忘れずに残して、辿々しく飛ぶものたちを引き上げる言葉を与えてくれる。
 苦しまないで、欲しいのに。自分達を救ってくれたこの小さな背中は、時にあまりに儚く写る。…………まるで世界が彼を隠すように取り込んでしまうのではないかと、危機感を持ってしまう。
 だから痛まないで。自分達のためになど。
 …………これ以上、傷を負わないで。そう願えばきっと苦笑を返されるのだろうけれど……………
 「あ、そういやさ」
 なにか他の会話をと切なく眇めた瞳で考えていたデッドの声にふと響いたのは相も変わらず脳天気な鳥の声。
 その響きにどうしようもなく嫌な予感がした。黙らせようかと悩んだほんの数秒を悔やむくらい、それは当たっていたけれど。
 「おまえ、確か前は3人で一緒にいたんだよな? デッドが言ってたけど。その片方にライブが会ったって言ってなかったか?」
 「会っ…た………?」
 突然の言葉に呆然とした声がこぼされる。
 ぎょっと、した。………それがまさかいま自分の目の前にあるその唇から落とされたと一瞬認識が出来なかった。
 掠れるように小さな声。悲しみ、ではなくて。切なさと羨望の入り交じった幼い子供の声。
 こんな声は、知らない。いつだって不遜で堂々としていて。どこまでもどこまでも屈さない奇跡の人。
 こんな、年相応の声聞いたことも……ない。
 「ああ、言ってたぜ。さっき話してたんだ。えっと……名前は確か……カ…カ………カなんとか?」
 「……………カイだ」
 「そうそう、そいつ」
 「会った…のか」
 ちらりとその視線はデッドへ向けられる。実際に会ったのは彼ではないけれど、記憶はきっと共有している。視線に含まれる懇願にも近い光に戸惑うようにデッドの瞳が揺れた。
 「は…い………、ちょうど買い物に行った先に、師の使いできたといったカイくんに会いましたが………」
 お互い急いでいたので挨拶程度しかしていない。今度みんなで会おうとか、そんな月並みの言葉は交わしたけれど。
 多分爆の望むような情報は持っていない。それだけは確かで。………そしてそれはこんな切ない瞳を救う手段を持っていないことに他ならない。
 知っているつもりだった。彼等の絆。
 ………羨ましいくらいに輝いた、互いを縛ることのない不可解で奇妙で……それでも尊い絆。こんなものもあるのだと感銘を受けた。自分には決して創ることの出来ない潔さを内包した渇仰。
 「そうか………」
 言葉の中に含まれたのは微かな失望。爆の望む言葉を綴れない自分の唇を噛み締めかければ、不意に指先が触れた。…………細くはなく、小さくもない。それは自分の指でも子供の指でもない。とすれば、消去法でハヤテしか残らない。
 眉をしかめかければ響いたのは柔らかな、声。
 ………幼さばかりが目立つ彼にしては珍しい、深い声音。
 「なあ爆……会いたければ会えよな」
 「…………なんのことだ」
 「そんな顔で言っても説得力ないぜ? ほら、こいつ、思い違いして怪我しかねないし」
 自分の唇を噛み切りかねないほど悔しそうなデッドをからかうように指差してハヤテが笑う。どこか、それは儚い。
 それを見つめ……爆は視線を逸らした。
 「ちゃんと見とけよな、爆。会わなきゃ、ダメなんだろ? それでいいじゃねぇか。いっつもいっつも我慢して、なにが残んだよ」
 そばにいて触れることが出来る。それが大切だってことくらい自分だって知っている。
 ………否。自分達だからこそ、誰よりも知っている。その重要さと尊さを。
 「お前がそんなだと、俺たちもなんか悲しくなる」
 だから会えと、声がする。
 自分の我が儘で出来ないなら、自分達を利用してしまえばいい。自分達を心配させないために、会いにいけばいい。
 それでいいからと、まるで自然のような抱擁力を秘めてハヤテが呟く。
 柔らかな音に、一瞬見入られた瞳は大きく開かれ……次いで泣き出すことを堪えるように眇められる。硬く引き結ばれた唇がどこか幼い。それに、小さく二人は微笑みその腕を伸ばした。
 やわらかな……やわらかな抱擁。腕ではなくその指先だけの優しい気遣い。包まれれば思い出す姿を、自分が一番よく解っている。
 だから泣き出しそうな今の心持ちは、間違いだ。これを錯覚してはいけない。優しい彼等の思いを利用して、幻覚を抱いてはいけない。
 それは彼ではなく………まぎれもなくいま目の前にいる二人が灯してくれているのだから……………
 「爆くん………もっと我が儘なままでいいんですよ…………?」
 不遜に傲慢に。そんな姿くらいでちょうどいいのだ。だからたったひとり耐えようとなどしないでと願う指先は微かに震えている。
 それに気づき、爆の唇に苦笑が灯る。気ばかりが焦って、いつも自分は大切なことにあとになってから気づく。こんなにも、大切に思われているというのに…………
 「………大丈夫だ、デッド」
 声は、変わらない。雄々しくも透き通り、人を納得させる力を秘めて呟かれる。
 澄んだ空気の下、ランプは朗々と灯をともしたまま風に身を任せその明暗を揺らめかす。それに彩られ、朧月よりなお微かな気配で、呟いた。
 「次は、…………サーにいってみる」
 薬草も減ったことだしと言い訳のように呟く声はほんの僅かに震えを帯びていた。
 言葉に変えることの重さを誰よりも自覚している子供は、唇から落としたその音を愛しむようにゆったりと噤む。
 眇められた瞳の先、微かな光源をそれでも主張するように蒼い月明かりがもれる。

 揺れるランプの先、もれる月光の下。
 いたわりとぬくもりに支えられて残された約束は小さくちっぽけなもの。

 それでもそれがどれだけの重みをもつかを知っている月下の子供たちは微笑む。


 願いは示さなければ叶わないのだと、翼は笑いながら呟いた。




 キリリク88888HIT、ジバクくんで「デッドとハヤテを羨ましがる爆」でした。
 どう考えてもカイ爆前提のハヤテデッド前提です。

 今回の小説は恵ちゃんだけが解るのですが、彼女の誕生日プレゼント用に書いた小説の前段階です。
 この小説はハヤテとカイの会話でした。リク内容(遠い目)
 でもうちの二人、カイも爆も絶対に自分から会いたい、なんて言わないしねぇ。邪魔になるくらいなら………って考えるし。
 激とかピンクとかがお膳立てしたりはっぱかけなきゃお互いが納得いくまで会わないまんま、なんてあり得そう(苦笑) ………いや、笑えないけど。
 そして今回はハヤテとデッドがお膳立て。うちの二人は破滅思考なくそうと結構必死です。
 そんなの持っていると爆と顔あわせていられないから。
 なんだかんだいって、爆はみんなに大切にされている(笑)

 この小説はキリリクを下さった恵ちゃんに捧げますv
 つーか、キミくらいだよ、私にハヤテ書かせるのは。
 そしてだんだん慣れてきたよ、この二人書くことに。
 ………洗脳されている気がしてならない。



■どうすんだよハヤテ!「カ」と「イ」の2文字すら記憶出来ないのかよこのトリ頭ー!!!愛しすぎる。そんな所に悶え苦しんだ草原さんでした。
■あっはっは、うん、判ってますから。貴方にハヤテ書かせようなんてするの私くらいさ。草原さん特権ですよ。イヒ。
■もう一方のハヤテとカイのヤツはずっと私の懐です。うふふ。