真っ暗な夜の空。
見上げることは別に怖いことなんかじゃなかった。
ずっと暗かった。
星も月もあったのに。
それでも感じたのは、真っ暗な夜空。
静寂に包まれて自分が消える感覚。
そうしてまた、朝日に作られていく感覚。
わからなくていい。
自分にしか解らないことがあるって知っているから。
……それでも………
それでもきみは、笑ってくれるの?
誰もが知って、知らないこと
息が切れている。自分の心臓が早鐘を打つ。滴った汗が地面に落ちてシミを作った。
なにをしているんだか。………ふと自嘲のように脳裏を掠める声。
なにかに一生懸命だったり、必死だったり。嫌いじゃないけど、自分には無縁だった。
こうして夜風に吹かれるまで汗を流して何かに打ち込むなんて、正直想像もしたことがない。過酷な条件の中の、過酷なメニュー。はっきり言って被虐趣味でもあるんじゃないかと疑いたくなるような毎日に辟易としていないとは、言えない。
唇が一瞬、笑みを作る。それはどこか暗くて、自覚のある指先がそれを隠すように顔に浮かんだ汗を拭った。
小さく息を吐く。腹の奥底に溜まっている、なにか。
それから逃げてはいけないけれど、真っ向から向き合うにはおどろおどろしい。
だから見ない振りをする。もう少し……あとほんの少しだけ。
こうして薄暗くなった中、それに捕まりたくはないから。
遠くに声が聞こえる。物理的には近距離だが、それを聞こうと耳がしていないせいかひどくぼやけた音だ。どつかれるような衝撃を身に受け、自分がなにかまた軽口を叩いて誰かに突っ込まれているらしいことが知れるけれどそれもまた、自分だけが蚊帳の外。自分を中心に起こっているはずだというのに。
今日は調子が悪いな……………
溜め息に似た呼気を一つ落とし何気なく視線が空を見上げようとして……途切れた。誰かの腕が襟元を掴み、乱暴に引きずられる。………もっとも怪我はしないようにちゃんと加減はしているが。差し入れがあると言う声と歓声。手渡された缶の冷たい感触。
きょとんと見つめながら何となく飲まないでそのままロッカーの前に陣取らせている自分の鞄に投げようとして、距離があり過ぎることと既に着替えをはじめている部員に当てない自信がないのとで諦め、手の中で少し持て余すようにいじくりながらやや顎を引いた。
視界の中は目線の高さより僅かに下がった光景。地面を見るわけでもさりとて真正面を見るでもない居心地のいい高さ。
見上げかけた視線を止められこれ幸いと戻された視線。………別に空を見たかったわけでもなかったから。
それだと言うのに、その声はかけられた。
「ああ、今日は三日月っすね」
響いた声はどこか問いかけに返すようで不可解げに首を傾げる。
ちらりと不自然でない程度に辺りを見遣るが、特に人影はない。同じ一年生たちは部室内で騒がしく着替えているか、いまだなんらかのシュミレーションをしているらしく机を陣取っているかだ。そして彼がどこか親しみを込めて話しかけられる相手など、同学年ぐらいしかいないことはよく解っている。
必然的にこの声は自分にかけられたことは解った。が、意図は解らない。
まあそこまで深く考えなくてもいいかと振り返り、猿野は戯けた口調返した。
「オイオイ幻聴か、ネズッチュー。誰も月の話なんてしてねぇぞ?」
「え? あ、あれ?」
視界に入った子津の顔は戸惑ったように顰められる。まるで先ほどまで月の話をしていたかのようだ。なにか考え事でもして混じってしまったのかと不器用な真面目顔をからかうように笑った。
「ネズッチュー顔真っ黒! 顔洗ってきてないのかよ」
「あ、さっき行ったらまだみんな使っていたからあとでもいいかなとおも………」
「そういう時は割り込め!」
絶対に彼には出来ないだろうことをきっぱり言い切って威張ってみせる。ちょっと困ったように笑って子津は歩きはじめる。今までとは少しだけ違う方向に。
足先で解る行き先は水道で、次に言うだろう彼の言葉も解る。
「じゃあ僕は………」
「さって、俺もちょっと汗流していくかね。おら、置いてくぞ」
「え、あ、はい……って待って欲しいっす〜」
先に行っていて、なんて言ったところで部室の中は大混雑だ。無理に決まっているんだから誘うとかすればいいのに、自分に付き合わせるのは迷惑だろうとか、ちょっと頓珍漢なことをきっと彼は考えている。
そういうバカなところが嫌いなわけではないが、時折溜め息の一つも吐いてやりたくはなる。突然走り出した自分には当たり前のように付き合って駆け出しているくせに、とか。
大体、ちょっと見ればすぐ解る。自分だってまだ顔も洗っていない。まあきっと、自分の顔を直視していなかったのだろうけれど。
たまに……本当にたまに、なんだか眩しそうに自分を見る。それがなぜか解らないわけでもないけれど、だからってそれを全部抱え込んでやれるほど人間もできていないし、受け止めてやれるほど深くもない。その度に戯けて濁して忘れさせて。自分は隣にいるって示してもまだ揺れる、瞳。
結構、自分は解っているのだ。周りが馬鹿だという以上には。
微かに上がった息。吐き出される吐息に混じってのぼった笑みを故意に消して……また作る。
「おっしゃ、一番乗り!」
少しだけ幼く写る、子供のふざけた悪戯笑顔に。
「一番乗りって、僕らが最後っすよ、きっと」
「そう言うことはツッコまないお約束なんだよ。ツッコミ失格!」
「僕ツッコミじゃないっすよ」
「100%ツッコミだ。安心しろ」
真顔で言い切ってみたら複雑そうに笑っている。まあいいかって思っているの丸解りの正直な反応。つくづく、今時珍しいくらいの実直さだ。
蛇口をひねるといきおいよくでてきたつめたいみず。近付け過ぎていた顔には驚くほどの勢いで慌ててのけぞったら後ろにいたらしい子津にぶつかった。
まだそんな場所にいたのかと不思議そうに見遣った先の子津の視線は、空へ。
吸い込まれそうな瞳で見上げた先にはきっと月。………先ほど彼が言っていた言葉を思い出せば三日月がいるはずだった。そう思いいたって、猿野は視線を外して微かに息を吐き出す。
「月、好きなわけ?」
ふと思い付いてかけた言葉。どうでもいいことではあるけれど、なんとなくこのまま空に溶けていく子津を放ってもおけなかった。
唇にはからかうような笑み。でも、瞳はどこか深く読みとれない深遠さで。
時折見せる、読みとることの困難な表情に戸惑ったように子津が眉を寄せた。人が自分に寄せるイメージとは裏腹に、案外表情を読んだり裏をみとったり、そういったことは得意なのだ。またそうであるように努めた。球威のない自分がピッチャーとして生き残るために。
でも彼のことは解らない。彼が見せてくれるほんの一部分しか。時折混乱する、同じ時間しか生きていないはずの人。
「月……っすか? うーん…近頃かもしれないっす、好きになったのは」
それまでは特になんとも思わなかったと言ってみれば意外そうにあげられた眉。……ロマンチストとでも思っていたのだろう彼の反応に苦笑する。ずっと野球一筋だったせいか夜空を見上げる機会は多かったけれど、だからといってそれに何の感慨もなかった。綺麗だと思う人並みの感想くらいしか、なかった。
ただほんの少し、近頃他のものを連想させて見上げることが増えた。それだけのこと。
「ふーん……ちなみに俺はキライ」
きっぱりと興味なさそうに言った言葉。視線がいつの間にかそらされて地面に移されているのかと思ったら、閉ざされていた。まるで光すら視界に入れることを厭うように。
「いっつも当たり障りなく光ってて、そのくせ星なんかが隠れていても堂々と顔出して遠慮ないし。同じところしか見せないからまるで解んないし」
…………1つずつ数えるように指を折って嫌っている理由を教える猿野を眺めながら、喉が蟠りそうになる。
月光を浴びて、それに溶けそうなくせに……それが嫌いなのだと訴える。
―――――――――まるで自分自身が嫌いなのだというかのように。
ずっと思っていた。太陽のようだと。けれど少しずつ彼を知っていって、月の方がより似ているのかもしれない、と。
そう思った。
激しすぎる動の反面、いっそ消えてしまうほどの静。
恐ろしいほどのギャップとともに見せつけられる、ペルソナの存在。
信用とか信頼とか、そんな範囲ではなく彼は見せることの出来るものと出来ないものは綺麗に分けている。まるでそう………月のように。
優しさあたたかさ、降り注ぎ絶えまないやわらかさ……そんな美しく必要とされるものだけでできた人間などいるわけがない。
そうして抱えた暗闇は誰の目にも止められない裏側に。晒すことも気づかれることもないまま……裏側に。
「ま、お前の好みに云々いう気はねぇけどなっ」
最後の締めくくりにそんな言葉を言って苦笑する。……愚痴ってしまった時のそれは癖。
愚痴を言って楽になるわけでもない。むしろ彼のことだから下手なことを言ってしまったとか、こっそり気にするのだ。そしてまた、普段のように戯けてふざけて、相手の中でそれが残らないように………………
そう思ったなら、なぜか拳が硬く握られた。微かな震えは、緊張だろうか。
震えることを自制して、唇が開かれる。彼の視界の中、自分は写っていなかったけれど……震える指先もまた、隠した。
「でも僕は月、好きっすよ」
「だから別に………」
「だって…………似てるじゃないっすか」
訴えるように彼の言葉を遮る。きょとんと見遣った彼の視界の中、必死で滑稽な自分が写っている。
泣き出したいような、そんな心持ちの自分が。
「見せてくれないところとか、抱えたまんまでいるところとか」
悔しいのだ、本当は。それら全部を受け止められるかと問われれば、正直難しいと言わざるを得ない。
それでも………それだからこそ、言えることがある。受け止められなくても支えたいと思うのだ。力となりたい、寄り添いたいと。それは決して自分が彼を必要としているからとか、そんなことではなくて。
…………壊れてしまうのではないかとか、思うから。
まるで硝子でできた月球儀。
本物ではないからと儚んで、壊されることすら当たり前に受け入れてしまいそうだ。
「それに猿野くん、忘れないで欲しいっす」
与えたい。……安らぎとか、そんな当たり前のもの。いつだってそれに包まれているのだという充足感や安心感。
どれほどそれが難しいか、まだよくは解っていないけれど。
「月には裏側があるって、ちゃんと解って、知ろうとしているっす。知りたいって………」
綺麗なままの姿でなくてもいいのだ。裏があって、見えなくて。それでもやっぱり知りたいと、そう思うのだから。
解らないまま盲目的に憧れているわけではない、から。
どういったならそれが伝わるか解らない。それでも知って欲しい。少なくとも自分は、そうなのだと。
「…………子津は、ロマンチストだな」
微かに震えた身体に、小さく届いた彼の答え。
怯えた視線のままゆっくりと見遣る。月の明かりの下、水道の手すりに座ったまま動いていない彼の姿。
綺麗に染まっていく、月光。それでも…………
なにかに耐えるように歪んだ眉の下、揺れた瞳だけは焼き付くように示された。
伸ばした腕に恐れるように震えたのは、どちらか。
月明かり知らない答えの先、長の抱擁は示された……―――――――――
キリリク91919HIT、ミスフルで子猿でした。
ちなみにこれの前に言われたのはデッドと爆の何かでした。
……………どっちにしろ鬼でした。アッハッハ(空笑)
しかしね……91919踏みましたか。デッド(猿野)と爆(子津)の数字を。
ある意味キミにしか出来ないことをありがとうv
今回も相変わらず猿野がなにか含んだ奴ですよ。どうも高校生時代ってこういうことでやたら悩んだ記憶しかないんで暗くなりがち。
難しいものだわ(汗)
でも多分それは猿野は中心で書こうとするからで、子津を中心で書けばそんなことはなさそうです。
だがしかし。私は猿野が書きたいのさ! 結果こんな感じだわ。うふふー(涙)
この小説はキリリクを下さった恵ちゃんへ!
…………こんなリクする奴はお前だけだよ。
■だから 判ってますから(笑)そこで爆とデッドって言うのも子猿っていうのも私だけだっつの。91919がキリ番になるのも私だけだよ!!そしてそれが通用するのもせせねだけです(笑)
■せせねにとってはそうでもないらしいが。私にしてみればこんなに含みのある高校生って…!ってなカンジです。どんな生き方してきてるんですか、猿野くん。