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杉の木を切りました

 私の部屋の正面にあるスギの大木を切る工事がありました。いきなりクレーン車や重機がお宮に入ってきたのでどうしようかと思いました(自治会の方で日程を勘違いしていたらしく、「急なことですみません」と会長さんが謝りに来られた)。幸いにもアニー(神主)が家に居たので、慌てて準備してお祓いと木の神様への報告の神事をきっちりやってました。神主曰く「なんかあったら嫌やろ?」確かに。

 業者さんは「匠っぽい爺さん」と「チャパツの嬢ちゃん(!)」の2人。匠が木の上に命綱を付けて上って作業、チャパツが重機を動かしてました。10時頃から夕方までかけての工事でしたが、木と家の間が3メートルほどしかないのでムチャクチャ恐かったです。こっち側に倒れてきたら即死必至。やりかたとしては「枝を片っ端から払う」「上部から少しずつ輪切りにする」「最終的に適当な高さになったところで地面ギリギリから切って倒す」。最終段階の所は流石にビビリました。地響き鳴ったもんな。それにしても、手水社(木から数メートル)や車庫(木の脇ギリギリ)に当てずに倒す技術力には感心です。

 切り株(約1メートル)を見てみたら、真ん中あたりに大きなうろがあってゾッとしました(T▽T)よ、よく去年の台風を持ちこたえ、今まで倒れずに……かみさまありがとう。業者さんありがとう。ついでに神主にもありがとう。

 ついでなので自分の宗教観などについて語ってみました。そういうわけで以下略。-

 死生観…というか、私には「damn」がどれくらいとてつもなく酷くて罪深くて許されないものなのか、さっぱり想像がつきません。仏教的な「無限地獄」ってのもイマイチ。
 キリスト教では確か「最後の審判」ってのが来るまで、全ての死者は善人も悪人もずーっとどこかで待ってるらしいですね。そしてその審判で裁かれて悪とみなされた人は地獄、善とされた人は神と共に楽園に行く(というか、甦って神の王国の一員になる?生き返ること前提だから基本的に肉体をそのまま残す土葬)、とのこと。…二段構えで死が来るってこと?つまり「damn」は「二段構えの死からも決して救われない悪」みたいな意味なのか、というところまでは何とか理解したけど、救われない怖さが全然わからない。
 死んだ人はすべからく何らかの形で神(というか、祖)になる、という神道的感覚があるので、「死後にさえ救われない」ということの意味を感覚的に納得できないのです。だいたい一神教の「God」の概念が無い私には「Godがあなたを見放すんですよ!」と言われても「はあ、そうですか」としか言えない。だって私にとってカミサマはGod一人じゃないし、行き先は楽園と煉獄以外にもいくらでもある(ような気がする)から。それに「パラダイス」ってもの自体にあんまり魅力を感じないし^_^;同じく仏教的に「地獄に堕ちるぞ!極楽に行けないぞ!」と言われてもピンとこない。

 で、私にとってのカミサマ、って話ですが。ありとあらゆる場所に存在していて、どこかで行動は見張られてる気がします。だから地鎮祭や竣工式、車のお祓いや人形供養は「やっておかないと失礼なような気がしてなんとなく不安」。「悪事の報いの地獄」は、死後ではなく現世で巡ってくると信じています。だから悪事に手を染めないように気を付けます。とはいうものの、ある程度は仏教思想も染み込んでいるので輪廻とかは存在するかも、と思ってたり。

 もちろんこうした私の感覚を理解できない人にまで同じようにするように強制するつもりはないです。「絶対唯一のGodが理解できないなんて可哀想に(←宣教師スタンス)」とか「神とか上から見てる存在とかそんなもの存在するわけない(←無神論者)」と思ってる人にとっては、「古くさい迷信」でしかないわけですから。でも私がすることを放っておく寛容さを持って貰えると有り難いな、と思います。

 ※キリスト教イスラム教仏教その他各宗教を否定しているわけではないです。それらを信じている人にとっては切実なものだろうし尊重したいと思います。ただ、私がそれらを皮膚感覚としてまでは理解できない、と言っているだけの話です。仏典も聖書も面白い読み物だと思うし、コーランもできれば読んでみたい。そうすることである程度は各宗派独特の思想基盤みたいなものが理解出来ると思う。

 いやまー結局宗教ってのは、ひとの精神活動社会活動に於ける理想・理念・理屈の集大成なんだろうな。成立して300年以上経って現存してるなら、それは「有効な生き方の手本」として残り得た根拠のあるものだろうから。