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7/1 パン作ったことあるかい? 文から助詞を省いても、文脈から正しく意味の通る文として認識できる事が、日常において口調を整える用途などに利用されますが、↑は助詞抜きの文章を作ることで文の曖昧性が増える例として良く挙げられる文章です。 そう、 先日あんパンを作ろうとして失敗しました(^^;) 聞いてた通り、パン作りは難しい。 水気は随分控えめにしたのに生地が柔らかくなりすぎてしまい、こねてもこねても板と手にベタベタくっつくのですm(__ しかたないので適当に30分くらいこねた後、発酵させてガス抜いて、またベタベタだけどオーブンへ。餡なんか入れられる状態じゃない(ぉ きっと食えたものじゃないんだ、そうなんだ… きっと物体Xが出来るんだ、そうなんだ… そうは思うものの、とりあえず一口(^^;) あ、結構旨い。外はパリっとしてて、中はモチモチなのです。侵食感染源(ぉ 打ち粉が中に残ってて、ちょっと粉っぽいのがソフトフランスパンのようで好みの仕上がり。 餡を付けて食べることにしました。これもあんパン。何かが違う気もするけど。 ベーコンとチーズで食べたいな
そんな感じで、最近食ってばかりです。 いやしかし、フロ/メシ/寝るは、大概の人間に理解しうる娯楽です。ですから、これらのいずれかについて含蓄有る人間となれば、誰とでも話せる愉快な奴になれるんじゃないかと思いません(自己完結 フロや寝ることに詳しい人というのはどうにも想像が付きません(^^;) フロに入れるハーブの種類や、寝る時の格好が骨格に与える影響などに詳しいんでしょうか。…それはそれで愉快な方かもしれません。 ともあれ、これらの娯楽は他の娯楽とは一線を画す部分があります。それは、いずれも生きるために必要であるという事です。フロは免疫の点で重要な行動であり、メシは栄養の摂取に必要で、寝るは脳の活動を維持するために必要です。 つまり、基本的に、他になにも娯楽が無くても、これら3つの娯楽は健常者として生きていれば、生活に有るのです。逆に、健常でなくなるということは、これら3つのうち1つ以上の娯楽を手放す危機に晒される事なんですね。 案外当たり前のこととして考えてきた事なんですが、こうして自分でなんでもやってみると、実はこの3つだけで十分満ち足りてて、他に娯楽を求めるというのは罰当たりなんじゃないかとさえ思えてきますね(^^;) |
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