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樫宮/羽衣+オリジナルヒロイン    6月頃

 夕方の本屋は学校帰りの本好きでにぎわっている。
「あ、新刊出てる。」
 いつもならにぎわうのはどうしてもマンガや雑誌のコーナーなんだけど、そことは離れた場所で個人的ににぎわっている珍しい客、約2名。
本当にうれしいのだろう、ぱあっと明るく聞こえたその声に、祐一郎は声の主の肩越しに平積みされた本を覗き込んだ。くるりと巻いた明るい色の髪が頬をくすぐりそうな距離から覗き込んだから、言った直後に「彼女」はびくっと振り向いて思わず祐一郎から2歩離れた。振り向いたその瞬間に毛先が祐一郎の頬をかすめたことに、おそらく彼女は気づいていない。
「び、びっくりさせないでくださいよ。そんな近くから」
「ずいぶん出てるな。以前の俺なら財布の中身と相談しなければならないほどだが…。」
「あ、出版社がなんかフェアやってるみたいですよ。
 でもたいていこのあとは何ヶ月も新刊なし、なんですよねぇ…今幸せだけど、あとがさびしいなぁ。 けどあたしはやっぱり今日は2冊が限度かな? 今月他にも買いすぎてお財布厳しいし、装丁のリニューアルってのも結構多いみたいだし。」
「読みたくなったら声かけろよ、貸してやるから。」
「いいんですか?」
「ああ。お前も読めば話が出来るようになるからな。
 この作家は周りに話が出来るヤツがいなくてな…好きな作家なんだけど。」
「うわぁ、うれしい!
 あ、でも来月また買い足そうと思ってるから」
「遠慮するな。その分を別の本にまわせよ。俺も高校の頃はずいぶんやりくりに苦労したし。
 図書館で借りても返さなきゃならないだろ? 夜中突然読みたくなった時に困るんだよな。」
「あ、同じおなじ!
 こつこつ文庫でためてるけど、結構文庫になってないハードカバーも多くって。」
 声はどうしても弾むんだけど、本屋の中だから気持ちだけは抑えてるつもり。祐一郎は美形なんだけど眼鏡をかけている分堅物に見えるけれど、一緒にいる彼女は肩までの明るい色の髪がくるくる巻いてて、ぱっちりした目が印象的な顔立ちは派手な美人の部類に間違いなく入る。
どこかアンバランスなふたり組なんだけど、その会話の中身は本好きのそれ以外のなんでもなかった。
話の中身は学生ならではの悩みがあって、けれどそれすらもふたりで楽しみに変えている。
弾みっぱなしの会話はどこまでもとどまることを知らなくて、ひそひそと話しながら彼女はにっこりと笑った。祐一郎もそれにつられるよりも先に口元を緩める。
「じゃあこれとこれにします。バカだなーあたし、これでまた寝不足になっちゃうし。
 でもこれで何度目ですかね、先輩と本屋でデート?」
「バカ…あっちも見てみるか?」
「もちろん!」
 おどけた彼女の言葉のとおり、これはデートに見えてしまうんだけど、祐一郎は視線を伏せて否定した。言った当人も冗談以上のなんでもなくて話をすり替えてごまかした彼の言葉に素直にうなずいた。
 しかし祐一郎にとってこれはデートでしかなかった。
本好きな女とデート、そして好きな作家の新刊で話が弾む…かつて好きだった同級生と本屋でばったり会ったことはあったけれど、好きだった彼女と祐一郎の趣味はどう考えようと合わないと言うか、祐一郎は活字中毒、けれどその時の彼女が買いに来たのはマンガ雑誌。
その時はそれでも楽しいなんて思ってしまったあたり彼も結構未練たらしいんだけど、今は違う。似た趣味を持つ高校の後輩と、好きな作家の新刊の話で時間を忘れるほどに盛り上がっている。
…彼の中では、これはデートに他ならなかった。
先ほど頬をかすめた毛先の感触に、一瞬だけど戸惑った。
 奪われた恋に少なからずも傷ついた祐一郎だったのだけれど、その痛みを嘆く暇もなく自分もまた別の恋を見つけていたことに気がついた。ご都合主義にもあとくされのないキレイな別れと言うものの裏舞台を自らのぞいた気分が抜けないけど、小柄な後輩の姿を見かけるとそれすらも頭の片隅から消し飛んでしまうこの状態は、言い訳なんてしても説得力などないだろう。
それに「カズマ」の夜に押しつぶされそうな日々を送る中、「樫宮祐一郎」の昼を確固たる強いものにした存在、学生の自分を忘れないように、二重生活を徹底したものとする決心のスイッチを持つ女。
おそらく彼女はほとんど何も知らないまま、無邪気に祐一郎につきあっていることだろう。
彼女は祐一郎の内心を気にしている様子など微塵もない。
「あたしも先輩と本屋めぐりするのが一番楽しいんです。
 友達と来てもマンガ本のコーナーしか行かないからつまんなくてー。ひとりで来て黙って新刊チェックとかするのはなんだかさびしいけど、今は先輩と話せるからすっごい楽しい!」
 …これだけの好意の要素がつまっているのに、祐一郎はまた女に見向きもされないままでいる。
カズマはあれほど女に囲まれていると言うのに―――――

「あら、祐一郎じゃないの?」

 落胆と幸せの狭間で揺れていた祐一郎が、その呼びかけに思わずびくんと肩を震わせた。しかし振り返れずにいる彼の様子に晶が声の聞こえた方を振り返ると、すぐそこに会社員らしい妙齢の女性が立っていた。
「あんた明里ちゃんどうしたの? あれだけ」
 そう続けられて初めて祐一郎が振り返り、慌てた様子で言葉をさえぎった。
その名を今出されては実に都合が悪いし、ようやく諦めをつけられそうなのに蒸し返されるのもたまったものじゃない。
「…あっち行けよ、本選んでる最中だから!」
「祐一郎!?」
「 か え れ 。
 高校の後輩だよ、姉さんが勘繰るようなことはこれっぽっちもない。」
「あらあらまあまあ、明里ちゃんとはタイプが違う子で」
「帰れってば! 空気読めよ!!」
 会話の中身から察しなくても、ふたりが姉弟と言うことは誰でもわかる。晶は「明里」の名前に覚えがあり唐突に現れた先輩のお姉さんの様子を誤解と捉えて…
「初めまして、風間と言います。
 樫宮先輩は高校のOBとしてよくしてもらってます。」
 にっこりと愛想よい、初対面のあいさつのお手本みたいな言葉を口にした。
しかしその言葉には有無を言わせない言い訳が潜んでいることは祐一郎にもわかって、そんな彼女の様子に姉に食ってかかっていた彼も思わず固まった。
「でもそれ以上のことは何もありませんよー、たまたま好きな作家が同じだったりで話が合うだけですし。
 じゃあ先輩、これ読んじゃったら新しいの貸してくださいね?」
「あ」
「それじゃ、また。」
 さっきは頬に触れるほど近くにいた巻き毛が揺れて、彼女は別れと再会のあいさつを口にする。
そう告げると彼女は言葉のとおりに二冊の本を手にしてレジに一人で向かい、祐一郎の至福の時は儚くもその手からすり抜けてゆく。
「…あらら、私お邪魔だったみたい」
「そう思うんだったら思った時点で消えてくれ。」
 楽しく本屋で本を物色していた時間が無常に打ち切られる。
姉が壊した至福の時間は錯覚に過ぎなくて、自ら舞い上がっていたと言う事実だけが祐一郎に痛かった。世間でよくある弟と同じに、おしゃべりで勘繰りやすくそのくせ空気が読めない姉と言う種族に食ってかかる可愛げはすでに通り越して、脱力するようになって久しい。
そして今日もいつもと同じに脱力して引きずり戻された現実に眉をしかめるばかり。

「でもちっちゃくって可愛い子だったわね。
 あんたって女の子の趣味だけはいいのよねぇ。」
「俺とあいつの話を聞いててそのセリフを言ってるのか?」
「でも趣味がいいだけであんたってば地味だから相手にされないのよねぇ…。」
「…何を言おうと無駄、か…昔からだけどな。」



 数日後。あれから顔を見るのがどうにも気恥ずかしい思いを経たけれど、いつもの本屋でいつものようにばったりと顔を合わせて、逃げ場なし。
「あ、先輩…お姉さん、誤解解けました?」
 もちろん(?)気恥ずかしい思いをしていたのは祐一郎だけで、その時一緒にいた彼女はこれっぽっちも同じ思いをした気配はない。彼女は悲しくなってしまうほどにいつものとおりで、救われるほどに気にした様子はない。
それはさびしい反面意識されて避けられる懸念もなくて、祐一郎の中の天秤はぐらぐらぐらぐら揺れてばかり。ふられる絶望もないし、けれど救われる展開もまたない。
先日姉が口にしたその名の彼女もそれの繰り返し、見つめるだけで終わってしまった。
「…弁解しても仕方がない。聞く耳は持たないヤツだからな。」
 祐一郎は姉に対しても同じで、弁解しない、だから何を思っているかを姉に見抜かれてしまうことを彼だけが気づいてない。むきになって反論してもばれるし黙り込んだら誤解されるし、彼としても八方塞でお手上げ状態。
好きな女性もかなり厄介なんだけど、姉も同じくらいに厄介な存在。いや祐一郎にとって女と言う存在が苦手なのかもしれない。目の前の後輩もそうで、この前のことで少しは意識してくれれば祐一郎としても踏み出せるきっかけにも言い訳にもするつもりでいるのに、彼女は無情にもさらりと流してくれた。
だから祐一郎も当たり障りのないことを口にするより他はない。
「そんな投げやりな。そんな間柄でもないあたしと誤解されてなんとも思いません?」
「別にいいさ。」
「あたしなら」
「…俺は、別に……この前の本、もう読んだのか?。
 今なら3冊ばかりバッグに入ってる。…文庫だがな。」
 そう、すりかえれば。好物を目の前に下げれば彼女は目の色を変える。
ごまかすことなんてなんでもない、高校の頃を、そのあとのことを思えばこの状況はその当時の繰り返しだからなんでもない。

「樫宮先輩! あたし結構大事な話してると思うんですけど違いますか?」

 しかし彼女は違った。明里とは違った。
祐一郎の視線すら気がつかなかった明里とは違い、祐一郎の存在を飛び越えて別の男についていった明里とは違って、後輩なんだけど勘の鋭すぎる少女は祐一郎の欠点を見事にえぐってみせた。
彼の気持ちは黙殺し、目の前の現実だけを捉えて相手に突きつける。…なんて残酷な、なんて罪作りな女なのだろう? 彼女は何もかもを暴きたてないと気がすまない性分なんだろうか、少なくとも「カズマ=祐一郎」の事実には目をつぶったからそうではないと思いたいのだけれど…。
「お姉さん、きっと先輩のことが心配なんですよ。
 明里さんって薫先輩の友達のあの人ですよね? 先輩はその人のことが好きだったけどダメだったんでしょ? お姉さんはきっとそのことに気づいてるから先輩のこと」
 そこから先は、力ずくで黙らせる。容赦なく暴きたてる残虐的な小娘を前に祐一郎は眉をわずかにつり上げて、かぶせるみたいに小柄な彼女を見下した。そして口を開いて出た言葉は、素顔の彼、容赦のない言葉の数々。
「だから? ふられたからと女々しく引きずっていろとでも言うのか?」
「そ、そんなこと言ってない」
「ご期待に添えないようで悪いが俺はそこまで執着できないようでな。思えば作上とは話すこともままならないままうやむやのうちに終わった、正体不明の恋でもない関係だ。
 それを力ずくで終わらせたバカがいるんだ。」
「また同じこと繰り返すんですか? そっちの方が進歩ないし」
「お前には関係のないことだ、所詮他人事だろう?」
「まるっきりの他人ならそうも思えますけど先輩だからムリです!」
「へぇ…それは俺のことを気にしていると言う意思表示と受け取るが?」
 声を抑えながらの、しかしかみつきあいそうな言い争い、そして祐一郎の指が挑発的に細い巻き毛に絡みつきそれを弄ぶ。
 彼への返答は、強烈な、しかし手加減をした平手打ちだった。
「ホストと学生の顔を使い分けるんだったら、使う相手だって見分けてくださいよ。
 ホストの顔で口説かれてもウソくさくって笑っちゃう。」
 平手打ち、軽蔑、そして嘲笑。それらの連続技の隙のなさに祐一郎は怒ることも出来ずに呆然と頬を押さえるばかり。
「これでもどう考えても言っちゃいけないこととそうじゃないことの区別はしてるつもりです。
 先輩の二重生活に事情があることを想像できないほどバカガキじゃないですし、あたしは先輩がなに思ってるかわかんないけどこないだの先輩のお姉さんの心配ならわかりますから。
 …しばらく声かけないでくださいね、またひっぱたきそうだから。」
 対する彼女は激昂するでもなく、まくし立てるでもなく、けれど祐一郎を奈落の底より深い場所へと突き落とした。平手打ちは強烈だったけどそれは痛みの話ではなくて精神的ダメージの話、彼女の祐一郎に対する好感度は間違いなくがくんと下がったことだろう。
走るでもなく、しかし追いかけられない圧迫感を放ちながら立ち去ってゆく小さな背中を、祐一郎はまた追いかけられずにいる。彼の足には「あのこと」が外せない足枷として下がっていて、その足は踏み出すことすらままならぬほどに重過ぎる。
ことあるごとに足止めするそれをどうすることも出来なくて、祐一郎は明里をあきらめ、今また日常を強いものとしていた女の手も放そうとしている。
 親しき仲の礼儀を忘れてこの始末――――これを世の男は女運が悪いと言って嘆くのだろうか?
運が悪いのではなくて、祐一郎は自分のうかつさを呪う勢い。自分という人間は舞い上がると必ずなにかよくない、重大な出来事を引き起こす。
無様でも何でも追いかければまた違う展開が開けることを、臆病で足枷を持つ男は気づかないまま立ち尽くすばかり。
本屋はいつも彼に何かをもたらすけれど、こんなアクシデントなんてもたらされなくてもいい。
無様にも追いかけられずに呆然としている、それはカズマの姿ではないのに誤解を解くための弁解も何も今は出来ない。

「………遥香…」
 これは、罰。自らの罪を忘れて舞い上がったことに対する罰。
だからこんなにも痛くて苦しい展開が待ち受けていたとしか思えない。

 そしてこうなった理由を不器用すぎる自分のせいではなくこの場にいない人間のせいにして、祐一郎はまた自ら足枷の重みを増やした。