■□ carry on □■
ロクス、パートナー妖精:フロリンダ 友好度低〜中頃
「…天使様ぁ、大丈夫なんですかぁ?」
のんびりしたフロリンダの問いかけの語尾に、激しい破壊音が被さり響きわたる。
「ロクス様、イライラしてますよぉ。
自分が待たせるのはヘーキなのに待つのは嫌いなんですねぇ。」
「フロリンダそこのブレスレット取って下さい! きゃああぁぁぁあぁー…」
「…フロリン、ロクス様にもうちょっと待ってくれるよう言ってきまーす。」
幼い天使のいるラキア宮はずいぶん慌ただしい。また破壊音、そして本棚からなだれてきた本に小さな天使様が埋まる。可愛いペンギンの着ぐるみを着た不思議な存在、天使様にお仕えする妖精フロリンダはおたおたと右往左往する天使の狼狽っぷりをある意味冷静に眺めていて、とうとう生き埋めになった天使の姿を見てふよふよとどこぞへ飛んでいった。
そして生き埋めの天使は置き去りで、フロリンダが飛んでいった先はと言うと――――
「ロクス様ぁ、天使様もう少し時間かかりそうですぅ。」
名を呼ばれた柔和そうな容貌の青年は、問うまでもなく不機嫌さを露にしながらその容貌とは正反対の斜っぱな台詞を口にした。
「…女の支度に時間がかかることぐらい知っているが、あんな小娘が何の支度をするんだ?
僕を殿方として認識しているのは殊勝な心がけだが慣れないことするなって伝えろ。」
聖都アララスの外れ、時間は朝の終わり頃。聖職者と言われなくてもそれとわかるほどに十字架があしらわれた法衣で身を包んだ容姿端麗な青年が、手頃な岩に腰を下ろして待ちぼうけ。
「かれこれ30分待たされてる僕の身にもなってもらいたいもんだ。
これだから神の御使いは…」
「だってぇ、天使様すごく疲れててぇ。
朝だってロクス様の面会の申し込みがあった時まだ寝てたんですぅ。」
「はぁ? 今何時だ?
あと2時間もすりゃ昼だぞ、昼!」
しばし仲介役と一方的にぎすぎすしたやりとりを繰り広げて、とうとう堪忍袋の緒が切れて彼は細い手を握りしめそうな勢いで声を荒げた。
「そんなこと言ったってぇ。」
「…もういい。お前の上司出せ。話にならない。」
「天使様生き埋めになりましたぁ。」
仲介役では話にならない、そんな予感はしていたけれど相手の顔を立てて辛抱していた。
こういう読みが鋭い男らしく、やっぱり話にならなくて当人を呼びつけて文句のひとつも言ってやろうと思ったロクスだったけれど――――脈絡がないのは毎度の話としても、それは彼女?自身限定の話だとばかり思っていたんだけれど…
「はあぁ!? おい生き埋めって、天使も生き埋めになんてなるのか?」
いきなりそんなことを語られてもにわかに信じられるはずもなくて、ロクスはまたらちがあかない仲介人を相手に、問いかけという形で話を続けた。
「お部屋でぇ、本棚からうわーって本が落ちてきてぇ。
だからフロリンまだ時間かかりますよってロクス様に伝えに来たんですぅ。」
「お待たせしましたロクス!」
破戒僧と着ぐるみ妖精との舌戦の最中に、生き埋め天使、降臨。…アルカヤもずいぶんと平和らしい。
しかし生き埋め天使様の姿を見てロクスが眉を片方だけピクリと動かす。
「おい、おっちょこちょい。本当に本に生き埋めになったのか?」
その呼びかけは、どう考えても聖職者のそれではない。天使と言えば神の御使い、信仰の対象として神聖視されている。しかし彼がようやく現れた天使に向かって吐いた台詞は、軽口よりも柄が悪かった。
シルマリルのきらきらと光を放つ髪の先はよく見ればあちらへこちらへわずかに跳ねていて、擦り傷にもならないぐらいではあるけど紅い痕がそこかしこに浮かび上がっている。その姿はフロリンダの言葉を裏付けるには充分すぎるけれど、完全無欠のイメージがある天使がまさかこんなそそっかしい少女のような姿を見せるなどロクスにはにわかに信じられることではない。
他の者ならともかく、神や天使のなんたるかをなまじ知っているだけに、訊かずにはいられない。
「あ、えーと…お恥ずかしい話なのですが」
「…だろうな。ずいぶんとぼろぼろになってる。
失礼。」
最初はなにかの冗談か苦し紛れの言い訳かと思ったフロリンダの報告が裏付けされて、もう事情を問う気力すら萎えてしまった。
ロクスはシルマリルの弁解を遮り天使の惨状に鼻で軽いため息をついて柄の悪い物言いをしながら白い手袋を外し、シルマリルのそばに歩み寄りその肩にやわらかくかかる金の髪を指先で跳ねた。
肩に触れた男の指先にシルマリルが目を丸くする。
「そんな10分も1時間もかかるわけないんだから鏡ぐらい見てこい。」
「あんっ!?」
「妙な声出すな。僕に直されるのが嫌だってのなら服の金具ぐらいしっかり留めて来いよ。」
よほど慌てていたのだろう、彼女はその衣を美しく飾り留める装身具のような金具すら危ういぐらいに、取るものもとりあえずと言った具合に留めていた。さすがにそんなあられもない御姿をそのままにはしておけないあたり、ロクスは時に口や振る舞いほど性悪ではなさそうな様子を見せる。
気むずかしいひねくれ者の聖職者殿の機嫌を損ねることはなかったらしく、シルマリルはむずがゆい指先の感触に肩をもぞもぞさせたいのを我慢しながらロクスの手…は見えないので白い袖口を見ている。金の十字は信仰の象徴、そのあしらわれている数の多さが彼がいずれ昇る座の高さを物語っている。
「まあ親近感がわくのは悪いことじゃないが、寝ぐせに痣だらけとはそれにしてもすごい格好だな。
僕の力で治せればいいのだけれど…」
「ロクス?」
「信仰の対象が本の下敷きになって生き埋めになってましたなんて言えないだろ。
君は天使だから僕の力がどこまで通じるかわからないが、何もしないのも気が引けるしな。」
そう言いながら、ロクスは目についた肩の赤みにそっと触れた。シルマリルは神の御使いでありながら触れることが出来る不思議な存在で、時に人の少女のような様子も見せる。ロクスは神から授かったその掌で他者の傷を癒す力を持っていて、彼さえその気になれば数々の奇跡を呼び彼自身が信仰の対象にすらなりうる。
ロクス=ラス=フロレス。神の癒し手を持つ男、教皇庁の次期教皇候補。
しかし凶悪ですらある破戒僧。その柔和な笑顔と穏やかな物腰で毒を吐く。
幼い天使はそんな彼に「資質」を見いだした。信じることで何かを生む存在は、ろくでなしの破戒僧にも誠実に接している。
「天使様ぁ、痛かったですぅ?」
「そーゆー台詞はここで言うもんじゃないだろ。
…やっぱり効かないか。そうだよな、僕の力より君の方が勝っているのに…我ながら何やってるんだか。」
「あ、でも痛み引いてます! すごい!!」
しばし聖なる存在に触れていたロクスの手がそっと離れたが、その下の紅い痣は消えずに残っていた。それを見てロクスは落胆を隠しきれず、けれど自嘲めいた軽口にすり替えて少しだけうつむいたけれど、触れられていたシルマリルはずいぶんと驚いた様子でまだ残る痣を指先で撫でている。
「人間の術は私たちには通じないことがほとんどなのに、痛みが引いているなんてすごいことですよロクス!
あなたの力はすごいんですね…あたっ」
「…消えてもいない痣触るからだ。でも痛みが引いただけでも少しは足しになるだろ。
次から気をつけろよ。」
それなりに自分の掌に宿る力に自負めいたものを抱く男が、それが通じない相手に出逢い己の世界の狭さを自らあざ笑った様子をフォローしたのか、それとも心の底から思ったことを口にしたのかわからないけれど、幼くも美しい天使様は無邪気にはしゃぐ顔を見せて紅い痕を思わず撫でて痛がってと忙しい。
そんな顔を見せられてはすねるのも馬鹿馬鹿しくなるのだろう、ロクスは別に嬉しそうな様子など見せずに少々ひねくれた配慮を見せた。
そんな顔で見るなよ。俺はだまされないぞ。
幼い天使は自分に向けられる善の感情には非常に敏感で、今だってロクスの口の悪い言葉から配慮をしっかりと手に取り目映いばかりの微笑みを彼に向けた。
しかし偽善と欺瞞の中で歪んでしまったロクスは、自分に向けられる善の感情すべてを疑って解釈するばかり。法衣の内側、その胸の奥で疑う余地すらないほどまぶしい笑顔に向かって毒を吐く。
「ごめんなさい、ずいぶんお待たせしてしまいましたね。
でも今日は時間あるのでゆっくりおつきあいします。」
「…用事なんて忘れたよ。
まあ、でもつきあえるって言うんだったら遠慮しないぞ。
君が君の勇者以外の人間に見えないのが残念だ、君と歩いているだけで羨望の眼差しを集められるのに。」
「……そういうおつきあいなら遠慮します。」
「遅れたくせにか?」
「う………今日だけ、ですよ…?」
「言ってみただけだ。君を連れて歩いたら僕が変質者扱いされる。」
「なぜですか?」
「君はどう見ても16、7、僕は23だ。生憎だが守備範囲外だな。」
「じゃあへんなからかい方しないでください。」
「反応が面白いんだ。
今時その辺の小娘でももう少しすれてるのに、予想以上だからな、君は。」
「…ロクス様ぁ、天使様がだーい好きなのに素直じゃないんだからぁ。」
「お前は要約しすぎだ。誰が誰を好きだって?」
「じゃあ天使様ぁ、ロクス様を一週間放置してみませんかぁ?」
「ロクス…フロリンダに変な言い回しを教えないでください。」
「勝手に覚えられて苦情は僕にか? 知ったことか。
まさか真に受けてやしないだろうな、もっとも君の勇者の中で一番腕が立つだろう僕を、一週間頼らずにやっていけるとか思っているんだったら一度やってみたらいい。
来週どんな泣きっ面が見られるか楽しみだ。」
岩にまた腰を下ろして意地悪な憎まれ口をしゃあしゃあと叩くロクスに、人がよすぎる天使が振り回されて百面相。「だまされない」と口に出さない悪態をついた直後にこのやりとりで、フロリンダの読みもそう的外れでないことを物語っているも同じだった。
他の勇者が見たら、果たしてどう言うことだろう? その時のロクスの反応や、いかに―――――。