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 …女連れで道に迷っただなんて、男の沽券にかけて口が裂けても言えない。
しかし現実を直視すれば間違いなく行き先を見失った、それが人の気配ないうっそうとした林の中と来たら男の沽券とか言ってる場合ではないのだろう。遊び歩くのは慣れているけれど、国から国へとさすらう様な旅は今の立場に立たされる前は未経験で、いつもは饒舌すぎて誠実みに欠けるあたりを柔和な笑顔で見事にごまかす男から言葉と笑顔が消えて久しい。
 白い法衣に高貴な紫の地に金十字をいくつもあしらわれた上着を羽織る、すらりとした立ち姿が優美ですらある青年。その十字が表すとおりに神に仕える男なのだけれど、その肩書きにふさわしく見える柔和そうな笑顔やらを持ち合わせているのだけれど、中身はかなり俗っぽい。
ゆるく波打つシルクグレイの長めの前髪から見える景色も、もう区別がつかなくなってしばらく経つ。
「どうしたのですか、ロクス?
 こんな場所で立ち止まって考え事ですか?」
 少し後ろから聞こえた穏やかな女の声にいらついたのか、彼は女性の声で名を呼ばれたのに苦虫を噛み潰したような厳しい表情のまま、結局振り返らなかった。
振り返れなかった、が正しいのかもしれない。
「ロクス?」
 もう一度名を呼ばれて、彼がようやく、渋々振り返ると、少し後ろをついてくる立ち位置できょとんと彼を見ている小さな女性がそこにいた。
白い肌と肩にかかるぐらいでふっつりとそろえられたやわらかく流れを描く金の髪、くるりと愛くるしい青い瞳。小さな体を白く裾の長いワンピースで包みこんな獣道同然の悪路を行くなど、普通の娘ならばどこかおかしいのではないかと思われそうなものなのだけど、信じられないことに彼女の後ろには大きな翼。
彼女の体ほどありそうな純白の翼がぱさぱさと揺れていた。
「あの」
「…うるさいな。少し静かにしててくれないか。」
 見るからに人間ではない彼女が何度も呼びかけるんだけれど、彼はそんな彼女の言葉に邪険な返答を返した。
当然不機嫌な返事を聞かされた彼女は少し驚いておとなしく黙り込むんだけれど、そうなると今度は木々のざわめきが彼にとって耳障りに思えてくるから結局彼女のせいではないんだと思い知らされるだけ。
 女連れなのに、道に迷いましたどうしましょうかなど口が裂けても言えない。
…つまりは、彼はそういう類の男だった。
 けれど現実を見れば間違いなく道に迷っている。そして後ろをついてくる彼女に男のプライドをとりあえず棚の上に上げて頼みごとをすればこの状況からは抜けられる。
それはわかっている、彼女が純白の翼を広げてこの木々よりも高く舞い上がればどこに何があるかなど一目瞭然だろう。しかしそれをしてしまっては「頼りにならない男」との烙印を押されそうだから言いたくない。
自分は彼女に選ばれた男だという自負もあるからよけいに言えない。
 美しすぎる白い翼持つ彼女は「天使」、美しい御姿を持つ信仰の対象。そして彼はその天使に見出された「勇者」………らしい。
初めて彼女から声をかけられた時、必死の様子であっぷあっぷしながら要領を得ない説明をされて、彼自身今でも半信半疑のままでいる。
初対面からしばらく日が過ぎて今のこの状況なのだけれど、旅慣れない男が深い林の中で道を見失った。随行者は天使自身、彼女ならばこの状況など簡単に打破できよう。
だけど、しかし………
「もしかしてロクス、道に迷いましたか?」
「迷ってない。考え事してただけだ。」
 彼の女性に対して高すぎるプライドが、その容赦ない物言いに現れてあどけない少女のような幼い天使様に叩きつけられた。図星を突かれてこれ以上立ち止まれないと判断した彼は今度は足早に歩き始めたから、彼女も慌てて後を追いかける。
彼女はいつもその翼を広げ宙を舞っているのだけれど、裾の長いスカートの中には当然中身が存在しているから、必要以上にふわふわと漂ってはいないらしい。彼の前では地に足をつけていることが多い本当の理由を、彼自身薄々と勘付いている。
彼の他にも彼女には「勇者」と称している協力者がいる様子だが、その大仰な言い回しも今の彼の神経を逆撫でする要因のひとつだった。
確かに自分は聖職者には違いないが、だからといって信心深いと思われても困る。それが彼の本音でもあり、普段は小娘をからかう感覚で彼女の相手も出来るけれど、こうして余裕をなくしてしまうとたちまちどす黒い部分が表に出てきそうで、そのことも彼は気が気ではなかった。
天使と言う割に人間の少女より子どもっぽくて単純だと思うこともあるけれど、それでも女性には変わりなし。しかも人ならざる信仰の対象だけはあって、この世のものとは思えないほどに美しい。
 ただ、中身が複雑な男にとって、少女はいわゆる「守備範囲外」、普段特に気にかけることはない…はず、だった。
「あの…私、空から見ましょうか?」
 彼女は読みと勘が鋭くて彼もどきりとさせられることが多く、今がまさにそうで、痛いところを突かれた男の態度は、というと――――柔和で優美ですらある表情を冷たい微笑で凍らせて、腕を組み威圧的に小さな彼女をおもむろに見下ろした。
「僕が道に迷ったとでも思っているのか?
 はん、僕も信用されてないことで。」
「あ、い、いいえ!でもこの森抜けるのは大変そうだと思ったから…」
「じゃあ勝手に思っていてくれ。僕は先を急ぐから君は勝手にすればいい。」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
 そんな言い方をされて好き勝手にできる者はあまりいないだろう。当然彼もそれを見越して言い放っている狡猾さがある。
腕を解きふいっと背を向けた彼の一瞬の視線に何を思ったのか、彼女はまた慌てて早足で歩く男の背を追った。
うっそうと繁る木々は圧迫感を持ち枝葉を広げる緑が体中をかすめて痛いほど。彼は邪魔になる枝をあまり男性らしくない細い手で押しやりつつ道なき道を先に進む。
その表情は、到底正面から誰かに見せられるものではない。

「きゃ!」

 彼が細い手で大きな枝を払った直後、後ろからついてきているはずの彼女の短く鋭い悲鳴が聞こえた。彼がその声に振り返るのとほぼ同時にがさがさと足元の枯れ枝やら何やらを踏む音がして、彼が振り返った時に見えたのは足元にもうっそうと繁る下草や潅木の中にうずくまってしまった天使様の御姿だった。
「どうした?つまづいたのか」
 彼女の様子に数歩戻るあたり彼も彼自身思うほど薄情ではないのだけれど、繁る緑が落とす濃い影の中、彼女の元に近づいてみればその惨状は想像以上で、彼は先ほどの不機嫌な自分の振る舞いを後悔することになる。
 困った表情のまま額を押さえている彼女の指の隙間から、赤く擦ったような痕が見えて見る見るうちに色が濃くなる。おまけに細くやわらかい金の髪がしっかりと枝に絡まり引っ張られていて、その枝には見覚えがある――――彼がさっき手で腹いせまじりに勢いよく払ったあの小枝。
払われた仕返しかただの反動か、小枝はすぐ後ろにいた随行者の額を叩き細い髪までつかまえてしっかりと引っ張ってしまっている。
「大丈夫か? 目をやられてないだろうな?」
「あ…顔に当たっただけです…大丈夫…いたっ!?」
「バカ、そのまま座ってろ。…枝に髪が絡まってる、すぐに折るから待ってろ。」
 彼は彼女の姿を認めるなりすぐにその場に屈みこみ跪き、彼の指が枝に伸びるんだけど――――
「…おい。まさかその目つき…折るなとか言い出さないだろうな?」
 額を真っ赤にしているお子様天使が、彼の細い指先から逃れるかのように小さな手で髪と枝を隠し、実に複雑な表情で彼を見上げていた。
そんな様子を見ればおそらく誰だってあきれることだろう、この男は特に中身がほどよく歪んでいるからその反応は素早くて、むすっとした表情になったかと思ったらあきれてため息ついて彼女の髪を隠している小さな手をおもむろにつかみ力ずくではがす。
「折らないでください! 邪魔をしたのは私たちなのですから」
「あーはいはい。そうですね。僕が道に迷ったのがそもそもの原因……‥・・っ!」
 しまった。口が滑ってしまった。彼が慌てて口元を隠してももう遅い。
「ロクス…やっぱり」
「いちいちうるさいな!
 …折らなきゃいいんだろう、気が散るから黙ってろ。」
 聞かれた以上覆水は盆に戻らない、吐いた言葉は飲み込めない。彼は有無を言わさぬ口調で彼女の言葉尻を封じて、直後怖いくらいの真顔で細い金の髪を捕らえたままの枝をもう一度つかまえた。
「手を貸せ、この枝持ってるんだ。手元が狂うから揺らすなよ。」
 彼女は天使と言う高い場所におわす存在なのに、身近で、親しみやすく、扱いやすいような扱いづらいような。
彼は命令形で言うとあえて彼女の言葉や行動を無視することにした。穏やかそうな形の目を気持ち大きめに開いてまばたきまで減らすほどに集中し一点を見つめ、細い指先で腰のない女の髪を、それをしっかりと抱き込んだ枝から少しずつ動かし緩めようと試みる。
見るものがない彼女は当然目の前にいる彼の顔ばかり見ているんだけれど、端整で優しげな顔立ちの男で誰もが、特に女性がころりと騙されるのらしいけれど、こうして行動を共にしているとその手の話は到底信じられない。
いわゆる二重人格なのか、とまで思えてしまうほどに裏表がある青年。彼女は裏ばかり見せられている。
顔だけでなく丁寧で温厚そうな物言いといい優美ですらある雰囲気といい、神に与えられた恵まれた容姿を無駄遣いにばかり費やす男。
有り体に言えば、女たらし。不良僧侶とまで言われたこともある。
なのに彼女だけは女性として扱われることが少ない。
「…悪かったな、こんな目に遭っただけでなく痛い思いまでさせて。
 髪、痛かったら言えよ?」
「あ、大丈夫…痛くありません。ほどけそうですか?」
「ああ、なんとかな。」
 他の女性には過剰なまでに装飾した言葉と穏やかな声を用意しているのに、彼女にはいつもこんな風。最初のうちはそれでも他の女性と同じく猫撫で声を使われていたけれど、それも面倒になったのか最近は軽口やら何やらが増えて、猫撫で声で語りかけられた記憶は彼女の中ではもう遠い。
悪い人間ではなく複雑なだけだというのは彼女も理解しつつあるのだけれど、扱いづらいというかつきあう距離感を図り続けているという意味では、彼女も彼も同じだった。
複雑なのはもちろん、反対に素直すぎるのも扱いづらい。複雑怪奇な中身の聖職者と疑うことをしない天使、お互いに対極にいる。
その立場だけならこんなに近しい者はいるはずもないのに、敬虔な神の下僕もいなければ、神々しいまでの神の御使いもまたいなかった。…要は、現実など得てして万事このようなものなのだろう。
相変わらずお互いにとって息を呑むような時間は続いている。
 年頃の少女の姿の天使様と二十歳過ぎの恵まれた容姿の青年と、人目につけばおそらく誰もが色恋沙汰に結びつけるのだろうけれど、少なくとも彼女はそれを意識している様子はない。
男の指先で髪をいじられていてもおとなしくしているばかり、目の前の顔を見ているのにも表情が変わらなくて飽きてきたのか、くるくると青い目は落ち着きなく動いている。

「………よし。もういいぞ。
 ご希望通り枝を折らず葉も落とさずにやり遂げましたよ、天使様?」

 そして、時間が動き出す。
大きく安堵の息を吐いた彼の言葉のとおり、彼女がそっとつかんでいた枝から手を離すと、それは自分の望む位置へと戻るみたいに手を離れた。彼女の金の髪をつまんでいる彼の細い指先がやわらかい髪を元の流れに戻すと、一瞬指に絡みつく姿を見せ、しかしすぐに流れに戻ってしまう。
まばたきさえ忘れるほど集中していたせいなのだろう、彼はその指先で目頭を軽く押さえた。
「…なんだか引っかかる言い方ですね。」
「なにがだ? 実際にやり遂げたんだから君もとりあえずほめてくれればいいのに、相変わらず無粋なやつだ。
 …って、痛い思いさせた僕の言える台詞じゃないな……。」
 軽い後悔を口にしながら彼は立ち上がり、そしてまだ座り込んでいる彼女に向けて細い手を差し出した。
「ほら、今度は立てるだろう、シルマリル?
 悪いがさっき言ったとおり、どうやら道に迷ったらしい。立ち上がりついでに道を見つけてくれ。」
「あ、はい。…最初にそう言ってればいいのに……」
「なんか言ったか?」
「い、いいえ。ひと騒動でしたね。」
「…悪かったよ、それでしばらく僕はいびられるのか?
 勘弁してくれ、僕はそういう風に言われるのは好きじゃないんだから…。」
 好きな人などいるはずがない、彼女はそう思ったけれど思うだけにしておいた。
この男のプライドは高く、それを女性に指摘されると不機嫌さを露にするような露骨さがある。他の女性ならば柔和な笑顔と穏やかな物腰で煙に巻いてしまうのだけれど、こと彼女に対してはいろんな意味で容赦も遠慮もなかった。
 これ以上この話を引きずっても仕方がない、彼女は天使という生真面目で穏やかな存在らしくなく少し投げやりですらある諦めを胸の内で言葉にしながら、口に出しては何も言わずに差し出された大きな手にそっと己の手を乗せた。
 そして、彼女は無意識で眩しげに微笑んだ。
それは天使の神々しさと少女の愛らしさ両方を持っていて――――彼はと言うと、その微笑にいつも耐え切れずに目をそらす。
笑顔を武器にするなど、いっぱしの女のやり口でずるいなどと感じてしまう。
目をそらしながらも小さな手を包み込む大きさは細くても男性のそれで、彼は彼女の手をつかむと一息で引き起こした。立ち上がった彼女は服に残る枯葉などを払い落とすけれど、その様子から先ほどの笑顔はすでに消えていた。
「では、ちょっと見て来ます。…下から覗かないでくださいね?」
「じゃあ押さえてから飛べ。ひらひらしてたら責任も持てないし約束もできない。」
「まったくもう……」
 飛び切りの美女のくせに彼女もまた容赦がなくて、彼のいつもの軽口にあきれながらも道を見つけるために天使様は純白の翼を広げた。そしてふわりと舞い上がる。
…スカートの裾につま先を絡めながら。
「…チッ、嫌味なやつだ。惜しみやがって。」
 彼の口から出たのは、粗野な言葉と舌打ち。しかし天使が空に舞い上がる姿はやはり美しく、白い衣が描く軌跡が緑の中に映えてことさら美しかった。
 見送って彼はふと己の指先に気をやった。指先に絡む髪の感触は別に彼にとって珍しくもなんともなかった。なのに腰のない猫っ毛が指に従う様子が、あの感触がまだ指先に残ってる。
女の髪の感触など忘れるのに一晩もいらないというのに。
 そして、そのまま彼は黙り込んでその場に腰を下ろした。
指先だけが、落ち着きなく動いている。


08/04/19

Mixiの自分日記にてリアルタイム更新と申しますかぶっつけ本番で先ほどまで書いていたものです。
マイミクさん(Mixi内のお友達)からツンデレとの指摘をいただきました。
そうか。ロクスツンデレだったか。

ゲーム中でも実際に移動中の会話で「迷ったら空から道を探してくれるんだろ?」的な発言があったのでその辺りをネタにしてみました。