■□ クルミとミルク □■
×ロクス他 EDより数年後 既婚話
「ずいぶんといいにおいがして来たと思ったら、パン焼いていたのか。」
「あら、教皇猊下。朝のお祈りはもうおすみになられたんですか?」
まだ昼と言うには早い時間、若い教皇猊下がぶらぶらとほっつき歩いていると、彼の言葉の通り漂ってきた香ばしい香りに誘われてそれが来る方向へ足を向けたら、ついた先はいわゆる孤児院だった。
教皇庁の敷地内、数年前の話となったグローサイン帝国による聖都侵攻でたくさんの孤児が生まれてしまったことをきっかけに1年以上遅れて設立された孤児院は、まるで寄宿舎制の学校のような規律と学舎も兼ねて運営されている。
それは神学校のようなのだけど厳しい規律で縛りつけているわけではなく、町の私塾に子どもたちの生活の場が備わっているそこの校風は、運営者として名を挙げられる女性の性格を如実に現している。
「…僕が法衣を着てるからとそう言う言い方はやめてくれよ。
今日は子どもたちに何を教えようと思ってるんだ? それにしてもいいにおいだな、本当。」
「別に…パンの焼き方を教えようとしてるだけです。
特に女の子は将来役に立ちますし、男の子でもこの子たちの中から未来のパン屋さんが現れるかもしれませんから。」
教皇庁の敷地内に存在する孤児院だからすべての責任者である教皇猊下が来訪しても不思議ではないのだけれど、彼は設立者でも運営者でもない。設立者も運営者も、今彼が親しげに、そして愛しげに声をかけたうら若い彼女がそうで、ここに暮らす子どもたち全員の母親であり姉でもある。
「慈悲深き聖女シルマリル、あなたの慈愛には敬服するばかりです。」
「…どうしたんですか、いったい?」
「気持ち悪かったろ? 君が僕を教皇猊下なんて呼ぶ時、僕は同じ気持ちになるんだ。」
聖女シルマリル。教皇庁の中にいるただひとりの聖女様。そして例外中の例外、若き教皇猊下のただひとりの人生の伴侶。少女の姿をした聖女様はこの美麗ですらある青年に文字通り溺愛されていて、彼女も同じに彼にすべてを預けている。
うら若き彼女が親を失った幼子たちの母親代わりなんて大それた役目を負うことが出来ているのはその背景があるからで、そうなるとこの少々派手な美形の教皇猊下は子どもたちの父親と言うことになるのだろうか?
…それにしては、子どもたちは彼を他人を見る目で見ている。中には聖女様の服をしっかりとつかんで彼女の陰に隠れてしまっている子もいる。
「尊称で呼ぶなって言えばいいのに…わかりました、ロクス。
焼きたてをお昼にしようって子どもたちと話していたところです、あなたもお時間が大丈夫なら一緒にどうですか?」
「それはいいな。君の腕は職人顔負けだ、そっちの道でも食べていけるんじゃないのか?
悪いなお前たち、お前たちのお姉ちゃんを取っちゃって。」
「…子どもたちに何をおっしゃるんですか。」
やきもちやきの教皇猊下は子どもたち相手だろうと容赦ないらしい、彼が見せた微笑みには明らかに独占欲が潜んでいた。それを見て妻であるシルマリルは当然呆れた顔を見せて夫をたしなめるけど、そう言われた教皇ロクスは今度は満面の笑みを見せた。
「しょうがないだろ。君が好きだって気持ちはこの子らと一緒かもしれないんだから。」
「臆面もなくそんなこと言わないで下さい…まったく。」
「君ははっきり言わないと伝わらない鈍いひとだからな。僕だって学習したんだ。」
「同じように私も学習します。
さ、みんな、お昼の用意をしましょう? その間にパンも焼けるからね。」
ロクスは妻としたシルマリルともう3年もこうして一緒にいるけれど、彼女が聖女と認定された直後にここを設立したいと言ってきた時のことは昨日の話のように思い出せる。ロクスと離される昼間、彼女はこうして子どもたちの母親になり、ともすれば夫が法衣を脱ぐ夜も子どもたちの母であったりする。
そんな彼女とともに過ごし時に子どもたちに嫉妬なんて覚えながらも、ロクスもずいぶんと慣れたというか丸くなったというか、彼はその人を癒す掌で近くにいた子どもの頭をそっと撫でた。
「ほら、お姉ちゃんのお手伝いするんだろ? 急がないと仕事なくなるぞぉ。」
その言葉に弾かれて、子どもたち全員我先に厨房へと駆けていった。残されたロクスとシルマリル――――ようやく妻の顔を見せたシルマリルの肩をロクスが軽く叩く。
「教皇になりたての頃は、君との間の自分の子どもだろうと、子どもなんて冗談じゃない、って思ったけど…こうして君が母親代わりになった時からずっと見てて、そう悪くはないな、って……。」
あの放蕩男もずいぶん宗旨替えをした。まさか勝手に妻を娶るとは、まさか交換条件とは言え教皇の座に昇ることにうなずくとは――――そして彼は思惑通りに、彼を操ろうと画策していた古だぬきどもを逆に操り、本当に欲しかったものを手に入れた。そして同時に揺るがぬ権力も手にして反論すらも封じ、彼をいいように操り私腹を肥やそうとしていた連中に残された反抗の手段と言ったら、せいぜい彼に聞こえるか聞こえないかの陰口を叩くことぐらい。
けれどそれさえも幼い頃から聞きたくもないひそひそ話を聞かされていたロクスには通じない。それに彼は日々精力的に教会のあるべき姿、礼拝と布教と慈善事業に忙しくて、暇な連中につきあうような余裕なんてどこにもない多忙な日々を送っていた。
「あれからもう3年ですからね。………ロクス、」
「うん?」
「私…そろそろ」
民衆には愛されている若く美しい青年の姿を持つ教皇猊下を支える存在、文字通りの内助の功である聖女様に至っては、彼女の美貌に魅入られた貴族たちが後ろ盾として存在していて、清楚な容姿でありながらなかなかの策謀家でしたたかでもあり、扱いやすそうなおとなしさとは裏腹に扱いづらいことこの上ない。
胸に一物の古だぬきどもの手に負える存在ではない。
そんな彼女だけど、ロクスの前ではただの女、可愛いだけの少女に過ぎない。
頬を染めながら視線を伏せて、何か言いたい、けど恥ずかしくて、と言った素振りを見せた彼女のそれと言葉に、ロクスはその先に続く言葉を瞬時に読んだ。
「ちょっと待て。僕はもうしばらく君を独占していたい。」
「…ええーっ!? もう3年ですよぉ!!」
「まだ3年だ。それに夫婦と言っても世間のそれとは違う分僕はかなり物足りない。
それに…子どもたちのこともある。君に子どもが出来たら、彼らはつらいと思うぞ。
幸いと言っていいかわからないが、君はまだ若いし僕はこんなだから…もうしばらく、彼らの父親母親でいられると思うんだ。
親は大事だぞ、…実の親がいても引き離された僕が言うんだからそう間違ってないと思うけど。」
「ロクス……そうですね、もうしばらく…恋人でいましょうか。」
「…ありがとう。愛してるよ、シルマリル。」
『ロクスの子どもが欲しい』
暗にそうほのめかした彼女の望みはある意味当然とも言えるだろうものなのだけど、シルマリルとは別の意味で聡いロクスがあっさりとそれを遮った。単純になかなか独占できない妻をさらに誰かに奪われたくはないと言うのもあると白状しつつも、彼が思うままに静かに語った言葉がおそらく比率としては大きくて――――
「………愛してる。」
複雑な彼の境遇と心境に理解を示した妻の言葉と、あまりにも愛らしいシルマリルの返事に、ロクスは視線を伏せながら彼女の小さな体を抱き寄せてやわらかな日差し色の髪に頬を寄せもう一度誓いの言葉を繰り返した。
「ロクス…私も、あなたのこと……。
私につらい思いをさせまいと振る舞うあなたが大好きです。
天使でいれば何不自由なくいられたでしょうが、こんな幸福感は知らないままでした。…ロクス、あなたを選んでよかったってずっと……ずっと思ってます。」
「僕もだ。君が現れるまで半信半疑だったけど、今は全能なる父に感謝してる。
君自身と、君のような女性を生み出して僕に遣わせてくれた神の慈愛が僕を救ってくれたんだ。」
「ふふ、不実なあなたがそう言う言葉を口にするなんて、あの頃のあなたを知っている女性が聞いたらどう思うんでしょうね?」
「そんな質の悪い冗談よしてくれよ。
…僕は君に一生分の恋心を全部使っちまったんだ。今さら放り出したりしないでくれよ?」
「あなたこそ、私がおばさんになったからって若い女性にうつつ抜かさないでくださいね。」
「その頃は僕もおっさんだ。しかも顔に傷持つ坊主なんて若い娘が相手にしてくれないよ。」
甘い囁きからどういうことか軽口の応酬、そしてふたりして大笑い。恋人にはない距離感だけど、夫婦としてお互いを空気に感じるにはどちらも存在感が大きすぎる。
そう、ロクスにとってシルマリルは「伴侶」、人生をずっと一緒に伴走し続けるパートナー。シルマリルにとっては少々違って「道標」、かつては彼女がその立場にいたけれど、今はわずかな時間だけど人生の先輩として学ぶことは尽きない。
「さ、昼にしよう。
子どもたちにばかりやらせるのもなんだから、仕事があるなら僕も手伝うよ。」
「残念ながらあの子たちは仕事できますから。私の仕事も奪い合いなんです。」
「それはそれは…君のような人間を量産してるのか。ぞっとしないな。」
「どーいう意味ですか?」
「さあね。あ、何パンなんだ?」
「クルミの黒パンです。
おととい山にクルミを探しに行ったらたくさん取れたんですよ。パンはたくさん焼いているから砂糖をかけて乾かしてお菓子に出来ますし、今朝いただいたミルクでクリームを作れば今日明日の子どもたちのおやつにも困りません。」
「本当に器用だな。いつ覚えたのか不思議でならないよ。」
ゆっくりと歩き出しながら他愛のない話をするのだけれど、実は――――ロクスは言いそびれたことがあった。
このままでは言いそびれっぱなしで終わりそう。
教皇猊下自身が行う大規模な巡察の道行きに、ぜひ聖女様も同行願いたい。
向かう先はカヴァキア半島、レイフォリアの森。
聖女様の同行をとの目的は、もうひとりの聖女・聖ディアナの存在ありき。
その用件を、結局ロクスは切り出せないままだった。
2008/06/03
実はロクスさえもからかうほどのツワモノ・セシアを絡めてみたくなりました。ED後にロクスを選んだ元天使とセシアにいじられまくるロクス…(うっとり)
私はEDの後の話とか大好きです。それがコメディだとツボ。
まじめな話はどうしてもシナリオ中に偏ってしまう反動か、ED後捏造話は徹底的にコメディになってしまいます。