■□ 裏 □■
ルーファス×アリーシャ、シルメリア  ゲーム開始直後

『うまい話には裏がある』。
それが世間一般の処世術…というよりも常識に近いかもしれない。しかしどういうことなのか、ルーファスは『うますぎる話』に乗っかってしまった。
 薄汚れているけれど、しなやかな長い髪とすらりとした立ち姿を持つ青年が、「ディパンへ通じる隠された道」と言う鬱蒼とした森の中を歩きながら、細い顎に細い指先を当てつつ胡散臭げに目の前を歩く女の背を見る。
 隠された道と言うよりあまりにも不便かつ危険なせいで忘れ去られた、と言う方が説得力らしきものはある。生い茂る木々は昼なお暗い森を形成し、人の通れる道ではなく獣道を進む道行き。しかも女連れ。
本当に目的地のディパン王都にたどり着けるかとルーファスに襲い来た不安は一度や二度の話ではない。
 彼自身ある目的はあれども当て所はない雲をつかむような旅路の中で、女に誘われたことなどないとは口が裂けても言えないし言うつもりもない。しかし今回のそれほど胡散臭い誘いなどなかった。
今までは彼の腕か、そうでなかったら飛びぬけた美青年との淫蕩な夜が大方の目的。彼にも目的がある以上手段を選べるほど良いご身分じゃないこともあるし、利益と釣りあいそうなら乗っかったことももちろんある。
奇麗事を言える身ではなくなったことぐらい理解している。
 それでも。今回の話の胡散臭いことといったら。
目の前を歩く細身の女――――女とも言えない少女のようなあどけない年頃、隙だらけだけど行き届いた立ち居振る舞いと醸されるどころか噴出すみたいな過剰な気品、はちみつ色の長め髪と青い瞳の美しすぎる乙女に同行を求められた。
 彼女は大海に浮かぶ大国ディパンの王女と名乗った。
事故により数少ない海路を断たれ渡る術を失い目処も立たない困難の中、ディパンへ渡る術があるので同行者を探していると声をかけてきた。相応の礼もするらしい。
本当にディパンの王女様が海から帰れなくなって、陸路を知っているけど危険だからと同行者を求めお帰り遊ばされようとしているのならなんら問題はない。ルーファスとしてもそこまでわかりやすい話ならばふたつ返事でうなずくだろう。

 しかし。ディパンの王女は数年前に死んだはず。

 その話を知らないものはこの近辺、いや周辺大陸で知らぬ者などいないほど有名なはず。ただその王女は気鬱を患っていたとか、実は逃げ延びどこかで生きているという噂もまた根強い。
年格好からすれば、確かに『彼女』はその王女様ぐらいの年頃だろう。優れた容姿もさることながら、服はもちろん武器や身につけている装身具にいたるまでかなりよろしい品を御召しになられていてこの気品、声をかけられた時は胡散臭く感じていたけどそれがかすむほどに感じられて、彼はついうなずいてしまった。
 けれど。それが本当だとの確証もまたどこにもない。
ディパン行きの船が出ないと言い渡されたあの船着場にいた人間で一番腕の立ちそうな男を利用するための口からでまかせとしたら、彼女は相当の詐欺師ということになる。
そういうことなら当然礼など出ないだろうしたちまち彼の身柄も危なくなる。
もっとも身柄が危ぶまれても彼の抱える事情が結局窮地から彼を逃がすように仕組まれているのだけれど、彼はそんな偶然や他力に頼るつもりはない。
だから常に自衛を踏まえた行動を心がけていた。
 かまをかけてみるか? しかし何度かかけてすべて不発に終わっている。
不思議なことに、アリーシャとディパンの王女と同じ名を名乗った彼女は、気の弱い少女のようなおどおどした振る舞いと、王女らしく毅然とした気品に満ちた振る舞いとの両極端なふたつの顔を見せる。毅然とした彼女はともかくもうひとりのおどおどした彼女も、その心根の優しさとか下賎の男に不慣れとか言われてしまえば納得できないものでもないから、ルーファスは思い悩むよりはと何度もかまをかけている。
しかしその都度応えるのは毅然とした王女様でつけ入る隙など微塵もない。
かと思えば、次の瞬間には耳を澄まさないと聞こえないくらいにか細い声でしかものが言えなくなってみたり、同行者として多少の荒事よりも彼女とのこの空気の方に疲れていることは間違いなかった。
「王女様。」
 そして。ルーファスはまた、もう何度目になるかわからないかまを仕掛けてみることにした。
疑惑が何らかの形で明確になるまで、何度でもかけるつもり。それが保身につながるのだからつべこべ言っていられない。
 しかし、さて。どの件でかけてみる? うまく選ばないことにはあの毅然とした王女様に一部の隙もない答えを返されるだけ。彼の保身から来る行動だけど、同時に彼の度量も試されていることに気づかないほど間抜けではないルーファスだけど、今は自分の事情を優先し多少のデメリットには目をつぶることにした。
「お国に戻られる王女様が、供のお一人も伴われずに、ってのはさすがに解せないんですけどね?」
 ルーファスは揺さぶりをかける素振りを見せるために、わざと丁寧な言葉と皮肉な物言いで、重要な単語ごとに言葉を切ってみせるんだけど、『あの王女様』ならそんなものが通じるとは思っていない。けれどもうおひとりの王女様なら尻尾を出させるには充分すぎるぐらいだろう。
何度かのやり取りの中そこまでは読んだルーファスは、見かけよりも軽い緑の髪とそれを房ごとにまとめているビーズを揺らすほど大げさな身振りを見せながら大仰に問いかけた。
そして振り向いた王女様はどっちか――――!?

「それは…そのっ………」

 しめた。
ルーファスは思わず内心で指を鳴らしたいほどの手ごたえを感じた。もちろん表には出さない。
あの偉そうで隙のない小憎らしい小娘ではなく、押し倒せばなし崩し的に何かできそうな気も力も弱そうな王女様のお姿に、ルーファスが良心の呵責など微塵も感じずここぞとばかりに畳み掛ける。
「これでもそれなりに場数踏んできてるんでね。
 乗ったのが豪華に見せかけた泥舟なら沈む前に海に飛び込んででも降りなきゃならねえし、第一あんたは本物の王女だって証拠ひとつお見せにならない。」
「…あ…………」
「証拠を見せてくれよ。それさえありゃ疑やしねえし、多少の無理だろうと見合った報酬を上乗せさせてもらうってことでディパンまでつきあうつもりだ。
 でもなにもなしじゃさすがに命を賭けて戦うなんざ御免だ。とっととここで清算して引き返させてもらうぜ。」
「そ、それでは困ります!!」
「こっちゃ死んでから使い捨てられるのが困るっての。
 俺はそんな無理言ってるとは思わないぜ、王女が王女様でありますって証拠を見せてくれ、って言ってるだけなんだから。」
 証拠証拠と言われた『アリーシャ王女』の顔色がたちまち色あせてゆく。
その様子にルーファスは疑惑が確信だったかと今度は内心で舌打ちしたけれど、それならそれで沈みかねない船で只働きするつもりなどない。言ったとおり、ここでもらうものをもらって引き返す。
…まあ、観念して彼女も引き返すというのならそれまでとがめるつもりはないあたり、自分もかなりお人よしだ、なんて思ってはいるけれど、この不穏な世の中彼女には彼女なりの事情があるのだろう。
ルーファスは事情を抱える身としてそれまで責めるつもりはなかった。
「しょ…証拠、は…っ……」
 ルーファスの緑の瞳が彼女を貫きそうな勢いを持ちながら注視する。
長身の青年が腰に手を当てて小柄ですらある少女を見下しねめつける様は傍から見れば人でなしのそれにも見えるけれど、幸か不幸か周りには人などいない。
この場に彼と彼女、ふたりきり。
「………ありません……」
 ある意味予想通りの彼女の返事に、ルーファスがわざとらしく大きなため息をついて落胆した動作を見せる。それにすらびくりとおびえるほどの気の弱さは果たして、彼女もまた保身のための演技か、それとも本当に王女なのだけれど王家の者と証明するものを与えられなかったか。
…父王に死んだこととされ放逐されるほどの扱いを受けていたのならば、それはそれで可能性は低いながらも合点は行く。しかしおいそれと信じられるものでもない。
『アリーシャ』はうなだれている中ちらりと上目遣いにルーファスを見上げ、まっすぐ彼女を見つめていた強い視線とぶつかり押し負けて即座に目をそらした。
これまで演技とはにわかに思えないけれど、彼女が根っからの詐欺師ならお人よし一人こんな仕草でころりとだませそうでもある。
 さあ。どっちだ? 詐欺師か、それとも本物の王女か。
危険に身をさらす、命がかかっている以上、多少生まれた良心の呵責など縛って放り捨ててもルーファスは見極めて選ばなければならない。
「でも! ディパンに戻れば相応のお礼はできます!!
 ですから」
「もういい。」
「…………え?」

「悪いがここまでだ。俺はゾルデに戻る。
 一人で行くも俺について戻るのもあんたの勝手だ、けど助けちゃやらねえからな。」

 おそらくその言葉は彼女に非常に冷酷に聞こえたのだろう、『アリーシャ』はたちまち表情を狼狽の色に染めて、意外なことにもルーファスの腕に取りすがってきた。
「待ってください! お願い…一緒に来て!!」
 それすらも演技? 唐突な『アリーシャ』の行動に、疑惑で満たされていたルーファスも一瞬たじろいだ。それほどに彼女が彼の腕をつかんだ力は強く、丸い爪が服越しに腕に食い込みそう。
「私ひとりじゃ無理!!」
 青い瞳いっぱいに涙をためて。これすら演技? ルーファスは男だから女の涙で揺れてしまう。
「お願い……お願い…………!??」
 泣いてルーファスの腕に取りすがっていた『アリーシャ』が、大きく揺れた己の体と視界に飛び込んできた厳しい緑の瞳と踊る緑の髪、両肩を押さえる男の手の強さに思わず涙まで飲み込みそうに驚いて青い目を見開いた。直後感じる背中の痛みとすぐ目の前に不敵な男の真顔が見えて――――それでも、彼女にあるのは本能よりの恐怖だけ。
何が恐ろしいかはわからずにいる。
「礼ぶら下げて他人騙すのはあんたにゃ10年ばかり早かったな。
 事情があるってのはわかったが、俺だって只で命投げ捨てるほど馬鹿じゃない。」
 もって回った男の言い回しに、『アリーシャ』がひっくとしゃくり上げる。
「ここから先着いて来てほしけりゃ前払いだ。」
「そ…んな……今は、そんなたくさんの持ち合わせは……!」
 その言葉を聞いたなり、ルーファスの細い指が『アリーシャ』の丸いあごを捉えて力ずくで上を向かせた。鬱蒼とした森の中、アリーシャは背中を痛いほどに大木の幹に押しつけられて肩を押さえられ逃げる術はない。
「じゃあ体で払うかい、王女様?
 払うものを持たない女の奥の手だ、あんただってそのくらいの覚悟で俺に声かけたんじゃないのか?」
 ルーファスは容赦など微塵も見せずに畳み掛ける。事実ここに来るまでに相応の危険にはさらされた、異形の巣窟の中を歩かされ否応なしに戦わされて多少ではあるが手傷を負って…この先に更なる危険が待っている、と思う方が妥当というもの。
「あんたが本物の王女なら、傷物にしちまった詫びとして一生お仕えしてやってもいいぜ。
 でも払うもんがなきゃそれぐらいもらわないとな。俺だってここまで来るのに命がけだ、今負ってる生傷、こりゃみんなあんたが負わせたんだ。
 それわかってての今の台詞か、笑わせるな。」
 脅し、恫喝、取引、何とでも言えばいい。的外れなことは言ってないつもり。
ルーファスは片手で女の細い肩を押さえたまま、カタカタとふるえる『アリーシャ』の唇を己に向けさせ、至近距離からさらに続ける。
「どこのお嬢様かは訊かずにおいてやるよ。身内に泣きつきたいならそうすりゃいい。
 けど俺も手傷負った分はきっちり払ってもらわないとな。払うもん持たないくせ何とかしようとしたあんたが間抜けだっただけの話だよ。」
 『アリーシャ』のふるえが、とまった。
こわばった細い肩から力が抜けて、覚悟を決めたように青い瞳が閉じた瞼の向こうに消えた。ルーファスは詰めの部分で気を抜いて今の形勢をひっくり返されるわけには行かず、長身の体を使い彼女の抵抗を封じ込めつつ覚悟を決めた小娘に顔を寄せてゆく。

「…体で払わせるのではないの?」

 けれど。ルーファスは髪もビーズも大きく揺らし舌打ちしながら『アリーシャ』を解放した。賭けはすべて裏目に出続ける、詐欺師などとんでもない、本物かもしれない疑惑が彼の中で一気にふくらんだ。
「あなたも相当お人よしだわ。
 あなたの言ってること、的を射ていたからなにも言い返せなかったのに。」
「…本物なら、王女を傷物にした男なんて王家の総力を挙げて抹殺しちまうだろ。
 そんなのこそ御免だ。」
「鵜呑みとは言えなくても、まあ信じてもらえたみたいね。
 それに目先の欲だけじゃなくて頼もしいわ。」
「……先に、行くからな…………」
 男の不埒な振る舞いで乱れた髪を、何事もなかったかのように小さな手でさらりと梳く仕草が、ルーファスが見た最後の『アリーシャ』。肝心な局面で見事に形勢は覆された、情けなくもルーファスはすぐに目をそらし背中を向けて、罪悪感と気恥ずかしさに負けて先に歩き出す。
 ずるいことに彼女は一番効果ある瞬間を見逃さずに、もうひとりと入れ替わった。…間違いなく、『アリーシャ』はふたりいる。おそらく気が弱い方が『アリーシャ』なのだろう、もうひとりが同一人物…とは、ルーファスはどうしても思えなかった。
 それよりもこの敗北感をどうすればすっきりするのだろう? あまりにも屈辱的な負けっぷりがどこか清々しくすらあるほど派手に、手ひどくやられた。
どういう顔をしているか自分で読めるから、ルーファスは今『アリーシャ』に顔を見られるわけには行かなかった。
『アリーシャ』の足音が近くに聞こえないのは、ある意味幸いかもしれない。


「…どういうつもりよシルメリア……こ…こわかったんだから……!!」
「あの男にそんな度胸はないわ。
 確認の手段としてはまあ上出来だけど、やり方は下品ね。」
「あ、あのままだったらどうするつもりだったの!!」
「あの細首掻っ切って逃げるに決まってるでしょう。あなたの体ならそれも可能だわ。」
「そんな!
 たしかにひどいこと…されたけど、あの人がいたからここまで来れたのよ?」
「ひどいこと? あのくらいで?
 覚悟を決めろといったでしょう。あなたを守れるのはあなた以外いないんだからしっかりしなさい。
 必要なら唇のひとつ差し出してもいいんじゃないの?
 それで腕の立つ男がひとり素直に言うこと聞くようになるのなら悪い話じゃないわ。」

「アリーシャ、好きでもない男に唇奪われるのと理不尽に殺されるの、どっちがいいの?」


2008/09/21

 不埒なヘタレの話を書いてみたかった人でなしは私です。
アリーシャたん、いじめ甲斐あるなあ。(鬼)