プロローグ 02





基本的に、生徒の生活はタカチホ義塾内で収まるようになっている。


タカチホ義塾は全寮制で、特別な事情がなければ、全生徒が長期休暇以外を義塾で過ごす。
外出するには許可が必要で、事務室に行って手続きを済ませておかなければならない。
課外実習や修練などで外出、遅く帰る際には、修練内容を書いた書類を持って行く事になっている。

食べ物などは、食堂は勿論、自分で食材を調達する事も可能だ。
校長でありながら、用務員を兼任しているサルタが校内に畑を作っており、生徒も農耕スペースを貰う事が出来る。
特に商人学科の生徒等は、畑で取れた野菜を売って、実習授業として単位に計算されるので、積極的に参加した。


アルバイトなどをして収入する事も出来るようになっており、一つの学園都市と言っても良い。



寮は女子寮と男子寮で別れ、義塾の本校舎を真ん中に、それぞれ一キロ程離れた場所に建てられている。
ヨーコはその女子寮に着いて、ようやく、ホッとする自分を自覚していた。





(もう明日からダメかも知れない……)





割り当てられた部屋へと向かう道中、ヨーコはふらふらとした足取りでそんな事を考えていた。



戦士科Bクラスの担任であるリドから、学校生活の諸注意を聞いた後。
生徒達は担任の先導で、学校施設を見て周り、説明を受けた。
広く大きな学校であるから、それを全部見回るには当然相応の時間がかかり、その時間がヨーコにとっては地獄だった。

学校施設を見て回っている間、ヨーコの周りにいたのは、当然男ばかり。
クレアとファルも傍にいたが、女三人に対し、男は三十人から四十人はいる。
他科の生徒と廊下で擦れ違う時は、互いに邪魔にならないように端に寄る必要があった。
その度に近くにいる男の匂いやら肌やらが触れるのが、ヨーコには拷問以外の何者でもなかったのである。


今日のこの地獄は、新入生が揃って施設見学をした為だ。
順番や時間は各クラスによって分けられているのだが、移動人数は半端な数ではない。
それ故の地獄。

だから、明日からはもっと楽になると思うのだが─────




自分の名前プレートのかけられた部屋を探し出して、ドアを開ける。

部屋には小さなキッチンが一つ、テーブルと椅子が二つ、ベッドも二つ。
一部屋につき二人のルームシェアなのだが、どうやら、ヨーコのルームメイトはいないようだ。
ルームシェアは原則、同じ学科・同じクラスの生徒同士で構成されている。
ヨーコの戦士学科Bクラスには、ヨーコ・クレア・ファルしかいないので、ヨーコが余ったのだ。


荷物を投げて、ヨーコはベッドにダイブする。





「あ〜……疲れたぁ……」





長い溜息を吐いて、ベッドに大の字になって顔を埋める。
綺麗だったシーツにヨーコの形の皺が出来た。

その時、コンコン、と部屋のドアがノックされる。





「……は〜い」





面倒臭い気持ちは否めなかったが、無視する訳にもいかない。
ベッドを下りてドアに向かい、ノブを捻る。

開けると、其処にはクレアとファルの姿があった。
二人は制服から私服に着替えており、クレアは清楚なワンピース、ファルは黒いインナーにジャケットを着ていた。





「お隣さんだ。また宜しくな」
「うん、宜しく」





二人揃ってきたと言う事は、やはり彼女たちは同じ部屋になったのだろう。

短い挨拶をして、ヨーコはドアを大きく開けた。





「良かったら入ってよ。あたしは一人だから、気にしなくていいよ」
「そうか。じゃあ、お邪魔するよ」
「お邪魔します」





ブーツを脱いで、二人も部屋に上がる。


ヨーコは放り投げた鞄から、コーヒー豆を入れた缶と、紙コップを取り出す。
キッチンに行って棚を幾つか開けて探ってみると、小さなケトルや鍋、包丁など、調理道具も一式揃っていた。

ケトルを簡単に洗って水を入れ、コンロに置いて火をつける。





「二人はコーヒーは…大丈夫? もう淹れちゃったけど…」
「ああ」
「クレアは?」
「あの…ミルクがありましたら、お願いします」





二人分のコーヒーをテーブルに置いて、鞄からミルクシロップの小カップを取り出す。





「用意が良いんだな。流石はキャラバン育ちか」
「そんな、大袈裟だよ……」





感心したように言うファルに、ヨーコは顔が赤くなるのを感じる。

どうにも、ヨーコは褒められる事に慣れていないのだ。
キャラバンにいた時も、何かあれば怒鳴られる事の方が多かったから。





「あたしは単に、持ち物全部持ってきただけだから」
「キャラバンに預けたものはないのか?」
「うん。……迷惑になっちゃうから、全部持って出て来たの。入学式の日取りに合わせてキャラバンを離れなきゃ行けなかったし、荷物を運び込めるのは入学式の後になるって聞いたし……」





ヨーコがキャラバンを抜けたのは、もう一ヶ月前の事だった。
その時、キャラバンは、大陸西方にあるプリナシア学院の傍に拠点を置いていた。
あれからまた移動しているだろうから、もう何処にあるのか、ヨーコには判然としない。





「ひょっとしてヨーコさん、キャラバンを出てからずっとお一人で、タカチホ義塾まで来られたんですか?」





驚いたように問うクレアに、ヨーコは頷いた。





「凄いです! 私、故郷から此処に来るのも、家族に送られて来たので…」





恥ずかしそうに語るクレアに、彼女の場合はそれで無理もないような気がする。

戦士科に不似合いな雰囲気を纏っているクレア。
私服に着替えた今は尚更で、お嬢様と言う言葉がよく似合う。


ヨーコとファルは顔を見合わせ、クレアの言葉に苦笑した。





「ファルは、どうやって此処まで来たの?」
「ああ、私は集落から一番近い街までは兄に送って貰った。其処から先は、キャラバンや商人団と一緒に来たよ。早めに着いたから、昨日までは宿屋に泊まっていた」





遠方から来る入学者は、大抵、ファルと同じ手段を取る。
特に、このタカチホ義塾は砂漠越えが必要とされる為、旅慣れない者がこれをするのは無謀と言える。
街から街へと転々とするキャラバンや商人団となら、かなり安全性が増すのだ。


ヨーコは、元々キャラバンの中で過ごしていたので、旅をする事には慣れている。

勿論、出来るだけ危険な場所は避けて、野生の危険動物との遭遇も避けなければならない。
危険動物は、一匹や二匹ならなんとかなるのだが、種類に寄っては群れを成して襲ってくる事がある。
キャラバンを経ってから、義塾に到着するまで、ヨーコは気が休まる事はなかった。





「……と言う事は…ヨーコさん、お疲れなんですね」
「え? あ、うん…まぁ……」
「そうか。それじゃあ、私達はあまり長居しない方が良いな」





ファルはそう言うと、コーヒーの残りを一気に飲み干す。
クレアも残り少しとなっていたコーヒーを飲み切った。





「考えてみれば、施設見学の時も少し顔色が悪かったな。すまない、気が利かなくて」
「べ、別にあたしはそんな……」





施設見学の時は、疲れ云々ではなく、周りの男の気配が駄目だった。
疲労もあるにはあるが、こうしてお喋りをするくらいは苦にならない。
そもそも、ヨーコ自身が二人を部屋に招きいれたのだし。

しかし、二人は二人で、ヨーコの事を気遣ってくれているのだ。





「明日からは授業が始まるし、今日はゆっくり休むといい」
「うん、ありがとう」
「それじゃ、また明日」





ドアまで二人を送って、簡単に挨拶をして、ドアを閉める。
すぐに、隣の部屋のドアを開ける音がした。




再び一人になると、ヨーコは風呂場へ行って、蛇口を捻る。

リビングに戻ると、ヨーコは制服を脱ぎ、インナーと下着だけの姿になる。
鞄から汚れた衣服、タオルを取り出し、また着ていた下着も脱いで、備えられていた洗濯機に放り込む。
その中でも比較的綺麗だったタオルを一枚残しておいて、また風呂へと入る。



湯が溜まるのを待ちながら、ヨーコは手桶に掬った湯を頭から被る。


街にいる時はともかく、移動中は水浴びすら出来ない日が多い。
特に、タカチホ義塾の周囲に広がる砂漠を越える時は酷かった。
砂嵐にまであったので、埃だらけなのである。

久しぶりの湯船に、ヨーコの心は少々興奮気味だ。
本当ならボディシャンプーなりで全身のアカを綺麗さっぱり落としたいが、今日は其処まで物が揃っていない。
本校舎の購買に生活雑貨類は置いてあったが、もう学校に戻る気力もないので、今日は贅沢はなしだ。


湯船に浸かると、全身が蕩けてしまいそうな感覚で一杯になる。





「ふぁ〜………」





キャラバンにいた時でさえ、こんな風にゆっくり風呂に浸かった事はなかった。

これからは、こんな風にのんびり出来るのだ。
それだけで、ヨーコはなんだか幸せな気分になるのだった。