合同校外修練 03






二日目も、やはりアオと少女の距離は縮まらなかった。

歩く二人の距離は、前日の約束どおり、5メートルの距離がある。
モノノケとの戦闘も完全に別々、アオが彼女を助けに走る事もなかった。




そして、三日目。




上空高く飛んだモノノケが、アオに向かって落ちてくる。
太陽の光を背にしたそれを目で確認するには、アオには難しかった。

それでも、落ちてくる形の影さえ見えれば、狙う事は出来る。



小さな体に白い体毛、頭部だけが鮮やかなピンク色。
体の大きさと不釣合いな、大きな足。

カイトと呼ばれるモノノケだ。


ジャンプを得意とするカイトは、飛び上がって踏みつけて攻撃してくる。
今も得意技をアオにお見舞いしてやろうと、何度目か知れない高いジャンプを繰り出していた。




アオは、カイトの落下ポイントから一歩下がる。
直後にカイトが砂の地面に着地した。

切っ先を前方に向けていた刀を突き出せば、寸分違うことなく、カイトの腹に命中した。


自分の周囲から敵がいなくなったのを確認し、アオはチームメイトである少女の姿を探す。
本来ならば二人協力して戦わなければならないのだが、取り付けた約束で、アオは彼女に近付く事が出来ない。
勿論、危険な状態にあるならば、躊躇わず助けにいくつもりなのだが─────





「─────ふッ!!」





少女もまた、自分の周囲を取り囲んでいたモノノケを退治した所だった。

少女は少し息が上がっているものの、目立った外傷はなさそうだ。



カチャン、と少女が剣を鞘に納める。
アオもまた、刀を納めた。





「流石、戦士科だな」
「…………」
「あ、いや……女の子だからと、馬鹿にしてたとか、そういう事じゃなくて、」





感嘆したアオに対し、胡乱な目を向ける少女。
一体何がスイッチになっているのか、アオにもまだ分からないが、反射的に弁明する。





「動きに無駄がないし、戦い慣れているって感じがしてさ」
「………」





少女は何も言わない。
ふい、とアオに背を向け、向かうべき方向へと歩き出す。

─────その時、彼女の足元の砂が大きく競り上がった。





「きゃあッ!」
「!!」





少女は山の勢いに持ち上げられ、宙へと放り出される。
アオは柔らかい地面を蹴って、彼女へと手を伸ばした。

粉塵が舞い上がり、砂が目に入って、瞼を開けていられなくなる。
少女を救えたかどうかも確かめられないまま、アオは土煙が収まるのを、目を閉じてじっと待った。


風が吹いて、砂煙が巻き上げられていく。
僅かな呼吸で吸い込んでしまった砂が喉に張り付いて、アオは何度か咳き込んだ。
直ぐ傍からもう一つ咳き込むのが聞こえて、どうやら少女は無事のようだ。





「もうッ…何なの、一体」





アオと少女が目を開けると、ダルマのような丸い体に短い手足。
坊主のような頭部に触覚のような黒い毛束、たらこ唇に、マワシを締めている。

ドドスコイと呼ばれる、巨人族のモノノケだ。
“飢渇之土俵”では、姿は見られるものの、あまり数は存在しない。
オアシス周辺を縄張りとしており、こんな砂漠の真ん中で現れる事は少ない筈。


砂煙が完全に消え去ると、少女がアオの隣に座りこんでいた。
アオが彼女を確認して直ぐ、彼女も傍らの存在に気付き、尻尾が大きく膨らむ。





「すまん。だが、緊急事態だ。勘弁してくれ」
「……分かってる」





苦々しい顔をしつつ、少女は直ぐに立ち上がり、剣を抜いた。
アオも刀を抜き、構える。



ズン、ズン、とドドスコイが四股を踏む。
それに合わせて、アオと少女の足元で地震が起きた。

かと思うと、ぼこりと二人の足下に大きな穴が出来る。





「うおぉッ!」
「やッ、やッ、何!?」





斜めに傾いた足元が、急速な速度で穴の中心部に向かって動き出す。
まるでアリ地獄のようだ。


円の穴の外側で、ドドスコイが四股を繰り返す。

少女が穴から飛び出そうと下半身に力を入れるが、足首から下が完全に砂に埋もれてしまっている。
飛び出そうとして叶わず、彼女は滑る砂の上に倒れこんでしまった。





「…なに、この砂ッ!」





ドドスコイが四股を踏む度に、砂が生き物のように彼女に纏わりついて行く。
倒れたのが更に悪い方向に彼女を導き、このままでは一分もしない内に彼女は砂の下に埋没してしまうだろう。

アオは刀を持ち替え、丘の上にいるドドスコイに向かって投げつける。
四股を踏むのに夢中になっていたドドスコイは、飛来物に気付かなかった。
アオは刀を投げた勢いのまま、バランスを崩し、前のめりに砂に落ちる。


ずぅん、と一際大きな地震が起きる。
それきり、もう揺れは起きなくなり、砂の動きもピタリと止まった。





「ふぅ……」
「ん……っく!」





一息吐いたアオの後ろで、少女が呻き声を上げている。
見れば、半身の埋もれた彼女がなんとか砂から脱出しようとしている所だった。


少女は下半身の殆どを砂に食われ、倒れた時に地面に立てた腕も埋もれてしまっていた。
これでは手を使って砂を掻き出す事も出来ない。

アオが近付くと、彼女の耳がぴくりと此方を向いた。
睨むように金色の眼がアオを射抜いたが、構わず彼女の傍らで膝を折る。
先に両腕の周りの砂を掘り出し、僅かに見える膝周りの砂を崩していく。





「終わったら直ぐに離れるよ」
「………」





ふい、と少女が目を逸らす。





「ただ、もう夕暮れだからな。そろそろ野宿にしようと思うんだが、構わないか?」
「……うん」
「少し進んだところに岩場が見えたから、其処にしよう」





こくりと、少女が小さく頷く。


砂を取り払い、少女がようやく立ち上がった。
落ちていた剣を拾おうと手を伸ばす。

その剣の柄に、地面から伸びた細い糸────触手のようなものが巻き付いている事に気付いたのは、アオだった。





「駄目だ!!」
「─────え、」





ぱちりと瞬き一つする少女。
駆け出したアオを見る少女の顔は、それまでと違い、幼く見えた。


地面から伸びていた触手が動き出し、少女の腕に巻きつこうとする。
しかし寸での所でアオが割り込んだ。





「────ッ!」





チクリ、としたものが手首に刺さる。
それが何かを確認する暇もなく、アオは腕の力で触手を振り払う。

ざあ、と砂が盛り上がり、地中から現れたのは、蟲の様な茶色の胴体に、頭の上に花を咲かせた生き物。
カルマと呼ばれる植物系のモノノケだった。



アオは其処に獲物がない事も忘れ、反射的に腰に手をやろうとして、右手が動かない事を知る。





(麻痺毒か!)





少女が剣を掴み、カルマの胴体を切り払う。
キィイ、と耳障りな鳴き声を上げて、カルマは土に還って行った。





「あんた…ちょっと!」
「…大丈夫、大した事はない」





心配そうに覗き込んでくる少女に、アオは笑って言った。
しかし笑顔が引き攣っていた事は自分自身でも否めず、右手のピリピリとした感覚に顔を歪めないのが精一杯だ。


少女は腰に取り付けていたポーチを開け、青い液体の入った小さなビンを取り出す。
ポケットから出したハンカチに液体を滲み込ませ、先ほどカルマの触手に巻きつかれた場所を包み込む。
感覚のなかった右手に、徐々にハンカチの冷たさが感じられるようになるまで、少しの時間を要した。



アオとしては、右手一本の麻痺ぐらいで、大騒ぎするような必要はない。
中和の為のこの作業も、野宿をするつもりだった岩場に移動してからでも構わなかった。

しかし、少女はじっと、真剣な表情で麻痺毒の治療を行っている。
ずっと警戒していて、近付く事すら許してくれなかった彼女が、折角こうしてくれているのだ。
無碍に断る事もない。


ようやく間近で見た少女は、きつめの眦こそしているものの、大きな瞳で愛らしさがあった。





「────ありがとう、もう大丈夫だ」
「……本当?」
「ああ」





感覚の戻った右手をひらひらと動かすと、少女はようやく、ホッとしたように息を吐いた。







































大きな岩が密集した場所に着いて、アオと少女は一つ長い息を吐いた。

まだ夕暮れなので、火を起こす事に急きはしなかったが、やはりあった方がモノノケを避ける事が出来る。
メモ帳とマッチで焚き火を作り、アオは火の横でばったりと大の字に倒れ込んだ。





「……辛いの?」





聞こえた声に首を巡らせると、立ち尽くしたままの少女が此方を見ている。
太陽の光が逆光になり、アオから彼女の表情は伺えなかったが、そのシルエットが心なしか頼りなく見えた。

アオは起き上がって、少女に笑顔を浮かべて見せる。





「大丈夫だよ。だけど、少し疲れたなって」
「…………」
「キミも疲れただろ? あれだけ立て続けに不意打ちを食らったし」





アオの言葉に、少女は「うん……」と小さな声で頷いた。
アオの荷物がある岩とは別の岩の下に、すとんと座り込む。

昨日の野宿で彼女はずっと起きていた。
恐らく、その疲れも今になって祟っているのではないだろうか。


荷物の中から缶詰を取り出して、封を切る。
見れば、少女も缶を切り、昨日と同じツナに齧りついている。





(好きなのかな? ツナ缶)





彼女がツナ缶を食べているのは、昨日・一昨日の夜だけではない。
日中の小休止の際にも、彼女はずっと同じツナ缶を食べている。

二人の荷物は、地図と方位磁石以外は、自分達で購買部などで購入するか、私物を持ってきたものだ。
だから、あのツナ缶は彼女が自分で選んで持ってきたものである筈。



のろのろとツナを食べている少女を、アオはなんとなく観察していた。
あまりじろじろと見るのは気分が悪いだろうから、彼女が気付かない程度に、ちらちらと。


缶が空になると、少女は缶に水を入れる。
缶の端に張り付いたツナを剥がして、フォークで解し、飲み干した。

少女は空っぽになった缶を見詰め、少し唇を尖らせている。
食べたりない、と金色の瞳がありありと物語っていたが、贅沢を言ってはいけない。
我に帰ってぶんぶんと頭を振り、フォークと空き缶を荷物袋に仕舞った。



少女が取り出したマントに包まった所で、アオも食事を終える。

ふと西の空を見ると、太陽が殆ど沈んでいた。
頭上から東にかけては、既に暗く、星の瞬きさえ望むことが出来る。





(今日はもうする事もないし。明日に備えて休むだけだが……)





焚き火に破ったメモ用紙を放り込みながら、アオは考える。
少女をどうやって休ませれば良いかと。


一昨日言った言葉通り、昨日も彼女は眠らなかった。
それでも平気だと少女は言っていたが、今日の連戦を思うと、これ以上彼女に無理をさせる訳には行かない。
何より、睡眠不足と言うものは、体調にとても響くものなのだ。



なんと言って切り出そう────と思いつつ、ちらりと少女を見遣って。
此方を見ていた少女と、確り目が合ってしまった。





「……………」





じぃ、と見詰める少女に、アオは数秒固まった。
初めてアオが彼女に声をかけた時とは、逆の立場になっている。


復旧まで時間がかかったアオだったが、我に帰ると、少女の瞳の色がこれまでと違う事に気付いた。

昨日も今日も、少女はずっとアオに対して、厳しい態度を取っていた。
一瞬でもアオの方から近付けば顔を顰め、アオが離れられなければ彼女の方が距離を取る。
とにかく、行動を共にする事そのものが、彼女には耐えられない事だったようだ。
アオを見詰める目には、憎悪に似たような色もあって、アオと和解する事など有り得ないと言った風だった。

それが今の彼女は、どこか泣き出しそうで、夕暮れのシルエットを見た時と同じ、頼りない雰囲気がある。
モノノケ相手に剣を構えていた時の勇ましさなど感じられない、取り残された迷子の子供のようだった。


アオは少しばかり視線を彷徨わせて、問い掛けた。





「あー……オレの顔に何かついているか?」





ベタ過ぎる質問になったが、少女は其処については言及しなかった。





「……そういう訳じゃあ、ないけど……」





帰ってきた彼女の声は小さく、辛うじてアオのいる場所まで聞こえてくる程度だった。

少女は、それから少しの間口を噤む。
言葉を捜しているような表情が見えて、アオは黙って続きを待った。





「……手、大丈夫なのかなって……」
「手? …ああ、うん。大丈夫だよ。なんともない」





カルマの麻痺毒を受けた右手は、今はもう、その名残すらなかった。





「……なら、いいけど……あれはあたしの所為だったから…なんか、気になって…」





自分を庇ったアオが負傷した事を、少女は気にしていたのだ。
麻痺毒を直ぐに治療したのも、そう言った罪悪感が彼女にあったから。

信用していない、信じていないとずっと言っていたのを、アオは構わずに助けてくれた。
今までの自分の態度と、それに怒ろうともせず、根気強く付き合っていたアオに対して、何を言えば良いのか、少女は分からなくなっていた。
信じれるようになったと言う訳ではないけれど、もう今までと同じように、刺々しい態度は取れない。


膝を抱えて、視線を逸らす少女に、アオは少しばかり呆気に取られていた。

カルマの麻痺毒なんて大した事ではなかったし、彼女のお陰で麻痺が広がる前に治療が出来た。
こんなにも彼女が気に病むような事だとは、アオは思ってもいなかったのだ。





「……麻痺毒って、性質の悪いものだと、神経まで壊しちゃうし。あたしの所為で…なんかあったら、嫌だし」





泣き出しそうな顔で離す少女に、アオは苦笑した。
やはり、優しい子なのだと。





「大丈夫。もう痕も残っていないくらいだ。キミが其処まで気にする事はない」
「……本当に?」
「ああ」
「…後から実は結構ヤバかったとか、言わない?」
「言わないよ」





どうやら、少女はとことん男性の言動が信用できないようだ。
多分、嫌な思いも沢山してきたのだろう、男嫌いもその所為ではないだろうか。



アオは制服の袖を捲り上げ、アームグローブを外す。
身軽になった手をひらひらと振って少女に見せ、足元の砂を握って拾った。
砂を落としながら握り開きを繰り返し、腕が思うように動く事を証明する。

少女はそれでも、不安げな表情を浮かべている。
じっと此方を見詰める金色の瞳は、アオの反応を伺っているように見えた。





「ちょっとそっちに行っても良いか?」
「え……あ、ま、待って。あたしがそっちに行くから、あんたはじっとしてて」





言うと、少女は荷物を持って、そろそろとした足取りでアオに近付いてくる。

長いマントを引き摺りながら歩く少女は、アオをじっと睨むように見詰めている。
動かないでよ、と小さい声で繰り返す所を見ると、アオが行動を起こさないか警戒しているのだろう。
アオが少しでも動いたら、飛び退いてしまいそうだ。


胡坐をかいてじっと待つアオの前。
後三歩ほどで距離がゼロになる位置で、少女は足を止め、しゃがんだ。
傍に火があるので、これでも十分、お互いの顔を見る事が出来る。

アオが右手を差し出すと、少女は恐る恐る、首を伸ばしてアオの右手を眺める。





「……触っていい?」
「ああ」
「…動かないでね」
「ああ」





少女がそっと、右手を持ち上げて、アオの腕に触れる。

一頻り触れてから、少女は手を引っ込める。
それから、ずりずりと後ずさりしていく。





「…なんともなさそうね」
「ああ」





少女は、アオから3メートル離れたところで、マントに包まった。
その瞳から不安が薄れた代わりに、眠たそうな欠伸が漏れる。





「今日はオレが火の番をするから、キミは眠るといい」
「…………」
「昨日も一昨日もキミにしてもらったから、そろそろ交代しないと、オレの方が落ち着かないんだ」





幾ら本人が大丈夫だと言っても、いつまでも女の子だけに任せる訳には行かない。
寧ろこういう事は男の方が引き受けるものではないかと、アオは思うのだ。


少女はしばらく沈黙した後で、腰に挿したままにしていた剣を外す。
鞘をしたままの剣で、砂に線を引いた。
此処から先は進入禁止、と言う事だ。

線で自分の周囲を囲って、少女は其処で横になる。
剣は何かあった時にすぐ動けるように、傍らから離さない。





「……こっち来ないでよ」
「ああ」





こうまでしても、彼女が本当の意味で休めるかどうか、それはアオには分からない。
だが、横になって目を閉じる事が出来るだけでも、多少は体を労われる筈だ。




それから、少女が本当に眠ったかどうか、アオは確認していない。
何度か寝返りを打つ気配があっただけで、寝息は聞こえてこなかった。

それでも─────少しは近付けたかも知れない、とアオは思った。