合同校外修練 04







アオは走っていた。
僅かに遅れて、少女も走る。

その前方には、大きなトカゲ。
モノノケではなく、人を襲うこともない野生動物だ。


トカゲは口に袋を抱え、一目散に走る。
追い駆ける二人との距離がどんどん開いて行き、やがて二人からトカゲの姿は見えなくなってしまった。



山のように小高くなった砂丘の上まで登って、アオは足を止める。





「………しまった……」





深い溜息を吐いて、がしがしと頭を掻く後ろから、少女も山を登ってくる。
疲労はアオよりも濃いようで、何度も砂に脚を取られて転んでいた。
体のバランスを取る事さえ、難しくなっている。





「っは…はぁ……と、トカゲ……どこ行ったの…?」
「……見失った。すまない」





隠れる場所などないと思われるような砂漠だが、隠れるスキルを持っている生き物はいるのだ。
大きな鍵爪を持っていたあのトカゲは、十中八九、砂の下に潜り込んだに違いない。
こうなると、アオと少女にはもう追う事は出来なかった。

トカゲと追いかけっこを始めて、約一時間弱。
灼熱と不安定な足場と格闘しながら走った苦労は、無駄に終わってしまった。


少女がへなへなと砂の上に座り込む。





「ご飯〜………」





悲愴な声で呟くと同時に、少女の腹の虫が鳴る。
釣られたように、アオの腹も盛大な音が鳴った。





「くそ…油断した……」





がっくりと肩を落とすアオ。



トカゲが口に咥えていた袋には、アオと少女の食料が入っていた。
そろそろ休憩を兼ねて昼食にありつこうと、荷物袋から出した所を狙われた。

旅人の持ち物を狙う動物やモノノケがいるのは分かっていたし、授業でも教わった。
分かっていたつもりだったのに、この三日間で一度も狙われなかった事から、完全に気が緩んでいた。


盗まれたのがアオか少女か、片方だけだったなら、追いかけたりはしなかった。
食事量は減ってしまうが、今日一日を乗り切れば、明日の昼にはトコヨの街に到着する。
出来るだけ無理を避けて進めば、終盤に空腹に苛まれることはあっても、行けない事はなかった。

だが二人分纏めて盗まれるとなると、無視は出来ない。
だから必死で追い駆けていたのだが─────結果はこの有様。





「他の荷物は?」
「あたしは無事」
「オレもだ。水だけで、なんとか乗り切るしかないか……」





盗まれたのは食料のみ。
何かトカゲを追い駆ける時に落とした物もあるかも知れないが、今それを気にする余裕はなかった。


方位磁石を取り出して、方角を確認する。
目を凝らして当たりを見渡すと、尖った大きな岩が遠くに見えた。
地図を開けば目印として記されている。

トカゲを追いかけた事で本来のルートから大きく逸れてしまったが、今日一日歩いて十分取り戻せる範囲だ。
方向を修正して地図を辿って行くと、途中にオアシスの近くを通る事が分かった。





「動けるか?」
「うん……」
「トコヨの方角にオアシスがある。其処まで行こう」





少女が立ち上がるのを待って、アオは歩き出す。





「次から、食料は分割して持っておいた方がいいな」
「そうだね……でも、そうなると嵩張るから、缶詰ばっかり持って行けないな……」





─────昨日の一件から、少女のアオに対する態度は少しずつ軟化していた。
5メートルあった距離が少しずつ近付いて、今は会話をする分には問題のない距離。
あまり会話が弾む訳ではないが、最初の時のことを思えば、かなり近付いたと言って良い。

今朝からぽつぽつと会話をするようになった中で、アオの予想通り、彼女がツナ────魚が好きなのも分かった。





「ウヅメ先生が新しい携帯食料を作るとか言っていたと思うが…」
「くのいち科の先生でしょ。……あたしは、あんまり期待してない。噂で色々聞くし…」





ウヅメと言う教師は、くのいち学科とアイドル学科の総合指導担任をしている。
ドワーフ同様に背が小さく、しかし見た目はヒューマンとほぼ同じ、グラッズと言う種族で、大人なのだが身長はアオや少女よりもずっと小さく、童顔で、幼い少女にも見える。
しかし童顔と身長の低さに対し、不似合いなほどの豊かなプロポーションをしており、自分をロリ系セクシー教師だと自負している。

アオも彼女と直接逢った事はないが、偶然くのいち学科の授業を目撃した。
その時見たウヅメは、噂に違わぬ露出の高い衣装で、そのプロポーションを惜しげもなく、道行く生徒達に見せ付けていた。

他にも、ミナカタが彼女について愚痴っているのもよく聞く。
厳格と言う言葉が似合うミナカタには、ウヅメのあのスタイルは「教育者として宜しくない」との事らしい。
ウヅメの方は、そんな同僚からの評価をまるで気にしていないようだ。


ウヅメは携帯食料の研究に余念がない。
今の所は不味いものが殆どで、生徒からも不評が多い携帯食料を、旨いものにしたいと日々研究しているらしい。
材料集めを修練として取り上げ、生徒に手伝って貰う事も多い。

その材料集めを参加した生徒が、「とんでもないものを集めさせられた」と言っていた事から、彼女の携帯食料研究に不安を抱く生徒が数多くいるのである。
彼女本人は、やっぱりそう言った周囲の反応を気にしていないそうだが。



だが、彼女の研究は上手く行ってくれれば、アオたち生徒も助かるのだ。

修練や使いで義塾を出て、遠方へ行かなければならない時、荷物は出来るだけ軽くしたい。
食料は出来れば予備分も持って行きたいが、多ければやはり邪魔になる。
この心配が解消されれば、旅も随分楽になる筈だ。





「まぁ、何がどんな材料になるのか、オレ達では分からないものもあるんだろう」
「……だからって、バブルンの吐いた液なんか、あたしは食べたくない」
「……厳しいな、それは……」





ドロドロの不定形なモノノケ────バブルンは、女性にはとことん嫌われている。

ただでさえ異臭を撒き散らして、うぞうぞと動き回るモノノケなのだが、吐き出した液体がまた更に酷い匂いを放つ。
粘着な性質をしており、大抵集団を形成して行動し、獲物を定めるといつまでも追い掛け回す。
液は強い酸性があり、成長したものによっては、鎧金属さえも溶かすと言う。

匂い、姿形、その性質と、女性にと取っては嫌いな要素しかない。
捕まって匂いがついて、三日三晩悪臭に苛まれたと言う話もある程だから、匂いに敏感なフェルパーである少女にとっては、出来る限り近付きたくない相手だろう。





「缶詰、もっと小さくなってくれたら、もっと一杯持って行けるのに」
「オレは握り飯をもう少し上手く保存する方法があればいいな。作るのも簡単だから手持ちには良いんだが、少し経つとベタつくのを通り越して、乾燥してしまうからな。硬くなると食べられないし」
「……おにぎりなんて、食べたことない」





しみじみと語るアオだったが、少女の言葉にぱちりと瞬き一つ。
隣の存在を見ると、少女は常と変わらない表情で、すたすたと歩を進めている。





「……米は、食べたことは?」
「それもない」





一瞬驚いたアオだったが、直ぐに思い出す。
学校には、様々な所から集まった人々がいるのだと。

アオの住んでいた地域では米食が基本だったから、パン食が主となる食事には、未だに違和感がある。
米よりパンの方が旨いと言うのもよく分からないし、魚の干物が食べ物に見えないと言う感覚も想像できなかった。
出身地によって食生活は大きく違っている。





「そうか。今度、食堂で食べてみるといい」
「……食堂、嫌い……」
「む……そうだったか。じゃあ購買に行くと良いぞ。食堂で食べるように出来たてと言う訳にはいかないが、携帯にも良いし、冷蔵庫に入れておけば二晩ほどは持つ。朝食にでも食べればいい。乾燥していなければ、温めればそこそこ旨いしな」
「……気が向いたら、買う」
「ああ。ただ、食べ過ぎると栄養過多になってしまうから、気をつけてな。戦士学科だし、動く授業も多いだろうから、心配ないかも知れないが」





────と、アオが其処まで放した所で、少女の腹の虫が鳴る。





「……ご飯の話なんか、するんじゃなかった……」
「……すまん……」

































小高い砂の山を何度か越えた後。
砂の中にポツンと緑色を見つけた時、この世の天国を見つけたような気持ちになった。



見つけた時点では何キロも遠くにあったオアシス。
根気強く歩いて、歩き続けて、アオと少女は待ち望んだ水場に辿り着いた時には、陽が西へと大きく傾いていた。

柔らかく細かな砂地を踏み続けていた足が、オアシスの草地を踏んだ時の達成感と言ったら。
熱射を浴び続けなければならなかったのが、生い茂った木々に守られた時の安堵感と言ったら。
透き通った水面に触れ、冷たく清らかな水を飲んだ瞬間の、充足感と言ったら────なんと言葉にして良いものか。





「…………っはぁ〜! 生き返る!」
「んっく…んぐ、ん、んく、」





歩き続けている内に、二人の喉はカラカラに渇き、汗も出なくなっていた。
水筒の水も心許無くなっていたので、無闇に口をつけることも出来ずにいた。

そんな二人にとって、このオアシスに辿り着くことは、生命線を握るも同然だったのだ。


砂埃に塗れた顔を、冷たい水で洗うアオ。
それと少し離れた位置で、少女が水面に直接口をつけて飲んでいる。





「水がこんなに有難いものだったとは……」
「ご飯も」
「ああ、そうだな」





食料がなくなった事で、二人の精神はかなり追い詰められたと言って良い。
黙々と歩いているだけでエネルギーは消費され、食料がなければそのエネルギーを補給する事も出来ない。
食べるものがないとなれば、水に頼るしかないのだが、これも量が限られている。

ただ歩くだけなら、それでも耐えられたのだが、現れるモノノケがそれを許してくれない。
空きっ腹で戦うのは、かなり堪えた。


少女が水面から口を離したのを確認して、アオはブーツを脱ぎ、裸足を水面に下ろした。
それを見た少女も、ブーツを脱いで、脚を水につける。





「冷たい」
「でも気持ち良いな」
「うん」





少女の尻尾がゆらゆらと揺れる。
口元が緩んでいるので、嬉しいのだろう。





「日が沈む前に着けて良かった。此処まで来れば、もう明日の昼にはトコヨに着くよ」
「うん」





ぱしゃん、と少女が脚を跳ねさせると、水飛沫が飛んできらきらと光る。
少女の金色の瞳がそれを追い駆けて、楽しそうにまた脚を動かす。
水面が幾つも波紋を作って、オレンジ色の光を反射させた雫が何度も舞い上がった。

なんだか、少女が酷く幼いように見えて、アオは小さく笑みを零す。



出発した日、男が信用できないと言った時、彼女はとても冷たい目をしていた。
アオへの態度は刺々しいもので、会話もまともに成立しなかったし、そもそも会話をする事そのものを拒否していた。
二日間の寝ずの番も不信感から来るもので、ずっと彼女は気を張り詰めさせていたのだろう。
彼女にとって、今回の修練は、地獄以外の何者でもなかったに違いない。

それが、今は会話もするし、こんな表情も見せてくれる。
オアシスに辿り着いた安堵感で、繋ぎ止めていた緊張感が切れてしまったのもあるだろう。


─────これなら、もう少しコミュニケーションが取れるかも知れない。





「少し良いか?」





アオが声をかけると、少女の脚がぴたりと止まる。
横目で此方を伺っている。





「今更なんだが……キミの名前を教えて貰えるか?」
「……名前?」
「ああ。折角、同じペアになった訳だし」





少女はしばし沈黙して、視線を彷徨わせた後で、





「……いいよ」





濡れた脚を水面から上げて、腕に抱えて少女は言った。


ならば、名乗るのならば此方から。
アオの家では、そういう教えだった。





「オレは、アオ」
「……ヨーコ」
「宜しく、ヨーコ」





握手でもしたい所だったが、彼女はきっと、自分に触れようとしないだろう。
笑顔で改めて挨拶をすると、少女────ヨーコは少しだけ口端を上げて、頷いた。

それから、またぱしゃぱしゃと水を蹴って遊び始める。





「……オアシスなんて、初めて」
「オレも初めてだ。砂漠越えもした事がなかったな。ヨーコはどうだ?」
「…あたしは、キャラバンにいたから、何度もやった。タカチホにも歩いて来たし」





それは凄い。
アオは純粋に感心した。

見たところ、ヨーコはまだ若いし、アオよりも年下だろう。
これがエルフやフェアリー、ディアボロスのような長命種なら分からないが、フェルパーは確かヒューマンと同じ程度だった筈。
そんな少女がキャラバンに参加していた上、一人で砂漠越えをするなど、簡単な話ではない。





「でも……キャラバンにいた時は、食料や水は必ず余分にあったし、モノノケと戦うのは全部大人がやってた。だから、こんなに大変だったなんて、思わなかった」
「タカチホに来た時は、誰かに送って貰ったのか?」
「ううん。一人だった。でも、モノノケには出来るだけ遭わないようにしてたから……集団を相手にすると上手く行かないのも、初めて知った」





剣の使い方や、戦い方のいろはは、キャラバンで叩き込まれたと、ヨーコは言う。
仕事は殆ど雑用で、モノノケと遭った時には戦う為のメンバーが前線に立った。
ヨーコは邪魔にならないように馬車やテントの中にいて、武器は精々、護身用扱い。
戦士学科に入学できたのは、その教えられた剣の技術によるものだけれど、入学するまではまともにその技術を使った事もなかった。

ヨーコの戦い方に躊躇がないのは、実戦を目の前で見続けてきたから。
アオの目から見て、彼女の動きに無駄が多いのは、見てきただけで自分自身で戦った事がなかったからだ。





「そうか。オレは随分昔、父の旅に一年ほど付き合わせて貰った事があるが、砂漠には来なかった。オレも子供だったし、父も行く先を選んでいただろうから、あまり辛い思いはしなかったな……」
「モノノケは?」
「その頃には、今ほど数はなかったし、凶暴な奴もいなかった。いや、父上がそういう道を選んでいたのか…? まぁともかく、辛いと思うような事や、怖い思いは殆どしていない」





だから、改めて今回のこの修練で、冒険者と言うものが簡単な職業ではないのだと実感した。





「冒険者としては、ヨーコが大先輩だったんだな」
「……別に……」





ヨーコの顔が赤くなった。
夕日の所為だけでないのは、明らかだ。

誤魔化すように、ヨーコは素早い動きで水から脚を引っ込めて、立ち上がる。





「それより、ご飯」
「……って、食料は─────」





アオの疑問を気にせず、ヨーコはブーツを履いて、すたすたと歩き出す。
置きっぱなしにしている荷物にではなく、草木の生い茂る方向へ。


オアシスとは言え、此処は決して安全とは言い切れない。
ドドスコイはオアシス周辺を縄張りにしている事が多いし、このオアシスにいないと言い切れる保障はない。

アオも水から脚を上げると、ブーツを引っ掛ける形で履いて、ヨーコを追う。
鬱蒼と重なるシダの葉を押し退けていくと、木に巻きついた細いツルをじっと見ているヨーコを見つけた。
ヨーコはアオが近付いてくるのに気付くと、ツルを引っ張って千切り、アオに見せる。





「シダアロアの茎、食べれるの。アク抜きしないといけないけど」
「へえ……」
「それから、あんたの足元。横にクレソの木があるでしょ。少し苦いけど、根が食べれる」
「ふむ。成る程……ある所にはある訳だ」
「あと、オアシスの外側にグルシアサボテンがあったから、切って樹液を集めれば、石鹸代わりになるよ」





水は此処には綺麗なものが幾らでもある。
火を起こせば湯は作れるから、茎のアク抜きも出来る。

サボテンについては、やはり女の子だからだろう。
この三日間、砂埃に塗れ続けるのは致し方がないとしても、さっぱりしたい気持ちはあるに違いない。





「それじゃあ、クレソの根と、サボテンの樹液はオレが集めて来よう」
「……クレソの根、結構硬いから、切り取るの難しいよ。この辺り、地面も固そう」





コツコツとブーツの爪先で地面を蹴りながら、ヨーコは言う。
大丈夫なのか、と。

それこそ、力仕事でアオが引き受けるところだ。
笑って頷いたアオに、ヨーコは「じゃあ」とシダアロアの茎を探すことに集中し始めた。