Kraken 後編



不意に肌寒さを感じて、京一は自分の体を見下ろした。
すると、触手の数本が京一のシャツの下へと滑り込んできている。




(なんだ!? 何してやがる!?)




京一はパニックを起こしていた。
蛸が何をしようとしているのか、もう全く判らないのだ。

捕食するとばかり思っていたのに、そんな素振りは全く見せない。
体液を吐き出したのは、獲物の抵抗を奪う為とも思えたのだが、どうにも違うようだ。


ぐねぐねと捻りながら、触手は京一のシャツの中で好き勝手に動き回る。
皮膚を撫でるように摺り上がり、やがてそれは胸部の頂を掠めた。

瞬間。




「んッ…!?」




微弱な電流に襲われたような感覚がして、京一は瞠目して身を反らせた。

触手が触れたのは、乳首だ。
蛸は其処を執拗に弄り始め、その都度、京一の躯は意思とは関係なく跳ね上がる。




「んッ、んッ、ふぐッ……ふぅッ…!」




触手を咥え込んだままの唇の隙間から、呼吸とは違う息が漏れる。

ピリピリとした刺激は脳内まで達し、京一の思考は融解を始めようとしていた。
それは駄目だと、死を選ぶようなものだと判っている筈なのに、脳はそれでも志向の役目を放棄しようとしている。


触れる度に反応をするのが面白いのか、蛸の眼球がぎょろぎょろと動く。
京一は虚ろな意識の中で、辛うじてその動きのみを確認する事が出来た。




(哂ってやがる)




腹が立つ。
躯さえ自由であれば、疲労さえなければ。
そうすれば、こんな気持ちの悪い生き物は即潰してやるのに。

─────幾度そう思えども、既に京一の躯は彼自身の意思通りに動かなくなっていた。


指先が痺れるような感覚がする。
それに気付いた頃には、辺り一体から漂う蛸の体液の異臭を、おぞましいとすら思う事を忘れていた。




「んぐッ、んッ、んん……」




左右それぞれの乳首に二本の触手が纏わりつき、尖った先端を挟んで擦るように動き出す。




「ふぅ、んくぅッ……ふぅ、ぐ、んッ…!」




京一の瞳から、常の強気な光が失われていく。

それは駄目だ、駄目なんだと何度も繰り返し自分に言い聞かせるが、脳はコントロールを取り戻さない。
触手に拘束された腕の先の指が、刺激が与えられる度、ピクピクと痙攣して動いた。



蛸の後ろ側から新たな触手が生え、京一に近付く。
それは頭の天辺から爪先まで、ゆっくりと、数回上下に移動した後、動きを見せた。

カチャカチャと音がして、京一はぼんやりとその音の発信源を見る。
すると、凡そ知識など皆無と思われるような軟体動物の足は、器用に京一のスラックスのベルトを外そうとしていた。




(待てよ)

(まさか)

(冗談─────)




在り得ない在り得ない在り得ない。
在り得るなんて思いたくない、溜まったものじゃない。

過ぎった可能性に、奇妙な熱に浮かされかけていた京一の思考は、一気に氷点へと落ちた。


麻痺したような感覚に苛まれた上、撒き付いた触手によって拘束された腕。
其処に氣を集中させようと、京一は固く目を閉じて、意識を両腕だけに集中させた。

だが、疲労を抱えた躯は、いつもの十分の一にも氣を高めようとしない。
何より口の中に我が物顔で居座ったままの触手の所為で、呼吸が出来ない。
息を詰めれば邪魔をするように喉奥で触手が蠢いて、餌付いた。



ベルトの前が外されて、緩んだスラックスの前部から、触手が中へと潜り込む。




「んんッ!!」




トランクスの下へと潜った触手は、そのまま京一のペニスに撒き付いた。

ショックだった。
そんな場所に撒きつかれた以上に、半勃起状態であった自分自身に。


これ以上は絶対に御免だと、京一は無駄な抵抗であろうと構わないと、咥内の触手に歯を立てた。
今になっての抵抗を予想していなかったのか、ビクリと咥内の触手が強張り、蛸がぎょろりと目を見開く。
虚をついてやったと言う事に、京一は僅かに気分が良くなる。

だが、それも一瞬の事。




「………!?」




京一の咥内で、触手がボコボコと動き出す。
直後、どろりとした液体が京一の喉奥へ向けて吐き出された。




「お、がッ……!!」




最初の抵抗の時に吐き出されたものと同じ液体だ。
あの時と同様に、今回も吐き出す事は許されなかった。

首に巻きついた触手の締め付けが緩み、代わりに京一の顎を持ち上げる。
上向きにされて、喉から食堂器官、胃への通路が真っ直ぐになる。
蛸はそれを判っていて、体液を京一の喉奥へと流し込んでいった。


息苦しさと吐き気と拒否感と、最初に飲まされた直後の虚脱感。
それらが一気に襲い掛かってきて、京一は弱々しく首を横に振った。
嫌だ、と。




「あが、はッ……あぉ……」




京一の瞳から光が失われていく。
明滅するような頼りないものだけを残し、後は溶けて行ってしまう。



京一の躯から力と言う力が抜け切ると、また蛸の眼球が笑う。


ペニスに撒きついていた触手が上下にそれを扱く。
ぞくぞくとしたものが背筋を駆け抜けて、京一の喉から悩ましげな音が漏れる。




「んあ、ふ、あッ……あふ、ふぅッ……!」




化け物の愛撫で感じている─────認めたくない、事実。
なのに、不思議と嫌悪を感じる事はなかった。

鼻につくはずだった体液の異臭が、気にならない所か、心地良くさえ思える。
脳がやられたんだと、現状と切り離したような冷静な思考が分析していた。


数本の触手がスラックスを掴んで、ズルズルとずり上げる。
トランクスごと引き上げられて、京一の勃起したペニスが蛸の前に晒された。




「あふ…あぁ……あ、あ、あ……」




亀頭の先端から先走りの蜜が溢れ出している。
新たな触手がその先端を突付き出して、京一は腰を震わせて喘いだ。




「あはッ、あぐ、あッ! んんぁ、あッはぐぅッ」




ビクン、ビクン、と京一の躯が跳ねる。


ぷくぅ、と蛸の足中にある吸盤が膨らみ、体液が再び吐き出される。
ぐちゃりと嫌な粘着の音を立てて、それは京一の股間を濡らした。

その直後、京一は強烈な熱に襲われる。




「あッ、ああぁッ! んあぅ、はぁッん!」




蛸の足が自身を扱く度、何かが躯の奥から沸き上がろうとして来る。
それはきっと受け入れてはいけないものなのだと、京一は本能的に悟った。

だが蛸はそれを耐えようとする様を嘲笑うように、京一のペニスを激しく扱き出す。




「あひッ、ひゃへ、はめ……ひぁ、あッやら、あッ、あぁああああッ!」




躯を大きく痙攣させて、京一は射精した。
嫌だ、と叫ぶ彼の心に反して。



化け物に────それも蛸にイかされてしまった事は、京一にとって酷く屈辱的で、認めたくない現実だった。
これなら喰われた方が、死んだ方がマシだと思う程。

巨大な蛸の前に生贄のように吊るし上げられ、あらぬ場所を露にして。
気持ちの悪い体液を飲まされて、それを全身に浴びせられて、奉仕されて快楽を感じて。
挙句の果てに絶頂を迎えさせられるなど、泣きたいを通り越して、死んでしまいたかった。


だが蛸は京一を気配する様子もなければ、未だに喰らおうとすらしない。
ぐったりと力を失った人間を更に弄ぶように、京一の足を持ち上げる。



両腕を頭上へと纏められ、足も持ち上げられ、Vの字に折り畳まれた格好にされる。





「は…ッ、は……あ、……ふぁあ…は、や、ら……」




射精したばかりで萎えたペニスを、また扱かれる。

絶頂を迎えた直後の躯には、ささやかな刺激さえも辛い。
弱々しい拒絶をする京一に対し、蛸は更なる責め苦を加える。


それまで先端を子供がするように突いていた触手が、標的を変えた。
また意思に反して持ち上がりつつあるペニスに撫でるように纏わりついた後、それは更に下へと降りていく。
やがて触手は潜められた秘部の口に触れた。




「ん、あッ…!?」




ぞくりとしたものが背筋を駆け上がり、京一は嘘だ、と胸中で叫んだ。




(そこ、は…其処だけは……!)




ふるふると頭を横に振る。
だが、無常にも触手は一線を越えて潜り込んだ─────アナルへと。




「んッ、んんぁあああぁああッッ!!」




潜り込んで来た触手は、先端だけが細く、後は太い。
そんな物があらぬ場所に捻じ込まれたと言うのに、京一は痛みを感じなかった。




「んあッ、あッ、ああふッ! あはッ、あんん!」




侵入したままの触手の吸盤から、どくどくと液体が溢れ、京一の体内に流れ込む。
それを収縮する肉壁にこすり付けるように、触手は激しく京一のアナルを出入りする。

ぐちゅっじゅぷっと卑猥な音が鳴る。
その度に京一の躯は跳ね上がり、仰け反り、喉奥からは男とは思えないような高い声が漏れる。




「あはッ、あぁあッ! んは、はぁん!」




持ち上げられ、秘部を見せ付けるように足を開かされる。
ぎょろりと剥き出しの蛸の眼球が、じぃと其処を食い入るように見詰めていた。

化け物に犯されて、見られて、それは京一にとって最悪の状況だ。
だが、嫌だと暴れる力も、そもそもそんな思考さえも今は別の感覚に取って代わられてしまう。


アナルを犯され、奉仕された京一のペニスは、頭を持ち上げていた。
膨張したそれは吐き出される瞬間を待ち侘び、震えている。




「はひッ、はぁん! は、あがッ、あはあッ……!」




そして京一自身もまた、射精の瞬間を待ち侘びていた。


激しい抽出を受けて、京一のアナルはその悦びを感じてしまっている。
アナルの中で吐き出された体液は、穴口と触手の隙間から溢れ出し、地面に粘ついた水溜りを作った。

蛸はアナルとペニスへの刺激で反応する京一の様が面白いのだろう。
玩具に夢中になった子供のように、更に激しく京一のアナルを侵し、ペニスを扱いた。
蛸足に拘束された京一の躯が、その力でも抑えられないほどに大きく仰け反る。




「んぁッひゃめえッ、ヒくッ、ヒッんあぁああぁああああッッ!!」




くぐもった悲鳴を上げて、京一は二度目の絶頂を迎えた。
ビュクッと勢い良く吐き出された精子が地面に落ち、蛸の体液と混ざり合う。


京一が達しても、攻めは止まない。
新しい触手がまたアナルに伸びて潜り込み、京一は目を見開いて喘いだ。

京一の躯が更なる刺激に慣れるのを待たず、二本目、三本目とアナルを攻める触手は増えていく。
ぐちゅぐちゅと嫌な音を立てて、触手はアナルを侵し、肉壁を抉り奥へ奥へと潜る。



ずるり、と京一の咥内から長く其処に収まっていた触手が抜け出た。
直後に京一の喉から零れ出したのは、化け物への罵倒でもなければ、助けを請う言葉でもなく、意味を持たない喘ぎ声だった。




「あッあひッ、はぁッ…! あ、んぁ、あッあッ、あふ、やは、あぁん…!」




自分がAV女優のような声を出している事には気付いているが、止める事も出来ない。
触手を加えたままの喉の奥から勝手に出て行くのだ。
どうにもならない。

そう、どうにもならないのだ。
拘束された腕も、ペニスを奉仕されてている事も、アナルを犯されている事も、何もかも。




「あッ、あッ、あんぅッ! はん、らめ、ケツ穴らめえ…! アタマ、変にな…あぁあッ!」




アナルを犯していた触手が一気に抜け出て、肉壁を擦られる感覚に京一は高い悲鳴を上げる。


責め苦から解放されたアナルは、ヒクヒクと伸縮して、蛸にはそれが物欲しそうに見えた。
二つの単眼がぎょろりとアナルを見詰め、その視線すら京一は感じてしまう。




「はぁ、はぁあん……! あ、んぅ、ひッ…はぁ……ッ」




宙吊りにされたまま、京一の腰が僅かにゆらゆらと揺れた。

剥き出しの眼球は、皮膚と筋肉、脂肪に隠された躯の奥底まで透けて見えているような気がする。
京一は、化け物に視姦されているような感覚に陥っていた。
本来ならばおぞましさに吐き気を覚える所だろうが、蛸の体液によって正常な思考を奪われた彼には、そうであるとすら気付く事が出来ない。



窮鼠部分に蛸足が絡み付いて、持ち上げられる。
足を限界まで開かされてしまうと、京一は蛸に対して秘部を突き出すような格好になっていた。




「あ、あ…やめ…あ…んぁ……はぁああ……」




呟かれる拒絶の言葉すら、本心かどうか最早判らない。
正気を失う麻薬性の体液と、激し過ぎる快感に、京一の思考は完全に堕ちていた。


先程まで口に収まっていた触手が持ち上がり、アナルの口を掠めた。
それだけで京一の躯はビクリと跳ね上がり、悩ましい吐息が零れる。

他の触手よりも太いその触手が、ぐちゅりと音を立ててアナルに潜り込んだ。




「はぎッ、ひぃぃいんッ!」




下肢を突き上げる触手の吸盤が凹凸感を作り、肉壁を擦る刺激がより一層強い快感に変わる。
痛みは欠片もなく、躯は快楽を貪る為の道具になってしまったようだった。




「あッ、あふッ、あぁんッ…! んひ、太い……ッふや、あぁッ…!」




圧迫感と、それにより締め付けと、何より最奥を打ち付ける強さ。
細い触手が何本も出入りするのとは違う。


ビクビクと跳ねる京一の肌の上を、遊び場を失った細い触手が右往左往する。
体液と精液を纏った触手達は、それらを京一の肌に擦り付ける様に皮膚を滑る。

やがて一本が乳首を捕まえると、京一の喉から甘い声が上がった。
蛸は機嫌を良くしたようにうねうねと触手を躍らせ、触手は京一の胸部へと群がり始める。
絡み付いた触手に抓られ、コリコリと摘むように刺激を与えられ、京一は身を強張らせた。




「ひゃめッ、あッあッ! ちくび、ちくびらめぇッ…! あひ、ふぅんッ!」




硬化したように勃起した乳首は、当然、官能に対して過敏になっている。
頭を振って拒否しようとするが、それで抵抗になる筈もない。

嫌がる姿を面白がるように、更に触手が群がり、乳首を攻める。
同時に下部の突き上げが激しさを増し、京一は舌を伸ばして悶え喘ぐ。




「んぁ、おく、奥当たッ……あひッ、あ、ン、うッんッんッ! ふぁッ!」




全身から昇ってくる快感に抗う術が判らない。
抗おうとする気力すら奪われる。




「も、イく、イくッ! イく、から…も、ひゃめ……はぁんッ!!」




体内を抉る触手が前立腺を捉え、直後に京一の亀頭から精液が溢れ出す。
にも関わらず、蛸は休む事なく京一の敏感な箇所を攻め立てた。




「そこッ、そこやめッ、はぁあッ! あふ、んあッあひぃッ!」




抽出を繰り返されて広がったアナルに、また新たな触手が近付いた。
太い触手を咥え込んだそのヒダを摘み、押し広げるように皮を摘み引っ張る。
それさえも京一にとっては快感だった。

ゾクゾクと脳天まで駆け上る快楽に、京一は既に考える事を放棄した。
そうでもしなければ、躯よりも脳よりも、心が耐え切れなくなるから。




「や、やら、ケツ穴、拡がるうッ! はひッ、奥も、ふといのぉッ!! またイくぅう!」




抵抗を忘れて従順に弄ばれる少年に、蛸は夢中になった。


こんなにも生きの良い元気な餌は珍しい、どうも他の生き物とは違うようだがそれはどうでも良かった。
大抵の餌は少し遊んでやると壊れて動かなくなってしまったので、詰まらなかったのだ。
だがこの餌は違う、他のどの餌よりも頑丈で、怯えるよりも反抗してくるのが気に入った。

直ぐに喰ってしまうのは勿体無い。
自分の体液はどうやら餌を生き永らえさせ、保存する事が可能らしいから、このまま暫く遊ぶのも良い。
餌は鼠なり土竜なりでも良かったし、今回と同じような形の餌も時々落ちてくる。
何より今は特別腹が減ってる訳ではないし、急いで喰う理由もなかった。






「んぁッ、あッ、ひゃうぅぅうッ! イく、止まんね、らめぇええ!!」






この餌なら良い、喰うなら飽きてしまってからで──────


そう、蛸が思った時だ。
頭部を強烈な衝撃が襲い、それは蛸の頭を後部から前部まで一気に貫いた。

ぎょろりと単眼が巡り、衝撃の正体を確認しようとする。
しかしそれよりも早く二撃目が頭部全体の中心を貫き、蛸はそれによって絶命を余儀なくされた。



主を失った無数の触手から力が抜け、京一の躯が地面へと落ちようと傾く。




「京一!!」




響いた声に京一が反応する事はなかった。























目が覚めた時に最初に見たのは、子供の頃から何度となく見た、大嫌いな病院の天井。

其処がどういう場所であるかは直ぐに理解できたのだが、何故此処にいるのかは思い出せなかった。
なんで此処に、と自問してはみるものの、其処から先に思考が働かない。


ぼんやりと天井を見詰めていると、視界に陰が落ちた。
艶のあるストレートの黒髪に心配そうに潤む瞳、泣き出しそうな表情───────




「…………葵……?」




仲間の名を呟けば、少女────葵の大きな瞳から、ぽろりと雫が零れた。

続いて勝気な瞳の少女が顔を出して、それが小蒔だと辛うじて認識する。
小蒔は瞠目した後、直ぐに踵を返して視界から消えてしまった。




「高見沢さん! 京一、起きた!」




此処が病院である事も忘れたように、小蒔は高い声で叫ぶ。
それからパタパタと足音がして、ナース服の女性が京一の視界に入ってくる。




「大丈夫? 自分の名前は言える?」
「………………京一、………」
「此処が何処だか判る?」
「………びょーいん、……」
「この指、何本に見える?」
「…………三本、………」




矢継ぎ早に問い掛けた後で、高見沢はほうっと息を吐いた。
それから京一の手を取り、手首に指を当てて脈拍を測る。

その頃には京一の意識も幾らかクリアになり、首を動かして室内を見渡せるまでになっていた。
ベッドサイドには葵が安堵した表情で涙を流し、それを宥める小蒔もまた、目尻に雫を浮かべている。
入り口傍の壁際には龍麻と醍醐が立っており、龍麻はいつも通り、醍醐はホッとした表情だ。
その二人の傍らに、自分の木刀も、いつも通り太刀袋に入った状態で立てかけられていた。




「脈拍数は正常、幻覚症状の類もない。もう大丈夫よ」
「良かったあぁ〜……」
「……おーげさだろ、お前……」




葵と抱き合って零れた小蒔の言葉に、京一は呆れ半分で呟いた。
しかし小蒔は安堵で聞こえていなかったのか、そのまま葵と揃って泣き出してしまう。

高見沢はそんな二人の頭を撫でてから、京一へと向き直り、




「毒素は大分抜けたと思うけど、念の為、先生を呼んで来ますね」
「………げぇ……」




勘弁してくれ、と京一は呟いたが、高見沢はにこりと笑みを浮かべるだけ。
踵を返すと、足早に病室を出て行った。



いつものメンバーだけが残った病室で、聞こえるのは少女二人の安堵の泣き声。
それだけが聞こえてくるのが、京一にはなんだか罪悪感を煽られるような気がしてしまう。

だが、それでも相棒がいつも通りなのは良かった。
彼にまで不安な顔をさせてしまったとなったら、京一はどうして良いのか判らない。
いつもの平静とした表情で此方を見詰めているだけだから、これは逆にホッとした。


─────そう思っていたのだが。




「京一」




呼ばれて、気だるさを押し退けて首を動かす。

龍麻が真っ直ぐに此方を見ていた。
その瞳がいつもと同じようで、違うようで、京一は眉根を寄せる。




「なんだよ?」
「……覚えてる?」




主語を伴わない龍麻の言葉は、判るだろうと想定しての言葉だろうと思う。

葵や小蒔を相手にしている時は、少々ズレた表現であっても、ちゃんとした文法を並べている。
だが京一に対してだけはこんな言葉を使っていて、それは言わなくても判る対象だと認識しているからだ────多分。
若しくは、今聞かないといけないけれど、他人がいる前では直接言葉にし難い、そんな時の表現。


覚えているのか否か、どの部分の事を言っているのだろうか。
京一は天井を見上げて、今日一日の出来事を覚えている限りで辿ってみる。




(遅刻して、マリアちゃんに怒鳴られて)

(犬神の授業サボって、補修やらされて)

(コニーのとこで飯食って)

(鬼とやりあって──────)




それから。




「………?」




10分か20分かそれ以上か、散々追いかけっこをする羽目になった鬼。
それを仕留めた後、足場が崩落を起こして、それから。




「……覚えてねェな……」




龍麻が聞いているのは、恐らくそれからの事。
鬼と戦闘して仕留めた高速道路が崩れ、諸共に落ちた、其処から先の記憶が無い。

頭を打って気絶でもして、其処から起きないまま、今に至るのだろうか。
ならば龍麻がわざわざ聞いて来る必要はない筈だ。
高速道路の崩落の瞬間、巻き込まれたのは京一一人でも、全員がその場にいたのだから。


龍麻の質問の意味が判らず、もっと別の事かと、問い掛けようとした時。
再度見た龍麻の表情は、いつものふわふわとした笑みだった。




「じゃあ、いい」




笑みが何処か拒絶を示しているように見えて、京一は顔を顰めた。
しかし龍麻はにこにこと笑みを湛えている。

何が言いたいんだと問いかけようとした瞬間、龍麻が動いた。




「何か飲む物買って来るね」
「おい、」




京一が止めるのも聞かず、龍麻は病室を出て行ってしまった。
笑顔のままで。

なんなんだ、と京一が呟いたのも無理はない。
其処に援護射撃をしたのは、小蒔だった。




「緋勇君も安心したんだよ。結構心配してたんだぞ」
「……あいつがァ?」
「そうだぞ、京一。地下に落ちたお前を拾いにいったのも緋勇だったしな。かなり時間がかかったようだが、それだけ経ってもお前が起きていなかったから、余計に心配だったんだろう」
「……………」




いつも通りに見えたのに、やはりそんな顔をしていたのか。
そう思うと胸の奥が妙にむず痒くなってくる─────まるで想像できない図ではあるが。

照れ臭いような、単純に悔しくて腹が立つような、そんな感情が顔に出るような気がして、京一は手で口元を隠した。


─────と。




「………………?」




口元を覆った手の平から、何か匂いがする。
すん、と鼻を鳴らしてみると、






「………イカ臭ェ………」











その呟きの本当の意味を、彼は終ぞ知らなかった。












やりたくて仕方がなかった、触手ネタです。
鬼が相手なら無理なく出来る! と思って……(爆)
とは言え、蛸みたいな鬼ってゲームにもいなかったな……でもいても可笑しくないよね、巨大蜘蛛がいるんだし。

今後も触手ネタ書いて行きたいと思います(死)。