――――――結局は、『無理はしないのが一番』と言う事だ。

















Image change?

















妙に視線を感じるような気がして、京子は振り返った。
そうしてぶつかったのは、茶色みのかかった小蒔の双眸である。

小蒔の手元には雑誌があり、彼女はそれと京子とを交互に繰り返して見ていた。
数秒京子を見詰めたと思ったら雑誌に視線を落とし、かと思うと数秒後にはまた京子へと戻る。
意図の読めないその行動に、一体何だ、と京子の眉間には自然と深い谷が寄せられた。


明らかに不機嫌な表情になった京子に、先程まで向き合っていた龍麻が不思議そうに首を傾げる。




「京?」




どうかした、と問うてくる相棒に、京子は答えなかった。

彼女の視線を追ってみれば、行き着くのはクラスメイトの少女。
益々不思議そうに首を傾げる龍麻を、京子は一切関知しなかった。


龍麻が不思議そうにし、京子が不機嫌にしている所へ、ひょいっと割って入る少女が一人。




「なーにやってんのッ」




常よりも1オクターブ高い声の主は、遠野杏子。
隣のクラスの生徒であるにも関わらず、すっかり3-Bに馴染んでいる。

そんな彼女によって、京子の視界はブロックされ、彼女で埋まってしまった。




「……なんでもねェよ」
「なんか、誰か睨んでなかった?」




京子が目を向けていた方向へ首を巡らせて、遠野は問う。
それに答えない京子の沈黙が、彼女の勘を是であると肯定しているも同然であった。


京子が睨むようなものがこの教室内にあるだろうかと、遠野は手で庇を作って辺りを見渡す。

教室には3-Bの生徒と、友人に逢いに来たのだろう数人の別クラスの生徒の他、教卓に生徒と会話を弾ませているマリアがいる。
全体の雰囲気は和やかなもので、先日テストを終えたばかりと言う所為もあるだろう、生徒達はすっかり気が抜けている。
京子が特別意識しなければならないような、物騒な空気とは程遠い。


遠野は龍麻同様に不思議そうに首を傾げた。



遠野は京子の真正面に立っているが、彼女は小柄なので、もう京子の視界を遮るような事はない。
窓辺に寄りかかって立ち尽くしていた京子の視線は、また先程と同じクラスメイトへと向けられていた。

其処には小蒔一人ではなく、彼女の親友である美里葵も合流していた。
そして二人揃って、まるで打ち合わせしたような同じタイミングで、雑誌と京子の顔を交互に見ている。
一つでも不躾な視線が二つに増えれば、京子の短い堪忍袋の緒は、容易く張り詰めて。


ずんずんと二人のいる席まで大股で近付いて、眼前で仁王立ち。




「─────なんなんだ、お前ら」




まるで獲物を威圧する動物のような低い声音で問い質す京子に、残念ながら戦慄いたのはターゲットにした二人ではなく、周囲で雑談していた全く無関係なクラスメイト達であった。

この一年近くの付き合いの中で、京子の乱暴な態度にすっかり慣れた葵と小蒔は、苦笑いを浮かべて雑誌を開く。




「ちょっと、これ」
「似てると思って……」
「あん?」




引っくり返されて自分に向けられたファッション雑誌。
見開きで特集された其処には、赤茶色のショートカットヘアのモデルが様々な服でポージングを取っていた。

これがどうかしたかと腕を組んで睨む京子に、小蒔がだから、と繰り返す。




「これ、京子に似てるなーって思ってさ」
「はあ? 何処が」
「髪型も肩ぐらいで、京子と一緒じゃん。ちょっと癖っ毛でさ。目元とか」




京子の後についてきた龍麻と遠野が、京子の横から雑誌を覗き込む。


ショートカットの少女は、確かに京子と似ていると言われると、そう見えなくもない。
パステルカラーをメインにした服に、ショートパンツに足元はメッシュのストラップサンダル。
光源を強めて撮影されたのだろう、青空をバックにしたカットでは、元気で勝気な少女と言う印象を受ける。

目元は少し尖っていて、京子ほどではないが、猫目。
その角を和らげるようにメイクが施されており、確かに京子が同じようにアイラインを弄れば、同じ雰囲気になりそうだ。



しかし、似ていると言われた京子の方は、かなりの顰め面になっている。




「こんなションベン臭ェガキと一緒にすんな」
「うわ、ひっどい言い方だなァ」




京子の言葉に眉根を寄せた小蒔だったが、いつもの事と言えばいつもの事。
小蒔は肩を竦めて息を吐くと、まあ京子だしね、と呟いた。
その隣にいた葵もまた苦笑する。



遠野が小蒔に一言断って、雑誌を手に取る。
パラパラとページを捲ってみると、そのモデルの特集は五ページに渡って掲載されていた。

撮影は様々なシチュエーションで行われており、どうやら一週間分のオシャレと言う事らしい。
学業を終えてからのお楽しみファッションと言う事で、平日は学生らしくシンプルかつオシャレに、週末の休日は思い切って羽伸ばし、と言った風。
カメラ向こうに話し相手がいるかのようにポーズを取る少女の表情は、くるくると変化して、実に可愛らしい。


ページを捲っていた遠野の手が止まる。
隣で一緒に雑誌を覗き込んでいた龍麻に、遠野は開いたページを見せる。




「ね、緋勇君。これ京子も似合うんじゃない?」
「はあ?」
「どれ?」




何を言ってんだこいつはと言わんばかりに顔を顰める京子と、遠野が示したカットを覗く龍麻。


公園のベンチに座ってカメラに向かって笑いかけている少女。
Vネックの黒いシャツの上に、白を基調に黒ラインの入ったパーカーの前を開かせ、ネックレスのルビーが光る。
ボトムは蒼いデニムのショートパンツで、足元は赤いスニーカーだった。
スポーツドリンクのペットボトルを持った手元では、濃淡のあるブレスレットが二つ揺れていた。

『今日の気分はボーイッシュで』と言うアオリの通り、確かに写真の少女は、少し少年っぽさがある。
他のスカートやフリルのついた服装よりは、確かに京子に似合いそうだ。


龍麻は、モデルと同じ服装をした京子を思い浮かべてみる。
いつも制服で過ごしている姿ばかりを見ているから、浮かんだ少女の姿は、龍麻を不思議な気分にさせた。

させたが、それでも浮かんだ少女に、確かにその服装は似合っていて。




「うん、可愛い」
「やめろ、気色悪い」




頷いた龍麻に、間髪入れずに入った冷たい声。




「そうかなあ。京、きっと似合うよ」
「やめろやめろやめろ。虫唾が走る」
「なんでよー。こっちのフリフリより良いでしょ?」




パラパラと別のページを捲って、遠野は京子に甘ロリ系の服を指差して言う。
確かにそれよりはマシだが、それでも京子の顰め面は取れなかった。




「っつーかお前ら、オレで遊ぶなッ!」
「遊んでないわよ! 似合うだろうなーって言っただけじゃん」
「オレでそういう想像をするなっつってんだ!」




京子は、よく醍醐や小蒔を揶揄って遊んでいるが、自分が揶揄われるのは嫌いだ。
誰でもそういうものだろうが、負けず嫌いでプライドが高い為、他者よりその傾向は顕著である。

苛々とした表情で龍麻を睨む京子に、小蒔が遠野から雑誌を返して貰いながら口を開いた。




「京子もさー、こういう格好、たまにはしてみたら? いっつも制服かジャージじゃん」
「って、京子が制服以外でスカート履くの? 想像つかないなー」




小蒔の言葉に、遠野が視線を天井へと彷徨わせながら言う。
恐らく、見慣れた服装以外の京子を想像しようとして、上手く行かないようだ。

だから想像するなっつーの、と苦々しげに吐く京子に構わず、遠野は想像しようと試み続ける。
いっそ殴って止めさせようかと物騒な事を考え始めた京子の横で、ぱん、と高い音が響く。
何事かと一同が目を向ければ、これでもかと言わんばかりに瞳を輝かせた葵の姿。




「京子ちゃん、今日の放課後、服を買いに行きましょう!」
「はあ!?」



引っ繰り返った声をあげたのは、京子だけではない。
小蒔と遠野も同じようなリアクションで、龍麻も声はあげなかったものの、ぱちくりと目を瞬かせている。




「いつもと違う服装をしたら、京子ちゃんも少しは女の子らしくなると思うの」
「……おい葵。何処をどうすりゃ、そんな発想が出てくるんだ?」
「私は着物を着ると落ち着く感じもするし、寝巻きの時は気分が楽になるわ。小蒔も胴着になると気が引き締まるでしょう?」
「あー……うん、まぁね」




葵の説明に、小蒔は言葉は曖昧ながらも頷いた。




「私、京子ちゃんはもう少し女の子らしくした方が良いと思うの」
「まだンな事言ってんのか、お前」




真剣な顔で、真っ直ぐな瞳で言った葵に、京子は溜息を吐いて胡乱な目を向ける。

京子の粗暴で男勝りな振る舞いを、葵は度々咎めているが、この三年間でこれと言った成果は上がっていない。
それと言うのも、京子が最初から改める気がないのと、彼女の中にそう言った要因が欠片もないのだから無理はなかった。



─────京子は子供の頃から、ままごとや人形遊びのような、所謂女の子らしい遊びなど興味がなかった。
興味があったのは剣術と、空きっ腹を満たしてくれる食べ物と、時々遊んでいたゲーム位のもの。
つまり、京子は根から男染みた趣向をしていると言う事だ。

とは言え、それを差し置いたとしても、京子の言動が目に余る所は確かにあるのだ。
周囲の目を着にしないでスカートを捲らせて胡坐を掻いたり、女性としての恥じらいなど、欠如しているに等しい。


葵はそれが我慢ならないのだ。


何も両手を前で重ね、足を揃えて、たおやかにしろとは言わない。
だがせめて小蒔や遠野と同じように、自分が女子である事を自覚して振舞って欲しいのだ。
胡坐も止めて、スカートもちゃんと庇って、更に言うならケンカも無闇矢鱈としないで貰いたい。

…ケンカに関しては、最早彼女の意識一つで解決するようなものではないのだが。
だが日常の中で見せる所作の一つぐらいは、直して欲しい。




「だからね、服装も変えてみたら、ちょっとは」
「…その、服装を変えたらオレが女らしくなる、って発想が判んねえっつってんだよ」
「服装を変えると、意識も変わるじゃない。京子ちゃんも、制服を着ている今と、剣道着を着ている時は違うでしょう?」
「………………別に。」




しばらく思い出すように沈黙した京子だったが、出て来た返事はいつも通り。
葵の眉が下がってしまったが、京子には他に答えようがなかった。

次は何処から切り出そう、と思案する葵に代わり、口を開いたのは、それまでずっと沈黙していた龍麻だった。




「いつもと違う敵を相手にしたら、京も構えるよね。例えば、吾妻橋君と八剣君とじゃ違うでしょ?」
「……あの野郎の名前を出すな。腹立つ」




いつぞやの闘争の際、一度敗北した男の名に、京子が露骨に顔を歪める。
それは京子が、あの男との対峙に、他のチンピラ連中と違う意識を持っている事を如実に表していた。




「ほら、ね。自然と気を引き締めなきゃいけないって思うよね」
「別に……」
「でも八剣君が近くにいると、京ってずっと警戒してるよ」
「そりゃ、あの変態野郎が何仕出かすか判んねェから……もういい、判った。判ったから、この話は終わりだ」




このまま延々とあの男の話題を続けるのが嫌になって、京子は強制終了を宣言する。

確かに、龍麻の言う通り、自分は拳武館の剣士に対して苦手意識を抱いている─────甚だ不本意ではあるが。
だからあの男については、二度目の邂逅で刃を交えずして勝ったとは言え、思い出すのも苦々しい気がするのだ。


なので、改めて、京子は龍麻の例えで並べられた人物を頭の中で入れ替える。
例えば────そう、例えば吾妻橋と龍麻を並べた場合だ。
相棒とも認めるこの少年と武を交えるとなれば、自然、京子も木刀を持つ手に力が篭る。




「葵が言いてェ事はなんとなく判った」
「……その例えで判るのも、どうかと思うけどね」
「じゃあ、補習の時の先生がマリア先生じゃなくて、犬神先生だった時とか」
「もう判ったっつってんだろ、黙ってろ苺バカ!」




べしッと龍麻の顔面に京子の掌底。
手を離せば、龍麻の鼻柱が赤くなっていたが、京子は気にせず葵に向き直る。




「で、オレに女らしいカッコしろって?」
「そうしたら京子ちゃんも、もう少し女の子らしく振る舞えると思うの」
「無理だと思うよ、葵〜」
「あたしもー」




京子に女の子らしくして欲しい、と思う事に、小蒔も遠野も否やを唱えるつもりはない。
葵ほどではないにしろ、同性から見て「それはどうなの?」と思うような事もよくあるからだ。

だが残念ながら、日々京子と言う人間に触れていると、彼女は根底からこういうタイプなのだと実感させられる。
葵の努力が今まで総じて水の泡になっている所を見ると、尚の事、無茶な話だと思ってしまう。
蓬莱寺京子と言う人間が、女性らしく恥じらいを持って行動する事そのものが、とうに想像出来なくなっているのだ。


しかし、葵も葵で頑固な所がある。
友人たちから無理だ無理だと言われても、そう簡単に諦める彼女ではない。




「ね、京子ちゃん、試してみましょう。オシャレもしてみて、ね?」
「興味ねーし……」
「やってみたら結構楽しいものだから。あ、お化粧も!」
「いらねェよ、面倒臭ェ」
「小蒔とアン子ちゃんも手伝ってね。緋勇君も」




くるり振り返って言った葵に、龍麻達は顔を見合わせる。

真っ直ぐな目で見詰めてくる葵は、もう誰が何を言っても聞くまい。
小蒔と遠野が肩を竦め、龍麻が眉尻を下げると同時に、京子も諦めの溜息を吐くのだった。


































ノリが良いか悪いかで言ったら、小蒔と遠野は前者、葵はその場によりけりで広義で見れば後者、京子は完全に後者である。
よって常ならば、葵が中立になって小蒔と遠野の無茶な暴走を諌めてくれるのだが、今回はそれは期待できなかった。

何せ、その葵が一番ノリノリになっているのだから。



京子の補習が今日はないと聞いて、喜んだのは葵だ。

いつもなら補習を受ける本人が真っ先に喜びそうなものだが、今日に限っては違う。
なんでこんな時に限ってないんだ、と放課後の同行を断る術をなくした京子は思った。
グラウンドを横切る際、兎小屋の前にいた犬神を睨んだのは、完全なる八つ当たりであった。


集中力とやる気の欠如で、いつも京子の補習は日が暮れるまで続く。
それがなければ存分に学生の特権である、放課後の寄り道を堪能できるとあって、葵は実に嬉しそうだった。






(放課後の寄り道は校則で禁止────とか言ってたのは、何処の誰だよ)






もう随分遠い昔のような、今年の春を思い出して、京子は溜息を吐く。
そんな京子の手を引く葵は、後姿でも判る位に浮かれていた。


ぞろぞろと連れたって、原宿の町を歩くのは、いつものメンバー。
先頭から葵に並んで小蒔、その後ろに手を引かれる京子と、並んで遠野がいる。
更に京子と遠野の後方に、女性陣(−京子)のテンションから追いやられたように、龍麻と醍醐がいた。

醍醐も龍麻同様、葵の提案に巻き込まれた。
今日はレスリング部で何かあるんじゃなかったのかと思う京子だが、葵と話している小蒔をちらりと見て、考えるのは止めた。
小蒔が行くと聞けば、葵に引っ張り込まれなくとも、自ずとこの面子に加わっていただろうから。



しかし、実に面倒臭い。

ファッションなんてものに毛ほども興味のない京子にとって、今の時間は非常に退屈だった。
この後に自分が好みそうな、面白い展開も望めないだろうから、尚更。




「あ、この店とか良いんじゃない?」
「そうね……でも、確かに京子ちゃんには似合いそうだけど…」
「まあ女の子らしいって言うのとはちょっと違うけどさ。パンク系って言っても色々あるよ。ロリパンクとか」
「うーん……待って、小蒔。あのお店、可愛い」
「わ、いいなー!」
「………ちょっと待て、お前ら」




そのまま、前方に見える店に突撃しそうな二人に、京子は立ち止まって踏ん張る。
ぐっと引く手の抵抗にあって、葵が振り返り、倣って小蒔も此方を見る。




「お前ら、あんなトコにオレを連れてく気か!?」




京子が指差す先にあるのは、入り口からレースをふんだんに使った、淡いピンク色の店。
所謂、ロリータファッションをメインに扱っているブランドだった。
軒先の大きなウィンドウには、店の壁と同じ、淡いピンク色のドレスのような洋服が展示されている。

冗談じゃない、と京子は鳥肌立つのを自覚する。
これなら、小蒔が示したパンク系の店の方が何十倍もマシだ。




「え? ダメ?」
「当たり前だ! 冗談じゃねえ!!」
「可愛いのに……」




あんなフェミニンカラーでヒラヒラでフワフワなものを、自分が着るのか。
有り得ない、絶対有り得ない! と京子は断固拒否の姿勢を全力で示す。

葵と小蒔は顔を見合わせ、じゃああそこは諦めようと言った。
その代わり、京子がいない時に行こうと話しているのが京子の耳に届く。
京子に着せる云々ではなく、どうやら純粋にあの手の服が気になるらしい。
しかし今日それを許せば、なし崩しに自分が試着される羽目になるに違いない、と京子は思った。
だからこその断固拒否である。


次の店を探そうと、きょろきょろと辺りを見回す。




「あ、あそこ」




言って右前方にあった店を指差したのは、遠野。

京子、葵、小蒔の三人がそちらに目を向ければ、カジュアル系の店がある。
学校で小蒔が見ていたファッション雑誌に載っているような系統だった。




「うーん……」
「ね、美里ちゃん、あの辺にしとこうよ。いきなり冒険すると京子の方がずーっと嫌がるし」
「そもそも、オレは服なんざ買う気ねェんだが。興味ねェし。あと金ねェし」
「じゃあ古着屋に行こうよ。掘り出し物あるかも」




この先に良い所があるんだ、と言って小蒔が率先して歩き出す。
葵も何度か行った事があるのか、心得たように足早になった。
当然気乗りしなくて足の重い京子を、遠野が背中を押して追い駆けることを急かす。


ぐいぐいと背を押されながら、京子は後ろを振り返る。

黙々とついて歩いている男二人は、どちらも苦笑を浮かべているだけ。
その様子に、駄目だ当てにならない、と京子は肩を落とした。




学校からずっと手を引いていた葵の手は、もう離れている。
代わりに遠野が背中を押しているが。

惰性で足を動かしながら、京子はぼんやりと橙色の空を見上げた。





……女らしくしろ、なんて。
言われるようになったのは、今年の春────いや、夏を過ぎた頃からだったか。
《力》を手に入れて、五人で揃う事への蟠りが解けたのが、確かその時分だった筈だ。


アンジー達も時々、「もっと可愛い格好をすればいいのに」と言う。
だが彼女達は希望系を口にするだけで、直せとは言わなかった。

だから京子が、女らしく────引いては自分が“女”である事を改めて認識したのは、葵に言われるようになってからだ。


吾妻橋のような舎弟ですら、京子の事を「アニキ」と呼ぶ。
それは京子が「アネゴ」と呼ぶのを嫌ったからだが、その理由は京子自身も曖昧だ。
自分が男ではなく、女である事は判っているし、覆せない事だというのも判っていた。

だが、女扱いされるのは嫌いだった。




────……ひょっとしたら、男に生まれたかったのかも知れない。




ままごとも、人形遊びも、京子は好きになれなかった。
外でボールを追い駆ける方が性に合っていたし、男の子との取っ組み合いのケンカもしたし、顔に傷を作るのも平気だった。
女の子の、芸能人の誰それが格好良いとか言う話より、特撮ヒーローの話の方が楽しかった。

今でもそれは変わらない。
葵や小蒔や遠野には悪いが、彼女達と一緒に喫茶店でお喋りするより、醍醐と武術の話をするか、龍麻とラーメンでも食べに行く方が良い。


増して、ファッションなんて益々興味が沸かない。
服なんてものは着れて、出来れば丈夫で、動き易ければ十分なのだ。




「────ほら、ここ」




小蒔の声が聞こえて、京子の思考が現実に戻る。
見れば、其処にあったのはアウトレットを扱うテンポが敷き詰められた、細長いビルだった。

アイスクリーム屋の一階の横、細い入り口を入って直ぐに階段がある。
少し勾配の急な其処を登って行き、小蒔は三階に上がった所で階段横の出入り口を潜った。
続いた葵がドアを支えている間に、遠野に背中を押されて京子も入る。


店内は、狭さの所為もあるだろう、少しごちゃごちゃしているような印象があった。
出来るだけ多くの商品を置けるように、品物はハンガーで横向きのまま、追加するスペースがない程に敷き詰められている。




「取り合えず、ボクと葵で一通り選ぼうよ」
「そうね。京子ちゃん、ちょっと待っててね」
「ね、ね、あたしも一緒に選んでいい?」
「……もう勝手にしろ」




背中を押していた遠野が、トップスのコーナーに駆け寄る。
葵と小蒔はスカートのコーナーで、あれがこれがと盛り上がっている。


京子は長い溜息を一つ吐いて、辺りを見回す。
何処か落ち着ける所はないかと思ったのだが、店の中は限界まで商品スペースに使われていた。
座れるようなスペースと言ったら、レジの向こうのスタッフスペースだけだ。

所在無く立ち尽くす京子の隣に、影が出来る。
見れば龍麻と醍醐だった。




「……思いっきり邪魔臭ェな、醍醐」
「……言うな」




ただでさえ体の大きな醍醐だ。
この狭い店の中、極力邪魔にならないように縮こまっているようだが、あまり効果はない。




「桜井さん達は、」
「あっちで遊んでるぜ。ったく、何が楽しいんだか」




いつでも何処でも真っ先に想い人を探す旧友に、京子は店の奥を指差して言った。

小蒔は暖色のグラデーションのスカートを手に持っている。
あれオレが履くのか、と京子は胡乱な目でそれを見た。




「スカートなんざ、ヒラヒラして邪魔臭いだけだっつの……」
「制服もスカートだよ」
「仕方ねェから諦めた。中学ン時もスカートだったしな。後は慣れだ」




走ったり跳んだりする度、ひらひらと捲れるスカートは、確かにケンカには向かない。
しかし、人間しばらくすると慣れるもので、制服で動き回る事には抵抗はなくなった(元々大してあった訳でもないが)。
そこそこ上等で丈夫な生地で作られているのもあって、日々服を選ぶのも面倒で、今となっては制服が京子の普段着になっていた。

そうしていつしか、中学生の時も今も、新宿区内の学校の制服を着た生徒が“歌舞伎町の用心棒”だと知れるようになった。
木刀片手に眠らない街を歩き回る制服姿の少女の存在は、実によく目立ったものである。



制服以外のスカートなんて、もう何年も履いていない。
子供の頃まで記憶を遡って、朧な記憶がようやく浮上してくる程度だった。
それも嫌々着せられたようなものだった気がする。

男子に混じって遊び回るのにスカートは邪魔だったし、そもそも自分自身がそういう類を着るのが嫌だった。
小学校は私服だったから、本当に中学生になるまで、スカートとは縁遠かったと言って良い。


楽しそうに服を選んでいる葵達を見ると、水を差すような気もするが、このまま逃げてしまおうかと思う。



外への出入り口を見遣る京子に、龍麻が眉尻を下げて苦笑する。




「帰る?」




京子の心情を慮ってか、龍麻が言った。

京子は、出入り口からもう一度、葵達へと目を向ける。
女子三人は集合しており、手に手に抱えた服を上下それぞれ合わせて確認していた。




「……いや、もういい」




ころころと楽しそうに表情を変えているクラスメイト達。
やっぱり、それを邪魔する気にはなれなかった。

随分丸くなったモンだと自嘲しながら、彼女の表情に浮かんだものは、純粋な笑みであった。



───────が。




「京子ー!」
「京子ちゃん、試着してみましょう」
「ほら、早く早く」




クラスメイト達の手にある山ほどの服に、脊髄反射で背を向けた。
































試着室に押し込められてから、一時間以上は経ったのではないだろうか。

あれもこれも、こっちもそれもと着せ替え人形にされてから、かなりの時間が経っている。
経っている筈なのに、厚手のカーテンで仕切られた向こう側では、まだ次の服を選ぼうとする会話が聞こえていた。


ああもうマジで面倒臭い。
胸中で何度となくそんな台詞を吐きながら、京子は何着目かの試着を済ませた。

鏡に映っているのは、丈の長い白いワンピースドレスの上に、デニム生地のジャケットを羽織った自分。
動く度にスカートの裾がふわふわと浮いて、きっと葵辺りが着れば、正に“お嬢様”と言った風に見えるだろう。
なのに何故、よりによって今それを着ているのか疑問なのか、京子は甚だ疑問であった。




「京子、着替えたー?」
「………あー」




遠野の声に、だるさを隠さずに返事をした。
シャッとカーテンレールが音を立てて、布壁が取り払われる。




「可愛い、京子ちゃん!」
「可愛いけどさー、やっぱ京子のイメージと違うよねェ」
「ね、次次! このGパン、刺繍がついてて可愛いの! 京子って足長いし、お尻の形も綺麗だから、似合うと思うよ」
「じゃあトップスを選んで来なくちゃ。確か、あっちに可愛いキャミソールがあったわ」
「ボクが持って来るよ。さっき見てた、花柄の奴だよね?」




すっかりテンションが上がっている三人の、ずっと向こう。
所在なさげに立ち尽くしてる男が二人いて、京子は助けろ、とその二人を睨んで訴える。
しかし返って来たのは肩を竦めたリアクションだけで、彼らは此方に近付こうともしない。

畜生、と胸中で吐き捨てた京子の前に、次の衣装が差し出される。
仕方なくそれを受け取って、京子は仕切りのカーテンを締めた。



デニムのジャケットを脱ぎ捨て、ワンピースの肩を外して足元に落とす。
その下に着ていた、くたびれた薄手のシャツとショーツは、自前のものだ。

って言うか、ワンピースとかって試着していいのか、シャツの上だったけど。
今更ながら沸いた疑問であったが、レジの向こうにいた店員は何も言って来なかった。
小蒔と葵はこの店の常連のようだから、彼女達が良いと言ったのだから、多分良いのだろう。


京子はキャミソールに頭を潜らせ、Gパンを履く。
七分丈のGパンは、ぴったりと足のラインにフィットしている。
新品ならば固さがあって動き難かったのだろうが、中古品とあってか、適度に柔らかく馴染んでいた。


カーテンを開けると、もう次の服を選んでいる友人たちがいて、




「似合う似合う! ちょっとぐるーって回って」
「……ん」
「うん、いいね。上着は……こっちにしよっか」
「待って、小蒔。キャミソールが白で、Gパンの色が淡いから…アンカラーが一つあった方が良いわ。色違いってあったかしら」
「えーっと……確か、黒と青系があったかな」
「じゃ、あたし取って来る!」




言うが早いか、遠野が小走りでコーナーに向かう。
相変わらずフットワークが軽い。


京子は試着室の壁に背を預けて、腕を組む。
顔は不機嫌真っ只中だ。
いつになったら終わるんだ、と疲れた色を滲ませた瞳が語る。




「京子ちゃん?」
「ひょっとして疲れた?」
「疲れた」




小蒔の言葉に、京子は米神を引き攣らせながら吐き捨てる。




「まあまあ。これで終わりにするからさ」
「…さっきからその台詞を何度も聞いてる気がするぜ」
「気の所為、気の所為。アン子、お帰りー」
「ただいまッ。上着はコレね。取り合えず、青の一番濃い奴。でねでね、可愛いスカート見つけたから、ついでに持って来ちゃった」
「アン子ぉぉおぉおお!!」
「痛い痛い痛い痛い! 何よーッ」




そうだ、さっきからこのパターンの繰り返しなのだ。
これに合うトップスなりボトムなりを探して、そのついでに別の服も持って来る。
持って来られたものは試着させられ、またそれに合わせた物を探して、そのついでに……と、こんな調子で。

延々と続くループに、これでも京子は耐え忍んだ方であった。
しかし、これ以上はもう付き合っていられないと我慢の限界。




「やってられっか! これ以上お前らのオモチャになんのは御免だ!!」
「オモチャになんてしてないわよ!」
「してんだよ!! もう着ねェ、もう着替えるッ」




言うと、京子は乱暴にカーテンを締めた。

キャミソールもGパンも脱ぎ捨てて、丸めていた制服を広げて袖を通す。
スカーフは乱雑に結んだだけで整えず、立てかけていた木刀を掴んで、これでいつものスタイル。


再びカーテンを開いて現れたいつもの京子に、葵達が残念そうに眉を下げる。




「あー、勿体無い……」
「何がだよ」
「折角可愛かったのに」
「知るかッ」




ローファーに足を引っ掛けて、試着室前を占領している葵達を押し退ける。
試着した服も何もかも放り出して来たが、不機嫌のメーターを振り切った京子を咎められる人間などいる筈もない。

ずんずんと大股で歩いて、京子は通路を塞ぐ形になっている龍麻と醍醐も押し退けた。
擦れ違い様、お前ら何の為について来たんだと睨めば、やはり二人は肩を竦めるだけ。
彼らは女子メンバーに巻き込まれただけなので仕方がないが、それで京子の苛立ちが収まる訳もない。


完全なる八つ当たりをして、京子はそのまま、店を後にした。



外への階段を下りる、甲高い足音さえも、今の京子には不機嫌の種だ。
自分が鳴らしている音とは言え、煩い煩いと頭の中で繰り返し吐き捨てる。




ファッションだのオシャレだの、自分にはとんと関係のない話だ。
葵達はどうだか知らないが、少なくとも京子自身はそう思っている。

第一、葵達は知らないだろうが、服の類なら少なからず持っている。
それらはどれも『女優』の人々がプレゼントと称して買ってくれたもので、それこそカジュアル系からパンク系からフェミニン系まで、一通り揃っている。
けれど、どれの何が良いとか、これとこれを合わせれば似合うとか、幾ら言われても、京子は興味が沸かない。
綺麗に着飾るのも、自分をああ見せたいこう見せたいと言うヴィジョンも、京子は全く浮かばないのだ。


服なんて必要最低限あれば良い。
動き易くて、みずぼらしくない程度であれば、それで十分。




階段を下り切って外の空気に触れた所で、京子は足を止めた。
いつものように木刀を肩に担いで、薄暗くなった空を見上げる。

─────カンカン、と足音がして、京子は振り返らずにその主を知る。




「龍麻か」
「うん」




こういう時に京子を追い駆けてくるのは、決まって龍麻だ。
龍麻以外は追って来たことがない、と言うより、追い駆けない方が良いと思うのだろう。

龍麻が何をどう思って自分を追ってくるのか、京子には判らない。
判らないが、まあいいか、とも思う。


慣れない空間から開放された京子を向かえる外の風に、京子は背筋を伸ばして息一つ。




「さーて、と」




ラーメンでも、と言い掛けて、京子は此処が馴染みの土地ではない事を思い出す。
いつも新宿界隈で過ごす事が多い京子にとって、原宿は近いとは言えあまり訪れない場所である。

辺りを見回せば、若者向けの健全な店が居並び、道行く人々は他愛ない話に花を咲かせ、物騒な空気は何処にもない。
本来ならば高校生の京子もその中に溶け込んで良いのだろうが、如何せん、彼女は落ち着かなかった。
京子が長年肌に感じてきたものとは違う空気が、此処にはある。


路地の一本二本を曲がった所で、此処に危ない輩はいない─────少なくとも表面上は。
キャッチセールスだの、スカウトマンを装った怪しいプロダクション関係者だのはいるだろうが、それも京子の馴染みとは違う。

店に残った面々には悪いが、やはりこういう場所は落ち着かない。
今まで十分付き合ってやったのだから、今日はもう解放して貰っても良いだろう。



京子が後ろを振り返れば、いつもと同じ笑みを浮かべた相棒がいて、




「──────帰るか」




京子の短いその言葉に、龍麻が頷いた。



















日が暮れた時分に迎えた煌びやかなネオン看板を見て、ようやくまともな呼吸が出来た。























男子の影が薄い(笑)。
女の子メインで唐突に書きたくなったもんで……

芸能パラレルでモデルやってる京ちゃん書いてますが、あれはパラレルですから。実際はこんなモン(爆)。