なんの気紛れだか、理由はよく判らない、けれど。
親友から珍しく「あげる」の一言で渡された(押し付けられた)苺ポッキーは、空いた胃袋を誤魔化すには丁度良かった。
これが足しになるとは思っていないが、空腹で喘がないで済むのは助かった。

昼に吾妻橋達が、勘違いしたホワイトデーの定義によって、大量のパンを持ってきた。
それで昼は十分に満たされたのだが、五時間目の数学と六時間目の生物のお陰で脳を使って疲れた。
思考することでエネルギーを大量消費したお陰で、今日は早々に消化が終わってしまったようだ。

こんな空腹や脳の疲れを癒すには、やはり甘い物が最適なのだろう。
普段はまるで食べる気のしない、親友が常備する甘い菓子が、今に限っては嬉しい物に思えた。



途中で龍麻と別れた後、京子はさてどうするかな、と思いつつ歌舞伎町に入って行った。
このまま真っ直ぐ『女優』に帰っても良いのだが、その前に何処かで食べようか。
“何処か”が漏れなく行きつけのラーメン屋の事と当て嵌まる。

でも、たまには趣向を変えて別のものを食べても良いかも知れない。
若しくはラーメンはラーメンとして、新規開拓として新しい店に行ってみるか。


咥えたポッキーを口の筋肉だけで粗食しながら、京子はネオンの光る町を見回して歩く。



──────と、前方不注意。
どん、と前を歩いて来た長身の人物とぶつかった。




「ッ……ワリ、」




顔を上げて謝りかけて、言葉は途中で途切れた。
ぶつかった相手を確認して。




「気にしてないよ。俺の方こそ悪かったね、京ちゃん」




八剣右近だ。
認識と同時に、京子の眉根が目一杯寄せられる。

皺の深くなった眉間を見て、八剣は苦笑する。




「可愛い顔が台無しになるよ」
「言ってろ、ナンパ野郎」




甘いマスクで、キザな台詞。
女が飛びつきそうだよなと思いつつ、京子はぴしゃりと冷たく切り返す。
つれないねェ、と肩を竦めて笑う様が、益々キザったらしく見えた。

苛立ちを表現するように、新しく咥えたポッキーをがりがりと噛み砕く。
そのポッキーのピンク色が、キザな男の目に留まり、





「京ちゃん、そういうもの食べるんだねェ」
「食っちゃ悪ィか」
「いいや。ただ、あまり甘いものは好きそうにないなと思っていたものだから」




その分析は間違いではない。
甘い物が食べれない訳ではないけれど、京子は辛党だ。

この男に見抜かれたのが妙に癪で、京子はポッキーを咥えたまま、八剣を睨む。




「別に食いたくて食ってんじゃねェや。龍麻が押し付けやがったんだよ」
「………緋勇が?」




似合わないと自覚のある甘い菓子を食べているのは、決して自分の意思ではない。
空腹を誤魔化す為に食べているのは自分の意思だったが、其処は無視して京子は言った。
この苺菓子は、自分が欲しくて買ったのではなく、相棒に強引に渡されただけの代物だと。

顰めた顔で言った京子に、八剣の眉根が潜められる。
まるで信用していないかのような表情に、京子は咥えていたポッキーをがり、と砕く。




「ホワイトデーだからっつってよ」




龍麻がポッキーを押し付けてきた理由は、それだけだ。
そうして差し出して、引っ込めようとせず、やけに真摯に見詰めてくるから、仕方なく受け取った。
それだけの事。


─────なのだが、八剣はまだ双眸を窄めている。

まるで出逢ったあの日に見た、刀の柄に手をかけた一瞬の眦に似ている。
それに気付いて、何をそんなに凶暴な顔をする必要があるのかと、京子は呆れた。




「ホワイトデー、ね。と言う事は、京ちゃんは緋勇に何かあげたのかな」
「あ? バレンタインの事か? ……ンな事するかよ、馬鹿馬鹿しい」




次のポッキーを箱から取り出しながら、京子は八剣の問いを否定する。




「でも、ホワイトデーで貰ったんだろう」
「まーな。どうせ渡してねェのに渡されんのは、いつもの事だし」




龍麻に貰ったポッキーも、鞄の中に詰めたプレゼントも。
どれもそれを貰う為の切欠など作った覚えがない。

けれども、鞄の中のプレゼントは、返そうにも数が多いし知らない相手ばかりで面倒臭い。
下手に会ったり探したりすると、妙な誤解を生みそうだし。
龍麻の方は、何を考えているのか判らないのも、突拍子のない事を言い出すのも、毎回の事だ。
その理由を深く考え探ってみたところで、正解に行き着くことはないと、随分昔に諦めた。


半分に減ったポッキーの中身を見ながら、結構数が多いんだな、と一人ごちる。
と、同じように一人ごちる声が音になって耳に届いた。




「成る程。必ずしも、“お返し”でなくて良い訳か」




感心するような、確認するような言葉に、京子は「何がだ」と問いかけようとして─────出来なかった。




「おいで」
「うわッわ!」




新しいポッキーを取り出そうとした手を掴まれて、引っ張られる。
そのまま八剣が歩き出すものだから、京子は蹈鞴を踏んでそれに従うことになる。




「なんッなんだよッ!? 放せ、この馬鹿!」
「いいからおいで。こんな時間だ、夕飯はまだなんだろう」
「そーだけど! だったら尚更放せ、今から食いに行くんだよ!」




掴む手から逃れようと腕を捻るが、大きな手は一向に離れない。
痛みがある程強く握られている訳でもないのに、絶妙な所を押えられているのが判る。

力任せに逃げようと試みる京子を肩越しに見遣り、八剣は小さく笑んだ。




「この先に良い小料理屋があるんだ」
「はぁ!?」
「ホワイトデーだ。遠慮しなくて良いからね」





遠慮も何も、先ず、そんな鯱張った所になんて興味ない。
それより、いつものコニーの店でラーメンがいい。

……と言ったら、じゃあそっちにしようかと男は微笑んだ。
どうしたって、この手は放してくれないらしい。






だったら全メニュー頼んでやる、と開き直って嫌がらせのような事を考えるまで、時間はかからなかった。








此処までしてんのに、京子は向けられる感情に全く気付かない(笑)。

片思いだと、龍麻より八剣の方が積極的みたいです。
嫌われてるからね、基本的に(爆)。信頼を得ようと色々頑張ってるんですよ。