防犯能力



授業が終わると、放課後はいつも買い食いをして帰るのがお決まりだった。
ポケットの中に入れた小銭を握って、今日はどれにしようか、と帰り道にあるコンビニやらアイスクリーム屋やらを思い浮かべていた、ら。




「キミ、可愛いね」




唐突にかけられた声に振り向くと、一人の男が立っていた。

見覚えは、ない。
小学生の京子の視点で見れば、大人を通り越して中年と言って良い風貌だった。
身長は高いが、厚さがなくて、ひょろりとしている。


誰だ、こいつ。
京子は眉根を寄せて首を傾げた。




「この辺の学校の子? 今日はもう、授業は終わったの?」
「じゃなきゃ、ウロウロしてないだろ」




生来の口の悪さを隠しもせず、京子は男を見上げて言った。
すると男は、そうか、そうだよね、と何やら満足そうにうんうんと頷いている。


なんだ、こいつ。
京子は眉間の皺を深くして、男を睨む。

睨んでから、京子は今日の放課後、先生から貰ったプリントの内容を思い出した。




(ヘンシツシャがうろついてるって言ってたっけか)




だから放課後は真っ直ぐ家に帰りましょう。
先生はそう言っていたが、京子はそんな事は丸っきり気にしていなかった。

していなかったのだが、こうしてヘンシツシャらしき人間と会ってしまうと、無防備にしてはいられない。


去年の夏だったか、学校に警察の人が来て、危ない人がいたらこうしなさいと教えられた。
先ずは相手の手が届かない位の距離を作って、自分の名前や住所は絶対に言わない。
お父さんが、お母さんが、と言われても絶対について行かない。

でも、それだけでは駄目だ。

見るからにヤクザと判る連中に、父親目当てで追い掛け回された経験がある京子は、よく覚えていた。
幾ら距離を取って逃げても、大人と子供では歩幅が違うから、直ぐに捕まってしまう。
何も教えるなと言われたって、目の前にナイフでも突きつけられたら、そうも行かない。




「何? おっさん、オレになんか用?」




出来るだけ無防備な子供を装って、京子は言った。
男はにこにこと愛想の良い───京子にして見れば胡散臭い───笑みを浮かべて、頷いた。




「お腹空いてない? おじさん、何か買ってあげるよ」




今時そんな誘い文句で着いてくる奴がいるもんか。
胡乱な目で見上げる京子に、男がへらり、愛想笑いを深める。

ケーキがいいかな、なんて言って来る男に、甘いモン嫌い、と京子は言い放つ。
じゃあ何いい? と聞いてくる男に、京子は口をヘの字にして男を睨む。




「ってか、腹減ってねェよ。それよか、おっさん誰だ?」
「おじさんは、君のお父さんのお友達だよ」
「父ちゃんの?」




鸚鵡返しに問うてみれば、そうだよ、と男は頷いた。
ふぅん、と気のない返事をすれば、信じたとでも思ったのか、男は益々笑みを深める。

が、京子もにやりと笑みを浮かべた。




「じゃ、何処の組?」
「は?」
「父ちゃんの知り合いだろ。でもけっこー多いからさ。んで、何処の組のモン?」




京子の質問に、男はぱちりと瞬き一つ。




「狩野のおっさんのトコ? それとも北関連合?」




ニュースでもよく耳にする組の名前を口にすれば、男がみるみる蒼褪める。

実際、京子の父親はそれらと遠からぬ関係にある。
だから京子がその筋の連中に追い回される、なんて事態も起きたりしたのだ。


一般人がやくざ者と関わりたくないのは当然だ。
今の京子の台詞を聞いたら、京子の父親がその筋の者と勘違いしても無理はないだろう。
京子のその考え通り、男はどぎまぎとし始め、京子から距離を取ろうとする。




「あ、父ちゃん」




男の向こうに視線を移して言えば、男の顔から更に血の気が引いた。




「じゃ、じゃあおじさんは行くから」
「なんかオゴってくれんじゃねェのー?」
「ご、ごめんね、それじゃ……」




いそいそと逃げていく男を見送って、京子はべ、と舌を出す。

道行く人々へと視線を移せば、其処に見覚えのある姿はなく。
京子は改めて、ポケットの中の小銭を握り締めた。




「醤油せんべい買って帰ろ」




行きつけの和菓子屋へと方向転換して、京子は少し浮かれた足取りで歩き出したのだった。






うちの父ちゃんは、ヤのつく人と仲良かったり揉めてたり。
そんな訳で、京ちゃんはその筋の人に耐性があります。なもんで、危ない事にも普通の子供より慣れちゃってる。