みあげたくなんかない




「京ちゃん」
「………」




テーブルを挟んで京子の向かい側に座り、呼んでみる。
案の定、京子は返事をしないで、手の中で携帯電話を開いたり閉じたりして遊んでいる。
眉間に深い谷を作ったまま。

八剣は一つ息を吐き、腕を伸ばして、京子の手から携帯電話を取り上げた。
あ、と声が上がって、京子はテーブルに身を乗り出して取り返そうとする。




「返せよ!」
「お話が終わったらね」
「う〜ッ……」




恨めしげに睨まれても、八剣には怖くもなんともない。
それは京子が子供だからと言う理由だけではなかった。

京子が今よりも幼い頃から、八剣は彼女の面倒を見ている。
だから京子がどれだけ睨んでも、喚いても、八剣にとっては慣れたものだったのだ。
父親に似て手が早いのも、足癖が悪いのも、八剣相手では通用しない。


京子はむすっと八剣を睨む。




「なんだよッ」
「いや、ね。ずっと拗ねてるようだから、何があったのかなと」
「拗ねてない!」
「じゃあ怒ってるのかな?」
「怒ってねえ!」




ばんばんとテーブルを叩いて反論する京子だが、八剣にはどう見ても拗ねているように見えた。
が、それを口に出してしまえば益々拗ねるのは目に見えているので、これについては言及を止める。




「何か気に入らない事でもあった? 可愛い顔が台無しだよ」
「かわいかねえよ」
「可愛いよ。髪、結んでもらったんだね。今度リボンでもつけてみる?」
「絶対ェやだ!」




様子を見ている周りのスタッフ達がハラハラとしているのが感じられる。
これ以上京子の機嫌を損ねてしまったら、仕事を放り出してスタジオを飛び出して行きかねない。



実際、団体撮影の時にケンカをし、スタッフに怒られた後、完璧にヘソを曲げた事があった。

ケンカの原因は、やんちゃな男の子が女の子を泣かしてしまった事で、京子はその女の子を庇っての事だった。
ケンカの末に泣いたのは男の子の方で、京子はあちこち擦り傷だらけになったものの、お互い大事にはならず。
話を聞いたスタッフが、どちらもやりすぎだと喧嘩両成敗で叱ったのだが────京子にはそれが納得行かなかった。

京子は綺麗に整えられていたセットをぐちゃぐちゃにし、その日の撮影を完全に拒否した。
彼女の扱いを心得た八剣が傍にいられなかった事もあって、スタッフ達は実に頭を抱えたものである。


滅茶苦茶にしてしまったセットやら何やらは、八剣が弁償した。
カメラやらライトやらの機材は無事だった為、それ程大した額にはなっていない。



まだ幼い京子は、この撮影が“仕事”であると理解はしていても、“仕事”そのものを重く受け止めてはいない。
元々八剣の遊び心と、当人の暇潰しで始めた事だったから、未だにその感覚なのである。

これについて、八剣は無理に意識を変えようとは思っていない。
京子がキッズモデルの仕事をしているのは、暇潰しと、仲の良い龍麻と一緒に遊べるから。
本人が止めたいと言い出だしたら、いつでも止めさせるつもりだから、わざわざプロ意識を植え付けたくはなかった。




むすっとした京子の頬に手を伸ばす。
柔らかな丸いそれを撫でると、小さな手に掴まって、ぎゅうううう、と思い切り手の甲を抓られた。
地味に痛かったりするのだが、八剣は表情を変えずに好きにさせる。




「それで、何かあったの? 龍麻に嫌な事でも言われたかい?」
「あいつがンな事言う訳ねェだろ」




直ぐに否定の言葉が来て、それはそうだと八剣は思う。
思うが、それしか思い浮かばなかったのだ。


と言うのも、今日はスタジオに来るまで、京子の機嫌は頗る良かった。
龍麻と一緒に遊べるし、帰りにラーメン屋に寄る話もあったし、スタジオにはパンダのぬいぐるみもあるし────京子にとっては嬉しい事はあっても、嫌な事はなかった筈だ。

それが、スタジオ入りしてから、八剣がほんの数分目を放している間に京子の機嫌は下降していた。
スタジオに入ってすぐ、龍麻と一緒に溜まり場でけらけら笑っていたと言うのに。
その間他の大人と話をした様子もなかったから、何かあるなら龍麻との間の出来事だと思うのだが─────



八剣が顎に手を当てて考え込むと、京子の眉間に谷が出来る。
それは今までと同じだったのだが、眉毛がハの字になってしまっていた。




「……龍麻はなんも悪かねェよ」




もごもごとくぐもった言葉に、八剣はおや、と目を丸くして京子を見る。
彼女が自分の不機嫌の理由を自ら話そうとするのは、珍しい。

恐らく、自分の所為で撮影がスタートすらしない事は判っているのだ。
このままでいては周りに迷惑をかけるという事も。
“仕事”の意識は低くても、親の剛健な躾のお陰か、こうした周りへの気遣いはきちんと出来ている。




「……オレの方がでかかったのに」




唇を尖らせて零れた言葉に、なんの事だろうと八剣は首を傾げた。

答えは程なく続いた、次の言葉にめられていた。




「抜かれた」
「……ああ、身長か」




声に出して言えば、京子はテーブルに突っ伏し、ごんっと頭をぶつけた。
そこそこ痛そうな音がしたが、京子は顔を上げない。




「男の子だからね」
「でもオレの方がでかかった!」




言って、京子はだんだんとテーブルを叩く。
子供なのに結構な力があるので、テーブルが悲鳴を上げているのが判る。


畜生、悔しい。
絶対すぐに抜き返してやる。

心底悔しそうに言う京子の声は、スタジオ内に響き渡っている。
隅の方で鳴滝に宥められていた龍麻にも、まず間違いなく届いている事だろう。
ちらりと其方を見遣ってみれば、あちらはなんとか落ち着いたようで、苺大福を頬張っている所だった。



八剣は眉尻を下げて笑みを零し、くしゃくしゃと京子の頭を撫でてやる。




「大丈夫。京ちゃんもまた伸びるから」
「ん」
「だから早くお仕事済ませて、背が伸びるご飯食べに行こうね」




ん、ともう一度頷いて、京子は椅子を降りた。
その背を追いながら、牛乳ラーメンってあるのかな、と八剣はぼんやり考えるのだった。






味噌カレー牛乳ラーメンって美味いんだろか。

この話をキッズモデル設定にする必要があったかは……判りません(爆)。
思いついたのが修行29を描いてる時だったもんですから。
後、保護者八剣と八剣に懐いてる京ちゃんに萌えてるだけです。いつもか。