上巳の日




京子は、雛祭りなんてまるで興味がなかった。


綺麗に着飾った人形なんて興味がないし、雛あられはお菓子にするには小さすぎて腹が膨れない。
鎧兜が飾られる5月5日の子供の日の方が、京子にはよっぽど面白かった。
大きな鯉のぼりは迫力があるし、鎧兜は格好良いし、それに添えられる刀にも興味があったから。

けれど、姉は綺麗に飾られた雛人形が好きだったから、雛祭りが近付くと、必ずそれは飾られた。
そして近所の写真館に言って、雛人形を模した衣装を着せて貰ってはしゃぎ、それを母が嬉しそうに見ていたのは覚えている。
その時、京子は父と一緒に同行してはいたものの、着せられそうになると必ず嫌がって逃げていた。



────だと、言うのに。




「はァい、綺麗に出来たわよォ」




そう言ったアンジーに、「おう…」と京子は引き攣った顔で返事をした。


肩とか胸とか腹とか腰とか、とにかく、あらゆる所が重い。
原因は着込んだ十二単と装飾類で、京子はまともに動く事すら出来ずにいた。

目の前の鏡には、いつかの姉と同じような格好をした自分が映り込んでいて、京子はそれを見てはげんなりとしていた。
姉はこれで「お姫様になった」と言って喜んでいたが、生憎、京子にそんな可愛らしい思考は存在しない。
考えてる事はただ一つ────早く終わんねェかな、と言う一点であった。


そんな京子の心情を知ってか知らずか、アンジー達はとても楽しそうにしている。




「あァン可愛い〜!三国一のお姫様ね!」
「…いや、ないない。それないって、兄さん」
「謙遜しなくて良いのよォ。京ちゃん以上にカワイイ子、アタシ達見た事ないもの」




アンジーの言葉に、眼科行った方が良いんじゃねェの、と京子は思った。
彼女達のこうした台詞は、いつもの事と言えば、いつもの事だが。


腕を持ち上げると、ずるりと長い袖が邪魔をする。
足を前に出そうとすると、やはりずるりと長い裾が引き摺られ、まともに前に進めない。

京子は帯の歪みを直しているアンジーの髪を引っ張った。




「兄さん、これうぜェんだけど」




暗に早く脱ぎたい、と言ってみるが、アンジーは気にしなかった。
キャメロンもサユリも上機嫌で、まあまあ、と京子を宥めて来る。




「機嫌直して、京ちゃん。怒ったら、可愛い顔が台無しよォ?」
「別にいーよ、どうせ可愛かねェし……っつーかさ、本当にキツいんだって。これ重いし」
「確かに、一杯重ね着してるようなものだもんねェ」
「それじゃ、早くママに見せて、写真撮っちゃいましょうか」
「げ、写真なんか撮るのかよ!?」




こんな似合いもしない姫姿など、記録に残されたくはない。
ビッグママに見せるのはともかく、写真だけは勘弁と京子は逃れようとするが、重い十二単を着た状態で、移動どこからまともに動ける訳もなかった。

引き摺る裾の重みに負けて、どたっと転んでしまう。
顔面を床にぶつけて、強かに打った鼻頭を押さえながら、京子はふるふると震えて蹲る。




「いってェ……」
「あらあら。大丈夫?京ちゃん」
「もうやだ、このカッコ……」




ぶつけた痛みで、猫目の目尻に涙が滲む。
普段滅多に泣かないだけに、京子が相当痛がっているのがアンジー達にも伺えた。


蹲っていた京子の躯がふわりと浮かび上がる。
何事かと思って顔を上げた時には、京子はキャメロンの肩に乗せられていた。

きょとんと見詰める子供に、キャメロンはにっこりと笑ってみせる。




「さ、ママに見せに行きましょ」
「アンジー、ちょっと待って。京ちゃん、髪が乱れちゃってるわ」
「いいよ、これ位」
「駄目よォ、髪は女の命ですもの」




サユリの細い指が京子の髪を撫で、乱れ跳ねた部分を丁寧に直して行く。
簪も挿し直して、角度を確かめ、これでよし、と満足そうに手を叩いた。

そのまま京子は、キャメロンの肩に乗せられて、店舗まで連れて行かれる。


店は既に営業中になっており、数名の客がグラスを傾けていた。
客は大抵常連客ばかりで、今日も例にもれず、京子の事も知っている人ばかりが入っている。

一人のサラリーマンが、キャメロンの肩に乗っている京子に気付き、おお、と目を輝かせた。




「随分可愛くなったもんだなあ、お嬢ちゃん」
「嬢ちゃんって言うな」
「そうよォ、今日はお姫様なんだから」
「姫でもねえよ!」




揶揄い混じりのサラリーマンに苦々しい顔で返すと、アンジーから更に上を行くパンチを貰ってしまった。
どっちにしろ、そんな呼び方は御免だ。


京子は、店の真ん中にあるソファへと下ろされた。
両隣にアンジーとキャメロンが座り、背凭れの後ろにはサユリが立っている。

カウンター席とテーブル席に座っていた客が、それぞれ席を立って京子に近付いて来た。
ソファ前のテーブルを挟んで、ほほう、としげしげと京子を眺めて来る。
今の格好を思えば仕方のない事であったが、京子は生来、人にじろじろと見られるのは嫌いだ。
京子はアンジーの腕を引っ張って、その陰に隠れるように身を縮める。




「別嬪だなあ、京子ちゃん。こりゃ将来が楽しみだ」
「ちょいと。うちが預かってる大事な子なんだ、滅多な事したらタダじゃおかないよ」
「へへ、判ってるって、ママ」




大きな手が伸びて、京子の髪をぽんぽんと軽く叩いて撫でる。

京子は、常ならばそれを振り払うのだが、今日はされるがままだ。
重い袖が邪魔で腕が持ち上がらないだけなのだが、サラリーマン達は今がチャンスと、順番に京子を撫でる。


しばらくはそうして大人しくしていた京子だったが、身動きできないからと言って、いつまでも好き放題されて平気な訳もなく。




「もう嫌だ、このカッコ。もう脱ぐ!」
「おほっ、大胆だなァ!」
「馬鹿なこと言わないで頂戴ッ」




ごつん、とキャメロンがサラリーマンに拳を落とす。
その間に、サユリがデジタルカメラを取り出す。




「じゃあ、早く撮って、着替えちゃいましょうか」
「もう?ちょっと早過ぎない?アタシ、もうちょっとこのままが良いわァ」
「京ちゃんが嫌がってるんだもの。お披露目もしたし、そろそろ解放してあげないと、嫌われちゃうわ」




それはない、と京子は思ったが、口には出さなかった。
恥ずかしいし、調子に乗って「じゃあもう暫くこのままで」なんて言われたら堪らない。


アンジーに呼ばれたビッグママがカウンターから出て来る。
キャメロンが場所を譲って、彼女はサユリと共に京子の後ろに並んで立った。

俺が撮るよ、と言って一人のサラリーマンがサユリからカメラを受け取る。
男は直ぐにカメラを京子達に向けたが、アンジーがふっと思い出したように声を漏らして、ストップをかけた。
どうしたのかと京子がアンジーを見上げると、




「京サマ〜!京サマも一緒に撮りましょう!」
「げえッ!」




アンジーの言葉に、京子は判り易く顔を引き攣らせた。

カウンター席で常と変らず、日本酒を傾けていた神夷京士浪は、アンジーの声を受けて振り返った。
切れ長の眼はその内側を悟らせようとはせず、声をかけても、大抵無反応のままで終わる事が多い。
アンジーの誘いに思わず悲鳴を上げた京子であったが、一拍置いて、どうせ来ないよな、と言う考えに至る。


しかし、予想に反して京士浪は腰を上げた。
無言のままに近付いて来る男を、何故かその場にいる全員が静まり返って見詰める────勿論、京子も。





「京サマ、此処どうぞ」
「……え、ちょ、兄さん?マジかよッ!」




アンジーがソファを退くと、其処に京士浪が座る。
うええええ、と京子は不細工な悲鳴を上げたが、京士浪はそんな弟子を気に留めない。

京子はずりずりと移動して(動ける距離などあってないようなものだったが)、ビッグママに密着する。
そんな京子を見下ろして、ビッグママは煙管を口から放し、小さく笑った。
京士浪の後ろに回ったアンジーも、溺愛する少女の反応にクスクスと笑う。


サラリーマンがカメラを構えた。




「はい、撮るよー」




ピピピ、とデジタルカメラがピントを合わせる音が鳴る。





シャッターが落ちる、その瞬間。

小さな手が、男の着物の端を摘まんでいた事は、その場にいた者達だけの秘密である。







雛祭りと言う事で、今年はチビ京にお雛様のコスプレをして貰いました。可愛いと思うんだ、うん。

うちの京ちゃんはファザコン。父親にも師匠にも、反発するけど、憧れもある。
師匠の方はなんの気紛れなのか(爆)。ゲームの京士浪は妹がいた(京一の直径の先祖はこっち)んで、思い出したとか?

着物とか服の裾とか、ちょんと摘まんで引っ張ってるのって可愛い。