Event that no one knows. 閑話











桜ヶ丘中央病院が外来診療を受け付けているのは、基本的に、平日土曜含めて午後六時までだ。
しかし緊急の患者はあるもので、特にこの病院ではそれが頻繁に訪れてくる。
理由は“霊的治療”を扱っているからであり、この類はかなり多くが緊急患者で他病院から回されてくるのだ。


それ以外にも、今年で七年目になる馴染みの少女が夜半に訪れてくる事がある。
今年に入ってからそれは一人ではなくなり、数人で一緒に玄関を叩く日もあった。
昔は何処ぞで喧嘩をして、一発やられたとかで大きな痣を作ってくるばかりだったのが、友達の怪我や変調を診せに来るようになった。

今年の春に得た《力》を駆使して、人ならざるものと相対し、戦って傷付いて。
普通の病院では治療しきれないその傷を、事情も判っている上、学生相手にほぼ無償で治療してくれるこの病院を、彼女達はいつも利用していた。



それでも、彼女が一人で此処を訪れる事は、滅多にないのだ。
どうもこの病院は彼女にとって、大きな鬼門扱いになっているようだから。





しかし、彼女は一人で此処に来た。

……正確には、一人で此処へと連れて来られたのである。




緊急外来の患者に治療を施し、落ち着かせてから、開けていた玄関を閉めようと玄関口に向かった時。
蓬莱寺京子は、一人の男に抱きかかえられて、この病院へとやって来ていた。




「今日はもう、受け付けては貰えないかな」




何処か飄々とした物言いをする男。
そんな男に彼女が抱えられている事に岩山は少々驚いたが、それよりも医者としての意識が先に動いた。

抱えられた少女を覆うように、薄らとした黒いもやが纏わりついている。
近付いて頬に触れれば発熱しており、水に濡れてそれが一層彼女の体調を悪化させている事が判った。




「構わないよ」
「良かった」




岩山の端的な言葉に、男は安堵したように笑みを浮かべた。

京子の相棒であり親友である少年もよく笑っているが、それとは違う。
社交辞令的な意味合いの笑みで────けれども、それが京子に向くと一変して、慈しむように柔らかくなった。




「生憎、今日は夜勤の者がいなくてね。悪いが、病室まで運んでくれると助かるんだけど」
「ああ、構わない」




空き病室へと歩き出した岩山の後ろを、男はゆっくりとついて歩いた。



時折、彼の腕の中で、京子が身動ぎする。
しかし目覚める様子はなく、岩山は珍しい事もあるものだと胸中で呟いた。


彼女が誰かに身を預けている事実が、先ず滅多に見られない光景だ。
鬼の瘴気に当てられて意識が混濁しているのだろうが、それにしても、である。

他人よりも二倍も三倍も、彼女のプライドは高い。
意識がないのにプライドも何もないだろうが、無意識下でも彼女は中々誰かに頼らない。
誰かの手を借りるのが嫌らしく、その雰囲気が僅かでもあると、彼女は愚図るように唸るのだ。


だが男に抱かかえられている今、彼女は至って大人しい。



京子が身動ぎする度に、男は小さな声で彼女に何かを囁いた。
ちらりと見た口元が、「大丈夫」と形を作る。

それで京子は大人しくなり、男に身を預けていた。




(……珍しい事もあるもんだね)




真神学園のクラスメイト達以外で、そんなにも気を赦した相手がいたとは。
それも学友達とは、明らかに違う意識を持っている。




無人だった空き病室の扉を開ける。

シンプルな作りだが、殺風景とは少し違う、温かみを持った病室。
澄んだ空気と、微弱なものではあるが結界に守られた空間だ。
此処にいるだけで、今京子に纏わり着いている瘴気の気配も時間と共に消えていく事だろう。


男は、糊の張ったベッドに京子をそっと下ろした。
下ろした男の手が離れようとした時、また愚図るように手が伸びたのだが、それは結局、男に届く前にシーツに落ちた。
それを見た男が僅かに眉尻を下げたが、岩山がそれに気付いた所で、どうかなるものでもない。

だから岩山は、見なかったことにして、京子の治療を始めた。





治療をしている間、男はずっと傍にいた。

京子が愚図るように唸ると、男は彼女の頭を撫でてやった。
京子の手が彼を捕まえる事はなかったが、それでも、幾らか落ち着いて、次第に静かな寝息を立てるようになった。






瘴気の殆どを抜いて、後は時間が経てば全て抜けきるだろうと思った頃。
それまでずっと彼女の傍についていた男が立ち上がり、ベッドから離れ、病室のドアへと向かった。




「直に起きるよ。待たないのかい?」




岩山がそう言ったのは、ごく自然な流れだったと言って良い。

此処にいるのが男ではなく、見慣れた京子の友人達であっても、そう言った。
絶対安静だとか、隔離しておかなければと言うほど、今の彼女の病状は悪いものではない。


しかし振り返った男は、やはり眉尻を下げて、小さく首を横に振った。




「起きた時に俺がいると、京ちゃんは嫌がるだろうから」
「どうして。親しいんじゃないのかい?」
「……頷けないのが少し辛いね」




つまり。
男は京子と親しくなりたいが、彼女がそれを良しとしないのか。

それは益々、珍しい事だ。
岩山は思う。
だって先程、彼女は無意識下であれ、彼に体を預けていたから。


ポーズで嫌がっているのか、それとも自分の本当の心情に気付いていないのか。
京子の性質からして後者の可能性が高い、長い付き合いでそれ位は判るようになった。

全く、いつになったら好意を好意と素直に受け止められるようになるのだろうか。
子供の頃はもう少し素直だったと思うのだけど、何処でどうなって今に至るのやら。
歳を重ねる毎に斜に構えていくのを見てきたが、岩山には終ぞ原因は判らなかった。



自分で言って、余計に実感してしまったのだろうか。
男は、口元は笑っていたが、瞳の奥は淋しげな色を浮かべていた。




「まぁ、そういう訳だから……俺が京ちゃんを此処に運んだって事も、黙っていて貰えると助かるんだけど」




男には、それによってポイントを稼ぐとか、彼女に気を赦してもらう為の打算はないらしい。
岩山に、彼の言葉からの他意は感じられなかった。




「構わないよ」
「ありがとう」




短い礼を述べて、男は病室を後にした。

その際、扉が一度開いて、閉じた時─────京子がまた、身動ぎしたのだけれど。
シーツの波に埋もれた手は彷徨わなかったし、彼女の瞼が持ち上がる事もなかった。





思い返せば、初めて会った年齢を考えたら、京子の人生の半分近くに岩山は存在しているのだ。
本当に随分と長く、彼女の事を見ている。


だから京子が素直な性格じゃないことも、直ぐに手が出る短気である事も知っている。
女らしさとは程遠い言動を取って、わざと相手に嫌われる台詞を吐く。
好かれる方法はいつまで経っても学べないのに、嫌われる方法だけどんどん覚えていくのだ、この少女は。

けれど、一度懐に入れれば、思う以上に寛容で。
優しい言葉なんてものはやっぱり言えないが、代わりに態度で現れる。


敵意に敏感な事も知っている。
好意に鈍い事も知っている。

好意を好意と受け取ったり、判り易く相手に見せる事が苦手な事も、知っている。





だから、多分。
彼が淋しそうに笑ったのは、京子のそんな性格の所為。








「──────手のかかる娘だよ、本当に」









今ばかりは大人しく眠る少女を見下ろして、岩山は呆れたように呟くしか、出来なかった。
















京ちゃんのピンチに颯爽と……的な展開も考えてたんですけど、まだ早い。まだまだ早い。
出来れば早く親しくなりたいけど、出来る限り、正面から向き合う形で仲良くなりたい八剣です。
……まだ引っ張りますよ、この連載。

姫抱っこさせれたので、其処は満足しています。
起きてたら絶対させない。先ず誰かに抱えられたりとかがない。