きになるあのこ
きになるあのこ
龍麻が“真神保育園”に通うようになって、一週間。
最初はドキドキしていた龍麻も、もう随分慣れた。
その最初の日も、家に帰って両親に一日の事を楽しく話すことが出来た。
良い感触を嬉しそうに報告してくれた息子に、両親も一安心だ。
よくお喋りをするのが、葵、小蒔、醍醐の三人だ。
この三人は同じ頃に真神保育園に入って、それからずっと一緒に遊んでいるらしい。
葵の隣には如月がいる事が多いのだけど、この子は滅多に喋らない。
でも龍麻がテレビの話をすると、ちゃんと相槌を打って聞いてくれる。
段々向こうの方からも、前の日に見たテレビのことで話しかけてくれるようになった。
他にも積極的に話しかけてくれる子がいる。
雨紋と、双子姉妹の姉の雪乃だ。
時々龍麻を取り合ってケンカを始めてしまったりする。
それから、一番小さなマリィ。
マリィは龍麻のことを随分気に入ってくれたようで、部屋の中で過ごしていると、いつも後ろをついて来る。
頭を撫でてあげると、とても嬉しそうな顔をして、すりすりと龍麻に頬を寄せてくるのである。
雪乃の妹の雛乃は、いつもお絵かきをしていて、龍麻も一緒に描くようになった。
忍者の絵を描いたら、雛乃はそれが忍者と判ったようで、龍麻はそれが嬉しかった。
朝の挨拶ぐらいしか会話をしないのが、亮一と壬生だ。
二人は元々、あんまり喋る子ではないので、龍麻はそれで良いと思っている。
読んでいる本のことを聞いたら、それはちゃんと教えてくれるのだし。
マリア先生は怒る時は怖いけれど、普段はとても優しい。
時々英語で話し掛けてくることがあって、ハローとかグッモーニンとか、龍麻は真似だけれど同じ言葉で返すようになった。
そうするとマリア先生は嬉しそうに笑って、龍麻の頭を撫でてくれる。
無口な犬神先生は、何を考えているのか判らない。
でも子供達の事はよく見てくれていて、お腹が痛いとか、座りっぱなしでお尻が痛いとか、すぐに気付いてくれる。
おしっこを我慢していても判るのだ、だからおもらしする子は殆どいない。
ちなみに、子供達の前にいない時は、大抵庭にあるウサギ小屋の前にいる。
眼鏡をかけたお姉さんは、遠野杏子と言う名前で、子供達は皆アン子先生と呼んでいた。
どうしてアン子なのと龍麻が聞いたら、子供の頃からそういうあだ名だったらしい。
去年に入ったばかりの新人の彼女は、時々おっちょこちょいをするが、それがまた子供達に親しみ易さを与えていた。
それから、怪我をすると看てくれるのが、岩山たか子先生。
その外見に龍麻はびっくりしたけれど、怪我を治してくれる手付きはとても優しい。
だから子供達は遠慮なく外で遊べるのだ。
岩山先生がいない日には、高見沢舞子と言う女の人が看てくれる。
岩山先生とは正反対のおっとりした外見で、舞子先生と呼ばれている。
此方もとても優しい手付きで怪我を治してくれるから、皆とても懐いていた。
皆、龍麻に優しくしてくれる。
龍麻だけじゃない、皆が皆に優しい。
ケンカが起きる事もあるけれど、それは「主張が出来るからだ」と犬神先生が言っていた。
言いたいことも言えなかったらケンカは起きない、と。
龍麻にはなんだか難しくてよく判らなかったけれど、良い事なんだと言う事は判った。
前の保育園ではケンカは駄目だと言われてたから、ちょっと不思議でもあったけれど。
でも、龍麻には一つだけ、まだ気になることがある。
龍麻は、あの寂しそうな目が笑ったところを、まだ一度も見ていなかった。
真神保育園の近くに、児童公園がある。
晴れていれば三日に一回の頻度で、保育園の子供達は其処で遊ぶのが習慣だった。
子供達を外に連れて行く時、保育園には犬神先生が一人で残る。
寂しくないのと龍麻が聞いたら、いつものことだと先生はなんでもない事のように言っていた。
自分だったら寂しいな、と龍麻は思う。
でも犬神先生は大人だから、平気なのだろう。
保育園から公園までは、いつも皆で手を繋いでいく。
一番小さなマリィは舞子先生が抱っこしていた。
─────それから、一番後ろで、皆と繋がずアン子先生とだけ手を繋いでいる“きょういち”。
龍麻が保育園に入園してから一週間、既に二回児童公園で遊ぶ機会があった。
その際、“きょういち”はいつも一番後ろを歩いていて、手を繋ぐのはアン子先生とだけだった。
一度手を繋ごうと思って手を出したら、“きょういち”は怒った顔をした。
そんな“きょういち”をアン子先生が怒ったけれど、龍麻はしょうがないと思う。
嫌がっていることをしては駄目だと。
公園に着くと、他の保育園の子供達も来ていたりして、皆めいめい遊び出す。
雪乃と雛乃は、他の保育園の子にも友達が沢山いるようだった。
壬生や亮一は外に出てもじっとしている事が多いけれど、ベンチに座ってのんびり本を読んでいる。
だから、この公園へのお散歩が嫌いではないことが判った。
龍麻も楽しい。
他の保育園の子たちとはあまり喋れないけれど、葵達と追いかけっこするのは楽しかった。
そして今日はかくれんぼだ。
小蒔が鬼の番になって、龍麻は隠れられる場所を探して、公園を見回した。
「あ」
見付けたのは、隠れられる場所ではなくて────こんな時でも一人でいる“きょういち”。
保育園でも公園でも、その間の道でも、“きょういち”は一人で過ごしている。
他の子供達と遊ぶこともしないで、皆の輪から外れた所にいた。
─────それも、多分、わざと。
皆に仲間外れにされているとかじゃなくて、“きょういち”は自分で一人でいるようだった。
前の保育園での自分と少し似ていたから、龍麻には判る。
寂しくないんだろうか。
犬神先生が一人で保育園に残るのが平気なのは、犬神先生が大人だからだ。
だって自分だったら絶対に寂しいと思う。
“きょういち”は、寂しくないんだろうか。
時々マリア先生やアン子先生が声をかけているけど、先生達があんまり傍にいると怒り出すから、やっぱり一人で過ごしている。
葵が時々話しかけても、そっぽを向くばっかりで、皆の所に行こうとしない。
寂しくないんだろうか。
……寂しくない訳がない。
だって龍麻は、“きょういち”がいつも寂しそうにしているのを知っている。
龍麻は、とてとて、“きょういち”の下へ走った。
近付いて行くと“きょういち”も気付いたようで、地面にお絵かきしていた手を止めて、顔を上げる。
龍麻を見つけると、眉毛の端っこがぎゅうと近付いた。
「ね、あそぼう」
「……」
傍にしゃがむと、“きょういち”はまた下を向いて絵を描き始めた。
“きょういち”が描いているのは、いつもパンダだ。
結構上手だった。
「あそぼうよ。かくれんぼ」
「やだ」
きっぱり言って、“きょういち”はがりがり地面にお絵かきを続ける。
こんなやり取りは、龍麻が“きょういち”に話しかけるようになってしょっちゅうだ。
と言うより、ほぼこんな会話しか“きょういち”相手には成立しない。
龍麻はむぅと唇を尖らせて、地面に増えて行くパンダを見る。
「ぱんだ、すき?」
ぴたり。
龍麻の言葉に、“きょういち”の手が止まった。
“きょういち”が立ち上がって、パンダの顔を足でぐしゃぐしゃにしてしまう。
あ、と龍麻が呟いた時にはもう遅くて、パンダは一匹もいなくなっていた。
勿体無い。
そう思っていたら、こつんと何かが龍麻の頭に当たった。
ころりと落ちたものを見たら、“きょういち”がお絵かきに使っていた木の枝だ。
「いたい」
「しらねェ」
ヒリヒリ、小さな痛みを訴える頭を抑えていったら、“きょういち”はぷいっとそっぽを向いた。
そのまますたすた歩き出した“きょういち”を、龍麻は直ぐに追い駆けた。
「どこいくの」
「かんけーねェだろ」
「あそぼ」
「やだ」
「かくれんぼ、たのしいよ」
「あっそ」
公園の端の芝生をすたすた歩いて行く“きょういち”。
早足のそれに置いていかれないように、龍麻は一所懸命追い駆ける。
「ついてくんなよ」
「あそぼ」
「やだっつってんだろ」
“きょういち”がどんどん怖い顔になって行く。
少し怖かったけれど、龍麻は頑張って“きょういち”を追い駆けた。
手を繋ぐのは嫌かも知れないけれど、遊ぶのが嫌だなんて思っていないと、龍麻は思った。
だって誰かと一緒にいるのも嫌なら、一人でいる時にあんな寂しい顔はしないはずだ。
一人で過ごす方が楽しいと言う子もいる。
壬生なんかはそうだろう、今も彼は一人でベンチに座って本を読んでいる。
その横顔は、本に夢中のようで、楽しそうだった。
でも“きょういち”はそうじゃなくて、絵を描いている時も寂しそうな顔をする。
皆に声をかけられても突っぱねるのに、一人でいると、泣き出しそうな顔をするのだ。
だから龍麻は、彼を放っておけなかった。
でも、大きな声で怒られると、やっぱり体はびくっとする。
「しつけェな! ついてくんなよ、おまえッ!!」
その声は広い公園に響いて、子供たちが皆振り返る。
顔を歪めた“きょういち”と、その前で立ち尽くす龍麻と。
それを見て最初に駆け寄ってきたのは、マリア先生だった。
「どうしたの、二人とも。大きな声出したら、皆がびっくりするでしょう」
二人の間にしゃがんで、顔を顰めた“きょういち”を宥める。
が、“きょういち”はそんなマリア先生も睨んだだけで、直ぐに背中を向けて走り出した。
龍麻は、それを追い駆けられない。
マリア先生が龍麻を抱き上げる。
高くなった視界の隅で、アン子先生が“きょういち”を追い駆けていった。
静まり返った公園の空気を振り払うように、舞子先生が真神保育園の子供達に声をかける。
鬼ごっこしましょうと言う先生に、何人かはさっきの出来事を気にしていたけれど、はぁい、と声が上がった。
マリア先生に抱き締められて、龍麻は先生の肩に顔を埋めた。
ぽんぽんと優しく背中を叩かれる。
仲良くなりたい。
お話したい。
ただそれだけなのに。
あの子は、どうして笑ってくれないんだろう。
どうしていつも、寂しい顔をしてるんだろう。
怒ったふりして、大きな声で皆を怖がらせようとするんだろう。
龍麻は見た。
皆が庭で遊んでいる時に、一人で地面に座って絵を描いている“きょういち”を。
時々こっちを見て、寂しそうな顔でまた俯いてしまう横顔を。
だからきっと、あの子も皆と遊びたいんだと思う。
でもどうしてか、いつもそれを我慢して、一人で過ごしている。
………もっと笑った顔が見たいのに。
いつも一人で、寂しそうに怒ったふりばっかりを続けている。
龍麻をベンチに座らせて、マリア先生はしばらく隣にいてくれた。
その間に、葵や小蒔、醍醐が傍に来て、頭を撫でたりしてくれた。
小蒔はまた“きょういち”に怒っていたけれど、龍麻は僕の所為だからと言った。
“きょういち”は悪くない。
龍麻のその思いは、揺るがなかった。
しばらくすると雪乃がマリア先生を遊びに誘った。
その時には龍麻は随分落ち着いていたから、マリア先生も「大丈夫ね?」と一つ言って、雪乃達と遊びに加わった。
─────それと入れ違いで龍麻の下に来たのは、雨紋と亮一だった。
「おまえ、きょーいちとあそびてェの?」
背中にくっついた亮一と手を繋いで、雨紋が言った。
龍麻は頷く。
「なんで?」
「さみしそう」
「そんだけ?」
「なかよくなりたい」
「………」
龍麻の答えに、雨紋は少し驚いたようだった。
ぱちりと一つ瞬きする。
何か変な事を言ったかな───と龍麻は首を傾げる。
少しの間沈黙があって、その後、雨紋は笑った。
「そっか」
「うん」
「じゃあいいや。がんばれよ」
そう言うと、雨紋は亮一の手を引いて、遊びの輪の中へと歩いていった。
そう言えば。
時々だけれど、雨紋は“きょういち”と話をしている事がある。
それから亮一も加えて、三人でなら遊んでいる事もあった。
雨紋は、“きょういち”が一人で寂しそうな顔のままで過ごしている理由を、知っているのだろうか。
だから“きょういち”も、時々ああやって一緒に遊んだりするのだろうか。
でも毎日じゃない、それもちゃんと理由があるのだろうか。
─────龍麻は、“きょういち”のことを、あまりよく知らない。
もっと知れたら、仲良くなれるだろうか。
一杯知れたら、“きょういち”は笑ってくれるだろうか。
龍麻は、ベンチを降りた。
“きょういち”はどっちに行っただろう、辺りをきょろきょろ見回してみる。
取り敢えず、目に届く場所にはいないようで、
「うわぁあぁあああああん……!」
子供の大きな泣き声がした。
遊びに夢中の子供達は聞こえていなかったけれど、大人達は慌しくなった。
何処の子が泣いているのか探している。
龍麻も探した。
“きょういち”かも、と思ったのだ。
泣き声がする方へ行ってみると、鉄棒の傍で泣いている子供が二人。
一人はしゃがみこんで俯いていて、もう一人は地面に転んだまま大きな声で泣いていた。
その二人の間に、“きょういち”が立っている。
「京一、あんた何したの!」
アン子先生が怒った。
怒られた“きょういち”は、黙ったままだ。
泣いている子にもそれぞれ大人が駆け寄る。
俯いていた子は腕が蒼くなっていたり、土がついていたり。
転んでいた子は足を擦り剥いて、血が出ていた。
“きょういち”は転んでいた子の方を、ずっと睨んでいる。
「さがやくん!」
龍麻を追い抜いて、葵が俯いていた子の方に駆け寄った。
俯いていた子は男の子で、他の保育園の子だった。
男の子は葵の顔を見て少し安心したようで、泣き顔をごしごし拭っている。
「なんでアンタは目を離したらすぐケンカしちゃうのよ! ほら、ちゃんと謝って」
「…………」
ぷいっと“きょういち”はそっぽを向く。
岩山先生と舞子先生が走って来た。
怪我をしている子供達を看る。
転んでいた子は、まだ泣いていた。
“きょういち”に怒るアン子先生の方が、なんだか泣き出しそうに見えるのはどうしてだろう。
怒っている筈なのに、龍麻には泣いているようにも見えたのだ。
「京一!」
鋭い声で怒るアン子先生を、“きょういち”は見なかった。
ずっと違う方向を見ていて、わざと目を合わせない。
其処に割り込んできたのは、葵だった。
「ちがうの、アン子せんせい、ちがうの!」
「美里ちゃん?」
「きょういちくん、さがやくんを助けてくれたの」
一所懸命に手を引いて、アン子先生を見上げながら葵は言う。
“きょういち”はその間も、ずっと違う方向を見ている。
龍麻は“きょういち”の顔の前に回ってみた。
俯いていたから、下から覗き込んで見ると、赤くなった頬が見えた。
それを見つけた龍麻の口元が緩む。
覗き込んでいる龍麻に気付いて、“きょういち”は顔を顰めて、また違う方向を向いた。
また前に回ろうとしたら、ぱっと背中を向けて走って行ってしまった。
「あ、コラ京一!」
「アン子せんせい、きょういちくん、おこらないであげて」
「うん、判った。判ったけどね、美里ちゃん、」
泣かせた事まで何も言わないままは駄目なのよ、と。
そう言うアン子先生に、葵は泣きそうな顔で怒らないでと繰り返す。
興奮気味の葵を抱いて、アン子先生は小さな背中をぽんぽんと叩いた。
その傍らから、転んでいた子の保護者がやって来て、すみませんと頭を下げる。
アン子先生も同じように頭を下げていた。
彼女らの様子をしばらく見詰めた後で、龍麻も彼女達に背を向ける。
人目につかない、茂みの中。
がさがさと分け入って、龍麻はその向こうに足を踏み入れた。
沢山の木々の葉っぱで空は見えなくて、でもその隙間からきらきらした光が零れてくる。
茂みの中に入っただけなのに、なんだか随分違う世界に迷い込んだみたいだった。
皆の遊ぶ声が少し遠くなったから、余計にそんな気がしてくる。
時々茂みの緑が動いて、ひょっこり猫が顔を出す。
その猫は首輪の跡があって、龍麻が知っている猫より随分細い。
マリィがいつも抱っこしているメフィストだって、もっともっと丸いのに。
猫は龍麻を見つけると、ミャアと一回鳴いた。
それから警戒する様子もなく、とことこ龍麻の目の前をのんびり歩いて行く。
それを目線で追い駆けて。
その不思議な空間の中に、“きょういち”はいた。
「………おめェ、またかよ」
“きょういち”が呟いたのは、龍麻に対してではなく。
足元に擦り寄ってきた、痩せっぽちの猫に対してだった。
猫はミャアミャア鳴いて、“きょういち”の足にすりすり擦り寄っている。
“きょういち”はしばらくそれを見下ろして、ズボンのポケットから何かを取り出した。
握っていた手のひらを開くと、其処にあったのは、細かく千切ったパンくず。
「……おめェ、またくってねェんだろ。じぶんでエサとれよ」
地面に置いたパンくずを食べる猫を見下ろして、“きょういち”は呟いた。
「じぶんでとれねーと、しんじまうぞ」
「だれも助けてくれねェんだぞ」
「……じぶんでやんなきゃ、だれも……」
消えていきそうな声は、多分、此処に龍麻がいることを知らないからだ。
だから、泣き出す一歩手前で踏み止まった声が零れて落ちていく。
それを受け止めることが赦されているのは、痩せっぽちの猫だけ。
何を言ってくる訳でもないし、誰かに言い触らすでもない。
だから“きょういち”も、独り言のように零して。
──────龍麻は、茂みを出た。
それだけで、子供たちの遊ぶ声がクリアになって、空から降ってくる太陽はきらきら全てを照らすようになる。
壁に阻まれている訳でもないのに、どうしてこんなに違うのか、少しだけ不思議。
やっぱり。
やっぱり、あの子は寂しいんだ。
そして────やっぱりあの子は、優しいんだ。
仲良くなりたい。
ずっとそう思っていた。
もっと仲良くなりたい。
今、そう思う。
だって、笑わせてあげたいと思うから。
雨紋が意外と出張る(笑)。
よく考えたら、如月より出番多いですよね、うちのサイトの彼は。
龍麻はひたすら京一好き好きvv