───────プレゼントと告げながら、無自覚のお返しを期待してる

















The present is ......


















曲がり角でぶつかった相手に、八剣は僅かに瞠目した。


蓬莱寺京一。

肩口にぶつかったその人物は、悪ィ、と短い謝罪を述べて顔を上げ、八剣を見ると顔を顰めた。
最初の印象が悪かった延長か、顔を合わせるといつもこんな表情をされる。
致し方ない。




「なんでェ、手前かよ」
「ご不満かな?」
「別に」




口ではそう言うが、表情は“不愉快”と極太マジックで書かれたかのようなものになっている。
言葉にせずとも判り易いその表情に、八剣は嫌われたものだと苦笑した。




「こんな所で何してるんだい?」
「お前にゃ関係ねーよ」




言われて、それはそうだと八剣も思う。
傷付くような事はなかった、こんな返事があるのはとうに予想済みである。


場所は都心の新宿。
雑居ビルの立ち並ぶ街の只中、少々薄暗い道ではあるが、通りから通りへの近道として通行するものは多い。
京一の通う真神学園もそう遠くない場所に位置しているから、此処に京一がいても何も可笑しくはないのだ。

八剣にとってもそれは判りきった事で、単に会話の切っ掛けにしただけのこと。
京一がけんもほろろな態度をするのも予測していたから、次の言葉も決まっている。




「随分、慌てているみたいだったけど」




見通しの悪い雑居ビルの隙間の道。
道の交差する場所など尚更だったが、京一の反射神経を持ってすれば、曲がって直ぐにでも止まる事が出来ただろう。
ぶつかった上に、その相手が八剣であると気付かず、一言短い謝罪まで述べた。

息こそ乱れていないものの、平静とは違う状況であったのは間違いない。


言い当てられた京一は、バレているのが不快だったのか、唇を尖らせる。




「だからお前にゃ関係──────げッ!」




言い終わる前に、京一は八剣の向こう側にある路地を見て、声を上げた。
それからくるりと方向を変えると、一目散に走り出す。

……その道の向こう側は、確か行き止まりになっていたと思うのだが、それを言う暇はなかった。


一体何があったのかと振り返って、八剣は先刻と同じく、僅かに瞠目。
一と同じ制服を着た男子高校生が一人、路地の向こうで此方を見ていた。




「………八剣君?」




緋勇龍麻である。


首を傾げて、確認するように呼んだ龍麻に、八剣はどうもと短い挨拶。
龍麻の方は律儀に、小さく頭を下げた。




龍麻の立ち位置から考えても、京一が脱兎の如く逃げて行った原因は彼だろう。
しかし判らないのは、相棒だと言って憚らない人物から、何故京一が逃げているのかと言うことだ。




龍麻はその場に立ち尽くしたまま、辺りをきょろきょろと見回してから、



「京一、見てないかな?」
「─────いいや」




否定した八剣を、龍麻は問い詰めなかった。
しばし考えるように顎に手を当て、視線を巡らせた後、そう、と短い一言。




「…八剣君は、此処で何してるの?」




都心の雑居ビルの隙間にいる事に今更疑問はないだろうが、棒立ちしていたのが気になるのだろう。
問いかけてきた龍麻に、八剣は表情を変えず、



「猫がいたんでね」




猫? と鸚鵡返しをした龍麻に、もう逃げたよ、と続ける。
どんな猫と問われて、警戒心の強い子猫だと答えた。


人に慣れてはいるけれど、此方から触れようとしたら一目散に逃げて行った。
心を開いた相手には、寄り掛かったり擦り寄ったりするけれど、其処までが酷く遠くて時間がかかる。
何度か見かけている間に、それなりに慣れてきたかなと思ったが、触れるにはまだ早いらしい。
だから八剣が手を伸ばしたら、触れるより先に威嚇して、くるりと背中を向けていなくなってしまった。

─────そんな猫。



ふぅんと呟いて、龍麻は八剣に小さく手を振ると、それじゃあと言って走って行った。

少しの後、聞き慣れてはいないが、聞き覚えのある幾つかの声。
どうやら、真神の生徒が揃って京一の行方を追っているようだった。




聞き覚えのある声が遠退き、やがて聞こえなくなった頃。
八剣は踵を返し、行き止まりになっているであろう道の奥へと進んで行った。












思った通り、進んだ道の最後は、行き止まりになっていた。
雑居ビルの隙間に猫が通れる程度の幅はあったが、猫は猫でも、あれは比喩。
流石にあの猫は通れない。


いつから放置されているのか知れない、錆びた鉄製のゴミ箱。
その手前まで進んで、小さく縮こまっている影を見つけた。

憮然とした態度で、正面から挑んでくるのが、この猫の常だ。
だからだろう、縮こまっている姿がなんだか可笑しくて、気付けば笑みを漏らしていた。




「もう行ったよ、京ちゃん」
「……京ちゃん言うな」




周囲を窺うようにきょろきょろと見回しながら、お決まりとなっている返し文句を呟いて、京一は立ち上がった。

表通りと違ってまるで手入れのない場所に蹲っていた所為で、彼の学生服は埃に塗れている。
京一はそれを簡単にのみ払うと、太刀袋に入った木刀を肩に担ぎ、一つ息を吐く。
その吐息が安堵のようなものと同時に、疲労を含んでいるように見えて、八剣は肩眉を上げた。




「鬼ごっこでもしているのか?」
「……なんでそうなる」
「見つかりそうになって逃げただろう?」
「…………」




今更、隠すだけ無駄と言う物である。
しかし、やはりプライドというものが邪魔をするのだろう。

不満をはっきり顔に出す京一に、八剣は提案した。




「理由を話してくれるなら、匿うよ」




八剣の言葉に、京一は目を瞠った。



京一が逃げている相手は、緋勇龍麻並びに真神のクラスメイト達である。
他のメンバーはどうにか撒くことが出来るだろうが、龍麻が相手では容易な事ではない。
何かと一緒にいる人物だから、京一の行動パターンもきっと読めている。

彼らは、今も京一が一人で逃げ回っていると思っているだろう。
舎弟や行きつけのオカマバー等に逃げ込んでも、直ぐに見つかってしまうのは明らかな事。



だが、八剣の介入は想定外である筈。



拳武館の一件から、早一ヶ月。
あの時は命を賭して戦った相手であったが、その全ては誤解と画策であった。
各々思うことはあるものの、既に戦う相手でなくなった相手とは、人にもよるがそれなりの付き合いをするようになっていた。

八剣もその一人であったが、京一の態度はいつまでも頑ななもの。
それも全ては最初の邂逅と、一度でも負けたという事実が、京一のプライドに差し障るのだろう。

だから八剣の方は京一を気に入っていても、京一が八剣を受け入れることはなく、周囲からもそういう認識である筈だ。


──────そんな京一が、まさか八剣を頼るとは誰も思うまい。




とは言え、京一の性格を考えると、突っぱねるのが常だ。

しかし、京一は考え込んだ。
錆びたゴミ箱に寄り掛かって、視線を落として悩んでいる。


どうやら、本気で彼等から逃げたいようだ。




「……匿うって何処にだよ」
「俺の部屋かな」




問いかけに答えると、京一は判り易く顔を顰めた。

お気に召さないだろうとは八剣も予想していたが、一番手っ取り早くて確実な逃げ場所だ。
寄ると触ると威嚇する相手の家になんて、行く訳がない─────そう思われるのが当然なのだから。




「拳武館の寮がある。そんなに遠くはないよ」




其処に行くまでに見つからなければ、京一の勝ちだ。


かなり揺れているらしく、京一は腕を組んでまた考え込んだ。
けれどもあまり悩んでいる時間もないと思ったか、顔を上げると、もう一つ聞く、と言った。
どうぞと促す。




「なんで理由なんか聞きてェんだ?」
「俺の個人的な興味だよ」




またしても、先刻よりもくっきりと京一は顔を顰めた。
顰めたままで溜息を一つ吐くと、腹を括って口を開く。




「……………誕生パーティやるって言ってんだよ、あいつら」




─────それはまた、稀有な理由で逃げ回っているものだ。

彼らが京一を探し、京一がそれから逃げているのだから、恐らくそのパーティは京一の為のものだ。
高校生男子が友達から誕生パーティをされるなんて、京一の性格を考えれば、恥ずかしがったりするのは予想がつく。
それでも、祝ってくれると言うのだから、厭うまでにはならないだろうに。




「京ちゃん、誕生日だったのかい」
「……一応な」
「いいじゃない、祝って貰えば」
「……盛り上がり過ぎなんだよ、あいつらが」




行き付けのラーメン屋の店主に話をつけて、其処でパーティ。
其処にいつものメンバーで集まって、ケーキは女子が大きなものを買ってくると言っていた。
龍麻は吾妻橋に声をかけてくると言って、醍醐は店に飾り付けまですると言っていた。

最初は冗談半分でそんな話になっていたと思うのだが、ノリにノった小蒔が有言実行を宣言した。
小学生じゃあるまいしと京一は拒否したが、龍麻までノってしまった為、もう止められなくなった。


話は更に大きくなって、如月に雨紋、織部姉妹にも声をかけるという提案が出て──────京一は其処で逃げ出した。


真神のメンバーに祝われるだけなら、照れ臭くはあっても、悪くはないと思っていた。
いや、今でも悪くはないと思っている……こんなに大きな話にならなければ。




「勘弁してくれっつーの………」




顔を片手で覆い、がっくりと肩を落とす京一は、相当参っているのが判る。

人の悪意や敵意に敏感なこの子猫は、どうも友人達からのストレートな好意に慣れていないらしい。
天邪鬼な猫は大変だねェ、と胸中で八剣は笑んだ。



理由はこれだけだ、と言うと、京一はゴミ箱から体を離した。
話したのだから匿え、と木刀を肩に担いで、憮然とした目が八剣に向けられる。





踵を返して歩き出した八剣を、京一は一メートル分離れて、ついて歩き出した。