Milky Quartz




その日、京士浪はいなかった。
いつもの事なので、京一は深くそれを気に留めてはいない。

それでも、つい昨日帰ってきたばかりだっただけに、肩透かしを食らった感は否めない。
折角一週間ぶりにまともに稽古をつけてもらえると思ったのに、やる気も含めて台無しにされた気分だ。
……そういう事を言ってもどうにもならないのは判っているが、それだけに、やっぱり一度は文句だけでも言うべきだろうかと思う。



京士浪がいようといまいと、京一の一日の過ごし方は殆ど変わらなかった。
彼がいるのなら稽古をつけて貰い、夕方までそれは続けられ、最後には生傷だらけでフラフラになる。
終わった後は一度桜ヶ丘中央病院へ行き、稽古で負った傷の手当てをして貰ってから『女優』に戻った。

いないのならば『女優』の店の横で木刀を振るい、素振りをした後、イメージトレーニングだ。
最初の頃はよく判らなかったイメージトレーニングも、そろそろ慣れて来ていた。


この日もそれらと同じく、素振りの後はイメージトレーニングで時間は過ぎて行った。
半年前よりもかなり動きは良くなってきたんじゃないかと思う。


だが、やはりいるのならば、いてくれた方が京一には有難い。
前日の稽古で注意しろと言われた箇所が直っているのかどうか、自分ではまだ判らなかった。
直したつもりで直っていないかも知れないし、反って悪い癖がついているかも知れない。
客観的に冷静な目で見て貰うには、やはり師匠と言う存在は必要不可欠なのである。


……が、その師はまるで勝手気ままで、ふらりと戻って来ては、ふらりといなくなるのだった。




一夜明けて不在となった師匠に、京一はいないと判っていても頬が剥れてしまう。

ビッグママが折角用意してくれた温かい食事も、なんだか美味しくない気がする。
そんな筈がないのは判っているけれど。


膨れっ面でラーメンを食べる京一に、アンジーが眉尻を下げる。




「ごめんねェ、京ちゃん。引き止めれば良かったわ」
「いーよ、別に。ンな事したってあのおっさんにゃ意味ねェだろうし」




リスの頬袋宜しく、膨らんだ頬。
それが京一の不満さをありありと映し出している。




「大体あんなのアテにしてねェや」
「あら、そうなの?」
「約束破るような奴、信用しろってのが無理な話だろ」
「ふふ、そうかもねェ」




むぐむぐとラーメンを食べながら言う京一に、アンジーは微笑みながら頷いた。
本気で同意していない事は判ったが、此方としても単なる愚痴なので、この程度の反応で十分気が楽になる。


大きく切られたチャーシューを口に突っ込んで、京一は一所懸命に顎を動かす。
程なく飲み込んで、レンゲでスープを掬う。

元はインスタントラーメンを解しただけのチャーシューメンだが、ビッグママの一工夫で、市販のものより味が良い。
京一が一番気に入っていると言った時から、ビッグママは週に一度はこれを出してくれた。
特に京一の機嫌が下降している時を狙って。
機嫌取りである事は京一にも判ったが、これで直ってしまうのは事実で、ビッグママの気遣いも有難いし、ラーメンもやっぱり好きなので、特に文句は無い。


ビッグママとアンジーの気遣いと、京士浪がいなくなって大袈裟に淋しいと騒いでいるキャメロンとサユリのお陰で、少し機嫌も直ってきた。
単純だよな、オレも、と思いつつ、ラーメンを啜った。



釣り上がっていた京一の眉尻が下がりつつあるのを見て、アンジーは一安心する。
其処でちらりとキャメロンとサユリを見れば、ニッコリと笑顔が向けられた。




「お詫びじゃないんだけどね、京ちゃん。京サマから預かってるものがあるの」
「ん?」




ラーメンを啜りながら、京一がアンジーを見る。
なんだ? と問い掛ける瞳に、アンジーはスカートのポケットから小さな御守を取り出した。

御守は随分と古ぼけていて、刺繍で記された文字などは殆ど解れて読めない。
いつから持っていたのかと言われそうな程、汚れや日焼けで色褪せていた。
きっと綺麗な柄だったのだろうとは京一も判ったが、見る影もなくなっている。


アンジーはそれを京一の前に置いた。




「なんでも、とっても由緒正しい御守ですって」
「ふーん………って、これが何?」




由緒も何も、信仰心もなければ興味もない京一だ。
これをどうすれば良いのかと問い掛ければ、アンジーはにっこりと笑い、




「京サマから京ちゃんにプレゼント」
「はぁ?」
「本当よ。ねェ」




アンジーがキャメロンとサユリに問えば、二人は確りと頷いた。




「今朝、出ていく前にね。京ちゃんに渡すようにって言われたのさ」
「……ンなモン貰ってもどーにもなんねーよ。何考えてんだ、あのおっさん…」




交通安全とかかな、と思ったが、そんな物をいつまでもあんな大人が持っているものだろうか。
それが判断できるほど彼を深く知っている訳ではないが、それでも、在り得ないと思う。

何れにしろ彼が長く持ち続けていたものなのだろうが、だったら尚更扱いに困る。
由緒が正しいのか正しくないか、それをさて置いても、長年持ち続けたものをポイと渡されても、どうしたものか。
ずっと持っていたのなら大事なものなのではないか、何故いきなり自分に譲ったりなんかするんだ。

……判らない事だらけで、眉間に思い切り皺が寄った。


顰め面でテーブルに置かれた御守を見る京一に、アンジーと反対側に座ったサユリが肩を叩いた。




「それでね、コレはアタシ達からのプレゼント」




そう言って差し出した手は、何かを握っていた。
京一はぱちりと瞬きし、箸をテーブルに置いて、サユリの手の下に手の平を開く。

重ねれた手が離れた時、其処には透明な透き通った石を填はめた、大きめのリング。



リングにはめられた透明な石が、俗に“宝石”と呼ばれるものである事は、直ぐに判った。



瞠目してサユリを見れば、にこにこととても嬉しそうにしている。
その向こうではキャメロンがいて、反対側ではアンジーがやっぱり笑っていて。
正面を向けばビッグママは背中を向けていたけれど、何もかも知っている雰囲気があった。

京一はぽかんとして、皆の顔をぐるぐると見渡した。




「これね、京ちゃんの誕生日の石なのよ」
「……オレの誕生日?」




サユリの言葉を反芻して、ようやく、京一は今日と言う日付を思い出す。

1月24日。
自分の、11回目の誕生日。


つまり、このリングも、師が置いていった古ぼけたお守りも、誕生日プレゼントなのだ。



京一は大いに慌てた。

お守りだって困るのに、こんなもの、もっと困る。
それが京一の第一の反応だった。




「なんでこんなモン」
「だって誕生日だもの。お祝いしなくちゃ」
「じゃなくて」
「一年に一回だものね。ちゃんとしないと」
「違うって。こんな高ェモン、」
「あら、そんなにしないわよ。大きくないし、ダイヤモンドとかじゃないんだから、大丈夫」
「……けど、」




言い募ろうとする京一だったが、アンジー達は柔らかい笑みを浮かべたまま。
京一の心配を大丈夫だと言って、大きな手で宥めるように頭を撫でた。


続く言葉を遮られて、京一はぽとりと視線を落とす。
手の中にある、きらきらとした石に。



リングは京一の指には、どれにも嵌まらない大きさだ。
それは恐らく、京一がまだ10歳の少年だからだろう。
これから背が伸び、比例して指も太くなるから、今のサイズに合わせては直ぐに着けられなくなってしまう。

指にはめても大きい今は、成長するまで、チェーンに通してネックレスにしても良い。
落として失くすと言うなら、『女優』の京一の部屋に置いていても良かった。
未来のいつか、ほんの一時でもいいから身に着けて貰えたら良いと、アンジー達は思っていた。



京一はどうして良いか判らない表情をしている。
やはり直ぐには笑ってくれないのだと、アンジーは眉尻を下げた。




「あのね、京ちゃん」




幼い子供を相手にするような───事実、そうなのだけど───アンジーの声に顔を上げれば、眩しそうに細められた瞳が京一を見ていた。




「京ちゃんは、アタシ達に色んな事遠慮してると思うけど、アタシ達、もっと京ちゃんを甘やかしたいの」
「……今でも十分甘いだろ」
「ううん、もっともっと足りないのよ。京ちゃんが欲しいって思ったもの全部あげたいし、食べたいって言ったもの全部食べさせてあげたいの」
「………」
「アタシ達、京ちゃんの事、とっても好きだから」




京一は、顔が熱くなるのを感じた。
アンジーの顔を見ているのが恥ずかしくなって、俯く。




「誕生日だって、もっと祝ってあげたいの。京ちゃんの好きなもの食べさせてあげて、プレゼントも一杯あげたいし、パーティにしちゃったって良いくらい」
「……ンな大袈裟にしなくていいって……」
「うん。でもしたいの。それで、京ちゃんには一杯ワガママ言って欲しいの。あれも食べたい、これも食べたいって」




─────それは駄目だ、と京一は思っていた。

世話になることだって自分のワガママだった。
帰る筈の家に帰りたくなくて、それなら此処にいれば良いと言われて、それに甘えていた。
それだけで十分だと思ったから、それ以上の望みなんて考えていなかった。


時々、CMで見かけるような新しい菓子や、ゲームが気になる事はある。
食べたいと思うし、遊んでみたいと思うけれど、子供の自分がそれらを自由に買えるような金がある筈もない。
そうなると、保護者のように生活を守ってくれる人達に頼るしかなくて……それは意味の無いワガママだと思っていた。

でも、目の前の人達は、それをして欲しいのだと言う。
それも、一杯して欲しい、と。



手の中の石を見下ろして、これもそうなのか、と京一は思った。
別段、こういうものが欲しいなんて思ってもいないけれど、彼女達が自分を思って買ってくれたのは確かなのだ。


きらきらと綺麗に光る石は、よくよくみれば薄らと白乳色が混じっている。
反射する光があまり目に痛くないのは、この為か。

………此処にいる人達に、よく似ている。




「受け取って貰えるかしら」




その問いはきっと、リングの事だけではない。
彼女達の気持ちも、だ。



なんだか、酷くくすぐったい気分だ。





「……………ん」





誰の顔を見るのも恥ずかしくて、俯いたまま、小さく頷いた。
贈り物のリングを握り締めて。










ありがとう、と頭を撫でられて、それはオレが言うことなんじゃないかと思った。











誕生日小説を書く度、兄さん達は絶対にお祝いしてると、何故か確信していた私。
京一もこの人達なら嫌がらないと思いました。

あと、アニメで京一が常に右手の親指に填めていたリングがあったので、それを妄想してみました。
如月から《力》の為に貰ったのかと最初は思ったのですが、よく見たら一幕二話(覚醒の時)で既に填めてました。
お洒落とか気にしなさそうなのにずっと填めてるって事は、何か意味があるのかなと。
木刀といい太刀袋と良い、思い入れのあるものは持ち歩く性質のようなので。


京一の誕生日石を調べたら、ミルキークォーツでした。

ミルキークォーツは“母性愛”の象徴。
古くから子供を守る石だと言われ、子供に持たせると、不慮の事故や危険から身を守ってくれるそうです。
京ちゃんは無茶ばっかりするので、兄さん達はそれを心配していたんですね。


ちなみに師匠が置いていった御守の中には、“北斗符”(ゲーム外法帖装備品)が入ってます。
防御力を大幅に上げてくれるこのアイテム、ゲームで蓬莱寺一族は防御力が低めなので、序盤は重宝したものです…

師匠も京一が無茶ばっかしてるの見てたので、師匠なりに気にしていたんですよ、と。
……あれッ、なんか京士浪も独自設定増えてきたな(汗)。