Happiness of the existence called you





平日の昼間に京一とアンジーが二人揃って出かけるのは、珍しい事だった。



アンジーは『女優』で店の準備に追われており、京一は師がいるかいないかに関わらず、河原で木刀を振って特訓をしている。
たまに京一が木刀を握っていない日もあるが、そんな時は大抵、店のソファか寝室に篭って勉強をしていた。
家出をしてから学校に行かなくなった京一に、ビッグママがせめて最低限の知識や常識は身に付けて置くようにと、漢字ドリルや算数の問題集、他社会や理科の教科書を買い与えたのは、京一が『女優』に来てから半年後の事であった。

また、京一自身、日本有数の歓楽街である歌舞伎町を、一人で歩き回る事に抵抗を持っていない事も理由の一つだ。
一年前までヤクザやチンピラ相手に暴れていた京一にとって、多少の荒事は避けるべきものではなくなっていたのである。


たまに二人が一緒に出掛ける時には、大抵『女優』の面々も一緒にいる。
そういう時は量の多い買い出しであったり、イベントに向けての準備である事が多い為、人手は多いに越した事はないのだ。
京一も細々としたものや、来店客の為の菓子の詰め合わせなどを抱えて帰った事があった。



そんな二人が、以前二人きりで出掛けたのは、いつの事だっただろうか。
繋いだ手の温もりに、照れ臭さを感じながら、京一はぼんやりと考える。




(……つか、オレ子供じゃねェし……)




二人で店を出て間もない頃に、アンジーの方から手を繋がれた。
逸れないようにね、と笑うアンジーに、京一は拗ねたように眉根を寄せたが、振り払う事は出来なかった。


1月が終盤を迎えようとしている時期である。
東京都の空にも曇天が広がり、其処から冷気の結晶が落ちて来て、アスファルトの上に重なって残る。
ほんの少しの太陽の隙間が有難く思える程、冷たい風が吹くようになっていた。

室内の底冷え以上に、外は寒い。
そんな中で、繋いだ右手の暖かさを拒める程、京一も意地を張る子供ではなかった。



首に巻いたマフラーに顎を埋めて、京一ははぁっと息を吐いた。
布で閉じ込められた空間の中が温まって、出て来そうになった鼻水を啜った。




「寒い? 京ちゃん」
「……ヘーキ」




本当は、足元とか手とか、悴んでいたりするのだけれど、それは言わなかった。
散歩をしたいと言って、寒空の下にアンジーを連れ出したのは自分の方だから。


アンジーは厚手のコートを着ていて、裾の長いその前留めを、一番上まできっちり閉じている。
足元はいつものピンヒールのミュールではなく、丈の長いブーツを履いている。
どう見ても細い女性の為のデザインのそれに、「よくサイズあったな…」と呟けば、「海外製よン」とウィンクを返されたのは、つい先程の話である。

京一も厚手のジャケットを着ており、首に巻かれたマフラーは後ろにフードがついている。
靴の中には貼るカイロが仕込んであるのだが、足先の冷えはこれでも追い付かないほどで、気温の低さを知らしめている。


空を覆う分厚い雲からは、今にも結晶が落ちて来そうだ。
街頭テレビの天気予報が『夜には雪が……』等と言っているのが聞こえた。
今夜は暖房をつけたままにしないと、凍えて眠れないかも知れない。



長かった赤信号が青に変わって、周囲の人々が歩き出す。
京一もアンジーに手を引かれて、長い横断歩道の真ん中を渡って行った。

二人が向かう先には、明茶色の看板を掲げた和洋菓子店がある。
其処に京一の為のバースデーケーキが予約してあるとの事で、散歩ついでに貰って帰る事にしたのだ。


自動ドアが開いて、店内に入ると、温かい空気に包まれる。
外の温度差の所為か、少しばかり暑くさえ感じられる温度に、京一もアンジーも上着の前を開いた。

店内の陳列棚には、ケーキやパイ、マカロンなどが綺麗に並べられていた。
その横には和菓子の棚があり、饅頭、羊羹、乾菓子なども置かれており、京一は誘われるように其方に近付いた。
蒸し饅頭や茶饅頭、大きな栗羊羹丸ごと一本が売られていて、俄かに京一の目が輝く。


京一は、どちらかと言えば洋菓子よりも和菓子の方が好きだった。

誕生日と言えばやはりバースデーケーキだし、大きなホールケーキが自分の為に用意されるのは、やはり子供心には嬉しいものだ。
が、それと本人の好みは、やはり別の話だ。




「京ちゃん、お饅頭食べたいの?」
「え」




見本にと展示されていた、饅頭の食品サンプル。
偽物だと判っていても、被りつきたくなるような美味しそうな姿形に、京一は我知らず心を奪われていた。




「いや、別に、ンな訳じゃねえけど……」




もごもごと口を篭らせる天邪鬼な子供に、アンジーはくすりと笑う。




「ケーキ買ったらすぐ帰らなきゃいけないから、それは勿体ないわねェ。此処のお店、奥にお座敷もついてるし、食べて行きましょうか」
「ん、ああ、うん。そだな」




アンジーが言うなら仕方がない。
外も寒いし、和菓子なら熱い日本茶も合うだろうし。

仕方ねェなと言う風に、京一が頷いた。
その丸い頬が赤くなっているのは、本人の知らぬ話である。


いそいそと早足で座敷のある食事スペースへ向かう京一を、アンジーは微笑ましく思いながら追い駆ける。
店員に案内して貰って席に着くと、京一は早速メニュー表を開いて品物を選ぶ。
品物数は十個近くあって、京一はどれにしようか迷っているようだった。




「京ちゃん、好きなだけ食べていいからね」
「……いいのか?」




遠慮がちに問うてくる可愛い居候に、アンジーは頷く。
ぱっと京一の表情が明るくなって、もう一度メニュー表へと戻された。




「じゃあ、えと……栗饅頭とわらびもちと、どら焼きと」
「塩大福もあるわよ」
「それも食う! 羊羹…は、サユリ兄さんが作ってっから、ナシで…えーっと」



うんうん唸りながら何を食べようか悩む子供。
それを見詰めるアンジーの眼は、何処までも柔らかく、温かなものだ。


窓の向こうでは相変わらず木枯らしが吹いていて、通り過ぎる人々が背中を丸めて歩いて行く。
空が曇天に覆われている所為で、少し暗くなるのが早いが、時刻はまだ夕方にもなっていない。
此処で甘味を食べて終えても、散歩を終わらせて店に帰るのは勿体ない気がして、どうしたものかとアンジーは考える。

そんな間に京一は食べたいものが決まったらしく、通りがかった店員を呼び止める。
京一が先に上げていた菓子と、他に食べたいものを一通り言った後、アンジーも汁粉を注文した。




「此処のお汁粉って美味しいのよォ。京ちゃんにも食べさせてあげるわね」
「ん」
「ふふ」




そわそわと待ち遠しくしている京一を見て、アンジーがくすくすと笑う。
京一がそれに気付くと、自分の行動で笑われていると判ったのか、赤い顔をしてそっぽを向いた。




「京ちゃん、お菓子好きねェ」
「………」
「あら、良い事よォ。甘いものって美味しいものね」




子供扱いされたと睨む猫目に、アンジーは怯む事もなく返す。
京一はしばらく唇を尖らせていたが、注文していた菓子が運ばれてくると、直ぐ其方に意識を攫われた。


菓子楊枝で饅頭を一つ割って、一かけらを拾って口に運ぶ。
洋菓子の類とは違う、すっきりとした甘さが、京一は気に入っていた。
家にいた頃も、スナック菓子を食べる他は、大抵和菓子を食べている時の方が多かった。

『女優』に来てからは、ビッグママがよくケーキやマフィンを作ってくれて、それも美味しいと思う。
京一の好みに合わせて甘さ控えめに作ってくれるし、ビッグママの料理の腕もあって、京一は気に入っていた。
しかし、幼い頃から慣れ親しんだ味と言うものは、思い出も重なって尚更美味しく感じられるものだった。


餡を口に運ぶ度、嬉しそうに頬を緩ませる京一に、アンジーも安心感を覚えて、自分の汁粉に箸を入れた。




「ねえ、京ちゃん。これ食べたら、何処か遊びに行く?」
「ん? どっかって……何処行くんだ? ケーキも買うのに」
「ケーキはまた後で戻った時に買いましょう。それまでちょっとデートしましょうよ」




“デート”の言葉に、京一がきょとんとして瞬きを一つ二つ。
構わず、アンジーは続けた。




「ね、何処に行く? 何処でもいいわよ、京ちゃんが行きたい所に連れて行ってあげるから」




アンジーの言葉に、京一は楊枝を食んだままで考える。

散歩に行きたいと言った時もそうだったが、京一には特別希望する事などないのだ。
今食べている甘味の事は別として。




「別に行きたいトコなんかねェんだけど……」
「そう?」
「……ゲーセン、とか」




頭を捻って思い付いたものを口にして、なんか他にねェのかよ、と自分に突っ込む。
が、アンジーはにっこりと笑って、




「イイわよ。一杯遊びましょうね」
「……でも、金とかさ。ああいうとこって結構かかるだろ」
「大丈夫。それに、今日は京ちゃんの誕生日なんだから、そういう事は気にしなくてイイの」




大きな手が伸びて来て、京一の頭をぽんぽんと撫でる。

もっと本音を言えば、アンジーは京一に金銭的な事など、気にしないで欲しかった。
しかしこればかりは、京一自身の自意識によるものだから、中々難しい所である。


京一はアンジーに撫でられた頭をむず痒そうに掻いた後、判った、と頷いた。




「じゃあゲーセン行く。オレ、格ゲー結構強いんだぜ」
「凄ォい。見せてくれる?」
「おう。ガムとかチョコとか取れる奴もさ、得意なんだよ。取ったら兄さんにもやるよ」




家出をしてから、めっきり足が遠退いていたが、行くとなればやはり目一杯遊ぼうと言う気になってくる。
新しいゲーム機も出ているだろうし、アップグレードされた機種もあるだろう。

どれからやるか、と考えながら、京一はわらびもちを口の中に入れた。






















京一が和菓子を全て食べた後で、アンジーは汁粉を京一にも食べさせた。
「全部食べてイイわよ」と言うアンジーに、京一も遠慮なく箸を進めて、器は綺麗に空っぽになった。

支払いを済ませて外に出ると、忘れかけていた北風が二人の頬を叩く。
慌てて京一がマフラーを巻き直し、絡まってしまったそれをアンジーが再度巻き直して、フードを被せた。


店に来た時と同じように、アンジーの手が京一の手を包む。
そうして歩いていると、アンジーが京一を行き交う人達からぶつからないように庇っている事に気付く。
其処までしなくたっていいのに、と思いつつ、京一は大人しくアンジーの陰になって歩いた。




「やっぱり外は寒いわねェ」
「だな。……なンか、悪かったな、兄さん」
「あら。急にどうしたの?」




マフラーに口元を埋めて呟いた京一の言葉に、アンジーが目を丸くして視線を落とす。

京一の身長は、アンジーの半分ほどの位置にあるから、京一が俯いてしまうと、アンジーからは表情を知る事が出来ない。
代わりに繋いだ手が、寒さとは違う理由で微かに震えていて、京一の心情を吐露していた。




「だってよ。寒ィし、歩くのだりィし、人多いし……兄さんにゃ、いい事ねえ感じだし」




和菓子を食べれたのは京一にとって嬉しい事だったけれど、道程をアンジーに付き合わせたのが少し申し訳なかった。

ケーキを取りに行く為に外に行く予定があったとは言え、それだけの要件ならば直ぐに済ませる事が出来た筈。
京一が一緒にいるばかりに、アンジーは歩調を落としてのんびりと店に赴いて、これからまた京一の遊びに付き合う事になっている。
この寒空では、温かい汁粉のお陰で温まった体も、直に冷えてしまうだろう。
京一がゲームセンターに行きたい等と言わなければ、アンジーは直ぐにでも店に戻って、こうして寒い思いをする事もなかっただろうに。



───俯いたままで歩く京一の手が、強い力に引かれた。

突然の事に目を白黒させる京一に構わず、アンジーは京一を道の端へと連れて行く。
行き交う人の流れから外れると、アンジーは京一の前で膝を折り、目線の高さを合わせる。




「京ちゃん、アタシの心配してくれるの。優しいのねェ」
「……別に……」




正面から言われた言葉に、京一の顔が赤くなり、逃げるように目を逸らす。
それもアンジーにとっては、京一の可愛らしい仕草の一つ。




「でもね、京ちゃん。そんな心配しなくてもイイのよ。アタシ、京ちゃんとデート出来てとっても嬉しいんだから」
「……デートって…なんだよ、それ」
「あら、京ちゃんはアタシとデートするのは嫌?」
「そういう事じゃねえって」




話が噛み合っていないと言う京一だが、アンジーの方はお構いなしだ。
吊り上げられる眉の間、皺の酔った中心をつん、と突いてやる。




「京ちゃんのお願いでお散歩に行けて、京ちゃんと一緒におやつも食べて。なんだか、アタシがお祝いして貰ってるみたい」




ありがとうね。
告げた言葉に、京一の目がぱちりと瞬いた。


京一の誕生日だから、京一のお願いを全部叶えてやろうと思ったのに。
これでは立場が逆になってしまう、とアンジーはくすくすと笑う。

そんなアンジーに、京一は意味が判らない、とばかりに益々眉間の皺を深め、




「オレ、兄さんに何もしてねェぞ」




首を傾げて言う京一に、アンジーはまた笑みを漏らす。


アンジーは繋いだままにしていた手を離し、京一の冷たくなった頬にその手を当てた。
フードを被っていたお陰で幾らか外気からは守られているものの、其処にも冷たい風は当たっているのだ。
まだ幼い丸い頬の温もりを取り戻すように、アンジーはじっと熱を分け与えて行く。

京一はそんなアンジーを、不思議そうな目で見詰めている。
その瞳は猫のように尖り気味ではあるけれど、大きくて零れそうで、アンジー達を虜にして離さない。




「兄さん?」




さっきのどういう意味だ、と。
問うてくる子供に、「内緒」とだけ言って、まだ幼い体を抱き締めた。

















────あなたが、此処にいてくれる事が、嬉しいの

今日と言う日に生まれた貴方が、こうして私と手を繋いでくれている事が



………生まれて来てくれてありがとう

出逢ってくれて、ありがとう



















やっぱり京一“愛”なら、アンジー兄さんが一番ですね。うちのアンジー兄さん、もう完全に母性が目覚めてる気がする。

なんか京一の誕生日を祝うと、高校三年生か10歳〜12歳の間の話ばっかりになりますね。
中学生になると荒んじゃってるから、あそこで幸せっぽい話は難しいんです……あの時期の京ちゃんは、ぶっちゃけ幸せにするより苛めたい(最低だ!)。
誕生日は、やっぱり幸せな話書きたいんです。

タイトルは【貴方と言う存在の幸福】。