こんなにも惚れ込む人に逢えるとは、思っていなかったから


















I am offered to you

















─────これは忌々しき事態である。


何かと溜り場として使っている廃ビルの一室で、吾妻橋はそう言った。
仲間達は、持ち込んだテーブルやら椅子やらに座り、リーダーである男の言葉に深々と頷く。

彼らの表情は一様に厳しいもので、額には脂汗が滲んでいる。
鬼気迫る彼らの表情に比例するように、室内は空気が張り詰め、まるで世界の終わりが明日にでも迫っているかのようだ。
現実には至って穏やかな平日の午後なのだが(外で物騒な声が聞こえるのは、この界隈では日常的なのでカウントする事はない)。


吾妻橋は、青空を映す窓をバックに、腕を組んで仲間達を見渡した。




「有り得ねえぞ、こりゃあ」
「ああ、全くだ。こいつはとんだ大失態だぜ」




吾妻橋の言葉に、押上が重々しく頷いた。




「どうすんだ?今からで間に合うのか?」
「判らねェが、このままでいる訳にもいかねェだろ」




半ば諦めの混じったキノコの言葉に、横川が短い髪をがしがしと引っ掻きながら言った。
それはそうだが、とキノコが顔を顰めて口籠る。




「判ってるさ。お前が言いてェのは、俺らなんぞ期待されてる訳もねェから、下手な事しねェで大人しくしてるべきじゃないかって、そういう事だろ?」




口を噤んだキノコの心情を吾妻橋が代弁してやれば、その通りだとキノコが頷く。


キノコの心配事は無理もない事だ。

何かと構いつけて貰ってはいる方だが、彼にとって自分達は、あちこちにいる舎弟の一部に過ぎない。
同じ学校で日々を過ごす友人達や、命を賭して異形と立ち向かう仲間達のように、同じ目線の高さにいる訳ではない。
彼はいつでも吾妻橋達を見下ろしていて、特別期待を抱く事等、ほぼ有り得ない事なのだ。

ならば、特別何かする訳でもなく、いつも通りに過ごしているのが無難と言えば無難なのだ。
望まれてもいない事を進んで行って、藪蛇になるのは想像に難くない。



けれど、このまま何もしないと言うのも悔しいのだ。
歌舞伎町のあちこちにいる彼の舎弟の中でも、今現在、特別に───彼は単なる気紛れなのかも知れないけれど───目をかけて貰っている身としては。




「明日のアニキの誕生日までに、なんか考えねェとならねェぞ……!」




─────明日は1月24日。
四人が惚れに惚れ込んだ少年が、この世に生を受けてから、十八回目の誕生日であった。



















吾妻橋達が京一の誕生日が明日である事を知ったのは、遠野杏子からであった。


何かとお騒がせで話題の豊富な京一を、彼女は今日も今日とて追い回していたようで、何かスクープの種はないかと、吾妻橋達の所まで乗り込んできた。
新宿歌舞伎町の中でも、荒くれ者が跋扈しているような場所であるが、彼女にとっては関係ないらしい。
記者は足が勝負!との意気込みの通り、遠野は何処で聞いたのか、なんと単身で吾妻橋達の溜り場までやって来たのである。

最も、異形の集団が現れた場所に一人で突進するような人間なので、荒くれ者の一人や二人、彼女にとっては大した恐怖にならないのも当然か。


彼女が今日、吾妻橋達の所にやって来た理由は、常と同じ『密着!真神の不良少年24時!』の記事の為だ。
秋の終わりに発行されたその校内新聞は、取材対象であった京一の予想に反し、大人気を博したと言う。
その為、遠野はこれを隔週連載として校内新聞にコーナーを作り、協力者として何かと京一の後をついて回る吾妻橋達を選んだのである。

それが由縁で、度々彼女は“墨田の四天王”の下を訪れ、使えそうな話を三つ四つと聞き出して行った後、彼女は言った。




『そう言えば、アンタ達は京一に何あげるの?』




問われた時、吾妻橋達は何の話なのか判らなかった。

クリスマスも正月も終えた、一月下旬である。
来月ならばバレインタインがあるが、それは吾妻橋達と京一の間で関係のない話であるし───吾妻橋としてはチョコでなくとも、何か送る事は吝かではないのだが、恐らく京一は多大な誤解と共にドン引きするだろう───、遠野の言葉の意味が理解出来なかったのも無理はない。


「へい?」と言う、なんともはっきりしない反応をした吾妻橋に、遠野も自分の言葉が足りない事と、吾妻橋達が“明日”を知らない事に気付いてくれた。
そうして遠野は、吾妻橋達に、明日が敬愛するアニキの誕生日である事を教えたのである。



明日の大イベント(少なくとも、彼らにとっては)を知った後の彼らは、大わらわになった。

遠野の言から察するに、級友達は皆京一にプレゼントを用意しているのだろう。
彼がよく寝泊まりしている『女優』の面々は、確認してはいないが、先ず間違いなく準備をしているに違いない。
彼女(彼と言うとソファが降ってくる)らは京一をまるで小さな子供のように溺愛しているし、よくプレゼントと言っては京一に何かしら渡しているので、誕生日は彼女達にとって捨て置けないイベントに違いない。


吾妻橋達が今更慌てて準備をしなくても、彼を祝う人は沢山いるのだ。
……そう思うと、やはり自分達は何もしない方が良いのではないか、と思えても来るのだが、




「────いや。やっぱ、スルーなんてする訳にゃあいかねえ!」




廃ビルの一室で、祝うか、何もせずに過ごすかを考えていた一同の中で、そう宣言したのはやはり吾妻橋であった。

“墨田の四天王”は各々京一に惚れ込んでいるが、最も敬愛心が強いのは吾妻橋である。
その気持ちの強さは、最早偶像崇拝にも近い。
普通は此処までシンパになれば、誰かが止めるのかも知れないが、此処にいるのは全員同程度の京一シンパだ。
次いで四人の中では吾妻橋がリーダー的存在である為、彼の言葉は鶴の一声にもなる。


が、今回ばかりはその鶴の声も、メンバーを奮い立たせるのは難しくなっていた。




「そうは言うけどよォ。それで何しようってんだ?」
「ンなこたァ……今から考えるに決まってんだろ」




キノコの言葉に、吾妻橋は腕を組んで答えるが、先程の勢いは何処へやら、声色はあっと言う間に萎んでいく。




「何かするって言ったってなー。金もねェし」
「……全員で出しゃあ、ラーメン一杯くらいにはなるんじゃねェか?」
「んじゃお前、幾ら持ってんのか出してみろよ」




押上に言われて、横川がスラックスのポケットを漁る。
続いて吾妻橋、キノコ、押上も有り金を探して、持っている分を全てテーブルに出した。

─────その全額、632円。




「……あそこのラーメン屋って、一杯幾らだった?」
「一番安い塩ラーメンで、確か650円……」




………足りない。

四人はがっくりと肩を落とした。




「600円でなんとかなるモンって、あったか」
「餃子とかチャーシュー単品なら……」
「っつか、ラーメン奢るぐれェなら、龍麻サン達がやるに決まってんだろ…」
「だよなァ」




京一含め、学生に余分な小遣いがないのは確かだが、それでも此処にいる男達に比べれば沢山持っているに違いない。

龍麻や醍醐は名実ともに苦学生であるが、友人の誕生日なら奮発するのも厭うまい。
葵などはお嬢様だし、ひょっとしたら、小遣いでさえ吾妻橋達が想像する上を行っているかも知れない。


食べ物の線は、これでなくなった。
他に何か京一が気に入って貰えるものはないか、考えてみる。




「雑誌とかなァ……漫画とか」
「いらねェだろ、アニキは。一回読んだら終わりだろ?」
「大体、最近アニキが読みてえっつってたモンは、もう渡しちまったしな…」
「あと俺らが渡せるモンっつったら、コンビニ菓子ぐれェだぞ」




それは幾らなんでも侘しくはないだろうか。
第一、誕生日でなくとも、よく渡している類だし。




「なんかほら、限定モンとか」
「CMでやってた奴か?あれチョコじゃねえか、アニキ甘いモン食わねえだろ」
「いや、全く食わねえ訳でもねえんだよ。抹茶味食ってるの見た事ある」
「あと何かあるかァ?」




漫画や雑誌、CDの類は、基本的に京一にとって邪魔なものでしかないらしい。
ほぼ毎日を根無し草でふらふらと歩き回り、週の半分の確率で喧嘩騒ぎに身を投じるので、喧嘩に使えないような荷物は鬱陶しいだけなのだ。

そもそも手持ちが600円しかない時点で、漫画の単行本一冊程度しか手は届かない。


こうなると金のかかるプレゼントの類は、選択肢から消える。
其処で体を使って出来る事を考えるが、浮かんで来るものは全てお役御免なものばかりだ。


先ず真っ先に浮かんだのが喧嘩の助っ人だが、京一がそんなものが必要になる程危機に陥る事は、まずないと言って良い。
実際、吾妻橋は拳武館の一件まで、京一が誰かに負けたなんて話は聞いた事がなかったし、彼と唯一対等に渡り合えるのは、緋勇龍麻ぐらいのものだ。

次が彼が毎回苦しんでいる学校の課題の助っ人。
これは考えた時点で、全員が「無理」であると悟った。
文法だの公式だの年号だの地形だの、京一が頭を抱えているそれらに替われる程、此処にいるメンバーは頭が回らない。
正直言って、日々を学習に勤しまなければならない京一の方が、自分達より余程頭が良いかも知れないと思える程だ。
代わりに課題を解く事は彼を苦痛から解放する事になるかも知れないが、提出結果が赤ペンだらけとなった場合、補修で倍に苦しむのは他でもない京一なのだ。
これこそ正に「余計な事はするものではない」と言われる所である。



─────はあ、と。
四人揃って盛大な溜息が漏れた。

敬愛する人の為に何も出来ないと言うのは、思いの外、心苦しいものであった。
しかし、此処まで八方塞がりを突き付けられると、さしもの吾妻橋も奮起する事が出来なくなっていた。




「……やっぱ俺ら、明日は大人しくしてんのか一番なのかね……」
「明日がなんだって?」




吾妻橋は、独り言宜しく零れた言葉に返事が返って来た事に驚いた。

全員が一斉に振り返る。
すると其処には、今正に四人が頭を悩ませていた張本人である、蓬莱寺京一その人が立っていた。


京一は八つの眼に一斉に見詰められ、僅かに怯んだように半歩下がる。




「なんでェ、お前ら。ジロジロ見てんじゃねーよ!」




一瞬引き攣った顔をすぐに険しいものへと変えて、京一の威嚇のような怒声が響く。
それを受けて、四人も慌てて元の方向へと向き直った。


なんなんだよ、とブツブツと呟きながら、京一が部屋の中に入ってくる。
癖のある髪を乱暴に掻き回して、彼は空いていた椅子に座った。

京一は、足をテーブルの上に投げ出す格好で落ち着いて、一日の疲労を全て吐き出すように長い息を吐いた。




「あー……鬱陶しい」
「何かあったんスか?」




うんざりとした様子で呟いた京一に、吾妻橋が問う。
京一は疲れの滲んだ目で天井を見上げていた。




「なんか知らねェけど、アン子や小蒔が俺の誕生日パーティやるんだとか抜かしやがって」
「はあ……」
「ンなもん、どうせ兄さん達があれこれ準備してるだろうし。いらねェっつったら、何かやらせろとか言ってしつこく食い下がってきやがったんだよ。何かってなんだ、何かって。して欲しい事なんざ何もねえっつーの」




愚痴る京一の台詞に、吾妻橋はこっそりと仲間達を目を合わせて、肩を竦めた。


京一の周りには、イベント事が好きな人間が多い。
筆頭が学友である小蒔と遠野で、彼女達が有志を募れば、間違いなく他の真神のメンバーも参加するだろう。
非日常の日々で出逢った仲間にも、賑やかな事が好きな面々がいるので、芋蔓式に参加者が増えるのは想像に難くない。

京一は、今でこそ真神のメンバーであったり、《宿星》の仲間であったりと、誰かと共に過ごす事が増えているが、元々は一匹狼な性格だ。
加えて天邪鬼な気質なので、自分の事で賑やかにされるのは苦手らしい。
『女優』の人々だけは例外であるが、それでも照れ臭く感じるのは変わらないようだ。




「イイ事なんじゃないんスか。お友達の折角の気持ちなんスから」
「……なんだお前、急にキャラにねえ事言いやがって。気色悪ィぞ」




自分達が何もできない代わりに、友人達には盛大に京一の誕生日を祝って貰いたい。
そんな気持ちから出て来た言葉だったが、京一から返って来たのは、なんとも素っ気ない言葉であった。

京一が揶揄い半分に舎弟に言葉を投げるのは常の事なので、吾妻橋は特に気に留めない。
それより、京一がこのまま明日も友人達から逃げ回るのを見る方が忍びない。
本心で言えば、吾妻橋とて京一の誕生日を目一杯祝いたいのだから。



京一はテーブルから足を下ろし、肘をついてその上に顎を乗せた。
面倒臭げな眼が吾妻橋を見る。




「誕生日だなんだって、一々大袈裟なんだよ。五つや六つのガキじゃねえんだから、パーティなんぞいらねっての」
「『女優』の人達ゃ、準備してるみてェでしたけど」
「兄さん達は止めろっつっても聞いてくれねェし。前にサボったら後で泣かれたし。だから仕方ねえんだよ」
「龍麻サン達も同じ感じになるんじゃないスかね。今日、ちっこい嬢ちゃんが来やしたけど、えれぇノリノリでしたよ。あれハブにしたら呪われそうな気がしやす」
「ンな事お前らに言われなくても判ってらァ。だからどうやって逃げるか考えてんだよ」




言いながら、京一の頬には仄かに朱色が上っている。
その横顔が、何も本気で拒否したい訳ではない事を如実に語っていた。


以前はよく仲間達について愚痴のような言ばかりを繰り返していた京一だが、その実、彼らと一緒にいる時の京一は、どんな時よりも楽しそうに笑っていた。
どうでも良い話をしたり、下らない事で言い争ったり、同調したり────それはどれも何気ない事だったが、そんな普通の日常こそが、京一にとって何物にも換え難いものなのだ。

それが見ていて判るから、やっぱり行って欲しい、と吾妻橋は思う。



吾妻橋が他の三人を視線だけで見回すと、それぞれが同じような表情を浮かべている。
それは苦笑いに似ているのだけれど、仕様がない、と言っているようにも見えた。
恐らく、吾妻橋もそれと同じような表情をしているのだろう。

他人の表情や気配の変化に聡い筈の京一は、こういう時だけは酷く鈍い。
つくづく、このお人は敵意以外に慣れていないのだと、吾妻橋は思った。




「パーティなら、飯代も浮くし。あっしら今月はもうすっからかんなんで、アニキの飯のお供も出来やせんし」
「そんなに金ねェのか、お前ら」
「全員合わせてラーメン一杯も食えねえっス」
「内臓担保にして来いよ。ああ、お前らの内臓なんか二束三文にもなんねェか。やっぱ駄目だな」
「押上の脂肪なら売る程あるんスけどね」
「あんなモン誰が買うんだよ」




ぽっこりと膨らんでいる押上の腹を見て、京一がくつくつと笑う。
友人から逃げ回った末の疲労感から、心なしか陰鬱としていた気分も、此処での遣り取りで大分晴れたようだ。




「あいつらが調子に乗るのは面倒だが……飯代の代わりか」




それでも割に合わないような、と呟きつつも、京一の腹は決まったようで。




「しゃあねえ。どうせ明日一日だし、付き合ってやるか」




如何にも面倒臭そうな言葉を選びながら、その口元は微かに緩んでいる。

────つくづく、素直な人ではないのだと、吾妻橋は思う。
けれども、だからこそ、こんな遣り取りも許されるのだろう。




「あー、所で、アニキ」
「あん?」




この会話のついでに、と吾妻橋が頬を掻きながら思い切る。




「明日のアニキの誕生日、俺ら、なァんも出来ねえみてェで……」
「あん?別にお前らにゃ期待してねェから構わねェよ」




きっぱりと言われて、やっぱりな、とキノコと横川が顔を見合わせて肩を竦める。

寧ろ京一からしたら、これ以上賑やかにはなって欲しくないのだ。
学校の友人と、世話になっている人達と、それだけで京一にとっては好意の飽和状態になってしまうから。


────でも、欲を言ったらやっぱり自分達も祝いたかったと言う気持ちは、あって。




「じゃあせめて、一足お先に、いいですかい?」




明日になれば、友人か、彼女達か。
どちらかは判らないが、いの一番に告げられるであろう、祝いの言葉。

それを今日はノーカウントにして貰って、先に告げる事にする。








「お誕生日おめでとうございやす、アニキ」









言った直後。

「気持ち悪ィ」と言って顔を逸らした少年の頬が、真っ赤になって見えたのは、多分窓から差し込む夕暮れの所為だ。















毎回脇役な“墨田の四天王”を主役にしてみました……が、難しいね。やっぱり彼らはベスト・オブ・脇役か。
龍麻や八剣、『女優』の人と一緒にいる時とはまた違って、京一が完全な王様気質でのびのびしてるので、愚痴も我儘も言い放題です。基本的に口の悪い子だから(笑)。皆と一緒だとケンカになりそうな事とか、多分此処で吐き出してます。

しかし、なんでうちの京ちゃんは誕生日になると毎回逃げ回ってるのかね。たまには素直に祝われようや…
書き手がワンパターンですみません……