笑顔の下に





───────機嫌がいいねと言われた。




「………そうか?」




問い返すと、うん、と龍麻は頷く。
それから手に持っていた杯を傾けて、其処に浪波としていた酒を飲み干す。

京一の手にも同じ杯はあったが、中身は既に空だった。
徳利を取って自分で注いで、また空にする。
龍麻の土産話を聞いている間、京一は専らそうしていた。


土産話に京一が質問や相槌を打つ事は少ない。
他の客の対応と、龍麻への態度で言えば確かに違いはあるが。

今日も、聞いているのかいないのか、端から見ればそんな態度を取っていた京一である。
何か違う事などしたかと思っていると、龍麻はそんな京一の胸中を汲んだようで、




「笑ってるね」




京一の顔を指差して、口元に笑みを浮かべながら龍麻は言った。


杯を置いて、京一は口元に手を遣った。
言われて見れば、確かに頬の角度が僅かに上がっているような気がする。




「酒が美味ェからだろ」
「そう?」
「何処の酒だ?」




普段の味と違うと言ったら、龍麻は小さく笑んだ。
どうやら、また旅先からの土産物だったようだ。


口当たりが良く、けれども甘ったるくはない、京一好みの辛めの酒。
喉を通り、液体が胃に入った瞬間から、焼けるような熱さが腹の奥から湧いてくる。
酔いが回るのも早いだろうが、京一は気にせず、また徳利を傾けた。

此処の伎楼が用意する酒も決して不味いものではないが、京一は座敷に上がると大抵飲んでいる。
いい加減に飽きが来ていたものだから、龍麻のこの土産はありがたかった。




また杯を空けた所で、ねえ、と龍麻が声をかけた。




「さっき、」
「あん?」
「……伎楼(みせ)に入った時、見た事ある子がいたんだ」




それはそうだろう、と京一は思いつつ、また酒に手を伸ばす。

龍麻は放浪癖があるから、一度街を離れると、一月は戻って来ない。
しかし街にいる間は頻繁に此処へ来るから、その間に顔だけ覚えた男娼や色子もいるだろう。








「あの子って、京一の禿だった子だよね」







ぴくり、と。
徳利に触れた手が、一瞬揺れた。

………京一の自覚のないままに。



肩よりも少し下まで伸ばした髪を、項で結った色子。
まだ幼い顔立ちをして、左目の泣き黒子が印象的な少年。

それは確かに、昨日まで京一付きの禿として、京一の身の回りの世話をしていた少年である。




「……十二になったからな。今日から水揚げだ」




少年が伎楼に売られてきたのは、三年前の事。

両親の借金苦に泣く泣く売られて来たが、当人はそれを判って、自ら受け入れて此処に来たと言う。
十年程働いて年季が明ければ自由になるのだから、それまでの辛抱だと。


その十年と言う歳月が、此処で生きる人間にとってどれ程長いか─────京一は歯に衣着せずに教えた。
それで此処に来た事を後悔しようと今更遅いのだから、それならば最初に現実を教えた方が良いと。

だが、それでも少年は笑っていた。
読み書きも、琴も三味線も、京一よりもよっぽど熱心にこなしていた。
他の禿への世話も焼いて、器量の良い、京一にしてみれば人の良過ぎる性格をした少年だった。


……けれど、疲れた京一を労わる時に見せる笑みは、少なからず気に入っていた。



この伎楼の陰間の多くは、十二になると客を取るようになる。
例に漏れず、少年も今日から客の相手をする事になった。




「そう」
「ああ」




短い、意味のない言の葉を交わしてから、京一は杯に酒を注いだ。

酒の減りはいつもよりずっと早かったが、京一はそんな事は気に留めなかった。
杯に酒があれば飲んで、なければ注ぎを繰り返す。
そんなものだから、元々真摯に聞いてはいなかった龍麻の土産話の内容は、既に頭から失せていた。



だが注いだばかりのそれを口につけようとして、腕を掴まれて阻まれる。




「龍──────」




他にいない男の名を呼ぼうとすると、塞がれた。
ぬるりと熱いものが咥内に滑り込んできて、呼吸と理性を奪おうとする。

手の中で持て余していた杯を取り上げられた。
少し勿体なかったが、零した訳でもなく、膳に置かれたから後ででも飲めるだろうと思う事にした。
その時になって、酒の事まで記憶しているかどうかは、知らないが。


水音が交じり合って音を鳴らし、鼓膜を犯す。
着物の帯が解かれて袂が開き、当人の印象よりは少し無骨さのある龍麻の手が、布の内側に侵入する。




「ん、ん……ふ………ッ」




用意された床になど入る余裕も与えられず、畳の上に押し倒される。


暫くの間、龍麻は口付けを繰り返した。
京一もそれに応える。

ゆっくりと離れて行って、見上げた龍麻の顔は、灯りの影になっていて京一からは見えなかった。




「やっぱり────機嫌、いいね」
「……ん……?」
「だって嫌がらないから」




言われてから、そういや畳だったか、と背中に当たる固さを感じて思い出す。
普段だったら、幾ら相手が龍麻でも、こんな所でなんか御免だと蹴飛ばしている所だ。





「いいの?」




このまましても────、と。
問う龍麻に、溜まってんのかと下世話な事をふと考える。


月に二、三度来るなんとかのお偉いと違って、龍麻は京一に無理を強いることはない。
此処で嫌だと言えば褥に移動するだろうし、京一としてもその方が良い。
固い畳の上での行為は、勿論躯の負担になって、最中も決して楽な事はなかった。

けど溜まってんじゃァな……等と、ぼんやりと考えて。
結局京一は考えるのが面倒臭くなって、思考するのを止めて龍麻の首に腕を絡めた。




「してェんだろ?」
「……畳だよ」
「いいからやれよ。気が変わるぜ?」




美味い酒もありつけて。
相手は龍麻だから、明日に支える事もあるまい。

仕事の事なんて滅多に心配しないのにそんな事を考えて、ああ酔ってんな、と他人事のように思う。




……頬に龍麻の手が触れた。







「また、笑ってるね」








呟いて、落ちてきた口付けに身を任せて。


目を閉じる間際、浮かんだ幼い笑顔は、きっともうこの世に咲くことはないんだろう。











深読み希望の話(爆)。

昨日傍で笑っていた子が、次に逢った時には焦点も合ってない。
守りたいけど守れない、助けたいけど助けられない。

……そんな話でした。
…………重ッ……(滝汗)ι