捕らえたい




追われるから、逃げる。
逃げるから、追いたくなる。




「───って言う理屈は、判った」




壁際に追い込まれた状態で、京一は目の前に迫る男を睨みながら言った。


切れ長の眦は、猫科の動物を思わせる。
事実彼の気質は野良猫とよく似ていて、ふらりふらりと好きに方々を歩き回っているのが常だ。
その内に見付けた居心地の良い場所にしばし滞在する事はあるが、結局定着する事はなく、懐いたかなと思った矢先にまたふらりといなくなってしまう。

……まるで首輪をつけられるのを嫌がっているようだ。
そして、その連想は強ち間違ってはいない。


グルグルと喉を鳴らす猫のように、京一はじっと此方を睨み続けている。
目を逸らした瞬間に何をされるか判らない、それを彼はよく知っているのだ。




「けどな。それでこの状態になるのは、判んねえ」
「そうかな?」




にっこりと笑みを浮かべて顔を近付ければ、やめろ、と言わんばかりに顔面に掌底をぶつけられる。
その細い手首を掴んでやると、ギクッとしたように京一の肩が跳ねた。




「そんなに怖がらないでよ」
「誰がビビるか!」
「じゃあ逃げないで欲しいね」
「逃げ、て、もねえよ!」




反論が僅かにどもったのは、自分の行動を客観視したからだろう。

怯える、逃げる、と言う行動を、京一は基本的に嫌う。
相手をするのが面倒で逃げる、と言う事はよくあるが、怯えて逃げる、と言うのは京一にとって屈辱的な事なのだ。
そもそも京一を怯えさせる事自体が稀なものなのだが────此処、拳武館寮に限っては、それが頻繁に起きていた。


怯えている事も、逃げている事も、京一には認め難い屈辱である。
しかし、彼の躯は最早脊髄反射のように行動をインプットしていて、理性でセーブする事は酷く難しくなっていた。




「じゃあ、じっとしててね?」




そう言って八剣は、京一の腕を捉えたまま、ゆっくりと顔を近付ける。

ぐいん、と京一が首を巡らせて、明後日の方向を向いた。
目を逸らす事への危機感よりも、迫るものから逃げる方が優先事項であると彼の深層意識は認識しているらしい。


顔を背けられた所為で、八剣の眼前には、赤くなった耳が向けられている。
其処に唇を寄せて、わざとリップノイズを鳴らすと、ひぃ、と色気のない悲鳴。
直後、京一がじたばたと全身で抵抗を見せた。




「離せ、変態! 軟派野郎! ホモ!」
「酷いねェ」
「事実だろーが!」




渾身の力で腕を振り払われた。

京一は壁と八剣の隙間から抜け出して、転がっていた木刀を掴み、どたばたと部屋を出て行く。
ガチャガチャと、まるでホラー映画のような慌ただしさでドアが開いた後、足音が遠ざかる。


八剣は、先程まで京一が背中を押し付けていた壁に寄り掛かった。




「やれやれ」




また逃げられた。

キスだってまだしていないのに。
いつになったら可愛いあの子は、この腕の中で留まってくれるようになるのだろう。


早く、早く、捕まえたい。
だってそうしないと、不公平じゃないか。




────俺はずっと前から、君に捕まったままなのに。






ラブくなっても逃げる京一。
うちの八京は、どんだけ仲良くても八剣→→→→京一。