手錠



かしゃん、と音が鳴って。
重力に従えていた右腕を見下ろすと、鉄の輪が手首に引っ掛かっていた。



「………おい」
「うん」



隣にいる親友兼相棒に向かって、乱暴な呼びつけをすれば、彼は直ぐに返事をした。
顔を見ればにこにこと笑顔で、機嫌は頗る良好らしい─────京一とは正反対に。


京一が右手を持ち上げると、じゃら、と金属の鎖の音が鳴った。
その腕の動きに従うように、龍麻の左腕も持ち上がってくる。
どうしてそんなシンクロが起きるのかと言われれば、答えは簡単、二人の腕が一つの手錠によって繋がれているからだ。

手錠なんて代物を何処で手に入れて来たのか、どう見ても玩具じゃなくて本物っぽいんだが、こんな事して何が楽しいんだ等々言いたい事は山積みだったが、先ずは、と京一は一つ溜息を吐いて、左手に持っていた木刀を脇に挟んで、空になった手を差し出した。



「鍵」



寄越せ、と言う言葉は、音にする必要もなかったので、省いた。

双眸を細めて凶悪な目付きで睨み、低い声音で要請した京一であったが、相棒の表情は上機嫌なまま崩れない。
表情だけではなく、持ち上げられた左腕もされるがまま、右腕はだらんと地面に向かって垂れている。



「……おい」
「うん」



にこにこと表情を変えない、反応らしい反応をしない龍麻に焦れて呼び付けると、先と全く同じ反応が返って来た。


龍麻の表情が、基本的に笑顔を形作っているのは、京一も良く知っている話だ。
だから今更その事を気にして、目くじらを立てるつもりはないのだが、自分が不機嫌の一途を辿っている時、にこにこと嬉しそうに笑顔を浮かべられているのは、なんだ無性に腹が立つ。
何故なら、京一の不機嫌の理由は、ほぼ龍麻にあるからだ。

京一の左手が、寄る辺をなくしたように宙ぶらりんで止まっている。
龍麻が其処に手錠の鍵を置けば、全ては丸っと解決してくれるのだが、彼にそんなつもりはないらしく、──────処か、



「ごめん、京一」
「あん?」
「鍵、ないんだ」



龍麻の言葉が終わる前に、京一は左腕で掴んだ木刀を振った。
利き腕でない分、手首のスナップに違和感があったが、それでも遠心力を持って振るわれた木刀はそれなりに威力があるだろう。

龍麻はそれを、素早くしゃがむ事で避けた。
京一の右手を繋いだままの左手に配慮をせずにしゃがんだので、右腕を下方へ引っ張られた京一が姿勢を崩す。
直ぐに片膝を折って、腹筋に力を入れてバランスを修正したので、地面に転がるような無様な事にはならなかったが、京一の機嫌は更に下降していた。



「てめェ、龍麻!」
「うん、ごめん」
「ごめんじゃねえ!どうしてくれんだ、この!」



京一が左腕で木刀を右へ左へ振り回し、龍麻は頭を右へ左へ後ろへ前へ動かしてかわす。
滅茶苦茶に振り回すだけの攻撃が当たるような相手ではない事は判っているが、こうして悉く避けられると、馬鹿にされているようで腹が立つ。


京一は、龍麻の左腕と繋がっている右腕を地面につけて軸にし、しゃがんだままだった龍麻に足払いをかけた。
後方から掬い上げるように払ったので、龍麻の足が前に向かって滑り、体重が後ろへ落ちて行く。
手錠で繋がれた二人の腕が伸び切ったが、京一はもう一度踏ん張って、腕にかかる引っ張る力に対抗した。

どたっ、と尻餅をついた龍麻を、京一は不機嫌な目で見下ろした。
いたた、と打った臀部を右手で撫でる相棒を一瞥すると、口で刀袋の紐を解いて、木刀を取り出す。
右手を地面に下ろして、左手に持った木刀の切っ先を手錠の鎖に宛がうと、少しの反動をつけて地面に突き立てた。
バキン、と金属が跳ねる音がして、鎖の破片が散らばる。



「あー……」
「あーじゃねえよ。ったく、何考えてんだ、お前ェは」



自由になった腕をひらひらと揺らしながら、京一は龍麻を睨んだ。

動きを制限する連結は取れたが、金属の輪は相変わらず手首に引っ掛かって、カシャカシャと音を立てていた。
京一は手首に絡まるそれを見て、鎖とは違う、太い輪を壊せるかどうか真剣に考える。
知り合いの鍵開け師の所に行った方が安全に外せるが、吹っかけられる可能性もある(殴れば割引も出来るだろうが)。



「おい、龍麻。マジで鍵ねェのか。邪魔だぞ、これ」
「なくはないよ」



先程と正反対の答えが返って来た事に、京一は顔を顰めた。
龍麻はのほほんとした表情で、京一を見詰めて言う。



「今は持ってないけど」
「……さっきの“鍵がない”っても、“今持ってない”って意味だったのか」
「うん」
「だったらそう言え!面倒臭ェな、お前ェはッ!」



龍麻の米神に指の骨を当ててぐりぐりと抉るように押し付けると、痛い痛いと上がる悲鳴。



「そもそもなァ、なんでお前がこんなモン持ってんだよ?これオモチャじゃねえだろ、マジの手錠じゃねェか」
「そうなの?」
「そーなのって……」
「拾っただけだったから。京一、オモチャの手錠と本物の手錠の見分けつくんだ、凄いね」
「褒めても許してやらねェぞ。で、鍵何処だ。さっさとこれ外すぞ、邪魔でしょうがねェ」



木刀を刀袋に仕舞いながら、京一は手首に当たる金属を忌々しく感じつつ、龍麻を促した。



「鍵、僕の家」
「……じゃあ今から行くぞ」



今日は龍麻の家には行かず、早めに『女優』に帰ってのんびり寝る予定だったのだが、この調子では仕方がない。
腕の動きを阻害する鎖はなくなったので、鬼が現れてもチンピラに絡まれても問題はないが、手首に纏わりつく金属感が鬱陶しくて仕方がなかった。

鍵が外れたら、今日はそのまま龍麻の家に泊まってしまおう。
なんだかこの数分でどっと疲れたような気がして、京一は歌舞伎町の外れまで歩く気力を失くしていた。
夕飯は龍麻に買い出しに行かせるか、適当に何か作らせれば良い。




別れる予定だった角道を、二人で同じ方向に曲がる。

その時、龍麻がまた妙に嬉しそうにしているのが判って、その理由は判らなかったが、なんだか無性に腹がったので、京一は予告なしで一発拳を落としてやった。





こんな玩具で君をしばれる訳もないけれど、ほんの一時愉悦を得る

このまま龍麻の家に行ったら食われます。
京ちゃん、気付いて気付いて!