汗とジュースの匂い




たまには飲んでみなよ、と。
差し出された苺牛乳のパックに、どうしたもんかと京一は眉間に皺を寄せた。


目の前には、にこにこと満面の笑顔の親友。
手の中には、普段は絶対に口にしないであろう甘ったるい飲み物。
頭の上には、ムカつく程に燦々と照る、夏の太陽。

どれを取っても、京一の機嫌は右肩下がりの一途を辿っている。




そもそも、なんでこんな事になったのだか。
いや、単純に自分が財布を忘れた所為なのだけど。



忘れた財布の在処は予想がついている。
昨日はごっくんクラブに泊まったから、多分其処だろう。
寝ている間にソファの下にでも入り込んだのだ、きっと。

それに気付いたのはついさっき、体育の授業の後に自販機に行ってからだ。
ポケットを探って見付からなくて。
傍に冷水機もあったから、その時はそれで十分だと思い、深くは考えなかった。
本当に。


しかし、その時はそれで良くても、その後が辛かった。
昼休憩になって食事をした後、何か飲みたくて仕方がない。
龍麻に集ろうかと思ったが、タイミングの悪い事に、龍麻の手持ちもなかった。
食事前にいつものように買った苺牛乳に使った金銭が、今日の持ち合わせの最後だったのだ。

飲めないとなると益々飲みたくなってしまう。
暑くさで噴出す汗の所為で、喉の渇きが尋常ではない事になっている気がする。
このまま干からびるんじゃないかと思うほどに。



そうして喉が渇いた、暑い、と繰り返していたら、差し出されたのだ。
親友の愛飲する苺牛乳を。





「喉渇いてるんでしょ。いいよ、あげる。少しだけだけど」
「……いや、これ全部を飲む気にはならないから、其処ンとこは大丈夫だけどよ……」





にこにこと笑って告げる親友に、京一はどうしたもんかと悩んだ。



これは好意だ。
しかも苺牛乳。
龍麻と言う人物を思えば、この上なく特別なことである。

何せ龍麻は大の苺好きで、苺牛乳の事も当然大好きだ。
これを少しとは言え人に譲るとは、京一が自分の分のラーメンを他人に譲る事と同じである。
その行為の大きさがどんなものか判らぬ程、鈍くはなかった。


だが、何せ苺牛乳である。


龍麻の行為はありがたいし、喉はカラカラ。
しかし生憎、京一はそれほど甘いものが好きではない。
2月の聖戦を例外として、出来ればあまり口に含みたくはない。

しかも苺牛乳。
その甘さたるや。





「早く飲まないと、温くなるよ。冷えてる方が美味しいんだから」





……それは冷水系のジュースならどれだってそうだろう。
増して苺に牛乳、生温い状態で喉を通したくはない。


かと言って、無碍に突っ返すことは出来なかった。
タイミングを逃してしまった所為もある。

だが何よりも、目の前の笑顔が、裏切れない。





「脱水症状とか、なっちゃったら危ないし」
「……そうだな」
「熱中症もね」
「……そうだな」





完璧な好意。
そう、これは好意だ。

財布を忘れ、水分の補給が侭ならない京一を慮っての好意。


無碍にするのは良くない。




でも、これは甘い甘い苺牛乳だ。





滲み出た汗が、頬を伝って顎に溜まり、重力に従って床に落ちた。


夏の日差しが恨めしい。
そして財布を忘れた自分がもっと恨めしい。

手の中のパックを見つめながら、京一は過去の自分を憎んだ。



そして。






「じゃ、貰うぜ……」
「うん!」





京一の言葉に、龍麻は喜色満面。

苺仲間が出来るとか、まさかそんな事考えちゃいないだろうな……
見つめる眼差しに期待が含まれているような気がして、京一は胸中で呟いた。









───────思った通り、苺牛乳は自分には甘すぎた、けれど。



隣の親友がなんだか妙に機嫌が良いので、素直に感謝を述べることにした。










龍麻に妙に親近感を覚えるなと思ったら、自分も大の苺牛乳好きでした。
でも飲まない人には、苺牛乳ってかなり甘い代物らしい……

これでも龍京と言い張りますよ。