暴かれた秘蜜








幼年期の体験は、周囲や当人が思っている以上に心に残る。
物心つく以前のことでも、記憶になくとも感覚と感情は根付く。












「─────そんなに怖い?」








八剣の言葉の意味が判らず、京一は眉根を寄せた。

主語のない突然の会話は、自分の相棒も時折して来るので、理解に時間を要するものの戸惑うことはない。
しかし、目の前の男がそれをしてくる理由が見当たらず、京一は首を捻った。


なんの話だと言外に問うように睨んでいると、八剣の眼が京一を捉えた。







「置いていかれるかも知れない事が、そんなに怖いかな」







京一の眼が見開かれる。
それを見て、ああ自覚はなかったんだと八剣は呟いた。



とっつき難い顔をして、他者の介入を自ら拒む。
反面、一度懐に入れた人間には、年相応の笑顔を見せる。

なのに、その奥底の一番柔らかい部分には、誰にも触れさせることはない。
自らでさえまるで忘却したかのように、仕舞い込んで蓋をする。
誰かにそれを見付かっても、取り出せないように何重にも鍵をして。


けれどもふとした瞬間に、その仕舞い込んだ感情の片鱗は顔を覗かせる。


会話と会話の僅かな隙間、伸ばした手が届く直前のほんの一瞬、またなと言って手を振った後の微かな静寂。
小さな小さな記憶と感情の欠片が、無自覚に表に表れる。



暴かないのが正解なのか、暴いて引きずり出して見せるのが正解なのか。
八剣には判らなかったが、今のままでいる事が正解であるとも思えない。

少なくとも、自分が見たいものを見る為には。







「調べたんだ」
「……何をだよ」
「色々。例えば、お父さんの事とか」




───────剣の師匠の事とかね。







瞬間、空気が凍った。
風を切る音がして、その直後には数センチ先に剣の切っ先。




道を示してくれる筈だった父。
力を得る為の指標を見せた師。

そのどちらもが、京一を置いていなくなった。


“置いて行かれた”過去に、京一は無自覚のまま心の一部を落としたままでいる。




其処は恐らく、京一にとって、絶対不可侵の領域だったのだろう。
過去の事を話したがらない京一の、一番奥に根強く残る記憶。

許可なくテリトリーに踏み込んだ人間は、須く京一にとって敵になる。


それでも、餓えて泣くのを見るよりも、落として来てしまった感情を、もう一度拾い集められるなら。






「防衛線を張ってるのかな」
「………」
「置いて行かれてもいいように」
「………るせェ」






覚悟があれば、想定していた出来事であれば。
起こりうる事態であったと思っていれば、喪失したと思う事はない。

手放した時の傷は浅くて済む。


気にしていないと思っていれば、気にされていないと思っても傷付かない。
愛していないと思っていれば、愛されていないと気付いても傷付かない。
失うものだと思っていれば、なくした時に、何も悲しむことなどない。

全ては傷付かない為の予防線。
過去の傷みと同じ傷み、それ以上の傷みを負わない為の、無自覚な予防線。



気にしてなんかいない。
気にしたら、気付きたくない事に気付いてしまうから。

愛してなんかいない。
愛したら、離れる時が怖いから。


どうせいずれば失うものだ。
失わないなんて、この世に一つもないんだから。

─────────置いて行かれたあの日のように。









「だから苦しいんだよ、京一」








子供が愛を望むのは当然で。
子供が失うことを恐れるのは必然で。

成長しても、それは同じ。
人は一人で生きることは出来るけれど、結局独りにはなれない。
誰かと一緒にいて、初めて“己”を知る事が出来る。


それを恐れて遠ざけていたら、いつか息が出来なくなる。




失って。
奪われて。

騙されて、傷付けられて。


キレイなくらいに透明な部分一つが、悲鳴を上げている事にすら気付けないほど傷付いて。





知らない部分を暴かれて、強気な瞳が僅かに揺れる。

自覚していない感情を、他人によって自覚させられる事は、酷く苦痛を伴うだろう。
覚悟をする暇を与えられていないから。


でも覚悟する日を待ち続けていたら、この子は一生気付かないかも知れない。



求めることも怯えることも、何も罪ではない事を。










「俺はお前を置いていかない」









その言葉に明確な保障なんてない。
言葉一つで何が変わる訳でもないだろう。


愛を囁いても、愛に怯える子供は、その愛を信じることが出来ない。
約束をしても、破られる恐怖を覚えた子供は、その約束を信じて良いのか判らない。

無数に絡まった重い鎖が、届けたい想いの邪魔をする。



それなら、その鎖ごと愛するから。











「だからおいで、京一」












俺ごとその鎖に絡め取ってしまっていいから、

どうか、この手を───────
















うちの八剣は、京ちゃんに対して何処までも寛容的ですね……
ひょっとすると龍麻よりも。

最初は八京でちょっとアヤシイ雰囲気の話にするつもりだったのになー。
何処から連作になって、挙句こんなドシリアスな展開になったんでしょう(滝汗)。
……この拍手、楽しんでる人いるんだろうか……