好きだけど嫌い







数日間、仕事で拳武館の寮に戻れなかった。
それは事前に判っていた事だから、仔猫の事は壬生に任せる事にした。


仔猫は案外、壬生の事を気に入っているらしい。

仔猫が暇な時に遊び相手にしている八剣似の人形は、壬生手製のものであり、修復も彼が引き受けている。
それに限らず手先が器用で何でも出来るから、子供が喜ぶような菓子ぐらい、簡単なものなら作る事が出来た。
更に言うなら、壬生は誰に対しても一線引いた態度を取るから、踏み込まれるのが嫌いな仔猫にとっては気が楽な相手だ。

だから仔猫を数日間預けておく事に、特に不安は無かった。
無かったが、壬生が彼に懐かれていることを知っているから、少々複雑だったりもした訳だ。





拾ったのも、引き取ったのも、毎日を一緒に過ごしているのも自分なのに。
どうも仔猫は、八剣よりも壬生の方が気に入っているように見える。

出会ってから随分経つと言うのに。





これが隣の芝が青く見える原理と同じと言うなら、まだ良い。

だが明らかに仔猫は壬生に懐いていて、一度捨てかけた人形を自分で壬生の下に持っていって修復して貰って以来、八剣がいないと時々壬生の部屋にちゃっかりお邪魔するようになった。
自分から甘えることこそなかったが、壬生が撫でても嫌がらないし────八剣は未だに払われてしまうのに。



……どう見たって、仔猫は八剣よりも壬生の方に懐いている。




それとも、自分が仔猫に構いつけすぎなのだろうか。
自分と壬生との態度の違いを比較すると、先ずそういう点が浮かんで来る。


八剣はいつでも抱き締めていてやりたいが、仔猫はそれを嫌がる。
機嫌が良ければ触るのを許すが、それでもやり過ぎれば引っ掛かれる。

しかし壬生はと言えば、基本的に一定の距離を置いていて、それ以上は近付かないし、近付けない。
同じ空間にいても、別々の部屋にいるような錯覚感があったりして、“一人”を好む性質の者には丁度良い。
話しかけれられれば返事をする、必要がなければ不用意に触れてこない────そんな所が仔猫には良いのか。






そんな訳だから。
仕事から戻って来た時、壬生の部屋を訪れるのに、少しだけ躊躇った。

帰ったのだから、仔猫を迎えに来たつもりだったけど。
あの子が「こっちの方が居心地が良い」と言ったらどうしたものか。
言い兼ねないから、やっぱり此処には預けない方が良かったか、と今更考えたりもして。



だけれど手放せる訳もなかったから、結局、その部屋の戸を叩こうとして。







「其処で待っていても、まだ戻って来ないよ」







一枚扉越しに聞こえてきたのは、壬生の声だった。
それに続いて、耳に馴染んだ子供の声。






「でも、いつ戻って来るかお前も知らねェんだろ」
「ああ」
「じゃ戻って来るかも知れねェじゃんか」
「まぁ、それもそうだけど。しかし出入り口を塞ぐのは────」
「塞いでねェよ。跨げばいいだろ」






一枚扉の向こう側。
直ぐ其処に、京一がいる。


ノックの為に浮いた手が、中途半端な高さで留まっている。
何故か戸を叩く事が出来なかった。

直ぐ其処に京一がいて、扉が開けばあの顔が見れるのに。






「……君は、一昨日から其処にいるけど」
「なんだよ」
「待つならリビングでも良いんじゃないのか?」
「此処が落ち着くんだよ」
「そうは見えないが」
「るせーな。いいんだよ、オレは此処でッ」





フーッ! と威嚇する声がした。
それに対して、壬生は相変わらずトーンの変わらない声で、








「随分、八剣の事が好きなんだな」

「はぁッ!?」








壬生の一言に、仔猫がひっくり返った声を上げる。
同時に、八剣の肩が僅かに揺れた。

直ぐに京一の甲高い声が響く。






「バカな事言ってンなよッ、誰があんな奴!」
「でも待っているんだろう。そんな所で、ずっと」






ぴたり、京一の声が止む。
それは多分、図星だと言う事だろう。


一枚扉の向こうの玄関は、決して落ち着く場所などではない。
壬生の部屋だから綺麗に片付いてはいるだろうが、元々人が出入りする為の場所だ。
ドア向こうの廊下は往来があるし、仔猫がゆっくり出来る訳もないだろう。

けれど、仔猫はこの扉の直ぐ向こうにいる。
一昨日からずっと、此処で八剣の帰りを待っている。




……数瞬。
間があってから、また声が聞こえた。









「…………好きじゃねェや。っつーか嫌いだ、あんな奴」









拗ねる声音で聞こえた言葉は、八剣にとってはショックなもの。


目の前で言われたのなら顔が見えるから、それが本意か否か、少しは判る。
天邪鬼でも、根は素直な子なのだから。

だけど本人のいない場所で言ったとなれば、其処には相手がいない故の真実味があった。






「……そうなのか?」
「……………」






また沈黙。

ドア一枚隔たれている八剣には、京一の壬生への返事がわからない。
それでも、開けるべきか否か、迷った手は彷徨うまま。






「…………だってよ、」






先刻よりも、随分長い沈黙の後。
ぽつりぽつり、京一の声が零れて来た。







「だってよ、」


「何かっつーとベタベタするし、」

「なのになんにもしなかったりよ、」

「どうしてェんだか訳判んねえし」


「一緒にいるよーなんて言ってる癖によ、」

「直ぐどっか出かけて行ってよ、」

「けっこー帰って来ンの遅ェしさ、」

「一緒にいた日なんかロクにねェし」


「この間もさ、」

「すぐ帰るーなんていった癖に、」

「もう何日目だってんだよ、あのバカ」








……つらつらと。
言うべき相手のいない場所で、いない筈の場所で。

告げられて行く言の葉は、相手が其処にいない故の真実があって。











「だから嫌いだ、あんな奴」











うん。

うん、そうだね。
そうだったかも知れないね。


早く帰っているつもりだったけど、君にとっては遅過ぎて。
毎日傍にいるつもりだったけど、君にとっては足りなくて。
あまりくっついたら嫌がるかなと思ったりもしたんだけど。

そうだ、君は甘えるのが下手で、だけど寂しがり屋の意地っ張り。
素直にそんな事が言えるような性格じゃない。



だから、気付いてあげないと。







言葉の裏側にある、本当の気持ちに。











“好き”の代わりの、その言葉に。













チビ京なので、高校生の京ちゃんよりは素直です。
好きな人の前では、やっぱりツンデレですけど(笑)。

ちなみに扉の向こうの京一は、八剣人形抱えて三角座りです(私の趣味(爆))。