いつもと違う笑顔







携帯電話が小学生にまで普及している現代。
「持っていない」と言うだけで「なんで!?」と驚かれるのが当たり前になり、持っていないのが異常な事のように見られる今日。
つい数年前まで町のあちこちで見かけていた公衆電話は、めっきり姿を消した。

そんな現代であるから、公衆電話から電話がかかってくると言う事は滅多にない。


けれども、八剣の携帯電話には、時折公衆電話からの発信が届いて来る事がある。


公衆電話からの電話主が誰かなんて、普通は判らない。
着信履歴に残る名前は、何処からかけても“公衆電話”でしかないからだ。

だが八剣は、自分にかかってくる公衆電話からの主が誰であるのか、ほぼ九割の確立で判る。
いや、判ると言うよりは、その人物ぐらいしか知り合いで電話を持っていない者が見当たらないのだ。
持っていないと言う今時珍しい人物であるから、必然的に彼から電話がかかって来る時は公衆電話の履歴が残る事になる。

だから不在着信履歴が残っているのを見た時は、ああなんで出られなかったんだろうと思う。
だって公衆電話からだ、此方からかけ直すなんて不可能で、自分が出るしか彼を繋ぎとめる方法はないのである。





─────ある雨の日。
暫く携帯電話の確認が出来ずにいる間に、それは残っていた。



約十分起きに刻まれた、公衆電話からの着信履歴。



一瞬、それがいつもの彼のものであるのか、八剣には判じかねた。
そんなにも短い間隔でかけ直されていたのが初めての事だったのだから、無理もない。

少しの間他の誰かのものかと考えたが、やはり思い当たる人物は彼しかいなかった。
掛け間違えた訳でもないだろうと思うと、ならば彼に何かあったのかと心配が過ぎった。
女子供じゃあるまいし、そんなに柔な性質の子ではないのだが、常にない事が起きているのだ。
しかもそれをしているのが彼であると思うと、心配にもなろうと言うものである。


とは言え前述の通り、此方から掛け直すことは不可能だから、再び彼からの連絡があるのを待つしかない。
確認したつい数分前にも着信はあったから、この調子ならまた直ぐかかってくるだろうと思っていた。






しかし、それから約一時間、携帯電話は鳴らなかった。

だから鳴った瞬間、八剣は同僚達が見れば驚くほどの速さで、携帯電話を取ったのである。






通話ボタンを押して、直ぐにいつもの呼び方で彼を呼んだ。
呼べば条件反射のように「呼ぶな」と怒ってみせる呼び名で。






「京ちゃん? どうかした?」
『………………』





問い掛けに対して、返ってきたのは無言。
小さくパタパタと聞こえるものがあったが、恐らくそれは雨音だ。


無言である事に、ひょっとして違う相手だったかと液晶を確認する。
が、其処にあるのは間違いなく“公衆電話”の文字。

普通はこれでかかってきた相手が判るのだが、生憎“公衆電話”だ。
相手が名乗ってくれるか(そうでなくても、最低でも声を聞くか)しなければ、確認が出来ない。






「京ちゃん?」
『………………』






せめて何か言ってくれないかと、繰り返し呼んでみる。
彼がいつも嫌っている呼び名で。




どれ程そうしていただろうか。
電話向こうでバシャンと水の跳ねる音がした。

どうやら電話主がかけている公衆電話は、ボックスタイプではないらしい。
最低限の電話を守るだけの箱があるだけ、人間は雨曝しになっている。


悪戯電話と言う線はない。
そんな場所からかけて、いつまでも濡れ鼠になる間抜けな愉快犯はいないだろう。
かかってきた電話を八剣が取ってから数分、しつこい悪戯電話でも普通はもう切れている。

八剣から切るという選択肢も、既になかった。
そんな事をしたら、繋がりかかっている糸を切ることになってしまう。



だから、いつまでもこうして、相手の反応をただ待っている訳には行かない。






「今、何処にいる?」






いつも彼を前にしている時の声とは違う、ワントーン落とした声。
彼にこの声を聞かせたのは────恐らく、初めて出会った時以来になる。


その後は八剣は閉口し、しばらくの間沈黙が過ぎて。










『………………』



「────────其処にいろ」










小さく、小さく、辛うじて。
聞こえるか聞こえないか。

それでも届いた音に、八剣はそれだけ告げて、通話を切った。



















平時から、素直な性格ではない。
好意を好意と受け取るのも苦手なら、好意を相手に向けるのも得意ではない。
嫌われることの方が余程得意で、わざとそんな言動を取る事も多い。

でも、人に対して素直でなくても、自分自身に関してはもう少し素直だ。
だから良くも悪くも、他人と衝突することが多いのだろう。


─────と、思っていたのだけれど。























告げられた場所に行けば、八剣の言った言葉を守った訳ではないだろうけれど、彼は其処にいた。
降りしきる雨粒を凌ぐものなど見当たらない場所の、真ん中に、彼はいた。



天から落ちる雫を、まるでシャワーのように浴びている彼。
それでも彼が笑っているなら、八剣は苦笑の一つも漏らして済ませる事が出来た。
風邪を引くよと、今更ではあるが傘の下に入れて、温まらせてあげれば良いから。

だが曇天を見上げる彼の表情は、感情が抜け落ちたように光がない。
どんな時でも、例えそれが虚勢でも、くるくる忙しなかった表情が今は何一つ残っていなかった。


それを見て最初に思ったのは、そんな彼の変調に気付いても、直ぐに飛んですらいけなかった自分への苛立ち。
彼が自分の居場所を僅かでも呟くまで、自分は彼を手繰り寄せる事すら出来ないのだ。




ぱしゃり、足元の大きな水溜りが跳ねる。
その音は土砂降りの雨の中でも、どうやら無事に彼の意識に届いてくれたらしい。






「──────よォ」






振り返った彼は、そう言って笑った。

………笑った。






「悪ィな。呼び出してよ」
「…いいや、構わない。どうせなら、来てくれて良かった位だよ」
「そうか?」






そう言ってまた、笑う。
……笑う。



近付く毎に、彼の今の姿が鮮明になってくる。
雨のカーテンの向こう側の彼が。


泥で汚れた足元。
喧嘩でもしたのか、服には所々可笑しな染みがある。

木刀は相変わらず手の中にある、けれど。
それは力を失われた腕に従い、切っ先は地面に向けられている。
天を仰いだ彼の代わりに、俯いているように見えた。






「龍麻ン家行く訳にも行かねェし」

「兄さん達はもう営業入ってるだろうしよ」

「つーか、こんなで戻っても邪魔臭ェし」

「お前ンとこもどうかと思ったんだけどよ──────」







それ以上、なんと続けようとしたのか、八剣は知らない。
知りたくないし、聞きたくなかった。

だから、腕の中に閉じ込める。




素直な子じゃない。
いつでも、何にでも、誰にだって。
それはよく知っている。

知っている、のだけど。


………自分にまで素直じゃないなんて。












笑った顔が、泣いているように見えるのは、


きっと雨の所為だけじゃない。















京ちゃんが弱ると、雨が降るらしい(なんだその方程式)。

京一に対して、命令口調と言うか、毅然とした態度の八剣が書いてみたかった(玉砕気味)。
ほら、うちの八剣っていつも京ちゃんにあんな(どんなだ)だから……