人間とは、特別に鈍感な動物だ。

視覚、嗅覚、味覚、聴覚、そして触覚に加えて第六感と、それらは全て他の動物たちに比べて春かに劣る。
個体別に見れば個─と種類により差異はあるし、ある種には劣るがある種には勝ると言う部分はあるだろう。
しかし結局、人間の五感ブラスアルファの感覚は、やはり他の種類に比べて随分と退化している。
これは脳────知恵・知能が発達した為の代価とも言える。


さて、他の動物に比べて鈍くなったとされる人間の五感プラスアルファであるが、これは一部については逆に幸運だったのかも知れない。
見なくて良いと言われるものを見なくなり、聞かなくて良いとされるものを聞かなくなり、やがては忘れていった。

だが、時にその五感プラスアルファの一部の能力が格段に高いものが現れる。
それらは俗に「動物並」と呼びなわされる感覚を備え、他者には気付かないものの存在を知ることが出来る。
特に第六感、シックスセンスは殊更に特別な面が見られるだろう。



八剣はどうかと言うと、動物並とは言わずとも、普通の人間よりは優れている方だ。
それは後天的に鍛えられたもので、主に視覚、聴覚と、直感────第六感がそうだ。

だが、やはり本物の動物には劣る。


………壁のただ一点をじぃと見つめる子猫を眺めながら、八剣はつらつらとそんな事を考えていた。




「……………………………」




ベッドの真ん中を陣取り、足下の枕に手を置いて、その両手の間にはいつもの人形。
“ちょこん”と言う祇園が似合う様で、京一は八剣の部屋の壁ただ一点を見詰めている。


京一が今の姿勢になってから、彼はずっと無言のままだ。
しかし彼の尻尾は先端だけがピクピクと動いており、同じく耳も小刻みな動きが見られる。

瞳は瞳孔が細く、目尻が釣り、所謂猫目だ。
ヒトと猫の両方の性質を持っている京一の瞳は、平時はヒトに近い特徴が表に出ている。
此処に猫の特徴が表に出る時は、彼の精神が興奮状態にある時だ。


八剣はしばらくそんな京一を眺めた後で、京一の視線をついと追いかけてみた。
そうして、その先に何かがある────と言うわけでもなく、あるのはやはり、白塗りの物言わぬ壁。




「どうしたの、京ちゃん」
「……………………」




問い掛けてみるが、京一からの返答はない。
じぃと、やはり壁の一点を見つめているのみ。

───────と、思ったら。






「フ────────ッッ!!!」






耳と尻尾の毛を一杯に逆立て、眉間に皺を寄せ、尖った牙を見せて威嚇。
じっとひたすらに見詰めていた、白塗りの壁のただ一点へと向けて。


静かだった筈の子猫の突然の行動に、八剣は一瞬瞠目する。

それから、ああ、と気付いた。
この子はヒトに近い姿形をしているが、猫であることに間違いはなく、尚且つ感受性豊かな子供であると言うことに。




「フギャ────ッ!」




益─毛を逆立てて威嚇する子猫に、八剣はクスリと笑う。
なんとも勇ましい子だと。




「フ─ッ!」
「京ちゃん」
「シャ─────ッッ!!」




威嚇に必死になっている京一は、八剣の呼ぶ声に気付かない。

八剣はそんな子猫にまたクスリと笑って、ベッド上で壁を睨み付けている京一を抱き上げた。




「何しやがんでェ!」
「いや、ね」




突然の事に目を白黒させる京一に、八剣は微笑んで。
ベッドに座して小さな体を膝に下ろし、抱き込めば、京一はすっぽりと八剣の腕の中に納まった。

昼間の昼寝の所為だろうか。
うっすらと太陽の臭いがする髪にキスを落とす。
にゃ、と呟きがあって、耳がピクピクと動いた。




「元気だねェ、京ちゃんは」
「お前、邪魔」
「そう? ごめんね」




膝から逃げようとする京一を、苦しくない程度に抱き締めて引き留める。

京一はむぐむぐと身動ぎして抵抗したが、八剣は離そうとしなかった。
離す所か、京一の頭を自分の胸に押し付けてしまう。




「邪魔っつってんだろ」
「ごめんね」




侘びながら、八剣は京一を解放しない。


八剣の胸に抱かれた京一は、もう壁を見ることすら出来ない。
感じることが出来るのは、自分を抱く男の、規則正しい呼吸と鼓動。

京一はしばらくむ─と唇を尖らせていた。
が、時間が経つにつれてその険は少しずつ瞳から薄れ、瞬きがゆっくりとしたものになり、爆発したように膨らんでいた尻尾が縮んで─────………




素直になれない小さな子猫が眠りに着くまで、珍しく然程の時間はかからなかった。




日向の臭いが残る髪。
もう一度口付けて、耳の根本を指で弄る。
耳がピクピクと震えるのが愛らしい。

そんな子猫を一度抱え直して、八剣は京一も一緒にベッドへと寝転がる。
擦り寄ってくる小さな体を受け入れて、その温もりを感じながら、八剣は顔を上げた。




「悪いね。此処はこの子専用だ」




告げた相手は、物言わぬ壁。

──────否。
其処にぼんやりと存在する、黒い猫。


黒猫はしばらくじぃと───少し前の京一と同じように───此方を見つめた後で、ついと踵を返した。








見えないものが見えるのも大変だ。
だって縄張りに勝手に侵入する不届き者が増えるから。

けれども、一所懸命に縄張りを守ろうと尻尾を膨らませる姿は、八剣には嬉しくて仕方ない。
だって誰にも譲れないくらい、この縄張りを気に入ってくれていると言うことだから。










2009/11/04

縄張り争いです。
京一は八剣の傍が気に入ってます。口が裂けてもそれを八剣に言うことはありませんが。
なので侵入者は何であろうと恐れず追っ払います。

そんな京ちゃんを見て、八剣は「可愛いなあ」と(いつもと一緒だな)。
で、頑張った京一を抱っこして頭撫でてあげたらいい。