京一の手を引いて、鳴滝と仔犬の下へと戻った時。
仔犬の目元は赤くなり、ぐす、と鳴らした鼻には少し鼻水の後があった。




「すみません、館長」
「いや、構わんさ。龍麻もようやく落ち着いた所だ」




京一は泣くには至らなかったが、龍麻はきっと泣いたのだろう。
小さな手にはイチゴ柄のハンカチが握られて、それもぐっしょりと濡れていた。



八剣の背に隠れた京一は、じっと仔犬を睨むように見詰めている。
ただ見ているだけか、警戒しているのか、もう八剣には半前とはしなかった。
警戒半分、様子見半分、そんな所だろうか。

同じように龍麻の方も、俯き加減のまま、ちらちらと京一を伺うように見遣っている。
お互いに出方を伺っているのがよく判る状態だった。


京一は意地っ張り、龍麻は────気が弱いのか気圧されたのか。
今のままでは恐らく、膠着したまま、日が暮れるまで現状が続いてしまうのは想像に難くない。

それを推し量って天秤を傾かせてくれたのは、鳴滝だ。




「龍麻、城を見せてやるのだろう」
「……あ、」




鳴滝の言葉に、龍麻が顔を上げる。




「へェ、お城か。京ちゃん、見せてくれるって」
「……ンなモン、」
「行っておいで」




興味ない、と続くであろう言葉を遮って、八剣は京一の手を離した。
繋がっていた頼るものが消えて、一瞬、京一の瞳が不安そうに揺れた。
が、生来の意地っ張りがまたまた顔を出したようで、ぷいとそっぽを向いてしまう。


京一が足早に砂場へと歩き出すと、慌てて龍麻もベンチを降りてそれを追い駆けた。
駆けて行けばあっさりと追い抜けて、そのまま龍麻が先に砂場に入る。

砂場には、歪な、けれど一所懸命作ったのだろう城が、形を壊さず建っている。
龍麻がその傍にしゃがむと、京一は一歩分空いた所でしゃがみ込んだ。
話をするには十分な距離だ─────二人の間は、まだ沈黙があるけれど。



さてどうなる事かと、八剣もベンチに腰掛けて見守る事にする。
遊び出せば案外夢中になるのではないかと思うのだが、あの子は何せ気難しい。
ふとした瞬間に天邪鬼が顔を出すので、安心するにはまだ早そうだ。

そう、子供達を眺めて考えていた八剣の耳に、低い声が届く。




「─────すまなかったな、八剣」
「………は?」




唐突に告げられた詫びの言葉の意味を、八剣は直ぐに理解できなかった。

鳴滝の方を見てみれば、彼は此方を見ていない。
皺の出来始めた目尻は動かないまま、じっと砂場でぎこちなく遊ぶ子供達を見詰めている。




「龍麻の事だ。あれも中々気難しい子供でな……友達と言うものがいないのだ」
「はぁ。それは、お互い様ではないかと」




それに、だからこそこうして、子供達を引き合わせたのだ。


砂場で遊ぶ子供達は、見た目年齢よりももう少し、精神年齢を数えている。
それは人間と動物の成長速度が違う事を起因とし、彼らは、動物と同じ速度で成長していると見て良いだろう。
だから京一にとっては、公園で遊ぶ同じ年頃の子供は、自分よりも幼く思える事だろう。
だが、人間にしてみれば自分は彼らと同じラインで……その違和感が如何ほどに苦しいか、八剣には判らない。

そんな彼らの仲間は、見付けようと思って見付けられるものではない。

普通の人間の子供と遊ぶには異質で、けれども動物達と同じ世界で生きていくのは難しい子供達。
身近に同じような子供がいるとは思っていなかっただけに、八剣にとっては振って沸いた機会だった。
少々性急であったのは確かだし、もう少し気を回す所だったとは思うが、善は急げと言う。
子供達がそれぞれに自分の世界に閉じ篭ってしまう前に、“仲間”や“友達”の存在を得るのは必要不可欠だっただろう。



─────鳴滝の詫びの理由は、八剣にも言える事だ。


京一の傍には八剣がいて、拳武館の面々も温かに迎えてくれるが、彼らは決して“仲間”ではない。
同じ種族、同じ成長速度で生きる者を“仲間”と言うのであれば。

同時に京一にとって彼らが“友達”かと言われると、それも頷けない所だった。
拾った八剣は“保護者”で、その周りにいる人々は、判り易く言えば“隣近所の人達”だ。
同じ特徴を持つ生き物は何処にもいない、それに気付いた時の孤独は、何を持ってしても埋めるのは難しい。


幼い彼らがそれらを深くまで考えているかは判らない。
だが、きっと京一は片鱗を感じ取っている事だろう。
そんな事は億尾にも出そうとはしないけれど。




「龍麻はな……良く出来た子だ。自分を保護してくれた緋勇の夫妻によく懐いて、手伝いもするそうだ。買い物にもよくついて行くらしい」




微笑ましげに語る鳴滝。
その内容が、八剣には少々だが、羨ましい。
何せあの子は素直じゃないから────言葉にならない感情を、ちゃんと知ってはいるけれど。




「その度、擦れ違う同じ年頃の子供達を気にしているのだと言う話だ」
「誰にも言わないけれど、友達と言うものに憧れていると」
「ああ。だが、自分が他の子供と違う事には気付いている。それが足踏みさせるのだろう」
「それは京ちゃんも同じですよ。あの子は中々に天邪鬼なので、興味ない、なんて言うけど」




砂場で遊ぶ子供達は、ちらちらと、伺うようにそれぞれに相手の様子を見ている。
龍麻は話しかけるタイミングを、京一は多分さっきの事を謝るタイミングを探していた。




「壬生からお前が同じような猫を保護していると聞いた時、良い機会だと思ったのだ」
「それはどうも。俺も同じですよ。もう少し、京ちゃんを外に連れ出さないとと思っていたので」




その為には、京一自身が外へと足を向ける必要がある。

今までは守る意味もあって部屋の中に閉じ込める格好になっていたが、いつまでもそのままではいられない。
まだ幼く、幾らでも可能性のある子供を、小さな世界に留まらせるのは不憫だ。



京一は物怖じしない性格だ。
けれど、人一倍警戒心が強い。

それは多分、八剣に拾われるまで、一人で生きていたからだろう。
そうして虚勢でも張って相手を威嚇しなければ、自分の身の保障が無かった。


培われた経験は根を張り、人格形成の糧となる。
その時、土も根も与えられた水さえもが、厳しい記憶で埋もれたものであるとしたら、どうなるだろう。
今でさえ中々笑ってくれない天邪鬼が、彼の顔を昏くさせてしまうのは想像に難くない。

鳴滝も、龍麻を保護したと言う夫妻も、きっと同じ事をあの仔犬に心配したに違いない。
相手の出方を伺うように、機嫌を損ねないようとする生き方は、一見優しく見えるけれど、一歩間違えれば卑屈な思考を生み出す切欠にもなるかも知れなかった。



彼らの苦しみは、彼らと同じ存在でなければ共有出来ない。
……彼らを守りたいと願う者達にとって、それは悲しく、悔しい事であるけれど。




「あ、」




思わず、八剣の口から音が漏れた。
眺めていた先で、砂の城が崩れたからだ。


固めよう固めようと、一所懸命に砂の壁を叩いていたのが災いした。
もともとが乾いた砂で積み上げられた城は、あっさりとその脆さを露呈してしまった。

呆然とする龍麻と、それを無言のままに見ている京一。
龍麻には、見詰める京一のきつい眦が、責めている様に見えた。
じわりと龍麻の目に涙が浮かぶ。


間も無く声を上げて泣き出すだろうと思われる仔犬に、鳴滝が腰を上げた。



───────が。




「おや、」
「……ふむ」




じっと蹲っていた京一が立ち上がり、一歩分の距離を縮める。
涙で滲んだ大きな丸い目が、京一を見た。


しゃがんで、黙ったまま、京一は崩れた城の砂に手を伸ばす。
ぶすっとした顔を変えないままで、京一は山になった砂に、更に砂を集めて行っていた。

その様子をきょとんとして見詰めていた龍麻を、京一は手を止めて睨む。




「見てねェで手伝えよ」
「……あ、」
「言っとくけど、オレこんなのやったことねェからな。知らねェからな、作り方なんか」




ぶっきらぼうな口振り。
けれど、尖った唇が、彼が照れている事を示している。






──────後は、もう。


気付いた時には泥まみれになって笑っている子供達が見れるまで、そう時間はかからなかった。










2010/03/11

なんだか小難しい話になりました。
この辺の設定を表に出すと、またシリアス路線に行きかねないので自粛してたんですが……我慢できなくなっちゃった(駄目な大人!!)。