鳴滝の下に預けていた仔猫を迎えに行って、引き取って。
そう遠くはない帰り路の途中、八剣はふと、仔猫の様子が常と異なっている事に気付いた。



いつもなら八剣の前か、半歩後ろで道のあちこちをきょろきょろ見ながら歩く京一。
それが今日に限っては大人しいもので、八剣の直ぐ隣を歩いている。
手を繋ごうと思えば繋げる距離と言うのも、至極珍しい話であった。

更にもっと珍しいのは、褐色のかかった丸い瞳が、時折何かを言いたげに八剣を見上げて来る事である。
八剣はそれを直接見返した訳ではなかったが、じぃ、と見詰められれば、気配に聡い八剣には嫌でも判るものであった。


これは八剣が鳴滝宅で京一を引き取った時から始まっている。
いや、鳴滝宅に到着し、京一が龍麻に手を引かれて玄関先に出てきた時からか。

今朝、八剣が京一を鳴滝へと預けた時には普通だった。
だから何かあるのなら、鳴滝宅で────と言うよりは、其処に預けられている仔犬と遊んでいる時だろう。
彼と遊ぶようになってから、知らない事を教わったり、自分が当たり前と思っていた事がそうでなかったりと言う事が増えて、京一は時折こんな風に不思議な行動を取るようになった。



ちらりと傍らの子供を伺い見れば、ぱちりと大きな瞳と視線がぶつかった。

丁度見上げていた時だったようで、京一はまさか自分が見られるとは思っていなかったのか、ぼんッと尻尾が破裂する。
その様子に眉尻を下げて微笑みつつ、少し悪いが良い機会、と八剣はタイミングを決めた。




「何かあったのかい? 京ちゃん」
「え、う、あ……」




何も持っていない両手を握り開きして、ついでに耳が動揺を表すように右へ左へ向く。
それでも尻尾の爆発が治まる頃には、気持ちの整理もついたようで、




「……お前、」




尻尾を右へ左へ、ゆらゆら揺らしながら、京一が八剣を見上げる。
が、直ぐに視線を逸らして、落ち着きなく瞳を泳がせた。

八剣は立ち止まって話を聞くかどうするかと考えて、結局、歩き続ける事にした。




「…お前、タナボタって知ってるか?」
「たなぼた?」
「…あれ、違う。タナボ…タナ……ん? えーと…」




自分の言葉の響きに違和感を覚えて、京一は首を傾げて考え込む。

八剣も京一の言葉の響きの類似を探して、しばし沈黙して思考した。
そうしている内に拳武館の寮が見え、その門前に飾られた物を見付けて、気付く。




「七夕、かな?」
「あ、それだ。やっぱ知ってんのか」
「そうだね」




と言うより、知らない方が珍しい。

だが京一はその珍しい部類に入る。
つい最近まで、その日一日を生きるのに必死だったのだから。




「龍麻が、今日はタバナタだって」
「そうだね。俺も何か用意すれば良かったかな」
「お前も笹の葉っぱで願い事すんのか?」




意外そうに聞いてくる京一に、どうかなあ、と八剣は返事を濁す。
神話にあやかって願い事なんてするような歳でもないし、生憎、夢見るような性格でもない。
しかしそれをはっきりと傍らの子供に言う気にはならなかった。

八剣が言う用意とは、食べ物の事だ。
七夕と言えば素麺だが、生憎、今日は忘れていたので買ってきていない。


寮の玄関を入って、二階にある自分の部屋へと向かう。
京一の歩調に合わせて、階段をゆっくりと上れば、落ちないようにと小さな手が八剣の着物の裾を掴んでいた。




「京ちゃんも何かお願い事したのかい?」
「…………別に。」




唇を尖らせた京一に、ああこれは何か願ったなと八剣は思った。




「叶うといいね」
「……別にッ」




どうでもいい、と言わんばかりに声を張る京一。
それが照れから来る行動であると、八剣には判っている。


京一の事だから、きっと願い事はごくごく些細なものだろう。
夕飯にラーメンが食べたいとか、テレビで見たパンダのグッズが欲しいとか、もうちょっと自分に構えとか。

もっと我侭になっても良いのに、京一はいつも小さな事しか願わない。
思い付かない────と言うか、そう言った事を考える事自体が、まだ京一にとっては遠いものに感じられるのだろう。
取り合えずは、今日の夕飯はラーメンの予定なので、願いは一つ叶えられる事になれば良いのだが。




階段を上がり切って、数歩歩けば直ぐに部屋に着く。
その間に、ふと隣を見て、八剣は僅かに目を瞠った。





階段が終わったのに、もう落ちる心配なんてないのに。
着物の裾を握ったままの小さな手があって。

その手を取って握ってみれば、可愛らしい尻尾がまた爆発したように膨らんだ。




「お願い、叶うといいね」




心からそう思うから、もう一度そう言った。
真っ赤になった顔を見ない振りをして、部屋のドアを開ける。

その後呟かれた小さな声は、ドアの閉まる音に混じって聞き取れなかった。






「……もう叶った」










2011/07/07

たまには甘えるちび京を。
いや、ちび猫は他の京一に比べて割りと甘えてる方ではあるんですけど、もうちょっとだけ素直に。

短冊の内容は……ね。きっと書いた後に恥ずかしさで悶えたと思うよ。可愛い!