よく冷まして食べましょう



以前ならば野菜や茸類を多用していた鍋だが、仔猫を拾って以来、肉を入れる事が増えた。
猫の趣向を思えば、魚肉の方が良いのかと最初は思ったのだが、あの猫は豚肉や牛肉の方が好きらしい。

土鍋に一杯の水を淹れて、昆布で出汁を取り、火が通り難いものから順番に鍋に入れて行く。
いつもはキッチンで行うその作業を、今日は食卓の上で行っていた。
その作業を、テーブルに乗り出してじっと上から覗き込んでいる仔猫がいる。
仔猫は、大きな瞳を常よりもきらきらと眩しく輝かせ、尻尾をゆらゆらと揺らし、ごくり、と何度目か知れない喉を鳴らした。



「もう良いかな?」



呟いた途端、がたたん、とテーブルが揺れた。
音の発信源である仔猫に、危ないよ、と咎めるが、仔猫はまるで聞こえていない。
早く早く、と言うように、尻尾がぐるぐると振られ、箸を持つ手が興奮を抑えられないかのように握り締められる。

つん、と菜箸で野菜と肉をそれぞれ摘まんで確かめる。
白菜は芯まですっかり柔らかくなっており、肉も色が変わって、よく火が通っているのが判った。



「うん、良いね。京ちゃん、器を貸してくれるかな」
「ん」



ごまダレの入った小鉢皿を京一が差し出した。
網のおたまで豆腐と野菜、茸を移していると、むぅ、と京一が不満そうに頬を膨らませた。



「野菜なんかいらねえよ。肉、肉がいい」
「はいはい」
「山盛り!」



京一のリクエストに応えて、火の通った豚肉を小鉢皿に移す。
しかし、沢山の野菜の上にちょこんと乗った肉を見ると、また京一は不満げに眉を潜めた。



「これだけかよ」
「取り敢えず、ね。先ずはちゃんと野菜を食べてから」
「うー……」
「それをきちんと食べたら、今度はお肉を一杯入れてあげるよ」



八剣の言葉に、京一は顔を顰めるばかり。
疑うように睨む切れ長の目に、八剣は笑みを浮かべて食事を促してやる。
八剣の言葉を信じようが信じまいが、取り敢えず、小鉢皿を空にしないと、次が食べられない事は理解したらしく、渋々とした表情で箸をつけた。

京一は、皿の一番上に乗っていた小さな肉を拾うと、ふーふーと軽く冷まして、口の中に入れた。
むぐむぐと頬袋を膨らませて食べる京一に、リスみたいだなと思いつつ、八剣も自分の小鉢皿に箸をつけた。



「美味しい?」
「まーな」
「そう」



素直になれない仔猫だから、正直に「美味しい」と言ってくれる事は少ない。
けれど、不味いとか嫌な事ははっきりと口に出すから、それがないと言う事は、仔猫の満足を得られていると言う事だ。

肉を飲み込んだ京一は、次に茸を口に入れた。
やっぱりもごもごと頬袋を膨らませて食べている。



「温まるね」
「ん」
「やっぱり寒い日はお鍋だね」
「そうなのか?」
「美味しいだろう?」
「まぁまぁ」



素っ気なく言いながら、京一の小鉢皿はもう殆ど空っぽになっている。
白菜やネギも綺麗に食べて、温まった豆腐の柔らかさに四苦八苦しつつ、きちんとした箸遣いで豆腐も食べ切った。



「京ちゃん、器貸して。移してあげるから」



八剣が手を伸ばすと、京一はむっとした顔をして、八剣から小鉢皿を遠ざける。



「やだ。お前、野菜ばっか入れるじゃねェか」
「今度はちゃんとお肉も入れるよ」
「信用なんねェ。俺が自分でやる」



そう言うと、京一は八剣の手からお玉を引っ手繰った。


食卓のテーブルは足の低い座卓であるが、小さな京一が鍋の中を覗こうとすると、座ったままでは無理だ。
京一は膝立ちになって鍋の中を覗くと、お玉でぐるぐると中を掻き回す。
野菜や茸の下に沈んでいた肉が顔を出すと、ぴんっと京一の耳が真っ直ぐになった。
肉ばかりを浚って行く京一の尻尾は、嬉しそうに踊るように揺れている。
それは見ていて微笑ましいのだが、やっぱり野菜もちゃんと食べないと、と八剣は横から菜箸で野菜を取って、京一の小鉢皿に移した。

肉盛りとなった小鉢皿に、京一は満足そうに笑みを浮かべて、座布団に座り直す。



「へへー。いっただき!」



大きな肉を取って、あーん、と京一が口を開く。
その肉からは、まだほこほこと温かな湯気が立ち上っていて、



「あ、京ちゃ────」
「あっち!!!」



八剣が止める暇もなかった。
大きな口に肉が入ったと思ったら、途端、京一は悲鳴を上げて飛び上がる。
ガタガタッ!と京一の膝がぶつかったのか、テーブルが物騒な音を立てて揺れた。

涙目で口を押えている京一に、八剣は冷えた茶を淹れたグラスを差し出した。
京一は奪うように受け取ると、じんじんと痛む舌を茶に浸して冷ます。



「大丈夫かい?」
「うぇ……」
「よしよし。びっくりしたね」
「ふぐ」



あやすように撫でる八剣を、勝気な瞳が睨むが、その目尻には大粒の雫。

八剣は、京一の手からそっとグラスを取り上げると、口を開けてごらん、と京一を促した。
あー、と素直に口を開けた京一の舌には、火傷のような痕もなく、暫くすれば痛みも引くだろうと思われた。
しかし京一の方は、じんじんとした痛みがとにかく嫌いなようで、麦茶のグラスを奪うとちびちびと飲み始める。


八剣は保温にと点けたままにしていたガスコンロの火を弱めた。
鍋は温かい状態で食べるのが美味いものだが、猫舌持ちに熱いまま食べろと言うのは酷である。
ちょっと失敗したな、と涙目になっている仔猫を見ながら、心密かに反省する。



「落ち付いた?」
「……ん」
「食べれそうかい?」
「……くう」



食事前よりは気落ちした声であったが、京一の食欲には些かの翳りもない。
よしよし、と八剣は京一の頭を撫でると、彼の前に置いていた肉盛りの小鉢皿を手に取った。



「何すんだ、返せよ!」
「大丈夫、取らないよ」
「かーえーせー!」



フシャーッ!と尻尾を膨らませて威嚇する京一。
どうどう、と八剣は京一を宥めながら、大きな肉を箸で摘まむ。
まだほこほこと温かな湯気を立てているそれに、ふー、ふー、と息を吹きかけて冷まし、



「はい、あーん」



差し出された肉と、笑顔の八剣に、京一は目を丸くした。
肉と八剣を交互に見た後、京一の尻尾が更に大きく膨脹する。



「阿呆な事してねェで、オレの肉返せ!」
「だから、ほら。あーん」
「するか!自分で食う!」



奪い返そうと伸びて来た京一の腕を、八剣は小鉢皿を持った手を引っ込めて避ける。
空を切った手に、京一の顔がみるみる不機嫌なものになって行くのが判る。
ぐるる、と損ねた機嫌を象徴するかのように、子猫の喉が不穏な音を鳴らした。

睨む仔猫に対し、八剣は常と変らない笑みを浮かべて言った。



「でも、もう熱い思いしたくないだろう?」
「…もうやんねェよ、あんなの」
「そう言って、この間もラーメン食べてて火傷しかけてなかったかな」



くすくすと笑いながら言った八剣に、京一はぐうの音も出ない。
京一はぎりぎりと赤い顔で歯噛みした。

八剣はそんな京一を宥めるように、大きな肉をかざして見せる。



「ほら、京ちゃん。あーん」



ガキじゃないとか、バカにするなとか。
言いたい事は山ほどあるが、にこにこと上機嫌な顔で笑う男に、何を言っても無駄である事は、京一もよく知っている。

そんな事より、差し出された肉の誘惑の方が、仔猫にとっては大事で。


渋々顔で、それでも素直に口を開ける仔猫。
その日、結局八剣は、京一が恥ずかしさに耐え兼ねて怒り出すまで、延々と仔猫に餌を与え続けたのだった。




2012/11/23

鍋が美味しい季節です。

京ちゃんにあーんってさせたかっただけ。
最終的に、いつまでも調子に乗ってんじゃねえ!って引っ掻かれるんだと思います。